ラットパトロール2019

二〇一九年初頭 ナイジェリア・ニジェール・チャドを越境するボコ・ハラム勢力支配地域


 西洋の教育は罪ボコ・ハラム。奴らはそう名乗った。イスラム国ISILに忠誠を誓う彼らは、二〇一六年に政府軍により最後の拠点『キャンプ・ゼロ』を掃討され、壊滅したとされていた。しかしその後、連携するアル=カイダのネットワークを利用し、国外に退避していた幹部の帰還やISILの戦闘員の補充により、西洋社会によって定められた国境線をまたいで再編された。彼らに対してアフリカ連合は周辺諸国により五ヶ国軍を編成、対峙させているが、近年、そこに旧宗主国であるフランスの外人部隊も投入された。それはフランス本国における大麻解禁のムーブメントの代わりに、マフィアやテログループの資金源ともなる違法薬物の流入を基から絶つ為だ。

 日向有栖ひむかいありすの率いる『匿名兵士による平和維持機構APO』は、そこに菌糸のように巣食っている。あらゆる西洋社会の教育――現代科学やダーウィン主義、西洋文明を糾弾するボコ・ハラムにとって、どことも知れぬ異教徒カーフィルのアジア人と手を組むはずもないが、生命線ライフラインや武器兵器となれば話は別だ。(逆に、キリスト教徒などよりは宗教対立のわだかまりが少ないとも言える)そこで有栖はネットワーク拠点ハブを繋ぐ線として、花と花とを結びつけ受粉させる花粉媒介者ポリネーターとして飛び交っている。

 アノニマと帽子屋は、ミーシャの運転するジープに揺られながら、ステップ気候の砂漠地帯を横断している。帽子屋が言う。

「僕は日向有栖の行方を追っている。君から聞いたところによると、有栖は北朝鮮の海底プラントで研究をしていたはずだろう? なぜ、アフリカに?」

「それはアフリカが『人類の産まれた場所』だからだ。有栖は、世界中にいくつもこのような研究・工場施設を持っている。――いや、知られずに制御していると言ったほうが、正しいだろうが」

「なるほど。蝶も花粉媒介者ポリネーターたりうるが、その本質は盗蜜者ネクターロバー――長い口吻ストローで甘い蜜だけを啜る、ってワケだね。北朝鮮は脳の研究。そしてアフリカでは――」

「戦闘員の養成、排出。ISILにエジプトやモロッコ出身の戦闘員が居たこともあったが、その延長だ。ISILとボコ・ハラムは異教徒の女子供を拉致し、奴隷として売買しているが、それは『子宮』の数を確保するためだ。奴らが台頭し始めて、もう十余年経つ。もっとも純粋アンアフェクティッドな幼少期からの思想教育、そして戦闘訓練……少年兵・少女兵が次世代の最も完璧な『イスラム国民』となる。クメール・ルージュのようにな」

二〇一四年のボルノ州女子学校襲撃、女子生徒三〇〇名あたりの拉致。幾名かは脱出ないし救出されたが、その多くが今でも行方不明となっている。ISILもまた、ヤズディ教徒やキリスト教徒の少女や女性たちを同様に性奴隷としており――彼女たちは言わば『産む機械』として男性戦闘員たちに共有されている。

「君も少女兵だったんだろう、アノニマ? アポロ・ヒムカイの『新日本赤軍NJRA』のスモールボーイ・ユニットの中で、いちばん優秀な小隊長だったと聞いたよ」

「ああ…………だが、あくまで戦闘要員だった。炊事や洗濯、事務や経理などの後方任務にも男女差は無かったし、得意な人間が得意な分野でそれぞれの仕事をしていた。イスラム過激派色の色濃く残る戦闘部隊では、『戦闘は男の特権』だと言って、女子供は嫌われていたが……性処理用の女も、外部に頼っていた。アポロのルールでは、『部隊内での暴力の行使は禁止』されていたからな」

「なるほど。あいつらしいや」

「ルールに反する人員は、略式で処刑された。部隊内での強姦や、差別、偏見、メンバー同士の殺し合いなど…………末端になるほど、アポロが理想した『エゴイストの連合』からは外れ、単なるゴロツキの集団と化していたが…………その審判ジャッジメントの特権を持っていたのが、サキーネ。ユーゴ出身のキツネ女だ」

サキーネ・ペトロヴィッチ・アル=サァラブ。ユーゴスラヴィア出身のボシュニャク人。九二年から九四年初頭まで続いた集団的大量強姦、民族浄化であるフォチャの虐殺において、殺された臨月の母親から摘出された嬰児。その後アルバニア系イスラム教徒に拾われ、コソボ紛争に身分IDを偽って支援部隊の子供兵士として参加、紛争終結後、『新日本赤軍』のアポロと合流する。彼女サキーネは、を殺したアノニマを怨んでいた。その際にヨーロッパ各地に作られたアルバニア人のネットワーク拠点ハブは、日向有栖によって今でも薬物の流通に利用されている。

「部隊をけた後は?」

帽子屋が訊ねて、アノニマは目を泳がせて答えた。

「記憶にない。コミッショナーに――いや、ジェーン・クローディア・サンダースに聞かされたところによると、私はアポロを殺し、シリア国内を彷徨っていたところ、イスラエルとの国境近くで回収されたそうだが」

覚えていない? 帽子屋が訝しんだ。記憶メモリーとは、思い出される読み出される度に改変され、そして再び書き込まれる信念が強化される。だから、思い出の形は一定ではない。その都度最適化された形で想起され、歪んでいくものだ。

 遥か遠くに、捕鯨船の汽笛が響く。彼らには聞こえるはずもない。アフリカの近海では、今でも捕鯨が続いている。それは原始的な槍を使うものだ。欧米において鯨は、もともと食肉ではなくランプなどの燃料資源として利用されていた。ダイナマイトのニトログリセリンも鯨油が原料だった。

 戦争は、資源や利権の奪い合いだ。それは石油であったり、水源であったり、作物であったりする。そして資源とは、土地に結び付けられる。国境を巡る紛争や聖地の奪い合いというのも、そこに関わる経済や人的資源の確保という事にも繋がる。

「ここにはウラン鉱山がある。だが奴らはそこを死守しながらも、イエローケーキを運び出している形跡は見られない」

追加議定書APINFCIRC/540が発効してから、一〇トン以上のイエローケーキは国際原子力機関IAEAの査察対象になったからな。だが奴らが忠誠を誓うISILは国家を自称しているとはいえ、どの国家も彼らを国家として承認していないが」

「彼らの共通語はアラビア語。アッラーフの言葉だね。しかし、末端の兵隊たちの間では、旧宗主国の英語やフランス語が使われる場合もあるようだ。もちろん、ボコ・ハラムにとっては、西洋の言語ボコ禁止ハラムということになっているだろうがね」

「だが異教徒カーフィル製の武器や兵器に繋がる石油資源や放射性物質、その科学的知識は許可ハラルというわけか? 都合のいい解釈だな」

ミーシャがジープを止める。ここから先は敵の支配地域だ。

よしХорошо、確認するぞ。お前がポイントマンとなり、俺たちは基本的には援護。不要な戦闘は可能な限り避ける。見つからないに越したことはないからな」

「ミーシャは狙撃。僕は陸上歩行型小型無人機イクネウモーンで先んじて偵察する。ステルスだから見つかることはない。駆動音も電子的に打ち消しているしね」

危険な仕事は女任せレディ・ファーストか。フェミニストが泣いて喜ぶな」

「君の能力を信頼しているのさ……」

ミーシャはヴィントレス消音狙撃銃を取り出し、援護の姿勢に入る。帽子屋はラップトップを広げ、駆動する無人機に続いてアノニマは夜の闇に溶ける。空にはクレセントの形をした下弦の暁月が輝いている。

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