* * * * * *

 乾いた街。裏路地はそれよりもささくれ立っている。色彩はマリゴールドの橙。花言葉は嫉妬。表通りで行われる死者の日のパレードは、メキシコ人の死生観を表すものである。髑髏への仮装(骨は肉で覆い隠されないからいつも笑っている)、砂糖菓子の骸骨カラベラス・デ・アスカル…………『死よ、お前を食べてやるぞ』――死は結末ではなく、生の一環として死が訪れる。死という言葉は唇を焦がす苦々しいものでなく、再生であり、それを茶化し弄ぶ事によって、死を重いものとして捉えない。それは死と同様に生もまた虚しいものだからだ。

 とある死体は、四肢を切断される。生首の頬の肉を削いで、笑っているように見せる。カルテルのやり口だ。それが裏路地で堂々と飾られている。その写真はSNSにアップロードされ、拡散する。我らは白人たちに犯された女の子供たちである。その自意識が自己肯定と自己否定の狭間で、揺れる。

 脳でなめした皮と人骨で出来た椅子に座り、人肉を生で喰らっている。余所者グリンゴ警備員PMCたちは嗚咽しそうになり目を背けた。カルテルのメンバーは笑ってみせた。花火が鳴っている。外のハレと内のケの空気は混じり合わずにただ融けてliquidationいる。それはLSDアシッドに溶けた脳味噌。紫の霞パープル・ヘイズ。ここは泥沼の戦争地帯。音も無く柘榴が咲いた。

 それは狙撃だ。銃声はしなかった。喧騒に紛れたか、音自体が存在しなかったか。か。音は逆位相の波長をぶつける事で打ち消し合う。ドッペルゲンガーに出会った人間が殺されてしまうのとちょうど同じように。

スナイパー!¡Francotirador!

誰かが叫んだ。それもまた居なくなった。我々は歩く影Doppelgängerの部隊。五つ目の雌狐。彼らは見えない敵に機関銃を撃ちまくる。部隊長らしきがそれを制した。

やめろ、撃つな!¡Deja de disparar!

IFFが作動していない!¡IFF no está funcionando!

敵味方識別装置IFFは既にハッキングされている。焦った警備員は曲がり角の出会い頭に味方を撃った。あとはドミノ理論。崩れていくだけ。もう片方の勢力にも同じ作戦を適用してやる。コンスタントに列から溢れた奴を狙撃していく。

 アクティブ光学迷彩を起動する。そして彼女は光に溶けた。


 * * * * * *


 屈強な男たちに囲まれた金髪の女。名前はシャルリ。胸には十字架。銃声に眉をひそめ、その長い髪をかきあげながら訊いた。

いったい、何の騒ぎだ?¿Qué está pasando?

はい。恐らくは、Sí, señora. Presumiblemente 敵の攻撃かと思われますが……pensamos en el ataque del enemigo.

それで、何か問題が?¿Es que incluso un problema?

シャルリが尋ねると、男たちはそのライフルを誇示するように構え、応えた。

いいえ。問題ありません。Por supuesto que no, señora.防衛に全力を尽くしますLe protegeremos a todo costo.

廊下から散発的な銃声。空気の振動はビリビリとして伝達される。室の男たちは素早く展開する。護衛に一人が残る。

駄目だ、弾が当たらない!¡Está reflejando las balas!

黙れ、とにかく撃ち続けるんだ!¡Cállate, sólo sigue disparando!

持続的な銃声。無数の真鍮の薬莢が転がる音。それはおよそ六秒だけ続いた。皆の小銃の弾倉が空になるまで。

姿が無いぞ……どこに消えた?No puedo verlo.  ¿Dónde está?

音は、しなかった。ただ肉が銃弾を受け止めるだけ。よろよろと、ぼろ雑巾みたいになった男がだらだらと血を流しながら、

ゴ……ゴーストEs ... es un fantasma.…………」

そう言って絶命し、そして床に、倒れ込まなかった。それは亡霊fantasmaが肉の盾として利用していたからだ。シャルリの最後の護衛はその一瞬の判断の遅れによって、壁に脳漿の芸術を作ることとなった。

お前、何者だ?¿Quien diablos eres tú?

アノニマは答えなかった。シャルリは座っていた。窓からは風が吹いている。シャルリは机の上の黄金のクーナン.357マグナムを素早く装填し、撃った。それは銀の銃弾。アノニマは彼女に接近しつつ、初弾を避けた。二発目は逆手に構えたマチェットで弾いた。返し刀で切断された彼女の手が宙に踊って、見当違いに向いた銃口から飛び出した三発目の銃弾がやがて窓を割った。

お前……化け物か?¿Es usted... un monstruo?

いいや。お前と同じ、人間だ。No. Igual que tú, soy un humano;【新しい人間】さUn hombre nuevo

シャルリが訊ね、アノニマは答えた。CZ拳銃で頭部に二発。麻薬の粉末は血で赤く染まり、虚飾の黄金きんは分解され地に堕ちる。

 アノニマはターゲットの死を確認すると、スマートフォンのハンズフリーを操作し通信する。

「C、目標を排除した。回収してくれ」

だが反応はない。室内は暗い。カーテンは揺れている。

「C? 応答しろ」

風を切る音。衝撃波はカーテンを鋭く舞わせる。鈍い銃弾。それは光学迷彩の薄皮を破壊した。そして姿が晒される。

糞ッСрање!」

アノニマは即座に拳銃を構えた。だが発砲は出来なかった。既にIDがロックされていたからだ。すぐさま二の矢。アノニマは窓から飛び出すと受け身を取りマチェットを握る。路地裏には何人か民間人が野次馬している。アノニマの顔はマスクとライダーゴーグルによって隠されている。狙撃は遠距離からだった。アノニマはが、いやが民間人を巻き込む事を避ける事を分かっていた。

「Bạn bị phản bội bởi ông chủ của bạn?」

足元で何かがそう言った。それは陸上歩行型小型無人機イクネウモーンだ。音は肉声。遠隔操作されているようだ。

「…………? Ко си сад па ти?」

「Oh, bạn không nói được tiếng Việt. 君のボスに裏切られたかな?」

「Нисте одговорили на моје питање. Ко си ти?」

「ああ、自己紹介がまだだったね。僕は『帽子屋』。こいつは僕の相棒、『機械仕掛けの沼ウサギマーシュ・ヘア・マキナ』」

帽子屋はそう言って、『沼ウサギ』のハッチを遠隔で開いた。中にはロシア製個人防衛火器PDW。装弾数は四十四発。

「То је добродошао поклон за тебе. あいさつ代わりのプレゼントさ」

アノニマは疑いの姿勢を崩さなかった。

「Како да ти верујем?」

「信用しろとは言わない。だが、裸の銃ネイキッド・ガンが要るんじゃないかな?」

「…………」

するとアノニマは銃を取った。装弾を確認する。帽子屋は「ついてきな」と言って、『沼ウサギ』を走らせた。

「セルビア語とはね。クルド人だと思っていたよ」

「私に国はない」

 しばらく群衆を無視して『沼ウサギ』を追いかけると、黒のワゴンが駐車してあった。どうやら防弾仕様のようだ。アノニマが接近すると扉が開いた。中からバラクラバで顔を隠した男が言った。

「乗れ」

アノニマはその声に聞き覚えがあった。

Михаил,ミハイール

それはミハイル・ヴラジーミロヴィチ・メドヴェージェフだ。北朝鮮の作戦で同行した男。アノニマは運転席のミーシャの胸倉を掴むと、銃口を向け、

お前、私を売ったな?Вы оставили меня там, верно?

と、問い質した。

違う。Нет. お前の拘束は初めからВаша сдержанность была частью任務の範疇だった。 миссии с самого начала.だが、そこから狂い始めたНо потом что-то пошло не так.

Что?何だと?

アノニマは銃の引き金を絞った。だが弾は出なかった。助手席の帽子屋――シルクハットを被り、顔をペスト医師のマスクで覆い隠している――が言った。

「ああ、それの初弾はダミーさ。日本製だぜ? よく出来てるだろ」

アノニマは眉を顰めた。だがこの男たちに従うほか選択肢はないようだった。『沼ウサギ』もAI制御で後部座席に乗り込む。

「話は後だ。早く乗り込みな。そうしないと都合が悪いんだ」

帽子屋が言って、アノニマはそのようにした。ミーシャはバラクラバを取って、

「――ふぅ。これで気兼ねなく話せる」

一息ついた。車が発進される。

「一体どうなってる?」

「君の所属はVIXEN。だろ?」

五つ目の雌狐Five Eyes Vixen。UKUSA協定の下に秘密裏に作られた非政府組織は、そう呼ばれる。アノニマは頷いた。帽子屋が言う。

「君は半年前、北朝鮮の海底プラントに潜入。そこで拘束された。だがそれは初めからVIXENの計画のうちだったのさ」

ミーシャがハンドルを握りながら続ける。

「お前は生体機械ウェット・ウェアとしてアリス・ヒムカイの組織、APOに潜伏させられた。お前の視覚信号や聴覚信号は脳内機械のインプラントを通してVIXENに送信される。生ける盗聴器、ってわけだ」

「この車はあらゆる種類の外部信号を遮断する。この中では君は圏外であり、オフラインだ。会話が聞かれる心配はない」

帽子屋が補足した。

「俺はお前と同時に拘束されたが、監視の目を抜けて脱出した。…………逃げてくださいと言わんばかりだったが…………その後、陸に上がりVIXENに情報を送信したところで、狙撃を受けた」

「タイミングが良すぎた。それは『知り過ぎた男』の抹殺命令だったのさ」

「俺は自分の組織コルポラーツィア・ロゴスに戻るとVIXENの内偵に入った。それによると、お前はあそこで死ぬはずだったが、脱出を果たしたお陰で、今回の任務に投入された。言わば、捨て駒としてな」

「任務は初めから無意味だった、あるいは失敗するはず、と?」

アノニマが訊いて、帽子屋が答えた。

「いいや。VIXENがシャルリを消したかったのは本当さ。だが君で無くとも良かった。実際、狙撃を受けたろ? 君がやらなくてもそれがバックアップ・プランとして用意されていたはずさ」

「…………」

アノニマは黙った。車の中が隔絶されているのと同様に、生体機械ウェット・ウェアの脳内は誰にも侵犯されない。脳味噌の中は治外法権である。

「軍警察が上がってきた。封鎖される前に急ごう」

ミーシャは車を加速させた。チワワ砂漠に逃げる算段だ。

 しばらくしてアノニマは尋ねた。

「お前らの目的は、なんだ?」

帽子屋はマスクの下で長い溜息を吐いた。その表情は誰にも窺い知れない。悲しんでいるとも、既にどこか諦めているとも読めた。

「僕の目的は…………日向有栖の行方。ただ、それだけさ」

だから君が必要なんだよ。アポロ・ヒムカイを殺し、そして彼女に直接コンタクトした君が。と続けた。

。……いや、死体を確認していない」

アノニマは答えた。それはアポロ・ヒムカイの殺害戦果について、自分の中でも不確定なところがあるためだった。なにか、記憶が改竄されている。アノニマは頭のどこかでそう感じた。

 チワワ砂漠は燃えるような陽炎だ。その地平線と境界は何もかもが曖昧であり、遠くに、サボテンの花が咲いている。

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