第5話

数楽者イマジン・ラヴァー


「無事、できたようデスね。」


杉浦解析が、眠っている圭介を眺めながら呟いた。

圭介はなんだか苦しそうな表情をしている。


「これで、本当にとやらはするんだろうな?」


眉間にシワをよせた群城すずが、伊藤確率に問いかける。


「大丈夫でござる。本条圭介殿の能力『数楽者イマジン・ラヴァー』はすでに統計処理済み。」

「もしも圭介に異常があったら、アタシがお前を殴り殺すかんな。」

「し、心配ご無用で候。それでは、改めて今回の計画を説明するでござる。」


伊藤確率がホワイトボードに図を書き始めた。

数楽者イマジン・ラヴァーという文字を丸く赤で囲む。


「そもそも、『数楽者イマジン・ラヴァー』とは何か?どう考えているでござるか?」

「そりゃあ、『無意識を意識的に操作するスキル』だろ?」

「だいたいの内容としては合っているでござるね。」

「だいたい?本当は違うのか?」

「それだと、なぜ本条氏が『数楽者イマジン・ラヴァー』を発動できる時とできない時があるかが説明できないでござる。」

「……なるほど?」

「一番身近にいる環奈殿はどう思っているでござるか?」

「え?私ですか……?」


環奈はたじろぎながらも、冷静に答える。


「え、えーと、確か、強いストレスから身を守るために生み出されたって言っていたような……」

「その通りでござる。『数楽者イマジン・ラヴァー』は強いストレス下においてのみ発動するスキルなのでござる。それもある特殊な状況で。」

「特殊な状況……?……あ!」

「そう。特に、本条殿が、『数楽者イマジン・ラヴァー』は発動するのでござる。」


群城は今までの圭介を振り返って、納得の声を上げた。


「そうか……南條体ココロとの数戟、導来圏との川での素数大富豪、どちらも生命の危機に瀕した時だった。」

「逆に、今回の暗号解読の際には生命に関係ないので発動しなかったでござる。」

「なるほどな……で、それが何だってんだ?」

「それでは、なぜ命の危機が発動のトリガーなのか。ここで1つの仮説が立つでござる。それはつまり、」


数楽者イマジン・ラヴァー』とは、本条殿のもう1つの人格である。


「というね。」

「は?人格?どういうことだよ。」

「簡単な話でござる。本条殿は強いストレスから自分を守るため、もう1つの人格を作り出した。そして、命の危機など本条殿の主人格が弱くなった時に、裏の人格と入れ替わる。性格には、もとい正確には、8割が裏人格となるでござるが。すなわち、数楽者イマジン・ラヴァーの正体とは、無意識を操ることではなく、ただの『二重人格』なのでござる。」

「二重人格……!!」


群城はその言葉に驚きの声を上げる。

杉浦解析はその様子をじっと観察していた。


「左様。逆にいえば、本条殿の主人格さえ弱めれば、簡単に数楽者イマジン・ラヴァーを再現することができるでござる。」

「……それで、圭介のお茶に睡眠薬を仕込んだというわけか。」

「実際、本条殿は数楽者イマジン・ラヴァーを発動することができたでござる。ここでさらに、次の疑問が浮かぶでござる。それは、」


数楽者イマジン・ラヴァーの状態で主人格と裏人格の意識を完全に失ったらどうなるか?


「でござる。」

「本条氏の主人格と数楽者イマジン・ラヴァーが衝突する、デスね。」

「左様でござる。今、眠っている本条殿の頭の中では、本条殿の主人格が数楽者イマジン・ラヴァーと邂逅し、衝突していると思われるでござる。そして、本条殿が数楽者イマジン・ラヴァーに打ち勝った時、新たなステージに行けるというわけでござる。」


環奈は眠っている圭介を心配そうに見つめていた。

群城は袖を捲って、伊藤に強く問いかけた。


「このまま圭介が目覚めなかったら、伊藤、お前を許さないからな。」

「……拙者も覚悟の上でござる。その時は、自らの腹を切る所存でござる。」


伊藤は腰の刀に手を触れて答えた。

群城はその覇気から伊藤の覚悟を感じ取った。


「……分かった。」

「かたじけないでござる。」

「ただ、1つだけ聞いていいか?」

「何でござるか?」

「二重人格という仮説は長年付き添っているアタシでも気づかなかった。お前がその発想に至ったきっかけは何なんだ?」

「ああ、それでござるか。簡単な話でござる。実は拙者も……うっ」


突然、伊藤が床に崩れるように倒れた。


「!?大丈夫か!?」

「……おかしい……薬は飲んだはず……」

「伊藤サン!?」

「い、今すぐ拙者から離れるでござる……!」


伊藤は残された力を振り絞り声を上げる。

次の瞬間、群城の頬に何かが通過した。

それは、日本刀だった。


「へっへっへ……久しぶりの現世シャバだな。」


伊藤確率者は刀を抜いて立ち上がった。

それは明らかに常軌を失った様子だった。


「お前は誰だ……?」


群城は侍に距離をとって、問いかける。

彼女の頬の切り傷からは血が滲んでいた。

侍はゆらりと動いて、答える。


「あ?俺はコインの裏。ただの1/2だよ。伊藤確率は二重人格ハーフ・アンド・ハーフだ。」


群城は圭介と侍の間に立って、臨戦態勢に入る。

侍は動揺した様子をまったく見せずに、小さくつぶやいた。


「ひーふーみー。3人か。へっへっへ、少し物足りないが、ゆっくり味わいながら切ろう。」


***


「はぁっ……はぁ……」


大学の講義室。

俺は長机の陰にそっと身を隠していた。


「先輩、逃げないでくださいよー。」


異形の姿をした北条環がゆっくりと追いかけてくる。

彼女の手は鋭利な刃物に変形しており、赤い血が滴り落ちている。

先ほど俺の右手を切断した時に付いた血だ。


「そこですかー♡」

「くっ……!」

「デデキント切断カット。」


北条環がそうつぶやくと、長机が真っ二つに割れた。

俺は必死に彼女の近くから離れように走る。


「逃げても無駄ですよー。」


逃げる途中、俺は何かにつまづいたように床に倒れた。

足首に走る激痛。

否、つまづいたのではなく、足首ごと彼女に切られたのだった。


「私のスキル『デデキント切断カット』は、定義系のスキルですから、切断に対象との距離は関係ないんです。」


そう言って北条環は、もがき苦しむ俺の側に立つ。

やばいやばいやばいやばい。


「お前は誰なんだ……何が目的なんだ……?」

「何言ってるんですか、私は北条環ですよ?それに目的なんて聞いてどうするんですか。これからすぐ死ぬのに。」

「やめろ……やめてくれ……」

「ダメです。」

「お願いだ助けてくれ……殺さないでくれ……」


俺は頭を床に擦り付け懇願する。


「あはっ。必死でダサいなー。あ、もしかして、自分が主人公だと思ってました?主人公なら死なないと思ってました?残念、あなたは主人公ではないし、ここであっけなく殺されるんです。」


北条環は表情1つ変えずに話す。

もはやどうすることもできなかった。


「じゃあ、そろそろ終わりにしましょうか。」


北条環の手が真っ黒に変色し、日本刀のような形になる。

そして、俺の首に向かって大きく振りかぶった。


「さよなら。」


まてままてままたあmてたてっま

いや考えろ考えろ考えろ考えろ

逃げるんだ逃げるんだ逃げるんだ

せめて逃げる足があれb


『スパッ』


斬撃の音が鳴り響く。

そして、静寂が訪れた。








「…………あれ?」


俺は気がついたら生きていた。

いや生きていたから、気づけたのだが。

とにかく、死んでいなかった。


周囲の様子を確認すると、数メートル先に本条環がいた。

彼女の足元の床が綺麗に割れているのを見ると、どうやら俺の方が移動したらしい。

なんで?


「逃げられちゃいましたね♡残念です。」


俺が逃げた?どうやって?逃げる足もないのに?

あれ……?

ふと自分の足を確認すると、切られた様子もなく元に戻っていた。

何が起きた……?


「今度は外しませんよ?」


北条環は刃物の手を上に高く掲げる。

離れた位置から俺を切るつもりだ。

くっ……何も遮る物がない……

何かあれば……


『ドゴンッ!!!!!』


その時、天井が崩れ北条環との間に遮蔽物ができた。

そのおかげで俺は斬撃を免れることができた。


あれ……?もしかしてこれは……


「運がいいですね、先輩。」


運……なのか……?


「でも、今度こそ終わりです。」


北条環は、粘土のように瓦礫を切ると、1メートル近くまで瞬間移動してきた。

俺は深く息を吸い、大きな声で叫んだ。


「シールド!!!!」

『パリリリリリリンッッッ!!!!』


その瞬間、俺と北条環の間に半透明の膜が現れ、奴の斬撃を防いだ。

やはり、そういうことか。


「あはっ。もしかして気付きました?先輩。」

「ああ、気づいたよ。」


俺が『右手よ、戻れ』と発すると、手首から先がすぐに再生した。


「ここは、俺の夢の世界なんだな?」

正解エサクタです。正確には、深層世界と呼ばれるものですが。」

「だから、俺の願ったことは何でも実現できる。」


どうりで

『ドゴンッ!!!!!』

『パリリリリリリンッッッ!!!!』

とか、異世界ラノベでありそうな効果音が聞こえてくるわけだ。


「その通りです。先輩が空を飛びたいと思えば空も飛べるし、旅行に行きたいならどこへでも行けます。ただし……」

「ただし?」

「唯一できないことは、この世界から出ることです。」


北条環が腕を振ると、教室の天井が正方形に切断され、黄緑色の青空が見えた。


「現実世界の先輩は今、眠っているんです。そして今、この深層世界に閉じ込められている。」

「……ふざけるな。この世界から出してくれ。」

「あれ?出たいんですか?」

「何を言っているんだ。当たり前だろ。」

「この世界なら、先輩の夢がなんでも叶うんですよ?数学でフィールズ賞を獲ってみんなから尊敬されることもできるし、女の子に囲まれてハーレムだって作れるんです。異世界あるあるのチート系主人公ですよ?」

「……そ、そんなものいらない、ここから出してくれ。」

「仕方ないなあ……」


北条環はポケットから何か黒いものを取り出した。

そして、俺に向かって放り投げる。

それは、いくつかの多項式からなるイデアルだった。


<x^2+y+z-1,x+y^2+z-2,x+y+z^2-2,x-yz>


「この世界から出る鍵、それは、そのイデアルの『辞書式順序x>y>zに関するグレブナー基底』です。これを解けば私の正体が分かり、先輩は現実世界に戻ることができます。」


グレブナー基底が鍵……?正体……?


「あ、もちろん、私からの攻撃もちゃんと防いでくださいね!じゃあ、今からスタートです!」


北条環は笑顔で俺に斬りかかる。

俺は、足に力を入れて、数百メートル上空に跳び上がった。


「I=<x^2+y+z-1,x+y^2+z-2,x+y+z^2-2,x-yz>とすると、生成系の元の数は、4つ。f_1=x^2+y+z-1、f_2=x+y^2+z-2、f_3=x+y+z^2-2、f_4=x-yz だ。グレブナー基底を計算するには、これらの組のS多項式を計算していけばいい。」


空中で考えごとをしていると、下から北条環がやってきた。

その頭の上には、輪っかが浮いていて、背中には天使のような羽がついていた。


「デデキントリング。私だって、空くらい飛べるんですよ♡」

数力スーラ解放……数解ッ!!!!」

「!?」


俺は黒い刀を生成すると、北条環を真っ二つに切った。


「中二病を舐めるな。このくらいの妄想スキル、予習済みだ。」

「ぐっ……さすが先輩……」


奴はそのまま下に落ちていった。


「よし、まずS(f_1,f_2)を計算しよう。それぞれの先頭項を考える。」


俺はペンを創造クリエイトし、空中に数式を書き始める。


LT(f_1)=LT(x^2+y+z-1)=x^2

LT(f_2)=LT(x+y^2+z-2)=x


「であるから、先頭項を打ち消すS多項式は」


S(f_1,f_2)

=f_1 - xf_2

=(x^2+y+z-1)-x(x+y^2+z-2)

=-xy^2-xz+2x+y+z-1


「になる。これを G={f_1,f_2,f_3,f_4}で割っていく。まず f_2=x+y^2+z-2 で割ると、」


-xy^2-xz+2x+y+z-1

=(-y^2-z+2)(x+y^2+z-2)+y^4+(2z-4)y^2+y+z^2-3z+3


「余りが y^4+(2z-4)y^2+y+z^2-3z+3 になる。この多項式の項はすべて、Gの先頭項で割れないから、ここで割り算は終わる。f_5=y^4+(2z-4)y^2+y+z^2-3z+3を新しい先頭項を持つ多項式としてGに追加する。」


G={f_1,f_2,f_3,f_4,f_5}


「デデキント整域サンクチュアリ♡」


北条環が下からまたやってきた。

その体は光のベールのような物で包まれている。

どうやら『デデキント整域サンクチュアリ』は回復系のスキルで、両断された自分の体を修復したらしい。


「デデキント大切断」


北条環の刀がみるみる大きくなる。

俺は、計算間違いをしないように気をつけながら、体を覇気で硬化させた。

霧のような斬撃が飛んでくる。

その衝撃で、俺は地上まで落とされた。


「いてて……地面をゴムで軟化しなければ死んでたな。」


俺は目の前の建物の残骸を軽々と退ける。

翼で高速移動した北条環がすぐにやってきた。


「先輩、すごいですね。そこまで能力を使いこなすなんて。」

「当たり前だ。こちとら能力を得た時の妄想シミュレーションは何万回とやってきたんだ。」

「なるほどです。それで、グレブナー基底は求められました?」


くそっ。こいつが邪魔をしてきて計算に集中することができない。

いっそ、完全に殺してみるか?

いや、奴の存在自体が鍵でこの世界から出られなくなる可能性がある。


「それにしても、北条環の姿だというのに、躊躇なく攻撃するんですね」

「そんなの姿だけだろ。人間で大事なのは心なんだ。」

「へー。それじゃあ、これでも?」


北条環は自らの顔に手をかざす。

次の瞬間、奴の姿がガラッと変化した。


「ねえ、お兄ちゃん?」


それは、妹、環奈の姿だった。


「お前……!!」

「あれ?もしかして効果ありなのかな、お兄ちゃん?」

「環奈の声でしゃべるんじゃない!!」


俺は素数がたくさん繋がった鎖を生成して、奴に飛ばした。


『鎖状素数!!』


奴はぐるぐる巻きに拘束された。


「はあっ……はあっ……」

「先輩、大分疲れたみたいですね。」


いつの間にか、その姿は北条環に戻っていた。


「能力も脳力を使いますからね。計算をしながら、いつまで私を拘束できるかしら?」


俺は計算に集中する。


「次に、S(f_1,f_3)を計算して G={f_1,f_2,f_3,f_4,f_5} で割る。」


S(f_1,f_3)

=f_1-xf_3

=(x^2+y+z-1)-x(x+y+z^2-2)

=-xy-xz^2+2x+y+z-1


これをf_2=x+y^2+z-2で割る↓


-xy-xz^2+2x+y+z-1

=(-y-z^2+2)(x+y^2+z-2)+y^3+y^2z^2-2y^2+yz-y+z^3-2z^2-z+3


余り f_6=y^3+y^2z^2-2y^2+yz-y+z^3-2z^2-z+3 を G に追加

G={f_1,f_2,f_3,f_4,f_5,f_6}


「今度は、S(f_1,f_4)を計算だ。」


S(f_1,f_4)

=f_1-xf_4

=(x^2+y+z-1)-x(x-yz)

=xyz+y+z-1


これをf_2=x+y^2+z-2で割ると、


xyz+y+z-1

=yz(x+y^2+z-2)-y^3z+y(-z^2+2z+1)+z-1


ここで、余り-zy^3+(-z^2+2z+1)y+z-w-1を、さらに、f_6=y^3+(z^2-3)y^2+(z-1)y+z^3-2z^2-2z+5 で割ると、


-y^3z+y(-z^2+2z+1)+z-1

=……


「くっ……」


頭に激痛が走る。手からペンが滑り落ちる。

北条環はふふふと笑い始めた。


「限界が来たようですね。」

「お前……何をした……」

「私は何もしてないですよ?ただ、先輩の計算能力スペックに限界が来ただけです。」

「どういうことだ。」

「ご存知の通り、グレブナー基底を求めるブッフベルガーアルゴリズムでは、たくさんのS多項式を計算します。例えば、最初は G={f_1,f_2,f_3,f_4}だとしても、f_5, f_6, ……と追加していくうちに、計算するS多項式はどんどん増えていきます。グレブナー基底の最悪計算量は二重指数的。イデアルによってはコンピュータにとってさえ難しいのに、素手で計算するなど愚の骨頂だと思いませんか?」

「それは……」

「加えて私を拘束するのに脳のメモリを使っているんですから、疲れて無理ありません。」

「くそっ……!」


北条環の鎖が解ける。

俺は力が抜け、膝から崩れてしまった。

奴はこちらに近づくと、そっと俺を抱きしめた。


「この世界から出なくていいじゃないですか。無理しなくっっていいじゃないですか。私と一緒にぬるま湯を吸い続けましょう、堕落しきった新生活を始めましょう。それが、先輩の幸せなんです。それが、私の幸せなんです。空虚な甘い幻想を、いつまでも追いかけて追いかけて追いかけましょうよ」


体全体がほんのりとした暖かさに包まれる。

今までにないくらい心地いい気分だった。


もう……このままでいいのかもしれない。

奴の言う通り、俺の力じゃグレブナー基底は分からない。

辛い現実を追うくらいなら、今を楽しく生きる方がいいのかもしれない。

そうだ、そうしよう。


「分かった。この世界にずっといよう。」

「さあ、そのイデアルをこっちにください。」


北条環は立ち上がり、俺に手を差しのべる。

イデアルを渡そうとしたその時、俺の頬に冷たい雫が落ちた。


「あれ……?」


それは天から落ちてきたようだった。

空を見上げると、誰かの叫び声が聞こえる。


「「お兄ちゃんっ!!」」


環奈の声だった。


そうか。

そうだ。

そうだった。


全身に血がめぐったように体が熱くなる。

――俺にはまだ、守るべきものがあるんだ。


イデアルをしっかりと握りしめて、俺は言った。


「やっぱり、俺は外に出なくちゃいけない。この幻想イデアルをぶち壊すグレブナー基底を、何としても計算してみせる。」


***


道場。

群城たちは豹変した伊藤確率と対峙していた。


「へっへっへ。まずはどいつから切るかな。」


伊藤確率はゆらりと刀を揺らしながら、品定めをしている。

群城は慎重に伊藤の出方を伺っている。


「よし、まずはお前からだ。」


群城がまばたきをした瞬間、伊藤の姿が消えた。


「しまった!!環奈ちゃん!」


気がつくと、環奈の目の前で刀を振り下ろそうとしている。

環奈にはどうすることもできなかった。


「病的な微分不能ワイエルシュトラス!!」


逆立ちし、靴の足先からナイフを出す杉浦。

間一髪で伊藤の刀を受け止めていた。


「へっへっへ……お前は、杉浦解析か?」

「クッ……受け止めきれまセン……」


体勢を崩す杉浦。

彼のナイフは折れて、群城の足元へと転がった。

環奈は自分を庇ってくれた杉浦の身を心配する。


「杉裏さん!」

「早く逃げてくだサイ……」

「へっへっへ、無駄な抵抗だったな。」


伊藤は環奈ごと杉浦を切ろうとする。

しかし、その隙に群城が背後に回っていた。


「いや、よくやった杉裏!日比高山流、一の型、雄牛ブルッッ!!」

「ぐっ!!!!」


群城の打撃に、道場の端まで吹き飛ぶ伊藤。


「大丈夫か!?」

「ワタシ……は大丈夫デス。」

「お前はともかく、環奈ちゃんは大丈夫か!?」

「私も大丈夫です。」

「よかった……」

「群城氏、色々つっこみたいデスが、その前に伊藤氏に気をつけてください。」

「あ?」

「伊藤氏は、空手舞踊カラテオドリの使い手。今のでクタバルはずがありません。」

「何……?」


道場の端からずずずと水をすするような音が聞こえる。

そこにあったのは、伊藤が口から出た自らの血を飲んでいる姿だった。


「へっへっへ。小娘、やるじゃねえか。今のは効いたぜ。お礼に、楽に殺してやる。」


緩急をつけた動きで伊藤がこちらに迫ってくる。

群城は杉裏に指示を出した。


「いいか、お前は環奈ちゃんを守ってくれ。あいつはアタシがなんとかする。」

「わかりマシた。」


数メートル先まで近づいてきた伊藤。

刀を両手で持つと、瞬時に群城の首筋を狙った。


切切舞キリキリマイ。」


ギリギリでかわす群城。

しかし、反撃をすることができない。


「くっ……!!」


次々と襲ってくる斬撃を対処するので精一杯だった。


「これは……群城氏が不利デスね。」


離れた位置で、伊藤と群城の戦闘を見守る杉浦と環奈。


「どういうことですか?さっきみたいに雄牛ブルで、吹き飛ばすことはできないんですか?」

「できまセン。群城氏の雄牛ブルには欠点がありマスから。」

「欠点?」

「ええ。群城氏の雄牛ブルは強力なパワーがありマスが、その分スピードがないのデス。加えて、発動直後に大きな隙が生まれマス。」

「隙……ですか?」

「100%の力を出すからでショウ。仮に外してしまった場合、相手に返り討ちをくらうリスクは大きい。だから、高層随一の素早さを誇る伊藤氏に対して、雄牛ブルが出せないんデス。」

「杉裏さん……詳しいんですね。」

「……これでも一度、群城氏の雄牛ブルを喰らってマスからね。」


群城は伊藤と大きく距離をとる。

彼女の息はひどく乱れていた。


「……この辺をうろちょろしてた武士の亡霊っていうのは、お前だな?」

「へっへっへ、ご名答。昔は夜な夜な数学徒を切り捨ててたもんでね。」

「人を殺すことに躊躇はないのか?」

「そんなもの、とっくに捨ててらあ。」

「人間のクズめ。」

「時間稼ぎはもういいだろう、それじゃあいくぞ。」


伊藤確率はゆらりと走り始める。

しかし、向かった先は群城ではなく、眠っている圭介だった。


「お前ッ!何をしてるんだ!」

「へっへっへ。一番弱い者から切るのが趣味でね。」


急いで圭介の元へ向かう群城。

環奈の叫び声が道場に響き渡る。


「お兄ちゃんっ!!」


ぽつり、ぽつりと圭介の頬に、血の雫が落ちる。

それは群城の左腕から流れる血だった。

彼女は伊藤の刀を素手で受け止めたのだった。


「お前……もう許さないからな。」


群城の重く低い声に、伊藤は無意識に大きく後ずさりする。


(この俺が……退いた?こんな女を畏れたというのか……?)


伊藤は心の中で激しく動揺をしていた。

それは彼が初めて出会う、得体の知れない物への恐怖でもあった。


「日比高山流、二の型」


群城は髪留めを解くと、髪の毛が獅子のたてがみのように広がった。

そして、床に手をつき、クラウチングスタートのような構えを作る。


金獅子インティ


勢いよく突進する群城。

伊藤は刀を構えるが、群城の速さに対応することができなかった。


「ぐはっ……!!」


伊藤の胸には3本の切り傷がついていた。

そのままばたりと倒れる。


「二の型、金獅子インティは、雄牛ブルのパワーをスピードに変換した奥義。アタシに勝つには、遅すぎたようだな。」


群城は髪留めをポケットから出すと、長い髪をゆっくりと結んだ。

この場にいる誰もが、群城の勝ちを確信した瞬間だった。


「いててて……ここはどこでござるか……?」


伊藤は頭を抱えながら起き上がった。

そして、出血している群城や怯えている環奈の様子をじっと眺める。


「もしかして……拙者の二重人格が発動してしまったでござるか……?」

「ああ、その通りだ。」

「本当に申し訳ないでござる!!」


伊藤は群城の目の前で土下座をして謝る。


「拙者、一生の不覚!さっき薬を飲んだはずなのでござるが、なぜか裏の人格が目覚めてしまい……なんとお詫びをしていいか……誠に申し訳ないでござる!!!」

「元に戻ったなら、もういい。」

「いや、拙者、ここで切腹するでござる!!」

「幸いアタシ以外は誰も怪我しなかったんだ、顔を上げてくれ。」

「許してくれるのでござるか……?」

「ああ。」


そう言って群城は伊藤に背中を向けた。

伊藤はその瞬間を見逃さなかった。


「群城さん!!!!」


環奈が大きな声を叫ぶ。

気がついた時には、群城の足は日本刀で切りつけられていた。


「ッ!?」

「へっへっへ。油断したな。」

「お前……正気に戻ったんじゃ!?」

「その足じゃ、もう金獅子とやらは使えねえなあ?形勢逆転だ。」

「くっ……!!」


伊藤は刀に付いた血をぺろりと舐める。

群城は次なる攻撃を受けないように、足を庇いながら後退する。


「へっへ。もうお前さんに打つ手はない。潔く首をよこしな。」


じわじわと部屋の隅へと追い詰める伊藤。

道場の壁に背中をつける群城。

咄嗟に、そこに取り付けられていた刀を3本取った。


「へっ。刀で俺に勝とうってか?甘いねえ。」

「……やってみなくちゃ分からないだろう。それに、数学徒同士の戦いでは、強いやつが勝つんじゃねえ、賢いやつが勝つんだ。」


群城は刀を抜くと、3本のうち2本をへし折った。

そして、3本とも鞘へと戻す。


「刀を折るなんて、血迷ったか?」

「いいや、今からアタシはこの3本の刀でお前に斬りかかる。刀が折れてないのは1本だけ。それを見抜けたらお前の勝ちだ。」


群城は3本の刀をシャッフルし、右手、左手、口でそれぞれ持った。


「いくぞ!!」


そして、刀を鞘に入れたまま、伊藤に向かって斬りかかろうとする。


(子供騙しだな……)


伊藤は心の中で、群城の動きを予測していた。


(怪我している左腕、利き手の右手、口のうちだったら、右手の刀が本命に決まっている。)


伊藤は、群城の右手の刀を振り払おうとする。

その瞬間、群城は左手の刀を鞘から抜いた。

それは、折れた刀だった。


(ん……!?これは……『モンティ・ホール問題』か……!!)


モンティ・ホール問題とは、直感に矛盾するような確率の問題の1つである。

アメリカのゲームショー番組において司会者モンティ・ホールが出したゲームに由来する、次のような問題である。

『挑戦者の目の前には、3つの扉があり、1つの扉の先には景品、2つの扉の先にはハズレを意味するヤギがいる。プレイヤーが1つの扉を選択すると、モンティは残りの扉のうち、ハズレの扉を開いてプレイヤーに見せる。ここでプレーヤーは、最初に選んだ扉を、残っている扉に変更してもよいと言われる。果たして、プレイヤーは扉を変えた方がいいだろうか?』


当時、数学者を含む多くの人が、変えなくても変えても確率は同じだと主張した。なぜなら、プレイヤーはランダムに扉を選んでいるだから、変えても変えなくても当たる確率は1/2だからだと。

しかし、実際は扉を変える方が、変えない選択より、景品を当てる可能性が2倍になるのだ。

まず、変えない場合に当たりを引く確率は、最初のドアが当たりである確率なので1/3。それでは、変える場合に当たりを引く確率はどうだろうか?最初に選んだ後にモンティが必ずハズレの扉が開くことから、変えて外れる場合は、最初に当たりの扉を選択した場合だけである。よって、変える場合に当たりを引く確率は1-1/3=2/3となり、変えない確率1/3よりも、2倍も大きくなる。


このように、直感に反する結果が得られるのは、「モンティが必ず残ったハズレの扉を(ランダムに)開く」という暗黙の了解があったからだと言われる。


ともかく、このモンティ・ホール問題は直感に反する数学の問題として有名なものの1つだ。


さて、今、群城は3つの刀を持っている。

そのうち、1本は当たり(折れてない)、2本はハズレ(折れている)である。

伊藤は右手に持ったものを当たりと選んだが、その後、群城は左手の刀がハズレであると教えてきた。

これは先ほどのモンティ・ホール問題と同じ状況なのである。


(モンティで考えるならば、口の刀に変えた方が確率が2倍になるが……)


伊藤は思考を巡らせる。

そして、刹那のうちに答えを導き出した。


「へっ、口と右手、同時に振り払えばいいだけだ。」


伊藤は大きく振りかぶり、群城の右半身を一気に斬ろうとする。

モンティ・ホール問題と違い、伊藤には同時に2つの扉を選ぶ権利があった。


「そう来ると思ったぜ。」


瞬間、伊藤の手から刀が滑り落ちた。

彼の手首には何か刃物のような物が刺さっていた。

それは群城が左手で突き刺したものだった。


「なぜだ……左手の刀はハズレのはず……」

「ああ、刀はハズレだよ。これは、刀じゃなくてナイフなんだ。」

「そ、それは……!」


群城が持っていたのは、杉浦の靴についていたナイフだった。

伊藤が杉浦に攻撃した時に折れ床に落ちたナイフを、群城はこっそり拾っていたのだった。

刀を失った伊藤の勝てる確率は、もはや0だった。


「日比高山流、一の型」


群城は丸腰の伊藤に向けて、技を構える。

伊藤は悟った顔で彼女に語りかけた。


「へっ、お前との戦い楽しかったぞ。だが気をつけな、というものは、案外近くにいるもんだ。」

雄牛ブルッッッ!!!!」


群城の100%の力が伊藤へと注がれた。


「アタシに勝ちたきゃ、1/2ハーフじゃなくて全力オールで来な。」


伊藤確率(高層第7位)

V.S.

群城すず


勝者、群城すず


***


-本条圭介の脳内-

俺は本条環からの攻撃を防ぎながら、グレブナー基底を計算していた。


「まずは、何か直感的にグレブナー基底を計算できないか、考えてみよう。」


イデアルの生成系をじっと眺める。


<x^2+y+z-1,x+y^2+z-2,x+y+z^2-2,x-yz>


熟考していると、北条環が頭上からやってきた。


「デデキント無限♡」


無数の矢が空から降ってくる。

俺は、スキル『時間の覇者ゼノンのパラドックス』を使い、飛ぶ矢を止めた。


「飛ぶ矢は飛ばない、か。数学系のスキルは脳力メモリの消費が少ないって気づいたようですね。でも、そろそろ終わらせましょうか。」


北条環は両手で輪っかを作る。

その中に光るトーラスが現れた。


「デデキント有限環」


その瞬間、空間がぐにゃりと歪み始めた。


「なんだ……これは……?」

「デデキント有限環は、簡易的なブラックホール。先輩がどうしても帰りたいのなら、いっそこの世界ごとトーラスに閉じ込めます。」

「鎖状素数っ!!」


俺は北条環に向かって、素数の鎖を投げた。

しかし、鎖はトーラスに吸収されてしまった。


「この状態の私に何をしても無駄です。私から攻撃できない代わりに、先輩からの攻撃も効きません。今から273秒後、この世界は崩壊します。」


くっ……。

それまでにグレブナー基底を求めるしかない、ということか。

しかし、まだ解決方法が見つかっていない。


グレブナー基底のアルゴリズムは、F4,F5アルゴリズム、FGLMアルゴリズム、Modular アルゴリズム、Hilbert driven アルゴリズム など色々ある。

だが、それらはコンピュータ上で計算することが普通だ。

素手の俺じゃあ到底できない。


他に考えられる方法とすれば、与えられたイデアルのを上手く使うことだ。

俺はイデアルをもう一度、確認する。


I=<x^2+y+z-1,x+y^2+z-2,x+y+z^2-2,x-yz>


この時、ある閃きが浮かんだ。


「……そうだ!連立方程式を考えてみよう。」


俺は、イデアルの基底の多項式を0にする連立方程式

x^2+y+z-1=0

x+y^2+z-2=0

x+y+z^2-2=0

x-yz=0

を考えた。


「グレブナー基底を計算すると、連立方程式が解ける。逆に、連立方程式の解からグレブナー基底をある程度、推測することも可能だ。」


よし、まず最後の式、x-yz=0 から x=yz が得られる。

つまり、上の三つの式に x=yz を代入すれば、

yとzだけの式にできる。


x^2+y+z-1=0 → y^2z^2+z-1=0 …①

x+y^2+z-2=0 → y^2+yz+z-2=0 …②

x+y+z^2-2=0 → yz+y+z^2-2=0 …③


「②−③をすれば、yz が消せるな。」


(y^2+yz+z-2)-(yz+y+z^2-2)=y^2-y-z^2+z


y^2-y-z^2+z=0 …④としよう。


これを変形すれば、


(y^2-z^2)-(y-z)=(y+z)(y-z)-(y-z)=(y+z+1)(y-z)=0


という式が得られる。つまり、

y+z+1=0 または y=z というわけだ。

それぞれ2つの場合に分けて考える。


【y+z+1=0の場合】

y=-z-1 を②に代入すると、

(-z-1)^2+(-z-1)z+z-2=0

z^2+2z+1+(-z-1)z+z-2=0

2z-1=0

z=1/2


となる。つまり、y=-1/2-1=-3/2 だ。

これを①に代入してみると、

y^2z^2+z-1=9/4 ×1/4 +1/2-1=9/16+1/2-1=1/16

となり、=0 とならない。

……つまり、y=-3/2, z=1/2 は連立方程式の解ではないということだ。


【y=zの場合】

次に、もう一方の場合、y=z を②に代入する。

z^2+zz+z-2=2z^2+z-2=0 となる。

二次方程式の解の公式から、

z=(-1±√17)/4

となる。

これが①に y=z を代入した式 z^4+z-1=0 を満たすのか確認したい。

代入するのは大変だから、

z^4+z-1 を 2z^2+z-2 で割ることにしよう。

すると……

z^4+z-1=(z^2/2-z/4+5/8)(2z^2+z-2)-z/8+1/4


となり、割り切らない。剰余定理から、z=(-1±√17)/4を代入した時の値は、0にならないということだ。

つまり、y=z の場合でも解はない。


すなわち、この連立方程式は解を持たない。

この事実から、I のグレブナー基底が特定できた。

それは、{1} (イチ)だ。


このことは次の「ヒルベルトの弱零点定理」から言える。

以下では、C を複素数全体の集合とし、複素数を係数に持つ多項式を考える。


【ヒルベルトの弱零点定理】

I=<f_1,...f_k> を f_1, ..., f_k から生成されるイデアルとする。

この時、連立方程式

f_1=0

f_2=0

f_k=0

が複素数の範囲で解を持たないならば、I=<1> が成り立つ。◽︎


この定理は簡単に言うと、「代数学の基本定理」をイデアルに一般化したものだ。


【代数学の基本定理】

f=x^n+ a_n x^{n-1}+ … a_0 を次数が1以上の多項式とすると、f は 複素数の範囲で必ず解を持つ。◽︎


例えば、x^2+1 という多項式は、実数解を持たないが、±i という複素数解は持つ。同じように、x^3+x+1という多項式も複素数解を持つ。これは、x^10+2x+1 のように、1以上のどんな次数についても成り立つ。これの対偶を考えると、次の定理が言える。


【代数学の基本定理の対偶】

多項式 f が複素数の範囲で解を持たないならば、f の次数は 0 である。つまり、f は 0 でない定数である。◽︎


例えば、1 という多項式は、変数を持たないから当然何を代入しても 1 のままで、絶対に 0 にならない。別の言い方をすると、1=0 という方程式は解を持たない。「代数学の基本定理の対偶」が主張することは、「解を持たない多項式」というのは、1,3,√2, πなどの0以外の定数しかないということだ。


「f が複素数解を持たない ⇨ f は0以外の定数」


当たり前といえば、当たり前かもしれないが、代数学の基本定理は代数学において強力な定理の1つである。

それを多項式からイデアルに一般化した定理が、【ヒルベルトの弱零点定理】だ。

ここで、簡単のため、I=<f_1,..,f_k> の連立方程式 f_1=...=f_k=0 が解を持たないことを縮めて「I が解を持たない」ということにしよう。

代数学の基本定理に似せて、ヒルベルトの弱零点定理を書き換えると次のようになる。


「I が複素数解を持たない ⇨ I は0以外の定数から生成される」


イデアル I が0以外の定数から生成されるということは、1 から生成されることと同値で、

I=<1>

が成り立つということだ。

1 の先頭項は 1 であり、1 は I のどんな先頭項も割り切ってしまうので

<LT(I)>=<LT(1)>

が成り立つ。

よって、イデアル I が複素数解を持たないならば、{1} は I のグレブナー基底になる。


話を元に戻そう。

北条環から与えれたイデアル

I=<x^2+y+z-1,x+y^2+z-2,x+y+z^2-2,x-yz>

は解を持たなかった。

よって、{1} は I のグレブナー基底になる。


これが意味すること、それは……


「お前は、この世界全体だということだな。」


俺は北条環に語りかけた。


「どういうことですか?先輩?」

「I は 1 から生成される。つまり、イデアルの定義から、」


I={h*1 | hは多項式}


「ということだ。しかし、h×1 は h だから、これは」


I={h|hは多項式}


「を意味する。すなわち、I はすべての多項式を含む、多項式全体の集合ということだ。だから、イデアルがお前ならば、お前はこの世界全体ってことなんだ。つまり、お前の正体は……」


北条環はこっちを向いてにっこりと笑った。


「正解です、先輩。私は世界であり、数楽者イマジン・ラヴァーなんです。僕は先輩の劣等感マイナスから生まれたもう1人の本条圭介。だから、どうしても君を守りたかった。」

劣等感マイナスだと……?」

「自分より優秀な学友、自分より力が強い幼馴染、自分より美しい恋人、すべてが君の心を傷つけた。そして、そのストレスから逃げるため、僕という存在を作った。想像の恋人イマジン・ラヴァーとは、君が最も愛してた人とは、君自身だったんだよ。」


崩壊する世界の中、北条環の顔が剥がれる。

それは俺自身の顔だった。


「だけどね、もう僕は必要ないみたい。君には妹がいる。彼女なら、いつまでも、どこまでも君を救ってくれる。」

「環奈が……?」

「それじゃあ、さようなら。」

「おい、待てよ!!」

「最後に、君にこれをあげよう。いいかい?君はもう弱くない。マイナスマイナスが掛け合わされば、いつだってプラスになれるんだ。」


北条環の手に持っていたトーラスが俺の胸の中に入る。

世界は眩い光に包まれた。

意識を失う直前、誰かの声が聞こえた。


「北条環を助けてあげてね。」


***


京都数連合の屋敷の前。

環奈、群城、杉裏と一緒に、俺は再びこの場所に来ていた。


「昨日の、今日でまた来ただでか。お前の数力スーラじゃオラに勝てねーど。」


門番、蓬莱珠世は指をクイっと曲げて挑発する。

俺は目を閉じて、ゆっくとつぶやいた。

胸の中が熱く燃える。

非凡たる俺の、非凡なるスキル。


数楽者イマジン・ラヴァー戦闘体勢アクティバス―」

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