第4話
『無理数と連立方程式』
「れんりつほうていしき?」
環奈が驚いたように聞き返す。
「連立方程式って、x とか、y とか出てくるやつ?」
首を少し傾げながら、俺に確認する。
「そうだ。x や yの式が出てくるものだ。受験とかで散々解いただろ?」
「うん、嫌っていうほど解いたことはあるけど……。あんまり好きじゃないかな。」
「どうして?」
「だって、式を足したりー、掛けたりー、代入したりー……とかして、頭がこんがらがるんだもん。」
「まあ、計算自体は、単純な作業だよ。」
単純、という言葉に少しムッとしたのか、妹は、リスのように軽くほおを膨らませる。
いかん。言葉に気をつけなければ。
「単純といっても、抽象的な x と y という変数を使っているからね。ここで数学を苦痛に感じる人もいるだろう。テレビとかで、恋の連立方程式とかいうように、難しい数学の代名詞の一つとも言える。」
「ああ。友達にも、苦手な人いたかも。」
「いきなり、連立方程式をやる前に、簡単な計算をしてみよう。」
「かんたんな計算って……どうせ難しいんでしょう?」
「1+2は?」
ふえっ。。と、妹は変な声を出す。
「3?」
当たり前だが即答だ。
「
「……さっきから気になってたけど、そのエセクタ!ってなんなの?」
「ああ、これは
「やっぱりいいや。」
「あ、うん、すまん。」
妹に拒否られたら、すぐ謝る。故に侘助。
「では、」
1+2=3
「という数式に別の解釈を与えてみよう。」
「別の解釈?」
「そう。ここで、1という数字を x という変数に置き換える。つまり、」
x = 1
「ということだ。これを少し変形すると、」
x - 1 = 0
「が得られる。ここまではいいかな?」
「うん。右側の1を、左側に、マイナスをつけて持ってきた、ってことだよね?」
「そうそう。」
「このくらいなら大丈夫だよ。」
いくら私でも。という自慢げな言葉が続きそうだ。
「同じように2も y と置く。つまり、」
y = 2
「で、変形して」
y - 2 = 0
「だ。」
「ふむふむ。」
「そして、さらに新しい変数 z を考える。zは」
z = x + y
「と、置くことにする。」
「と、置くことにする。」
妹が真似をする。ちょっとかわいい。
「これも変形すると、」
z - x - y = 0
「となるのだ!」
また繰り返すと思って、語尾に「のだ」を付けてみたのだが、黙って真剣に聞いていただけだったのだが。
別に残念というわけではないのだが、話を進めるのだが。
「これで、3つの変数による連立方程式ができた。」
x - 1 = 0
y - 2 = 0
z - x - y = 0
「なんか文字がたくさんだね。それに3つも式があるし。」
ノートを見ながら妹がうーと唸る。
「でも一つ一つは難しくないだろう?」
「うん、そうかも。」
「連立方程式は、一気に全ての式を見てしまうから、難しいって思ってしまうんだ。」
「なるほどー」
「ここで、この連立方程式の意味を考えてみよう。」
「え、意味なんてあるの?」
妹は、屈託のない困り顔で尋ねる。
どうやら純粋に、数式に意味を考えること自体に当惑しているらしい。
「あるさ。ある目的のために俺たちはこの連立方程式を作ったんだ。」
俺は、ノートの式をやさしく手で包みようにして言う。
「それを確認するために、この連立方程式を z に関して解いてみよう。上のすべての式を足すと、どうなるかな?」
「え。えーと。左側は、」
(x - 1) + (y - 2) + (z - x - y)
= z - 3
「ってなって……右側は、」
0+0+0=0
「だから、0のまま?」
「すると?」
「うーんと、」
z - 3 = 0
「あ、だから、」
z = 3
「ってなるよね?」
妹が正しい答えを導く。
「解けたけど……これって結局なにをしたの?」
「1+2は3だろ?」
「あ、x が1で、y が2だったから、z = x + y の z を求めるって、1+2をしたってこと?」
「その通り。この連立方程式の意味は、1+2を計算するってことだったんだ。」
「……でも、なんか、かんたんな計算をわざわざ難しくしてない?」
妹が不満気味にいうので、そろそろ種明かしをすることにした。
「ここで、大事なのは、『数字』の1と2を、『多項式』の x - 1 と y - 2 に対応させたってことなんだ。多項式に置き換えてから、z つまり x+y を計算した。」
「うん。」
「環奈が言ったように、これはわざわざ整数の計算を難しくしているだけで、はっきり言って無駄だ。」
「そうだよね。」
「でも、無理数の足し算を考えてみたらどうだろう。特に、ピタゴラ数(代数的数)。すなわち、√2とか、√3だ。」
「無理数の?」
俺はノートの連立方程式が書かれたページの下半分に書き加える。
x = √2
y = √3
「今度は、√2と√3を、それぞれ x と y と置いてみる。それぞれに対応する多項式は何かな?」
「……対応する多項式ってなんだっけ?」
「ああ、さっきの話で考えよう。1と2を x と y で置き換えてたとき、次のような対応があった。」
x = 1 ⇆ x - 1 = 0
y = 2 ⇆ y - 2 = 0
「これはOKだよな?」
「あ、うん。式を少し変形しただけだよね?」
「そう。この場合、右側は、『多項式=0』という形になっている。√2 と √3 でも同じように『=0』となるような多項式を見つけたい。」
x = √2 ⇆ ? = 0
y = √3 ⇆ ? = 0
「なるほどね。」
x = √2 ⇆ x - √2 =0
y = √3 ⇆ y - √3 =0
「ってこと?」
妹が 『?』 を消して上から書く。
「あ、言い忘れてたけど、俺たちが扱えるのは、今のところ有理数だけなんだ。」
「有理数だけ?」
「有理数は、電卓使って計算できたろ?今回は、それを利用して、無理数を計算してみようって段階なんだ。だから、√2って無理数はまだ扱えない。」
「小数にしても?」
「小数って?」
「だって、√2 =
「ひとよひとよに……は、あくまで近似値で、数学的には正確な値じゃないんだ。例えば、えーと、√2 = 1.414213562373095048801688724209……てな感じに限りなく続く。」
「あ、そっか。」
「そして、有理数のときにも言ったように、無限に続く数字は、コンピュータでは扱えない。」
妹は納得したようで、うんうんと、何回か頷く。
こういう仕草は、いとうつくしだ。
「そもそも、√2って何かな?」
「えーっと、二乗して2になる数?」
「ということは?」
「…… x の二乗イコール2?」
x^2 = 2
「そう!同じように√3は?」
「yの二乗イコール3か!」
y^2 = 3
俺は、さっきの表に今の結果をまとめながら言う。
「要するに、」
x = √2 ⇆ x^2 - 2 =0
y = √3 ⇆ y^2 - 3 =0
「となるんだ。これの右側は、変数と有理数しか含まれてないよな?こういった多項式は、コンピュータで正確に扱える。だから、√2の代わりに、x^2 - 2 という多項式をコンピュータで使うことにする。 」
「ふーむ。」
まだ、若干戸惑っているようで、眉間にないしわを寄せている。
俺は、様子を見ながら続ける。
「x^2 - 2 のような多項式は、√2の定義多項式と呼ばれる。まさに、x^2 - 2 = 0 という式を解けば、√2が出てくるからだ。」
「ああ。二次方程式だね。」
「同じように、√3の定義多項式は、x^2 - 3 だ。それでは、z = x + y、つまり、√2+ √3の定義多項式を求めてみよう。これは、」
z = √2 + √3 ⇆ ? = 0
「となるような、? に入る多項式を見つけることだ。どうかな?」
「なんとなくわかるかも。」
「この場合だと、さっきみたいにパッと出てこないよね。そこで、次の連立方程式を考えることにする。」
x^2 - 2 = 0
y^2 - 3 = 0
z - x - y = 0
「あ、なんか最初にやったやつと似てるかも!」
「そう。この連立方程式を z に関して解くってことは、z の式だけの方程式を見つけるってことだ。それは、結局、」
「z の定義方程式になる?」
分かっていないようで、妹は予想以上に理解していた。
驚いた。
「じゃあ、さっきみたいに足してみるね!」
と、妹は、俺の返事を待たずとも、勝手に計算を始める。
せっせ、せっせ、と鉛筆を走らす姿は、まじうつくし。
計算をする女の子は誰しも魅力的だ。
「あれ?できない?」
妹の式を覗いてみる。
x^2 - x + y^2 - y + z - 5 = 0
うーん、うーん、とその後も悩んでいたが、頭から煙が出たかのように爆発して、ギブアップを宣言した。
「これ、どうやって解くの?」
「気になる?」
「気になる!」
いい反応だ。これでこそ、教えがいがあるといいものだ。
「ヒントとしては、そうだなあ……。それは……俺が、この世で最も愛するもので、時に、子供のように可愛いくて、時に、父親のように頼もしく、時に、母親のように安らぎを与えるもの、を使えば解けるのさ。」
「………………。」
「つまりは、」
若干引き気味の妹を差し置いて、
ここは、兄らしく、カッコよくセリフを決めようとする。
「グレブナー基底?」
先に言われてしまったが、
そこは、兄らしく、かわいい妹にセリフを譲った。
この際、兄のメンツなどささいなことである。
グレブナー基底を使えば、この連立方程式が解けるのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます