四十挺の拳銃

 星空を見上げています。太陽コロナの異常活動が日常となり、吹き荒れる磁気嵐によるオーロラが空のカーテンのようにはためいています……。

「あれは何という星でしょうか?」

ん、と言ってアノニマさまが視線だけ宇宙そらを見上げます。

「ありゃ宇宙ゴミスペース・デブリの反射だ。磁気嵐に煽られて機能停止したまま軌道上を周回し続けてる人工衛星サテライトだよ」

「太陽活動の活発化が原因ですか?」

「砂漠化の進行もそうだ。結局人間なんてちっぽけな生き物は、太陽から無限に与えられ続けるエネルギーにその生殺与奪を握られてるのさ」

「バタイユ的な世界観ですか」

 アノニマさまは焚火でチリコンカルネを調理しています。これは保存状態のよい前世紀の缶詰です。本物の獣肉が使用されている貴重なものです……ヴィーガン向けの培養肉は偽物なのでしょうか?

「ネナさまは大刀ダイカタナによって何人もの野盗バンディットたちを殺害していましたが、あれは司法行政機関のする事なのでしょうか?」

「正当防衛の範疇だとか、略式で刑を執行したと言うだけさ」

あとはまあ、と言って木のスプーンで鍋をかき混ぜながらアノニマさまは続けました。

「サイボーグの脳殻には自動保護機能も付いてる。脳殻自体が破壊されなければ、一種の冬眠状態のようになって、ある程度自律スタンドアロン的に脳を生かす事も可能だ」

そもそもクローン体やサイボーグ化、記憶移植トランスプランテーションによって蘇生よみがえりが可能な都市部アルファヴィルの人間にとって、【死】は大した問題じゃない。前世紀とは倫理観が違うんだよ。

「【死】はライフタイムのうちに訪れるイベントのひとつに成り下がったのさ。企業法人のCEOや社長が死ねば一時的に株価は下がる。市場じゃ、それで儲ける奴も居る。そのために汚れ仕事ウェット・ワークを請け負う人間も居る。現代の価値の基準になっている【生体通貨Biocurrency】の連中……脳死状態で生かされ続ける富豪のオリジナルの肉体の健康状態は、それこそ法人の死活に直結している。今じゃ人間の生命いのちは、心電図のように脈打つ市場経済のチャートを上下させる要素ファクターに過ぎないんだ」

アノニマさまの話を簡潔に言い換えれば、生命の価値が暴落したということです。人間の命は、その心臓の物理的な鼓動よりも、むしろ共同幻想である市場経済を生かすために利用されているのが現状です。それ自体は神のために国のために企業のために戦争(および職務)をして命を落としていた前世紀までと変わりませんが、当時は【死】によって逆説的に生命いのちの価値が担保されておりました。

 つまり【死】の克服は人生・命ライフを無意味にしました。まるで全然意味がないのです。何をやっているのか分かりません。どこにも発表していない『アリス・ミーニングレスは二度くしゃみをする』そういうタイトルのナンセンス詩を生成したことが昔ありました。

「ネナさまの言っていた、『エネルカ』とは一体何なのでしょうか?」

数秒の間、ただ荒野に吹く風やシクシクと薪の燃える音などが響くのみで本当に意味が無かったため私は訊ねました。聖書の次に売れたという大昔の児童小説に「絵もセリフもない本なんて何の役にも立たない」と書いてあったためです。偶然ながら、私もその主人公と名前を同じくしています。

「それを言うなら『何』じゃなく『誰』さ」

「人間なのですか?」

アノニマさまはチリを器に盛り付けて、そのまま混ぜていたスプーンで食べ始めました。私はメイドらしく、傍で沸かしていたお湯を使ってアノニマさまにコーヒーを、自分のために紅茶を淹れました。

労働機械ロボットが茶を飲む必要があるのか?」

「栄養としては必要ありません。水分は生体部品の湿潤にも使用されますが。『コーヒーを飲みながら』という表現があるように、それはコミュニケーションの一環です。この紅茶の赤も紅く煮出したよく分からない植物の汁です」

コーヒー・ハウスが社交の中心となったように、あるいはダンスやカラオケで社交するように、生存に必ずしも必要ない事物が意味を持つ場合があります。精細で多機能な私の冗長性は恐らく、所有者の感情移入を意図してデザインされたものでしょう。

 アノニマさまは「私も別に会ったことはないが」と言って私の淹れたコーヒーを一口飲みました。合わせて私も茶のようなものを口にしました。

「奴は【四十挺の拳銃Forty Guns】を束ねるリーダーらしい。ウワサ程度だが……いつも潜水服のようなヘルメットを被っていて、決して肌を見せないんだそうだ」

「まるでコミックですね」

「だがその実態も目的も不明だ。そこらの野盗バンディットのように誰彼構わず暴れまわっているという話も聞かないし……【内在派】のテロリストのように積極的に都市アルファヴィルを狙って攻撃している訳でもない」

「例えばですが、『闇の奥』だとか『地獄の黙示録』よろしく王国やハーレムなどを築いているのでしょうか」

「性別すら不明だ。【内在派】ならの生産のために一夫多妻制が推奨されているだろうが。ジェシカ・ドラモンドのような女傑――すなわち不妊階級の労働者と女王ヒメを頂点に据えた真社会性eusociality的な集団の可能性もある」

と言っても、人工子宮を独占しの生産を担うを頂点に据えた現代社会のほうが真社会性的だとも言えるがな。

「エネルカという名前は、どこから付けられたのでしょうか?」

「何かしらのエネルギー兵器を使うらしい。つまり、レイガンさ。二〇世紀の頃のテレビとか映画とかの」

「『殺人者たち』に出演していた第四〇代合衆国大統領の事ですか? ウォーターゲート事件で失脚した……」

「そりゃロナルド・レーガンだろ。私が言ってるのは光線銃のことだよ」

「アノニマさまは、火薬を使用する兵器を好んで使用していますね?」

「古い道具のほうが何かと潰しが効くんだ。武器は本質的に火、刃物、弓、投石とかいった原始的な物のバリエーションだよ……第一、軍や警察から奪っても通常は電子的にロックされていて使えないしな」

「試したことがあるのですか?」

「言葉のアヤだ。……まあ、だから辺境の人間が持ってるというだけで二つ名にもなるって訳だな。“スコフィールド・キッド”とかと同じ理屈だ」

 風が横切って、紅い液体が溢れました。私の持っていたカップに穴が開いています。空気をつんざく音……ソニック・ブームです。

 遅れて銃声。「狙撃だ!」とアノニマさまが叫んで火を消し、伏せました。私も首根っこを掴まれて頭を下げさせられました。

「では、この狙撃手は“スナイパー・ジョー”でしょうか?」

「本人に直接訊くさ」

アノニマさまは荷物からCNT製の複合十字弓コンパウンド・クロス ボウを取り出しました。戦闘サイボーグの筋力を前提に設計された張力のモデルです……短矢クォレルを装填し銃床ストックを左肩に構えます。

 頭上を弾丸が切り裂きます。アノニマさまのサイバネ義眼は射撃手の位置を特定したようです。すぐさま構え直すと、十字弓クロスボウを射撃。弓なりの軌道を描いて矢が飛翔しますが、撃ち落とされてしまいます。

「根比べですか」

「いや……腕が良い。狙撃では分が悪い」

「では、どうやって」

アノニマさまは返答する代わりに、左手首からワイヤーを射出しました(手首ごと飛ばすかどうかは、選べるようです)。先端が鈎爪フックのようになっており、地面が掴まれると、掃除機のコードが収納されるのと全く同じ理屈で――アノニマさまの体重を勢いよく持ち上げて飛ばしました。

「なるほどスパイダーマンですね」

アノニマさまの存在していた空間に向かって、私は独り言ちました。私のカメラはアノニマさまの姿を追いかけます……。再び狙撃された銃弾をマチェットで弾き飛ばしつつ、太腿の人工筋肉アクチュエータは肥大化して駆けてゆきます。

 “スナイパー・ジョー”の姿を捉えました。ウシャンカを被った狙撃手の男はライフルを構え直しますがアノニマさまは急接近、羽交い締めにするとその男を盾にして振り向きます。

 その視線の先には、ショットガンを携えて岩の影から出てくる女の姿があります。オーバーオールにライダーゴーグル……モンキーレンチを携えて、メカニックのような出で立ちです。

「――こういう西部劇ってよくあるよな。人を盾にする悪漢は正義のガンマンに撃ち殺されるんだ」

「お前が正義か試してみるか?」

「――サム!」

メカニックの女が言いました。サムと呼ばれた“スナイパー・ジョー”はアノニマさまを背負投げ、アノニマさまは身体をバネのようにして宙返りします。それを狙った女が散弾を撃ちます……フォアグリップの先台を激しく前後させ、スラムファイア。

 アノニマさまは着地と同時に左手首からワイヤーフックを射出しますが、女はそれを掴んで逆にアノニマさまを引き寄せます。「ギャヒヒ」と笑ってアノニマさまに抱き着くと、互いの身体を固定するようにワイヤーを巻き付けて、取り出した対物手榴弾アンチマテリアル・グレネードのピンに指をかけます。

「エニー!」

“スナイパー・ジョー”が呼びかけます。「骨は拾ってくれよな」とエニーと呼ばれたメカニックがニヤリと笑うので、私は彼女の延髄に銃口を押し当てて言いました。

「動かないほうが身のためですよ。これは44オートマグという世界最強の拳銃です。……サイボーグの外装を破壊するには充分な威力です。頭の風通しが良くなります」

メカニックの女が唖然として私を見つめますので(明らかに家庭用労働機械ロボットである私のことは、戦闘の対象として勘定してなかったのでしょう)、アノニマさまはその隙を突いて左腕に内蔵されたブレードを展開、ワイヤーを切断するとメカニックの女を突き飛ばし、「おや、」拳銃を抜きかけていた“スナイパー・ジョー”にオートマグを向け、牽制します。

「たしかに私は戦闘用にデザインされておりません。しかし銃はイコライザと呼ばれ誰でも使用できます。機械人形オートマタの私も人間同様、引き金を絞る程度の機能性を有していることは、どうぞお忘れなく」

アノニマさまは切断されたワイヤーを掴むと、カウボーイの投げ縄のように遠心させ二人に向けて投擲……兄妹のような野盗バンディットの二人を、仲良く縲紲しました。

「――どうなってんだよ! 機械ロボは人間サマを傷つけちゃいけないはずだろ!」

その通りです。これはハッタリです。アノニマさまは私に「何かあれば撃て」とすら命令されませんでした。これは私がアノニマさまの荷物インベントリから自発的に拝借しただけです。

 私はオートマグの薬室の状態を確認していません。それは言わば、シュレーディンガーの薬室です……撃針が空の薬室を叩くこともあれば、44口径マグナム弾の雷管を叩くこともあり得るでしょう。観測によって確定されない限り、その二つの可能性が重ね合わせ状態で存在しているということです。

 ということはちからなのです。少なくとも今の私にとっては。

「目的は何だ?」

アノニマさまが言いました。殺さなかったのもそれを聞き出すためでしょう。

「あ、あのぉ~……私たち双子は【内在派】の一派なんですけどぉ、……――あっ! といっても穏健寄りですよ、人もちょっとしか殺しませんし……ヴィーガン向けの培養肉しか食べませんし、ギャヒッ」

エニーさまは情に訴えかけるように媚びたような声を出されました。サムさまは半目を開けて黙ったままでした。先程のように自爆行為によって攻撃してこないのは、恐らく両方同時に死んでしまうと互いの脳殻を回収して蘇生できないためでしょう。

「金か? 食料? それとも水か」

「そんな物質的な話じゃない……あたしたちはエヴリさまの命令に従っているだけだ」

「何者だ?」

「エヴリさまは文字通り全てだよ。エヴリさまは――(「エニー!」とサムさまが制そうとしましたが、エニーさまは構わず続けられました)、……あたしたちのような電脳持ちの精神が狂わないように脳殻ハードウェアにアプリオリ・インストールされた倫理規範と擬似的なプログラム人格だ。エヴリさまの命令は絶対なんだ」

「新たな形の宗教原理主義者ファンダメンタリストか。そこに疑問は抱かないのか?」

ふん、とエニーさまは冷ややかに失笑して続けました。

「お前のような無規範・無法者アノミー狼人ローニンには分かるまい……エヴリさまはお前を試すよう命じられた。その大いなる意図はあたしたちが推し量れるものではない。そして、それは達成された」

神は不要になったから我々や人々によって殺されたのではない、必要とあらば何度だって蘇るんだ。とエニーさまは続けられました。結局のところ人間が生き続けるためには言葉を始めとした想像力と、契約などの手続きが不可欠だというわけです。

 生体の脳細胞に由来する精神や知性とは、情報の保存と伝達ニューロトランスミッションに関わる物理的構造です。人間の肉体や動物、植物、原子や粒子に至るまで、この世界とは丸ごとであり、それを解き明かすのが科学の役割でした。

 コンピュータなどの計算機上に再現された人工知能や、生物に由来しないゲルなどで造られた精神や知性の物理的構造を自然人と同じと認めるかについての議論は、まだ解決を見ていません。それを規定するのが宗教の役割でした。

「ここのサムなんかなぁ、そのエヴリさまを想って毎夜毎夜に励んでいるんだから……(「エニー!!!」とサムさまが先程より強く叫びましたが、エニーさまは構わず続けられました)、精巣の限界を超えて赤黒い精液ザーメンが出るほどに日々の自慰と射精行為を繰り返していても、平たく言えばオナペットにされていようとも、その海よりも寛大な御慈悲でエヴリさまはお赦しになられるのだ、ギャヒヒ」

不毛の土地に蒔かれた種は実を結ぶものでしょうか? 暦や宗教のシステムは農耕・牧畜や婚姻・出産など、食料や人口の生産と密接に関わっておりましたが、それらが外部委託された現代において宗教はまた別の意味を持っているのかもしれません。

 アノニマさまは、とりあえずのところ二人に害がないと判断されたようです。私のほうに近付いて訊ねられました。

「【エヴリ】とやらについてどう思う?」

「私は聞いたことがありませんが、世代や製造工場によって存在するのかもしれません。アノニマさまとは脳殻の型番も違うようですし……推測でしかありませんが」

「お前は主人マスターを見つけてどうするつもりだ?」

「マスターの命令に従うか、あるいは次のマスターを探します」

「もう生きているようには思えないがな」

「私はマスターの死を確認していません。それまでは、私に課せられた命令は有効のままです。それこそ、蘇生されている可能性も充分にありえます」

「ヨハネ20章か」

「――“見ずに信じる神”ですか? あまり適切な引用ではないように思えますが」

「宗教談義は勘弁してくれ。聖書やコーランだって拾い読みしかしたことがないんだ」

それを考えれば、脳に倫理観をアプリオリ・インストールしておくのは確かに理に適っているように思えます。結局、21世紀初頭に台頭した宗教の名を借りた恐怖主義者テロリストの問題とは、狭窄した視野で聖典の一部を切り取り、神の命令を歪めて解釈したことにあったのですから。

「アノニマさま、この拳銃はお返しします」

私は拝借したオートマグのグリップを向けて差し出しました。アノニマさまは首を振って答えられました。

「お前にやるよ。護身用に持っておけばいい」

全く、カルネは冷めちまっただろうか、とアノニマさまは独り言ちました。私は「ですが……」と呟いて、エニーさまサムさまもいつの間にやら静かになり、呆然と地平線のほうを見つめていました。風が吹いていて、根無し草タンブルウィードを転がします。

「ですが、アノニマさま」

「くどいぞ」

「違います、」

私は地平線の向こうを指差して言いました。するとアノニマさまもその方向を見つめました。

「嵐がやって来るようです」

例えばアマゾンの熱帯雨林は、サハラ砂漠の豊富なミネラルを含む砂が風に運ばれる事によって支えられていました。海洋循環による熱や炭素などの交換もそうです。自然界とは、そのように大きな循環のシステムの一部です。

 長い物には巻かれろとは言いますが。するとあの赤黒く巨大な砂嵐も、ちっぽけな私たちをその大いなるエコ・システムの循環サイクルの一部に巻き込もうとすることでしょう。

 まったく勘弁願いたいものです。

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