第4話
『数武』
「ここだな。」
俺たちは大きなお屋敷の前に着いた。
木造の塀の上に、重そうな瓦が連なるように並んでいる。
暑い日差しとうるさいセミの鳴き声が、俺たちを歓迎している。
「ねえ、お兄ちゃん、どうしてここだと思ったの?」
横にいる環奈が俺に尋ねる。
俺はりんからの手紙を広げながら答えた。
***手紙***
先輩へ。
クリスマス、待ち合わせ場所に行けなくてごめんなさい。
私のことは探さないでください。
京都は交差点が多くて迷ってしまいますから。
借りてた辞書も返せなくてすみません。
もしまたいつか会えたら一緒に喫茶店に行きましょう。
私はメイプルシロップのパンケーキです。
北条環
I=<x^3+y^2, x^2y+xy^2>
***
「『私はメイプルシロップのパンケーキ』、それが謎を解く鍵だったんだ。」
珍しく群城と杉裏も、黙って俺の話に耳を傾ける。
俺は頭の中で整理しながら、順を追って説明する。
「まず、環奈が気づいた5行目『借りてた辞書も返せなくてすみません。』から辞書式順序を連想し、最後の行のイデアルの辞書式順序に関するグレブナー基底を計算した。それが」
G={x^3+y^2, x^2y+xy^2, xy^3+y^3, y^4-y^3}
「だった。そして、群城が言っていたように、4行目『京都は交差点が多くて迷ってしまいますから。』から、座標平面を連想し、杉裏はそれをグレブナー基底と結びつけた。つまり、グレブナー基底の先頭項と座標を対応させた。」
x^3 ⇄ (3,0)
x^2y ⇄ (2,1)
xy^3 ⇄ (1,3)
y^4 ⇄ (0,4)
「すると、京都市内の4箇所の地点、A、B、C、Dが浮かび上がる。しかし、問題はどの地点にりんがいるかどうかだった。」
俺は、手紙の裏に4つの文字を書いた。
カフェラテ
丸ごと苺ソースのパンケーキ(メイプルシロップ)
抹茶パフェ
黒糖ミルクラテ
「これは、りんと最後に喫茶店に行った時の、りんが頼んだメニューだ。しかもこれは、りんが注文した順番に並んでいる。そして、これは俺とりんしか知り得ない情報だ。」
俺は丸ごと苺ソースのパンケーキを指差した。
「さっきの4つの座標に対応させると、メイプルシロップのパンケーキは2つ目となる。『私はメイプルシロップのパンケーキ』、これは、りんが2つ目の座標にいることを意味してたんだ。すなわちりんは、ここB地点にいるというわけだ。」
俺は目の前の屋敷を見渡した。
屋敷の塀は横に大きく広がっており、中の様子を伺うことはできない。
「どうやら、中から誰かを呼ぶしかなさそうだな。」
群城が重厚そうな門を触りながらつぶやく。
そうだな、と返事をして俺はインターフォンを押した。
小さなブザー音が数秒鳴る。
門に備え付けられた、おそらく模造品の刀を眺めながら、誰かが出てくるのを待った。
そういえば、ここへ来る前、
***
「
「ありがとうございます。私は妹から連絡が来ないか待ってます。気をつけて行って来てくださいね。……特に、夜中は注意してください。」
「?どうしてです?」
「その、噂によると、辻斬りが出るらしいんですよ。」
「辻斬り?辻斬りって……あの、通行人を斬り付ける武士みたいな?」
「ええ。なんでも無念に数学者に成れなかった数学徒の亡霊が、夜中に彷徨っているらしいんです。」
「そんなまさか。」
「でも、実際に被害も出ているらしく……女性の数学徒が3人も亡くなっているそうで……」
***
単なる噂だと思うが、一応警戒しておこう。
ブザーを鳴らしてから数分経ったが、誰も出てくる気配がない。
おかしいなと辺りを見渡した瞬間、それは降ってきた。
うぼお!!
と俺は全身に重みという重みを感じる。
そのままうつ伏せになって倒れた。
「珍しいね。お客さんかい?ひーふーみー、3人か。」
それは、俺の上に乗ったまま、俺に全体重をかけながら、いかにも楽しそうに言った。
群城たち3人は、無言で俺を指差して見せる。
「あーごめんごめん。気づがなかったわ。」
ようやくそいつは、俺の上からどいてくれた。
主に脇腹から胸にかけて、じんじんとしみるような痛みがする。
こういう損な役回りが久しぶりな気がする。
「オラは、この西門の門番、
赤髪を後ろで縛った若い女の子が、こちらに向かって元気よく自己紹介をする。
白い柔道着を着ていて、胸には「たまよ」と文字が書かれていた。
「んで、何の用ださ?」
蓬莱珠世は、なまったような口調で問いかける。
いかにも田舎者という感じだ。
俺は、俺を踏んだことへの謝罪がすでに終わったという事実にとまどいながらも、丁寧な言葉で返事をした。
「ちょっとこの場所に用があって、中に入りたいんだが、門を開けてくれないか?」
蓬莱は頭をぽりぽりと掻きながら回答する。
「んー、それはできねえべさね。ここは、京都数学連合の特別施設だ。数連合の会員でもねえ部外者を中に入れるわけにはいがねえべ。」
京都数学連合だと……??
数連合関係の場所だったのか。
数学関係の施設となると、りんがいる可能性がますます高まってきた気がする。
「確かに、ここには数連合に無関係の者もいる。でもせめて、会員である俺だけでも入れてもらえないか?」
「ん?勘違いしでねえか?部外者は、おめえたけだで、本条圭介。」
その言葉に、俺は二重に動揺した。
1つは、俺が部外者であること。
もう1つは、俺の名前を知っているということ。
「忘れたのが?おめえは、南條体との数戟で会員権『
「あ……。で、でも、な、なんでそれを。」
「おめえらは、数連合の中では有名人だからな。導来圏との戦いは数戟新聞に顔もでかでか載ってるで。あ、会員でねえおめえは知らねえか。」
蓬莱の態度がいきなり威圧的になった。
まるで招かれざる客を拒んでいるようだった。
「本条環奈は、導来圏に会員権を付与されでいるし、群城すずと杉浦解析はもともと会員だ。ということで、
ぐう……
ぐうの音も出なかった。
群城たちに中を見てきてもらうしかないのか……。
どうしたものかと俺が考えあぐねていると、なぜか蓬莱が助け船を出してくれた。
「ま、どうしても入りたいというなら、方法はあるでさ。」
「なんだと?」
「ここに、門を開けるパスコードが表示される
そう言って蓬莱は道着の中から、銀色のケースに包まれた、スマートフォンのような物を出した。
蓬莱はケースのカバーを開き、画面をこちらに見せる。
なんやら数字のようなものが表示されている。
3760620109779061 3868066398629891
2510064692320786 3868149429200585
3763607099540597 3763598011841485
3763604725359876 3656158440062977
3656158439951865 3757718396731429
Seed: 36
「この
なるほど。計算力がないものは門を通れないというわけか。
数連合の施設らしい仕組みだ。
これなら会員でない俺にも入れる可能性がある。
よし。
「おいおい。その数字を俺に見せちゃったっていいのかよ。計算しちゃうぞ。」
「はは!大丈夫でさ。この数字は6秒ごとに違うものに変わるんだがら。」
驚いて俺は蓬莱のスマートフォンに目を向ける。
確かにさっきの数字とは違った数字が並んでいる。
48924298443124202143 49456084295766856514
42617203868233365892 49456145795074860770
48930017238967933784 48930014608501476988
48930016570419092142 48398230717929318250
48398230717929207138 48918641800917805636
Seed: 93
「信じられなきゃ、今から1分間、変わる数字を見てみるでさ。ほら。」
43309534450633 45278149652934
20798847572142 45281884526030
43395295904984 43394662083408
43395125804232 41426511213650
41426511102538 43227663875136
Seed: 23
34824506845925071 35615972910605186
25555559821782388 35616364135674914
34842103868080664 34842069502953436
34842094972117470 34050628916015626
34050628915904514 34807309558593796
Seed: 45
846949229880161 875180870876166
520008613184486 875210307462670
847860908276152 847857176623040
847859926004576 819628286980802
819628286869690 846067909141504
Seed: 31
13914492061171318607 14086275913778371923
11880319855299992144 14086301469152067391
13916587301656361719 13916586062921916791
13916586986110441106 13744803133596058625
13744803133595947513 13912422684005766739
Seed: 82
17496788319767527 17923539254396003
12507866679229864 17923781444604071
17506954960278719 17506932187346911
17506949049775626 17080198121677825
17080198121566713 17486869505527339
Seed: 42
2482167502723212151 2518669965998553506
2051015219108672956 2518677636147296834
2482696636703754296 2482696195413516460
2482696523883423750 2446194060654759802
2446194060654648690 2481646148490336100
Seed: 69
307167017313773 318543573510579
175930315472042 318558120165265
307573861045309 307571823609653
307573321570172 296196766695425
296196766584313 306775222648861
Seed: 28
1579440828553963 1628798354446274
1006594391682592 1628843758952450
1580937928865384 1580932515566548
1580936508634362 1531578985264450
1531578985153338 1577990469666436
Seed: 33
7423084163014966447 7520756323054637058
6267508347480681684 7520772802171672226
7424352849421224344 7424351999130144156
7424352632553702846 7326680472586200650
7326680472586089538 7421832167035372164
Seed: 77
147389519791195397 150279510375336483
113432130427537634 150280579934441401
147445117497642469 147445036057961981
147445096517995796 144555105949057025
144555105948945913 147335011832692789
Seed: 52
確かに、10個の数字は6秒ごとに変化していた。
待てよ?
それじゃあ、こいつは毎回どうやって計算しているんだ?
俺が困惑していると、群城がスマホで何かを確認しながら話しかけてきた。
「圭介。どこかで聞いたことあると思ったら、この蓬莱、『雷速の蓬莱』だ。」
「雷速?」
「ああ。『
最も計算が早い霊長類!?
そんなレスリング選手みたいな呼び方、他にあったのか……
いや今はそんなこと気にしている場合じゃない。
「ぬはは!バレちゃったでね。つまりこんな計算、オラにとっちゃ朝飯前ってことだでね。素数大富豪だって、初手で全部出して勝つ自信があるでな。導来圏なんざ、オラにとっちゃタダの赤子だ。」
蓬莱は誇らしげに無さそうな胸を張っている。
馬鹿でかい桁の、それも10個の暗算など、俺には到底できない。
「正確には、パスコードは表示されるのは6秒後だげど、入力のためにその後10秒間は有効だがね。まあ、その前に、オラからこの
蓬莱はスマホの紐をつけて、そのまま自分の首にかける
俺だってこのまま何もせずに帰るわけにはいかない。
ここはやってみるしかないようだ。
「ああ。お前から、そのスマホを奪いとればいいんだな?」
「んだ。じゃあ、まずそこの石の上に立ってくれ。」
言われたままに俺は、人が1人乗れるくらいの円形の石の上に乗った。
数メートル先の蓬莱も同じような石の上に立っている。
その手には算盤が握られている。
「んじゃ、今からこの算盤の珠を上に投げるで。この珠が下に落ちた瞬間に勝負開始だ。5分以内に機械を取れたらおめえの勝ち、取れなかったらオラの勝ちだで。」
「わかった。」
蓬莱は珠を上に投げた。
俺はじっくりとその行方を眺める。
あたりが静寂に包まれた。
いくら道着を着ているからと言って、女の子だ。
群城より強いことはないだろう。
俺にだって、十分チャンスはある。
そうこうしているうちに、珠が地面に落ちて、コツンと音が鳴る。
その瞬間、背後から蓬莱の声がした。
「なんだおめえ遅えな。」
振り向くと電流のような衝撃が走り、目の前が真っ白になった。
***
「う……。」
目を覚ますと、背中にひんやりとした床の感触がした。
目の前には、木造らしき、それも随分高い天井が見える。
どうやら、どこか広い屋内で寝ていたらしい。
「ようやく起きたようだな。」
右に首を振ると、群城が正座をしていた。
その隣には心配そうな顔の環奈が座っている。
「お兄ちゃん、大丈夫?」
俺は体がまだ上手く動かないので、上下に首を振る。
あたりを見渡す。どうやらここは道場のような場所みたいだ。
床は木の板からなるフローリングになっている。
「まったく、人騒がせデスね。」
左から杉裏の声がした。
どうやらコイツもまだ一緒らしい。
「あ?杉裏、また
「えっ!?誰がここまで本条氏を運んできたと思うんデスか!?」
「まあまあ、杉裏さんも落ち着いて……。」
「なんデスか!?環奈さんマデ!」
「そうそう。環奈氏の言う通り。短期は損気でござるよ。」
杉裏の隣には、浪人のような格好をした侍が座っていた。
腰には日本刀のような刀を帯刀している。
「伊藤氏あなたマデっ!!」
「そうだ、伊藤の言う通りだぞ。」
「ありがとうございます。伊藤さん。」
「環奈殿に感謝されるとは、拙者、光栄でござるな。」
「「あははは!!(一同)」」
環奈たちは、俺を囲みながら和気あいあいと談笑している。
いや誰だこいつ。
「ところで圭介殿、身体の調子はどうでござるか。」
「え、まあ、とりあえず大丈夫かな……。」
「この白湯でも飲むでござる。」
「あ、ありがとう……」
俺は湯呑みを渡され、素直に飲む。
ふうぅ…………。。。
落ち着くな……。
いやだから誰だこいつ。
「あの、ところで、この人は……」
俺は一番話ができそうな群城に向かって聞いた。
群城は忌憚なく答える。
「ああ、伊藤さんだ。」
「どうも、伊藤でござる。」
「え、どちらの伊藤さんで?」
「ああ、侍をやっている伊藤さんだ。」
「どうも、侍の伊藤でござる。」
「え、あ、どうも。」
俺は伊藤さんのお辞儀に合わせてお辞儀する。
なるほどな。
え、侍!?侍やってるってどいうこと?
今、令和だよね!?江戸時代じゃないよね!?
みんな平然としてるけど、侍だよ!?
刀持ってるよ!?帯刀してるよ!?
俺は心の中でジャングルポケットの斉藤みたいにツッコミを入れる。
混乱しながらも俺は事態を掌握するため、再び群城に質問する。
「侍をやっている伊藤さんというのは分かったんだが、ここはどこで、なんでこの人がいるんだ?」
「え、ああそのことか。圭介が倒れた後、近くにあったこの伊藤さんの道場に運んだんだ。伊藤さんとは杉裏が知り合いだったからな。」
「なるほど、伊藤さんに助けてもらったというわけか。ありがとうございます。」
「いやいや、困った人を助けるのは武士として当然のことでござる。」
武士なのか侍なのかどっちなのか。
なんかもうどうでもよくなった俺は、他に気になっていたことを口にした。
「ところで、記憶が曖昧なんだが、たしか俺は蓬莱と戦ってたはずだよな?何があってこうなったんだ?」
「……それについては、実は杉裏が一部始終を動画で撮影していたようだから、それを見ながら説明しよう。」
「ええ、実はこのメガネ、スマートグラスなので常時撮影してますカラね。」
いや盗撮してたのかよ。やばいな。
ともかく、杉裏のスマートフォンから映像を確認する。
そこには、向かい合う蓬莱と俺の姿があった。
蓬莱の手から算盤の珠が投げられる。
その珠が地面に落ちた瞬間、俺は床に倒れている。
いや、よく見ると直前に後ろを見ているようだ。
その間、蓬莱は一切動いていない。
そうか……思い出した。勝負開始すぐに、蓬莱の声が後ろから聞こえたんだ。まるで瞬間移動でもしたかのように。
「……これは、数武を使ってマスね。」
「すーぶ?」
杉裏は映像を見ながら何やら分析をしている。
その聞きなれない言葉に俺は反応する。
杉裏は平然とした様子で返答する。
「ほら、数学に武力の武と書いて、『数武』デスよ。本条氏も使ったことあるデショウ?」
「??」
「まさか……数武を知らないんデスか?」
杉裏は驚いた顔でこちらを振り返る。
群城と伊藤さんも知ってて当然のような雰囲気を醸し出している。
どうやら環奈を除いて、知らないのは俺だけらしい。
「はぁ……いいデショウ。本条氏、数武についてイチから私が説明してあげまショウ。」
ため息をつきながら杉裏は、道場の端からホワイトボードを持ってきた。
というかなんで道場にホワイトボードがあるんだ。
「数武とは、文字通り、『数学を使った武術』デス。英語では、Martial Mathematics と呼ばれマス。」
杉裏は説明をしながら、ペンで大きく「数武」と書いた。
「かつて数学者アルキメデスは、数学の最中に殺されてしまったといわれマス。どんな天才数学者でも単純な暴力には勝てなかったのデス。そこで数学者は自分の身は自分で守るべく、数学を活かした武術が生み出したのデス。」
杉裏は、ホワイトボードに大きな円を3つ書いた。
そして、それらを線で結んで正三角形を作った。
中央には『数学力』と書かれている。
「本条氏、ここでクイズです。」
「お、おう。」
「数学の能力を表す、3つの要素は何でショウカ?」
「え!?」
「シンキングタイムは2秒デス。」
「え!?えーと、努力、友情、勝利?」
「全然違います。」
「だろうな。」
「正解は、『ロン』『カン』『シュウ』デス。」
「ロンカンシュウ?」
杉裏は、3つの円の中にそれぞれ別の言葉を書いた。
そして一番上の円の言葉を指差す。
「まず『ロン』、すなわち『論理力』。これは、論理的に思考する力や計算力を意味しマス。初学者がまず最初に鍛える項目デスね。」
杉裏は左下の円に移動する。
「次に『カン』、つまり『直感力』。数学を感覚的に理解したり新しい定理などを見つけたりする力のことデス。通常、論理力を育む過程で経験的に身につきマス。」
そしてその右下の円に移動した。
「最後に『シュウ』、いわゆる『集中力』。文字通り精神を集中して数学を行う力です。一見、数学に無関係のようデスが、一流の数学者の1秒は、常人の1万秒に匹敵する言われマス。それだけ思考の質が違うのデス。この力は一朝一夕に身につかず、一番養うのに時間がかかりマス。」
杉裏はバンっと白板を叩いて言った。
「『論』『感』『集』。修得には順番はありマスが、それは優劣を意味しているわけではありマセン。東数にいる数強は大抵シュウまで修得しますし、その上で自分の得意な能力を磨いていマス。例えば、論理力タイプ(ロジカル系)ならワタシや南條体。直感力タイプ(センス系)なら内田位相や導来圏。集中力タイプ(パワー系)なら群城すずや平等院補題のようニネ。」
とりあえず論感集を知らなかった俺は数強でないことが分かった。
数学徒が、3つのタイプに分けられたとは初耳だ。
「説明よりも、実際に見た方が早いでショウ。今からワタシが『ロン』『カン』『シュウ』の武術への応用をお見せしマス。」
そう言って杉裏は、1本の竹刀を俺に渡した。
ずっしりとした重みが手に伝わる。
「ワタシは今から目をつぶりマス。本条氏は、それをワタシに向かって振り下ろしてくだサイ。当てられタラ、本条氏の勝ち。受け止められタラ、ワタシの勝ちデス。」
なるほど。察するに気配から俺の攻撃を受け止めるというわけか。
しかし、そんなことが本当に可能なのか?
「さあ、いつデモどうぞ。」
そう言って、杉裏は目をつぶった。
俺は杉裏の周りを、抜き足でぐるぐる回りながら、どこから狙うか検討をつける。
そして、杉裏の背後に回って足を止めた。
気配を悟られないように、ゆっくりと竹刀を振りあげた。
その瞬間、杉裏が口を開いた。
「まず、『
動きを悟られたのかと一瞬動揺したが、俺は気にせず竹刀を頭めがけて下ろす。
「次に、『
杉裏は真横にスライドし、竹刀は外れてしまう。
「最後に、『
ふと見ると、竹刀の先は杉裏によって握られていた。
その間、杉裏は一度もこちらを振り向いていない。
「これが……数武か……。」
初めて見た力に俺は感動すら覚える。
「……すげえ。こんな力を身につけられたら、俺だって蓬莱に勝てるかもしれない。」
俺は、杉裏の数武に尊敬の念さえ覚える。
杉裏は、ふふっと笑いながらこちらに近づく。
そして、細長い靴の先を俺の頬に勢いよくぶつけた。
「
数メートル後方に跳ぶ俺。
一瞬、何が起こったのか分からなかった。
「このバカチンがっ!!」
杉裏はふさっと髪を掻き分けるように怒鳴りつける。
なぜか「人」という字は、人と人とが支えあって出来ているということを思い出す。
「日本のドラマでは、このように生徒を叱ると知りマシた。」
いや、それ金◯先生でも生徒を靴で蹴らないと思うが。
いやいや。そんなことはどうでもよくて、なんで俺は蹴られたの?
おこなの?そうなの?
「いいデスか?本条氏は今、数武で騙されたんデス。」
騙された?何に?
騙された上に蹴られたの?
俺は、まだ痛い頬をさすりながら、親父にも蹴られたことないのにと思った。
「今の『論』『感』『集』の使い方はすべて嘘です。」
「??嘘??」
「そうデス。これを見てくだサイ。」
杉裏はメガネを外し、俺にかける。
そこには、俺の背後にいるはずの群城たちの映像が写っていた。
「なんで、後ろの映像が!?」
「このスマートグラスは、背後に向けてもカメラがついているのデス。それで、後ろの様子も丸っとお見通しというワケデス。」
「てことは、さっき俺のしないを受け止めたのも!?」
「その通り。後ろの映像を見ながら避けたというだけデス。」
「ずるっ!!」
俺は思わず杉裏にそう叫ぶ。
次の瞬間、頬に冷たい靴底が当たって、俺はまた数メートル後方に跳んでいった。
「
俺は、床に倒れながら右頬と左頬を同時に抑える。
「いいデスか。本条氏に竹刀を渡した時点から勝負は始まっていたのデス。まず、目を瞑るといったのは、本条氏に聴覚だけと思わせ、動きをゆっくりにさせるため。そして、一番油断する背後を狙わせ、その隙にスマートグラスで確認するためデス。すべてはワタシの手の平の上だったわけデス。」
そんな……。
こいつにそんな知略があったなんて……。
お馬鹿キャラじゃなかったのか……
「このように、数武とは『いかに相手を騙すか』にありマス。相手に先入観を植え付け、それを利用し、こちらのペースに持ってイク。そのための基礎能力として、『論』『感』『集』が必要なのデス。『集』で
意外とタメになってしまった。
確かに、蓬莱の動きにはいくつか不信な点があった。
「それで、どうしたら数武を身につけられるんだ?」
「
杉裏は俺の顔を強く蹴る。
えええええこれも????
質問しただけなのに?????
やっぱりおこなの?
「数武は一朝一夕に身につくものではありまセン!!」
「じゃあ、なんで説明したんだよ……」
「そんな甘い考えは捨ててくだサイ。」
「ええ……」
「ただ、本条氏の
杉裏はメガネをクイッとあげた。
俺は固唾を飲んで、その話を聞く。
「そのための、それにぴったりな人材を呼んでありマス。それが伊藤確率なのデス。」
「ははっ。ようやく出番でござるな。」
腰に刀を帯刀した侍が再登場する。
お前だったのか。
「ご存知のとおり、伊藤確率は高層第7位の統計学のスペシャリストデス。学生の身でありながらも、いくつもの企業のデータコンサルタントを兼任しています。『データサイエンスの魔法使い』とは彼のことデス。」
/********* 伊藤確率 ***************************************
*血液型:A型
*ランク:高層第7位
*能力:「
*専門:統計学
*特徴:???
*********************************************************/
侍なのか魔法使いなのかどっちかはっきりして欲しい。
というか、この侍はそんなすごいやつだったのか。
高層第7位といえば、杉裏よりランクが上じゃないか。
人は見かけによらないものだ。
「早速ですが、本条殿。
「そんな、おいそれと発動できるものじゃ……」
「大丈夫でござる。本条氏のこれまでのデータから、発動条件は解析済みでござる。」
そう言って伊藤は、懐から小さなカプセルのようなものを取り出した。
「それは……?」
「これは解毒剤でござる。」
「解毒剤?なんの?」
「さっき、本条殿の白湯に混入したテトロドトキシンのでござる。」
「は?」
その瞬間、俺は体全体がふらつくような感覚に襲われた。
なんだこれは。
「15分。時間ぴったりでござるね。」
「おい……なにを……」
「さあ、
「そんなこと……」
「早く解毒剤を奪わないと死んでしまうでござるよ。」
「く……」
俺は、白い箱の中にいることをイメージし、無意識に身を委ねた。
すると、伊藤の言う通り、
「なんで……」
「発動条件は後々解説するとして、今は安らかに眠るでござる。」
「が……ま……」
俺は体の自由を奪われ、そのまま床に倒れる。
そうして、意識を失った。
***
あれから何時間経っただろう。
目を覚ますと、そこは大学の講義室だった。
自分以外は誰もいない。
なんで俺はここにいるんだろう。
「せーんぱい!」
後ろから声がした。
振り返ると、そこには懐かしい顔があった。
北条
「もうどこ行ってたんですかー」
「え、なんで」
「次の授業始まっちゃいますよー」
りんは俺の手を引っ張って、教室の外へと誘導する。
ハーフアップされた綺麗な髪。
白のニットに女の子の匂い。
花柄のスカートにロングのブーツ。
あの時のままだ。
「あ、それとも講義サボってデートでもしちゃいます?」
りんは笑いながらそう話す。
妄想なんかじゃない。
確かに実体がある。
「じゃあ、タピオカ飲みに行きませんか?」
嬉しそうに話すりん。
俺は教室から出る直前で、足を止めた。
「あれ?先輩どうしたんですか?」
不審そうに見つめるりんに、俺はゆっくりと返答した。
「お前は誰だ。」
りんは表情1つ変えずに答える。
「もー何言ってるんですかー。先輩の恋人の北条環ですよー。あ、もしかして、久しぶりだから忘れちゃったんですかー?」
「いいや、違うね。りんは、講義をサボるようなことなんて、絶対にしない。それだけ数学に、グレブナー基底に真摯に向き合ってた。俺の知っているりんは、そういう人だった。」
俺は手を繋いだまま、毅然とした態度で言った。
瞬間、燃えるような痛みが手首に走った。
「デデキント
俺の右腕の先が消失している。
いや、分断されてしまったと言うべきだろうか。
りんは冷たい表情を浮かべながらこちらを向いている。
その右手には、俺の右手が握られていた。
「あーあ、なんでバレちゃったんだろう。うまくやったつもりだったのになあ。」
りんの左手が、鋭利な刃物に変形している。
それでさっき、俺の手首を切断したのだろう。
「もう一度聞く。お前は誰だ。」
激しい痛みを我慢しながら、俺は言った。
これは少なくとも人間ではない。
人間の形をした「何か」だ。
「うーん。それはこれから先輩が見つけることですよ?」
化け物は、左手についた俺の血を舐めながら喋る。
俺は右手の出血をどうにか抑える方法を探していた。
「せっかく2人きりの時間なんですから、楽しみしょうね。先輩♡」
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