第2話

『南條体』



「感想。このお茶、少しぬるい状態。だにゃ。」


南條 こころ、通称、南條さんが、手のひらにお茶を水平に置いたままで、そうつぶやいた。


「いやあ、それにしても、久しぶりだなあ!ココロ!!」


向かいの南條さんの隣に座った群城が、背中をバシバシ叩きながら言う。

割と強く叩かれていると思うのだが、南條さんは無反応だ。


「実際。あなたたちと会うのは、ご無沙汰。でごんす。」

「えーと、アタシとは、留学する前だから、一年ぶりくらいだよなあ?」

「適当。群城氏とは、1年と47日ぶり、ゲソ。本条氏とは、約3ヶ月と23日ぶり、だってばよ。」

「そっかあ。そんなにかあ!!」


もう、お気付きの人もいるかもしれないが、南條さんの話し方は独特だ。

体言止めを基本とし、語尾に、漫画やアニメのキャラクターの口癖を付ける。

そのバリエーションは、広く、漫画好きの俺でさえ、元ネタを把握しきれていない。


「あれえ、なんか、背、伸びたか!?」

「不適当。私は、前からこの身長、だっちゃ。群城氏こそ、胸部付近の膨張が顕著、にょろ。」

「あ、やっぱ、そーかあ?アメリカ向こうで、ピザばっか食いすぎちゃってなあ!へへ。」

「不正確。胸部付近とは、腹部も含意。トゥットゥルー。」

「え!!」


目の前のガールズトーク(?)を聞きながら、会話にも入れず、俺は、ぼーと、お茶を飲んでいた。

このふざけたような語尾も、本人にとっては、大まじめらしく、もともと、機械のように一定で単調な口調を和らげるために、付け始めたそうだ。

しかし、変わったのは、語尾だけで、いまだにピアノの鍵盤の一つをポーンと押したような、抑揚のない声のままだ。


「転換。両氏、聞くに、嘘つき問題なるもの、グレブナー基底で、解決、ザウルス。」

「え、ああ。群城が、土産話ってことで、さっきまで話してたんだ。」


そういえば、その話をしていたら、南條さんが話しかけてきたんだった。


「詳細。いかにして問題解決。だわさ。」

「えーと、まず、嘘つき問題を、多項式に変換して、それから、グレブナー基底で、その連立方程式を解く……で、合ってるよな、群城?」

「ああ。その通りだ。」

「理解。」


南條さんは、そう一言つぶやいて、静止した。よくあることだ。

ちょうど、真正面にいる俺は、その透き通ったメガネ越しに、じーと、見つめられている。

思考をしているのだけで、視界には入っていないのだと、分かってはいるのだが、こう顔立ちの整った美人に凝視されると、どうしてもドキっとしてしまう。

俺たちが、南條さんが動き出すのを待っている中、ようやく、口を開いた。


「進言。察するに、それは、ブーリアングレブナー基底の一種と推察可能。ブーリアングレブナー基底は、ブール環上の多項式環の剰余環『ブール多項式環』のグレブナー基底であるが、これは単項式簡約を用いたブッフバーガーアルゴリズムで計算することが可能で、この剰余環では同変数の二次以上の式は一次と同じとみなす故に次数の増加が起きず、単純な計算より計算効率の向上が期待。ポヨ。」


情報統合思念体によって造られた対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェース、ばりに長いセリフを聞いた。

ブーリアン?えーと、ブール……


「その、ブーリアングレブナー基底ってのは、どんなやつなんだ?」


俺の頭が混乱している中、先に群城が切り出した。


「説明。まずブール環Bに対し、B上のn変数多項式環 B[x_1,…,x_n] を考え、これをイデアル(x_1^2-x_1,…,x_n^2-x_n) で割った剰余環をブール多項式環と呼ぶ、ぶな。このブール多項式環上のグレブナー基底が、ブーリアングレブナー基底。だっぴー。」

「ほう。なるほどな。」


なるほどな、ではない。

ぶなとか、っぴーとか、何のキャラクターの語尾なのか分からないものに気を取られて、頭が全然追いついていない。


「すまん、納得してるところ、悪いんだが、そもそもブール環って何なんだ?」


瞬間、同時に、二人から同時に、は?と、人ではあらぬものを見るような目で見られた。

気軽に質問したつもりだったが、地雷というものは、いつも見えないところに置いてあるものだ。


「圭介、お前……ブール環を知らないのか?コンピュータ触ったことあるよな?」

「失望。いや本条氏の知識量を考慮に入れていなかった私、失敬。なのだよ。」


数学をやっていると、突如、人権を失われることがある。

それは、数学科の場合、◯◯◯の知識は知っていて当たり前だよね、知らなかったら生存権がないよね、的なことが往々にして起こるからである。

その必須の前提知識は、分野にもよるが、今回の場合、ブール環がそれに該当したというわけだ。


「いやいや、ちょっと待ってくれ。ブール環って、そんなに出てくるか?」

「それでは、今から、お前にブール環の定義を説明しよう。」


あれ?無視された?群城さーん。


「ブール環とは、任意の元が『ベキ等元』である環のことだ。ベキ等元とは、二乗しても変わらない元のことだから、つまり、」


環Rがブール環である

⇔ Rのすべての元 a に対し、a^2=a が成り立つ


「ということだ。」

「……同じものを2回かけても、変わらないってことか。」

「そうだ。」

「詰問。それでは、本条氏、具体例の構成を要請。ですぅ。」

「えっ」

「疑問。定義を聞いたのだから具体例の構成は瞬時に出来て当然。でしょでしょ?」


なんだ!?今回は、俺に対するマスハラ回なのか!?


と言いながらも考えるしかない。

えーと、まず環ってのは、簡単に言えば、足し算、引き算、掛け算ができる集まりのことで、整数全体とか、多項式全体とかがそれに当たる。


整数全体は、ブール環かどうかなのかは、どうかというと…


0の二乗は、0、つまり、0^2=0 だから0はベキ等元。

1の二乗は、1、つまり、1^2=1 だから1もベキ等元。

2の二乗は、4、つまり、2^2=4≠2 だから2はベキ等元じゃない。

3の二乗は、9、つまり、3^3=9≠3 だから3もベキ等元じゃない。


…というか、整数の場合、0と1以外、みんなベキ等元じゃなくないか?

つまり、整数全体は、全然「ブール環」じゃない。

多項式全体も、似たような理由で、ブール環じゃないだろうな。

うーん、そもそも「二乗しても同じまま」って、すごい特殊な状況じゃないか?


それこそ、0と1ぐらいしかなさそうな…

ん?0と1?

あ、そうか!


「0と1からなる集合 {0,1} はブール環だ!」


そうか、{0, 1} は嘘つき問題の時に出た、二元体のことだ。

さっき、確認したように、0と1はベキ等元だから、{0, 1} はブール環の条件を満たす。


「正解。」

「よっしゃ!」

「然し。自明。」

「へ?」

「ああ。圭介の出したその例は、自明すぎる。」


自明すぎる、#とは。


「詰まり。本条氏の出した例では、ブール環の本質を掴むためには、貧貧弱弱、簡単すぎる。ずら。」

「ココロの言う通りだ。」

「再要請。本条氏、非自明なブール環の具体例の構成。キボンヌ。」


う………。。。

せっかく出した答えを、「自明」と一蹴されてしまう、これだから数的嫌がらせマスハラは怖い。


というか、そもそもそんなに環を知っているもんじゃないし、二乗しても変わらないものだなんて、知っていたとしても、たぶん記憶に残っている。


うーん、うーん、うーん。

どうするか、ギブアップしたい気分だが、相手は、東数の会長と、肉体派の群城だ。

分かりませんでしたなんて言ったら、骨まで残らない可能性だってある。


そう苦しみ悶えていると、意外にも南條さんから、助け船を出してくれた。


「提案。本条氏の解答成功の可能性が非常に低いことが見込まれるため、私から理解のためのあるゲームを提言。にゃんぱすー。」


やった。ゲームが何かは分からないが、とりあえず、このマスハラ地獄からは脱出できそうだ。


「然し。ゲームに、ある条件を付加。だドン。」


ん?条件?


「条件。私が、ゲームに勝利をした場合、本条圭介、あなたには、この場で死んでもらう。ナリ。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る