第2話
『嘘と巨乳』
「ったく、久しぶりに会ったってのに、最悪なやつだな?」
彼女、群城すずは、そう文句を言って、勝手に俺の隣に座る。
ああ、最悪だ。
「まさか、アタシのこと忘れたわけじゃねえだろ?」
「はは、そんなわけないよ。」
こんな悪友、忘れるわけなどない。
しかし、なんでこいつがまだ大学にいるんだ?
「ああ、ちょっと喉が渇いたなあ。」
群城は俺から湯呑みを奪い取って、ごくごくと茶を飲み干す。
ぷはぁ、と。
「おかわり!」
どん、と勢いよく茶碗を机に叩きつける。
仕方がないので、俺は給水コーナーから二人分の湯呑みを持ってくる。
まるでパシリのようだが、これは俺がやつのわがままに付き合ってあげているだけで、断じてそうではない。
群城とは、小、中、同じで、高は違くて、大学は同じという腐れ縁の幼なじみだが、その関係は対等の友人だ。
俺は群城に率直な疑問をぶつける。
「で、どうしてお前がまだ
「あ?お前と同じ学年だからだよ。」
どういう意味だ?こいつも留年したのか?
そんなに成績が悪かった記憶はないが、と過去を振り返ってみて、ようやくその理由を思い出すことができた。
「留学か。」
「そうだ。」
そうか、群城は去年1年間、アメリカに留学してたんだ。
場所は、確か……
「カリフォルニアだ。」
群城が威圧気味に答える。
そして、呆れたようにため息をつく。
「すっかり忘れているようだから、説明してやるが、アタシは1年間休学をして、カリフォルニア大学に留学してたんだ。ああ、よかったぞー。自由の国は。」
足を組み、お茶を傾ける群城のスタイルは抜群だ。
デニムのショートパンツと白いTシャツからは、白くスレンダーな手足が伸びていて、サラサラした長い髪は、頭の後ろで縛られている。
黙っていれば、美人なのだが。
それに……
「……それにしてもお前、少し、なんというか……外見が……豊かになってないか?」
俺は、群城の胸を無意識に見てしまう。
「ああ、この胸か?向こうの食べ物ってのはカロリーが高いものが多くてな。Bカップが一気にDカップになった。」
どういう仕組みなんだ。
別にカップの情報はいらなかったが、群城は恥ずかしげもなく教える。
昔からなんというか、あけっぴろげな、男勝りのやつだ。
「それにしてもアタシの留学中、一度も連絡してこないとは、いい度胸してるよな?」
「え、……ああ、忙しくてな。」
去年は、一回目の、学生生活最後の年だったんだ。
院試やら卒論やら卒ゼミなど、やることがたくさんあって、それどころではなかった。
「まあ、その件に関しては許してやるよ。久しぶりに声をかけたのに、アタシだと分からなかったこともな。」
あれで分かるわけないだろ、という言葉を心の中に閉まって、俺は、はは、と笑い返す。
「で、お前に土産話があるんだ。」
「土産話?」
「まあ、『話』というよりは、『クイズ』なんだがな。」
「興味ないな。」
「そうだなあ。これが解けたら、お前にこのDカップを触らせてやろう。」
群城から出された興味深いクイズは、俗にいう、「嘘つき問題」だった。
***
問題. この中で嘘をついているのは、誰か?
A. 「Bは嘘をついている」
B. 「Cは嘘をついてない」
C. 「AとBのどちらかは嘘をついてない」
***
なるほど。ぱっと見ると、頭がこんがらがってしまうが、例の方法を使って、1つずつ検証していけばいい。
背理法だ。
「どうだ?解けたか?」
群城が馬鹿にしたようにこちらを見てくる。
「ああ。」
と俺は頭の中を少し整理する。一息ついて解答を述べる。
「まず、A が嘘をついてない、つまり本当のことを言っていると仮定しよう。」
「ほう?」
「すると、A『Bが嘘をついている』は正しいということになり、B『Cは嘘をついてない』という主張は嘘だということになる。」
「それで?」
「嘘をついてない、が嘘だから、Cは嘘を言っていることになる。Cの主張は『AとBのどちらかは嘘をついてない』だったから、これが嘘ということになる。」
俺はカバンからノートを取り出して、今までの推論を書き出す。
・もし、A が正直なら
A=正直 (A「Bは嘘をついている」は正しい)
B=嘘つき(B「Cは嘘をついてない」は嘘)
C=嘘つき(C「AとBのどちらかは嘘をついてない」は嘘)
「つまり、Aを正直と仮定した場合、」
C「AとBのどちらかは嘘をついてない」は嘘
「という結論が出てくる。」
「ふむ。」
「しかし、これは、矛盾だ。なぜなら、A=正直だから、Cの主張『AとBのどちらかは嘘をついていない』は正しいからだ。」
「ほほう?」
「したがって、背理法から、最初の『仮定』つまり、『Aが正直』ということが間違っていたということになる。」
「で、答えはどうなるんだ?」
群城は、こちらの思考はお見通しというように、回答を急かす。
「『Aが正直』というのが間違いだから、『Aは嘘つき』だということ。すると、元々の」
A「Bは嘘をついてる」
「が嘘だから、」
B「Cは嘘をついてない」
「は正しいということになる。つまり、」
C「AとBのどちらかは嘘をついてない」
「は、正しいことになる。整理すると、」
・もし、Aが嘘つきなら、
A=嘘つき(A「Bは嘘をついている」は嘘)
B=正直(B「Cは嘘をついてない」は正しい)
C=正直(C「AとBのどちらかは嘘をついてない」は正しい)
「という風になって、これは別に矛盾していない。よって、答えは、」
嘘つきは、A。
「となる。」
俺は、群城の方を伺う。
正しい答えのはずだ。
さあ、どう来る。
別に、Dカップの胸など期待しちゃいないが。
「童貞だな。」
「は?」
群城の返答は思いもよらぬものだった。
こちらの心を見透かされたか?
「ど、どういうことだよ?間違っているか?」
「いいや、間違ってはいないさ。正解だよ。」
「なら、なんで――」
「背理法を使っているやつは、童貞だ。」
群城の一言に、俺は言葉を失った。
「こんな簡単な問題にわざわざ背理法を使って、相変わらず、童貞丸出しだなあ?本条圭介よ。」
「な、なにいってんだよ!」
そうだった。
忘れていたが、この群城すずは、自称、脱・背理法主義者で、自称、背理法犠牲者の会の会員だ。
教科書の背理法証明を、片っ端から直接証明に叩き直す、いわば証明の女王様だ。
しかし、童貞代表としても、この女王の横暴には黙っていられない。
俺は反論をする。
「確かに、背理法の証明は、分かりづらい傾向がある。√2の無理性とか、背理法でない方が、より短くなるかもしれない。しかし、この『嘘つき問題』とか、あらかじめ『答えが分からない』問題には、背理法によるアプローチが効果的なんじゃないか?」
群城は、俺の追及にも動じず、余裕を見せて笑う。
「カカッ。お前の言う通りだ。未解決問題など、答えが真か偽かも分からない研究においては、背理法は優れた手段であることは認めよう。未知の女を口説くとき、人は誰しも童貞だ。しかしだ、」
群城は、続ける。
「背理法ではない別のアプローチを考えたとき、面白い新たな視点が生まれるのも確かだ。」
「……このクイズを解くのに、他の方法があるのかよ?」
「………………ああ」
群城は、そう意味深につぶやき、顔を俺に接近させる。
いきなりのことに、俺は体が硬直して動かない。
食堂に人はまばらで、2人の周囲には誰もいない。
ふう。。。と、群城の生温かい息が、俺の耳元を刺激する。
心臓の音が向こうに聞こえてしまいそうだ。
若い女の声に、反射的にぞくっとした。
「……グレブナー基底を……使ってね♡」
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