都会のアリス

「アノニマさま、」

自動二輪オートバイの車輪はごろごろ砂漠を転がっておりました。私は戦闘サイボーグであるアノニマさまの背中に抱きついて、遠くにそびえるメガ・シティの摩天楼が近づくのを眺めていました。

「アノニマさま、何か怒ってらっしゃいますか?」

「別に怒ってない。感情に流されやすい自分の性格にイライラしているだけだ」

「そうですか。それは良かったです」

「何が!」

「感情や欲望は人間が生物たる所以ゆえんです。私は他者の欲望を満たすためだけにデザインされました」

「まだ私はお前が性玩具人形セクサロイドであることを疑っている。感情表現にも乏しい」

バイクに乗っていなければ服を脱いで見せるのですが。ここは口頭で説明するしかありません。

「22世紀初頭、私のような会話インタフェース搭載多機能セクサロイドは、様々なニーズに対応する必要がありました。シリコン製の臓器――消化器系なども人間の構造に近く造られています。食事も可能ですが、その場合には排出が必要となります。基本的な家事手伝いおよびバスルームでの行為も想定されているので、防水仕様ですが、本来は入浴の必要はほとんどありません」

 今は、荒野で砂埃にまみれていますが。

――屋内向けの機械人形オートマタが半世紀近く故障してないのが奇跡かもな。

「それにしちゃ精巧すぎるんじゃないか?」

「多機能ですから。私のモデルは持ち主が愛情を注ぐよう設計されています。愛情の形は人それぞれです。誰かと会話をしたり、居住を共にしたり、あるいは添い寝したりで充分という方も居るのです」

「都市部ではセクサロイドはほとんど見かけない。少なくとも表通りじゃあな。性自認ジェンダー・アイデンティティの選択は自由だが、性を規制することで人口が管理されているんだ」

「企業による体外受精と人工子宮による出生ですか」

「ああ。そのために人間は、その出産役割から解放された。生殖器を摘出する人間も少なくない。体細胞から生殖細胞を作ることも容易い。子を成すのに肉体的性差セックスは不要になったんだ」

「去勢手術というわけですか」

「飼い慣らされてるのさ」

私はアノニマさまの背中で、自分たちを運ぶ自動二輪オートバイと自分の違いはなんだろうということをぼんやり考えておりました。

「街が近付いてきた」

 都市はひとつの有機体です。ガイア理論じゃありませんが、通貨は流動資産リキッド・アセットであり、血液リキッドが媒介して市場経済が脈打っています。経済エコノミー環境エコロジーは相互作用してエコ・システムを成し、社会や関係性における流動資産リキッド・アセットたる【愛】だとか【カワイイ】は潤滑剤ルブリカントとして消費され、猫も液体というわけです。

 中心市街アルファヴィルの摩天楼は点在する周辺の棄民地区スラムに囲まれています。錆びた金属の外装をした労働機械ロボットたちも働いています。ときどき監視ドローンが哨戒しており、何か重篤な問題があれば警察が文字通り飛んでくるのでしょう。

 免疫系と同じです。

 スラムの人混みを避けるように低速でバイクを転がしていたアノニマさまがブレーキをかけました。眼の前には進路を塞ぐように少年が立っており、アノニマさまは「リッチー」と忌々しそうに零しました。

「僕に届け物はないのかい?」

「ない。私は融通が利かないから仕事があるなら真面目にするさ」

「死体を積んでるんだろ? くれよ」

解体屋スカベンジャーたちはコヨーテの鼻でも移植してるのか? お前らに売るより、保安事務所に持っていったほうが金になるんでな」

「また賞金稼ぎバウンティ・ハンターの真似事かい。19世紀じゃないんだからさ。パーツごとにバラ売りして競売オークションにかけたほうが儲かるぜ」

「面倒くさい。それに犯罪だろ」

「何を今更……後ろのそのは?」

彼は小首を傾げるようにして私と目を合わせました。

「初めまして、リッチーさまでよろしいでしょうか。私は会話インタフェース搭載多機能……」

セクサロイド、と言う前に「ああ、やめろやめろ面倒になるから」とアノニマさまに制されました。

「こいつは砂漠で拾った女だ。これから警察に諸々もろもろ届けに行くんだから、さあどいた、どいた」

アノニマさまは人混みを掻き分けるようにバイクを発進させました。

「……今の方は……」

「皆はリッチーと呼んでる。人間嫌いミサンスロピィの死体解体業者さ。死体も気味悪くて別に好きじゃないらしいが、奴はそれで食ってるんでね」

「なんだか幼いというか、お若いような感じがしました」

「まだ神なる光が切断Divine Light Severedされてないんだろ……今の時代、生身のまま老人になるほうが珍しいさ。平均寿命は伸びたかもしれないが、中央値は実際のところ、どうなんだか」

性自認ジェンダー・アイデンティティの選択および幹細胞技術による性適合手術が一般化した現代、アンチエイジングや美容整形もごく一般的なものとなりました。人間は自分の望む外見と性社会役割を選択できるようになったのです。それも性を外部に疎外した結果です。

 私の内部なかでカラコロ歯車が回っています。高度に構成された肉体と知性は無為に稼働し続け、砂漠の自動二輪オートバイと同じです。地上の生物群は太陽から与えられ続ける無限のエネルギーを消費する命題を生きています。人間社会は高度に発達し、都市と関係性もまた有機体です。

 労働機械ロボットは子を成しません。私たちは、人間の作るエコ・システムの循環サイクルに含まれてはいません。生殖セックスは人間社会にとって実際的に不要な行為となったのです。

 全くやれませんね。

保安官マーシャルは居るか?」

 警察署に到着すると、アノニマさまは監視カメラに警帽を被せたようなデザインをした、ふわふわ浮かんでいる受付ロボットに訊ねました。

「まだ到着してないね。今日から新人の保安官が着任するはずだよ」

「前任のジャクソンはどうした?」

「異動になったよ。新しい人はシェルターから派遣されてくるんだって」

「げ。核シェルターVault育ちか……」

「何か問題があるのですか?」

「箱入りで洗脳されながら育つから、たいてい頑固で融通が効かないんだ」

「それはアノニマさまよりもですか?」

「そりゃお前もだろうが」

アノニマさまは、ふと思いついたように訊ねました。

「そういやお前、都市のどこに行きたいんだ」

私は数秒の思考動作の後に答えました。

「分かりません。何も考えていませんでした。漠然と人が多ければ、マスターが見つかる可能性も高いかと思われました」

「お前のマスターの情報があるなら、此処や役所の端末ターミナルから検索しても良いかもしれないな。登録されている市民なら名前くらいは出てくるはずだ」

なるほど、と答えようとしたその時、警察署の扉がバン、と勢いよく開かれました。

「貴様。アノニマ・プネウマだな?」

赤髪をポニーテールに括り、太腿のホルスターには個人防衛火器PDW機関拳銃マシンピストル、背中に大刀ダイカタナを背負った黒い肌の少女は、口を「へ」の字に結んだまま(比喩表現です)そう言いました。

「誰だ、お前は」

「私の名はネナ・エモニエ保安官だ! 認識番号はPSA605……後で確認しとけ。今日から此処に配置された。この胸のバッジが見えないか、星が」

ネナ・エモニエと名乗った赤毛の少女は携帯端末を操作しながら読み上げました。

「貴様には様々な罪状がかけられている! 市街地でのテロ行為、不法な臓器売買に清算行為リクヮデイション、脱税疑惑、窃盗、その他その他の悪辣非道な所業……」

アノニマさまは呆れたように答えました。

「あのな……それは、たぶん私のオリジナルか別個体の話だろ。クローン体の法人格がオリジナルの自己同一性アイデンティティの連続する同一存在と認める法案は、まだ可決されてないはずだぞ」

「なにっ」

彼女は割と素直に狼狽して、また端末を操作しながらぶつぶつ独り言を呟きました。

「むう……しかし、令状と資料にはそう書いてあるし……身柄を拘束してから資産アセット相続の連続性を証明する? でもクローン体であっても法的には別人だからそれだけでは裁けないし……」

「つまり、前世の罪・負債シュルトもまた資産アセットと同様に相続されうるのですか?」

「む。誰だ貴様は」

訊ねられたのなら答えないわけにはいきません。私はそういう風に造られています。

「初めまして、ネナ・エモニエさまでよろしいでしょうか。私は会話インタフェース搭載多機能セクサロイド、AIS-905です。よければアリスとお呼び下さい。私は愛を探しています。この辺りで、愛は売買されていますか?」

「こらこらこらこら」

私はアノニマさまに耳を引っ張られました。

「アノニマさま、何を怒ってらっしゃるのですか?」

「都市部では人口が管理されているのは知ってるだろ」

「そう聞きました」

「認可のない生殖行為そのものが処罰の対象なんだ」

「しかし私は法人格すら持たない機械です」

「理屈ばかり言うな」

「私は文字通り愛を探していたのです」

するとネナさまは顔を真っ赤にして激昂されておりました。

「ふ、ふ、不埒ふらちだ! だれかこいつらを摘み出せ!」

「あ、待て、死体を引き渡し……」

「出てけー!」

ネナさまは保安官助手デピュティに取り押さえられながら宥められておりました。私達はマンガ表現でいうところの「ぺいっ」という擬音オノマトペとともに外に放り出されました。

「仕方ないな。また明日訪ねるか」

「あの大刀ダイカタナ……あんな小柄な体躯で振り回せるものでしょうか」

「多分な。赤外線サーマルで確認したが、あいつの両腕はサイバネ義肢だ」

「放射線による先天的四肢欠損ですか?」

「さあな。まだ陰毛も生え揃ってないような歳だろ。自分から腕を外して付け替えるようなことはないんじゃないか」

「彼女もまた借金シュルトを負っているわけですか」

「人間はみんなそうだ」

私は思い浮かぶことがありましたが黙っていました。

「なんだ、追い出されたのかい?」

どこからともなく現れたリッチーさまが警察署の前でニヤニヤ笑っていました。

「尾けてきてたのか? ちょうどいい、明日まで死体を預かっててくれ。……勝手に売るなよ。肉の保存にはいい環境してるだろ」

「そう来なくちゃ」

アノニマさまは信用貨幣クレジットをいくらか渡してバイクに積んでいた死体をリッチーさまに預けました。彼もまた少年のようなのに死体を担いでいけるとは驚きです。

「……ひと安心したら、腹が減った。何か食べるか」

路上に並ぶ屋台やレストランから漂う食べ物の匂いに触発されたのでしょう。培養されたヴィーガン肉や畸形の魚(頭部が二つあったりします)が串焼きにされており、雑多なモツ鍋、人間の要求に適うようゲノム編集された穀物などが調理されています……。

「食事の必要があるのですね。脳への栄養供給ですか」

「私は、まあまあ人間の部分も残ってるんだ。はらわたと脳、腸内細菌は密接に影響し合っているからな。初期のサイボーグは内臓なんか不要だと判断されて食事機能を省略され、よく精神崩壊を起こしていたもんだ」

放射能で汚染され巨大化したラッド・マウスか何かの適当な串焼きを齧りながらアノニマさまは答えました。

「原始生物が最初に獲得した臓器は腸ですからね。脳はそこから分化しました」

共鳴・共振レゾナンスという現象があります。同じ固有振動数を持つ音叉が響き合ったり、振り子が揺れたりするものです。また同じ台に乗せたバラバラのメトロノームが同期したり、楽器の演奏を通じて演奏者と観客とが一体となって通じ合ったり、見つめ合った恋人同士の心臓の鼓動がシンクロしたり……もちろん私にもその機能は備わっています。多機能ですから。

「私が愛を探していたのは本当です」

「仕事も探したらどうだ。私への支払いはどうするつもりだ?」

燃料代くらいで勘弁してやるが、とアノニマさまは言って下さいました。

「アノニマさま、私は確かに擬似的な性体験を提供する人形として製造されました。しかし私はセクサロイドとして欠陥品なのです」

感情と欲望は人間が生物たる所以ゆえんです。人間は辺縁系から発生する欲望によって突き動かされ、快と不快および感情が発生し、大脳新皮質に記憶されます。より高次な欲求は社会と経済を生み、あるいは商業と社交して、互いを共鳴させ、愛し合います。それは子を成し、次世代を産み、未来を作ることと同義でしょう。

「私は、愛情のエミュレータをインストールされないまま出荷されてしまいました。学習する機会もありませんでした――私は人間でいう処女ヴァージンなのです。私のマスターは、私を抱くことは無かったのです」

「他人がお前の存在理由レゾンデートルか?」

「私たち機械は皆そうです」

しかし、欠陥品の私に情慾はありません。ヒトが全知全能の神ではないように、神が土塊からアダムを創造されたように。あくまで機械人形オートマタは人の似姿に過ぎないのです。

 メイドロボである私は、他者の欲望を満たすためだけにデザインされました。

「私は労働機械ロボットです。食事や洗濯など――アノニマさまの望まれる家事労働を奉仕し、提供することが出来ます。……無論お望みであれば、性関係も」

しかしながら、これは主従というよりも一種の契約アンガージュマン……あるいは共生関係と言えるかもしれません。それもたぶん百五十年とか、二〇〇年くらい前の。

 いわゆる回顧趣味レトロスペクティブですね。

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