第2話

漸問答タルタリア


「むかーし、むかーし、16世紀くらいのイタリアに、『タルタリア』と呼ばれる数学者がいました。彼は、1535年の初め頃、アントニオ・マリア・フィオールという人に数学の『公開論戦』を申し込まれました。」


「こーかいろんせん??(裏声)」


「公開論戦とは、ざっくりいうと、互いの名誉と富をかけ、数学の問題を出し合い、どちらが数学に優れているか競う戦いです。数学試合とも言います。タルタリアとフィオールの公開論戦は、三次方程式の問題を互いに30問出し合い、30日後に多く解けたほうが勝ちというものでした。」


「さんじゅーもん??さんじゅーにちもー!!??(裏声)」


「三次方程式の解法を独自に発見していたタルタリアは、フィオールの問題を見事すべて解きあげました。一方、フィオールはというと、自分から挑んだくせに出された問題をほとんど解けず、ぼろ負けしました。結果、圧倒的に勝利したタルタリアは、輝かしい名声を手に入れました。ちなみに、負けたフィオールのその後は知りません。」


「たるたりあすごーい!!しびれるううう!!!!(裏声)」


「……しかし、そんなタルタリアに悲劇が起きます。」


「えー??なになにーー??(裏声)」


「彼の発見した三次方程式の公式を、カルダノという人が、約束を破って勝手に発表してしまったのです。タルタリアは、絶対に秘密にするという条件で、カルダノに特別に教えたのに。」


「かるだの ひどい!!サイテー!!(裏声)」


「タルタリアは激怒しました。自分の力で見つけた三次方程式の公式を、自分の本で発表しようと思っていたのに、無惨にもパクられてしまったのですから(笑)。汚された名誉を取り戻すべく、タルタリアは、カルダノに数学試合を申し込みました。」


「たるたりあ がんばえー!!がんばえー!!!(裏声)」


「ふふふ。正義には勝ってほしいし、なにより、このままだとタルタリアが可哀想ですよね。」


「うん!!!(裏声)」


「では、試合の結果は、どうなったでしょうか?しかし、残念ながら、これには諸説あって、どうなったかは分からないんです」


「えー!!!おしえてよー!!おしえてよー!!!(裏声)」


「ほら、みんな落ち着いて!!正義は必ず勝つんですから、私たちはタルタリアが勝ったことを信じましょう!事実なんかより信じる心が大切なんです!!いいですね!?」


「はーい!!!!(裏声)」


「…………まあ、今では、この『三次方程式の解の公式』って、『カルダノの公式』と呼ばれてるんだけどね。」


そうして、平等院補題は、一人芝居を終えた。


「はーい☆☆ということで〜、今から二人には〜、この漸問答タルタリアをしてもらうの〜☆☆(*≧∀≦*)」


さっきとは打って変わって場は静まり返っている。

それもそのはず。この少女は少なくとも狂気だが、この場を支配しているのは少なくとも彼女なのだ。


「ルールは簡単だよ〜☆☆これから30日間、導来ちゃんと本条ちゃんには〜、交互に数学の問題を出し合ってもらうの〜。それで〜、先に答えられなくなった方が負けね〜☆☆」


平等院補題は、器用にも足だけでテーブルの椅子を引き出し、ストンと、鎮座した。


「じゃ、何か質問ある〜☆☆??」


仕事を終え疲れたOLのように、彼女はけだるそうに聞いた。

腕が固定されていなければ、小指で耳でもかっぽじってそうな雰囲気だ。


いやいやいや。

質問、大アリである。

そもそもルール説明が一行で済むなら、さっきの茶番劇は必要なくなくないか?

ちょ、まじありえないんだけどである。


「カッ。その『数学の問題』とやらは、なんでもいいのかよ。」


矢先、導来圏が半ば拗ねたように訊いた。

やはり補題がこの場を仕切っていることが気にくわないのだろう。


「はい!導来圏ちゃん!質問する時は、手をあげましょうね〜☆☆ でも〜、お姉さんは優しいから〜、特別に答えちゃうね〜〜☆☆ 数学の問題は〜、『出題者が正解できる問題』というのが〜、必要条件なの〜〜」


補題は、導来が口を挟めないように、続けて言う。


「例えば〜〜。『リーマン予想を証明せよ。』なんて問題は、出題者も解けないから出しちゃダメなの〜〜。ま、解けるならいいけど〜、ここにはそんなヤツはいないしね〜☆☆(苦笑)」


なるほど。

文字通り、無理難題は出せない、ということか。


「ケッ。それで、回答の制限時間とかはあるのかよ。」


またもやよもや、導来が質問する。


「もう〜☆ 手をあげてよ〜〜☆☆ えーと〜、作問、回答の制限時間は〜、それぞれ〜、3時間だよ〜☆☆ 数戟管理委員会が決めた時間に〜、出題者には問題を〜、一問作ってもらって〜、問題を出来たら〜、そこから〜、回答時間が開始ね〜☆☆」


一問につき、三時間。

数学オリンピックでも、一問つきだいたい1時間〜1時間半くらいだったと思うから、それと比べても、普通ではない長さだ。

そうなると、俺にも気になる点が出てくる。


「補題とやら、それで、勝利の条件はどうなってるんだ?」

「もー本条ちゃんも手をあげてよ〜☆☆ さっきも言ったように、先攻と後攻を決めて〜、一問ずつ互いに出していって〜、答えられなかったら即負けね〜☆ 例えば〜仮に導来ちゃんの出題から始まって〜、一問目で、もし本条ちゃんが答えられなかったら〜、その時点で本条ちゃんの負けだよ〜☆☆ あ、あと〜、30日っていうのは〜一応上限を定めているだけね〜☆☆(天ぷら)←イミフ」


言ってしまえば、交互に出題するクイズ合戦みたいなものだ。

しかし、聞く限り、先攻が圧倒的に有利そうだが。


「じゃあ、先攻後攻はどうやって決めるんだ?」

「いい質問だね〜〜☆☆先攻はコインを投げて決めるよ〜〜☆☆有利な先攻を取れるかどうかは〜、『運』次第ってことだね〜〜(神のみぞ知る)」


三山崩しの時しかり、どうやら運命はコインで決まるようだ。


「他に質問はないかな〜〜??じゃあ、ルールをまとめるよ〜☆☆」


/********************************************

************漸問答タルタリア*************************

*********************************************

* ルール***********************************

* 1. 数学の問題を交互に1題ずつ出題する

* 2. 問題の作成時間は各3時間

* 3. 問題の回答時間も各3時間

* 4. 出題者は自ら解答できない問題を出題してはならない

* 5. 回答者は正解できない時点で敗北

* 6. 5の時、出題者は勝者となる

* 7. 先攻はコインで決定

* 8. 30日経過した時点で終了とする

*********************************************/


「ではでは、運命のコインを投げるよ〜☆☆ 泣いても笑っても死んでも、これで決定だからね〜〜☆☆」


こうして、賽、もとい、コインは投げられた。

平等院補題の口の中から放たれたコインは、空中でくるくると回転をし、平等院補題の足で、床に叩きつけられた。

表なら、俺の先攻。

裏なら、導来圏の先攻だ。

結果は…


「ふむむ!!☆☆ コインは『表』を示しているってことで、先攻は本条圭介ちゃんからだね〜(おめでとー(๑╹ω╹๑ ))」


よし。よしよし。

そうだ。ここで俺に後攻が来るわけがない。

誘拐、監禁、権力濫用。非道を限りを尽くす導来圏に、勝負の女神が味方につくはずがないのだ。


「早速、即々、本条ちゃんからの先攻で、数戟『漸問答タルタリア』開幕なのだ〜〜☆☆( ^ω^ )」


そして、俺と導来圏との数戟は始まった。


俺たちが今いる部屋は、大学の教室1つ分くらいの大きさだ。

その中央に俺は座っている。

俺の向かいの壁沿いには、導来圏と平等院補題が、俺の出題を待っている。

妹の環奈は、未だ導来圏の側で小さく座っているままだ。

逃げたくても、逃げられないのだろう。

大丈夫。お兄ちゃんが、今助けてやる。


このセミナーハウスの教室は、現在、数戟管理委員会が、ドアを完全に封鎖している。

何者にもこの数戟を妨害させないためだろうか。

群城と南條は、介入しないという条件のもとで、俺の後方で待機している。

すまない。しばらく我慢していてくれ。



……さて、猶予は、3時間。

その間に、渡された紙に、問題と、その解答を記述する。

23年間生きてきたが、テストや大学受験で、問題を解くことはあっても、自分で問題を作るってことは初めてかもしれない。

それも、なるべく難しい問題だ。


タイムリミットを告げる電子掲示板は、1秒ずつ数字を減らし始めた。


ただ難しくてもダメだ。

自分が解けるものでなくては。

今から新しく問題を作ることもできるが、同時に問題の回答も作らなければならない。

1時間半で問題を考えて、1時間半で答えを作るって感じか?


白紙の紙を前にして、なかなかペンが進まない。


いやいや、落ち着いて考えるんだ。そうだ、数学的に整理してみよう。

自分の作れる問題全体の集合をS、自分が解ける問題全体の集合をAとする。

俺が、作るべき問題は、この2つの集合の共通部分 S∩A の元だ。

そして、問題の間に、難易度の順序 > を入れた時に、その順序での最大限、もしくは極大元が欲しい。

つまり、max S∩A だ。

……なるほど。結局、max S∩A を求めればいいのか。


教室は、これだけの人数がいるというのに、物音ひとつしないくらい静かで不気味である。


くそ!だからなんだっていうんだ!

難しく言い直しただけで、状況は何一つ変わっちゃいない。

とにかく問題を作るんだ。難しい問題を。

なんやかんややっている内に、もう15分が経った。

3時間のうちの15分だから、えーと、12分の1が過ぎたんだ。

12分の1といえば、約8パーセント。

なるほど。8パーセントか。

くそ!だからなんなんだ!


完全に煮詰まった。

どうしようもない。俺の人生そのものだ。

そんなこと言ってる場合でもない。

とにかく、一旦、身の回りの状況を整理しよう。

さっきから感じているこの違和感の正体を見つけるために。


俺の近くには、人はいない。ましてや椅子に拘束されているわけでもない。

計算用紙も十分ある。

水も飲みたいと思えば飲めるし、トイレに行きたいと思えば、行かせてもらえるだろう。

すべて、俺が集中できるための配慮だ。

しかし、それが、何かが引っかかる。

自由なはずなのに、窮屈というか、自由に動けないような……


そうか。これはまさに俺の今の状態なんだ。

自由すぎるんだ。

通常、試験で問題を出されたら、解くしか選択肢はないから、迷うことなんてない。

でも、今は作る側だ。

何を作るか、選択肢があり過ぎて、返って何にもできないんだ。

学校では、問題を解くことしか教わってきてないから、問題を作れという問題につまずいたんだ。


ここで、やっと俺は自分のミスに気がついた。


完璧を求めてはダメだ。

この漸問答タルタリアはこれ一回限りではない。

最初から、難しい問題を考えようとしたら、そんなの作れないに決まっている。

だって、難しいんだから。

選択をするためには、余分な選択肢は捨てて、選択を絞るんだ。

難しい問題を作ることは止めて、自分が簡単に解ける問題を作って、そこから相手が解けなさそうな問題を見つける。

これが、漸問答タルタリアの最善手だ。


やっと俺は、深く呼吸をすることができた。


俺の得意分野といえば、計算機代数、つまり、グレブナー基底、とかだ。

例えば、


『グレブナー基底の定義をかけ』

『グレブナー基底を計算せよ』

『グレブナー基底を使って、次の連立方程式を解け』


これだけで、色々問題は考えられる。

グレブナー基底は、数学の中でも比較的マニアックな概念だ。

導来圏が知っている可能性は低い。

名前から察するに、奴の得意分野は、圏論のはず。

Kan 拡張チャンス!とかその辺だろう。


だとすれば、この手は有効だ。

俺が知っている中で、グレブナー基底を使った問題、もしくは定理などを出題する。

その際、その解答が複雑であればあるほど、この技の毒は増す。


そこから俺は、自分の持っている知識を、知恵を、フル稼働して、問題作成に集中した。


「ピピーーー!!!時間です!!3時間経ちました!!本条ちゃんはペンを置いてください!!☆☆(置いてね)」


ふう。

出来た。

時間ギリギリになってしまったが、なんとか間に合った。

おそらくこれが、現時点で俺が出せる最高の問題だろう。


「それでは〜、本条ちゃんの問題を発表しますね〜☆☆これだっぴょん!☆☆」


【問題】

体上の多項式環 K[x_1,...,x_n] のイデアル I に対して、その簡約グレブナー基底は一意的に存在することを示せ。


「問題が出題されたので!☆☆ここから!3時間!導来ちゃんの回答タイムです!!☆☆ →では、はじめ!!」


平等院補題が、カウントダウンタイマーを起動させた。


さあ、どうなるか。できる限りのことは尽くした。

後は、待つだけだ。

『人事を尽くして天命を待つ』

バスケ漫画のキャラクターもそう言っていた。なのだよ。


「……け…ぜ。」


こんな感じで、出題のプレッシャーから抜け、下らないことを考えていた俺は、まず、自分の耳を疑った。

間違いなく、聞き間違いだろうと思った。

だって、1分、いや30秒?

俺は、これからの長丁場に備えて、トイレに行っておこうとさえ思っていたのだから。


そう、導来圏の『解けたぜ』を聞くまでは――

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