* * * * * *

 密林ジャングルの中に少し開けた箇所がある。それは人間が開拓し活動をした証左だ。アノニマはその道を通って倒木に身を潜める。警備兵は巡回していない――代わりに無人偵察機トライローターが飛来している。野生の秘術カオスが人工の秩序コスモスによって保たれる。もっとも、天然と人工の差は、という曖昧な基準でしかないが。ヒトを自然の一部と見做すか。人間ホモ・サピエンスもまた動物であるか。人間を人間たらしめるのは、言語という発明――想像力イマジナシオンである。人間という枠組みもまた想像であり、家族や共同体、友人、恋人という繋がりもまた、幻想の産物でしかない。

 無人機の不可視光線レーザーによる索敵が続いている。アノニマはそれを避けて進んだ。

「蚊が多いな」

「モスキート音で虫除けはしてある。正確には、超音波による反響定位エコーロケーション機能の副産物だが」

それは空からの監視イーグル・アイの二次元的な情報を三次元の立体にするための観測・記録だ。カメラから得られた映像情報に重ね合わ拡張現実される形で、壁や障害物の向こうの生体反応、目的地などが映し出される。

「目的地に近付いている。……警備の姿だ」

警備員は中東系が多いようだ。現地雇いのパレスチナ系・レバノン系のブラジル人。パレスチナを国家として承認するブラジル政府は、アメリカやイスラエルから強く非難されている。もちろん、大使館が存在するからと言って、それが単純にテロリストの流入を意味するわけではもちろんないが、敵対勢力・危険分子・工作員ペルソナ・ノン・グラータの窓口となる事は確かだ。ブラジルは、移民の国だ。二〇世紀初頭に移民してきたアラブ人はキリスト教徒が多かったが、七〇年代以降、ムスリムの移民も増加した。

 穏健なムスリムとイスラム過激派には当然、大きな断絶がある。過激派は八〇年代以降イスラムの統一国家を目論んだが、住民たちは統一国家など望んでいなかった。それから、過激派は主に世俗主義の各国政府や市民をも標的とする恐怖主義者テロリストと化した。自分たちの思想が受け入れられなかった為に、それは潜在的な標的であると規定したのだ。コーランか、剣か。だがテロリストたちが差し出したのはコーランではなく、聖典を読み出した自らの解釈に過ぎなかった。言葉は、酷く曖昧だ。人間を規定するのはそれらの曖昧な言葉によって強化された、個人孤人の本質でしかなかった。法や規則ルールは、如何様にでも解釈できる。それは多数派や人民の支持によって正当化される。社会――に受け入れられなかった者たちは、その鬱憤をやがて暴力によって発散する……それは、二〇一六年からの反新政権派によるデモ行進と、何ら違いは無かった。

 警備員は、感染予防と思われる防護マスクを装着している。アノニマはマスクを取り出して装着した。同時にIDを隠す事は、すなわち人間性の喪失を意味する。そのマスクの内部にはマイクが搭載されており、外部に音を漏らす事なく(それは外部へは電子消音され)イヤホンに音を伝達し、無音での会話が可能になる。

「位置についた。まだか、シェフ」

「もう着いている」

シェフは光学迷彩をオフにした。そこにはもう一人の姿。シルクハットに、ペスト医師のマスクを被った男。

「『帽子屋』? お前も来ていたのか」

有栖アリスある所に帽子屋ハッターあり。きっと彼女もここに居るはずさ」

「なぜ分かる?」

「今日は、奴らの動きが多い。ヘリも哨戒している。重要人物VIPを連れてきたやつさ。それがそのまま警備に当たっている」

一瞬だけ沈黙があって、Cが通信に割って入る。

「シェフ? 説明しろ」

「は。しつこい奴でして……」

「奴は作戦の一部ではない。不確定要素だ。彼は手厚くされる手筈だろう」

帽子屋は「そこに人間が関わる限り、それらはすべて不確定要素さ」と言って、続けた。

「お堅い事を言いなさんな。『司教』の二の舞は御免だよ、サンダース家のお嬢ちゃんマドモワゼル。君のひい爺さんの妹がカナダのガーネット家に嫁いだから、おこぼれとして財閥の傘下に入れたんだろ?」

「家の話はするな。曾爺さんは大戦の英雄だった」

「おや、おや。生まれが良かっただけの世間知らずのくせに。そう思われたくないから、軍に入って嫌いなはずの男どもに媚びを売って、のし上がってきたんだろう? そんな実力主義者の君なら、むしろ僕の能力は必要になると思うがね」

「私はお前を信用していない」

「僕も君の事が嫌いだよ。だから、仕事ビジネスの話をしよう」

Cは制御可能な物語を好んだ。そして、仕事とは本来見積もりから成立するものだ。旧日本軍やナチスは連合国の計算可能性に敗れた。原爆の開発も、戦力の投入も、結局はデジタルの積み重ねなのである。帽子屋は携帯端末PDAの地図を画面内で指差しながら言った。

「奴らの拠点はここ。原生林の中の、小さな村だ。彼ら村人は奴ら――APOとここ数ヶ月間、交流・接触している。使用言語は不明。恐らくムーラ語か、トゥピ語だろう。そこに発電機やアンテナ、回線などを持ち込んで、本部と通信しているんだろう」

「詳しいじゃないか」

日向有栖の手先となるなら、間違いなく奴だ。Cは疑っていた。

「丹念な電子諜報シギント機械諜報マシントの結果だよ。何せ、香港ホンコンに幽閉されてる間は、暇だったからね」

あの陸上歩行型小型無人機イクネウモーンか。Cは思った。情報源ソースは合点が行くが、では何故、『ブラジルで研究を進めている』事を知っていたのか?

「それは君が知る由もないね。僕がそれを掴んだのはの脳殻が人工頭蓋骨アートボーンに置き換えられたあとだったから」

なるほど。『司教』や『シャルリ』からの電波傍受シグナルが途絶えたのはその為か。奴らは我々の盗聴を避けるために、電波を遮断する素材の人工頭蓋骨に置き換えている――我々の仕掛けた脳内機械インプラント生ける盗聴器ウェット・ウェアを。だが、どのようにして再洗脳を施したのか? ……いいや、それは今から調べる事か。まずは斥候を出す事だ。

「アノニマ。お前が先頭を切れ。シェフが後方から援護する。接触と交戦は不許可とする。特に村人には死者を出すな。発覚されない場合のみ、敵の排除を許可する」

了解ダコー

アノニマは五・七ミリ口径ARファイブセブン簡易狙撃銃を、シェフの持っていたヴェクター短機関銃と交換する。四五口径の生分解性合成樹脂プラスチック薬莢を使用するタイプだ。安全装置をかけ、小脇に提げる。銃のIDはロックしないでおく――それはある程度、奴を信用しているからだ。

 シェフは、狙撃態勢に入る。アノニマは光学迷彩で光に溶ける。雨が降らないと良いが。帽子屋は『沼ウサギ』と呼ぶ無人機を先回りさせ、適宜情報を伝えた。

「橋を渡る」

アノニマが言った。

「充分に警戒しろ」

罠があるならここだ。

「あっ……と。まずいな」

帽子屋がコントローラから手を離して独り言を呟く。それから音声にノイズ。アノニマの信号が極端に弱くなる。

「C? ……答しろ……そ、……妨…………受……てる……」

「アノニマ? どうした、状況を報告しろ」

Cはシェフとの通信を試みる。

「シェフ、聞こえるか?」

感度良好メリット5。アノニマとの通信は途絶しました」

「何が起きた?」

「奴の使用している周波数帯に向けての電波妨害ECMのようです。レーダー上に雲を確認。少量ながらチャフも散布されています」

携行型電波欺瞞紙散布手榴弾チャフ・グレネードか?」

小型妨害電波発信装置ミニ・アクティブ・ジャマーを併用するタイプです。しかし従来の妨害装置もあるでしょう」

「その破壊と無力化を優先しろ。こちらは別の周波数帯から奴の観測監視を試みる。報告を欠かすな」

了解ダコー。監視用と思われる無線誘導式無人偵察機ドローンが数機、飛んでいます。恐らくその辺りの周波数帯はクリアでしょう」

了解ダコー

そしてアノニマからの通信。

「……害…波…………。……のまま前……………る」

シェフは肉眼で確認した状況を報告する。手信号ハンドシグナルで『このまま前進する』と伝えたようだ。

「アノニマは橋を渡りました。森に入り、村に近付きます。射程から離れる――こちらも移動を開始します」

シェフが帽子屋に言う。

「帽子屋。気付かれず監視ドローンを破壊できるか?」

「任せなよ、」

無人機の操作も奪われた帽子屋は、竹笛を吹くと潜んでいた鷹を呼び寄せた。奴の飼っているものだろうか。やがて彼は訓練の通りに、鷹に無人機を襲わせた。なるほど、電磁EMP銃よりも単純かつ安上がりだ。それにしても――やれやれ、『白いカラス』がまさか鷹匠だったとはな。

「妨害装置の位置が掴めました。接近し、排除します。アノニマの援護は――」

「僕が行くよ。付いて来ていて、よかったろ?」

Cは許可を出さなかったが、そもそも帽子屋は彼女の指揮下に無かった。だから外部の人間アウトサイダーは嫌いだ。我々の管理下に留まる事を知らない。そして、それが自由だと履き違えている。リベラリズムの正義は、全ての価値観を包括できる社会理念の構築から始まるはずなのだから。そして、そのに従わない大衆は――

「やれやれ。もちょっとした一仕事を作ってくれるものだ」

Cは誰に言うでもなく、独りそう呟いた。

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