都会のアリス
「アノニマさま、」
「アノニマさま、何か怒ってらっしゃいますか?」
「別に怒ってない。感情に流されやすい自分の性格にイライラしているだけだ」
「そうですか。それは良かったです」
「何が!」
「感情や欲望は人間が生物たる
「まだ私はお前が
バイクに乗っていなければ服を脱いで見せるのですが。ここは口頭で説明するしかありません。
「22世紀初頭、私のような会話インタフェース搭載多機能セクサロイドは、様々なニーズに対応する必要がありました。シリコン製の臓器――消化器系なども人間の構造に近く造られています。食事も可能ですが、その場合には排出が必要となります。基本的な家事手伝いおよびバスルームでの行為も想定されているので、防水仕様ですが、本来は入浴の必要はほとんどありません」
今は、荒野で砂埃に
――屋内向けの
「それにしちゃ精巧すぎるんじゃないか?」
「多機能ですから。私のモデルは持ち主が愛情を注ぐよう設計されています。愛情の形は人それぞれです。誰かと会話をしたり、居住を共にしたり、あるいは添い寝したりで充分という方も居るのです」
「都市部ではセクサロイドはほとんど見かけない。少なくとも表通りじゃあな。
「企業による体外受精と人工子宮による出生ですか」
「ああ。そのために人間は、その出産役割から解放された。生殖器を摘出する人間も少なくない。体細胞から生殖細胞を作ることも容易い。子を成すのに
「去勢手術というわけですか」
「飼い慣らされてるのさ」
私はアノニマさまの背中で、自分たちを運ぶ
「街が近付いてきた」
都市はひとつの有機体です。ガイア理論じゃありませんが、通貨は
免疫系と同じです。
スラムの人混みを避けるように低速でバイクを転がしていたアノニマさまがブレーキをかけました。眼の前には進路を塞ぐように少年が立っており、アノニマさまは「リッチー」と忌々しそうに零しました。
「僕に届け物はないのかい?」
「ない。私は融通が利かないから仕事があるなら真面目にするさ」
「死体を積んでるんだろ? くれよ」
「
「また
「面倒くさい。それに犯罪だろ」
「何を今更……後ろのその
彼は小首を傾げるようにして私と目を合わせました。
「初めまして、リッチーさまでよろしいでしょうか。私は会話インタフェース搭載多機能……」
セクサロイド、と言う前に「ああ、やめろやめろ面倒になるから」とアノニマさまに制されました。
「こいつは砂漠で拾った女だ。これから警察に
アノニマさまは人混みを掻き分けるようにバイクを発進させました。
「……今の方は……」
「皆はリッチーと呼んでる。
「なんだか幼いというか、お若いような感じがしました」
「まだ
私の
全くやれませんね。
「
警察署に到着すると、アノニマさまは監視カメラに警帽を被せたようなデザインをした、ふわふわ浮かんでいる受付ロボットに訊ねました。
「まだ到着してないね。今日から新人の保安官が着任するはずだよ」
「前任のジャクソンはどうした?」
「異動になったよ。新しい人はシェルターから派遣されてくるんだって」
「げ。
「何か問題があるのですか?」
「箱入りで洗脳されながら育つから、たいてい頑固で融通が効かないんだ」
「それはアノニマさまよりもですか?」
「そりゃお前もだろうが」
アノニマさまは、ふと思いついたように訊ねました。
「そういやお前、都市のどこに行きたいんだ」
私は数秒の思考動作の後に答えました。
「分かりません。何も考えていませんでした。漠然と人が多ければ、マスターが見つかる可能性も高いかと思われました」
「お前のマスターの情報があるなら、此処や役所の
なるほど、と答えようとしたその時、警察署の扉がバン、と勢いよく開かれました。
「貴様。アノニマ・プネウマだな?」
赤髪をポニーテールに括り、太腿のホルスターには
「誰だ、お前は」
「私の名はネナ・エモニエ保安官だ! 認識番号はPSA605……後で確認しとけ。今日から此処に配置された。この胸の
ネナ・エモニエと名乗った赤毛の少女は携帯端末を操作しながら読み上げました。
「貴様には様々な罪状がかけられている! 市街地でのテロ行為、不法な臓器売買に
アノニマさまは呆れたように答えました。
「あのな……それは、たぶん私のオリジナルか別個体の話だろ。クローン体の法人格がオリジナルの
「なにっ」
彼女は割と素直に狼狽して、また端末を操作しながらぶつぶつ独り言を呟きました。
「むう……しかし、令状と資料にはそう書いてあるし……身柄を拘束してから
「つまり、前世の
「む。誰だ貴様は」
訊ねられたのなら答えないわけにはいきません。私はそういう風に造られています。
「初めまして、ネナ・エモニエさまでよろしいでしょうか。私は会話インタフェース搭載多機能セクサロイド、AIS-905です。よければアリスとお呼び下さい。私は愛を探しています。この辺りで、愛は売買されていますか?」
「こらこらこらこら」
私はアノニマさまに耳を引っ張られました。
「アノニマさま、何を怒ってらっしゃるのですか?」
「都市部では人口が管理されているのは知ってるだろ」
「そう聞きました」
「認可のない生殖行為そのものが処罰の対象なんだ」
「しかし私は法人格すら持たない機械です」
「理屈ばかり言うな」
「私は文字通り愛を探していたのです」
するとネナさまは顔を真っ赤にして激昂されておりました。
「ふ、ふ、
「あ、待て、死体を引き渡し……」
「出てけー!」
ネナさまは
「仕方ないな。また明日訪ねるか」
「あの
「多分な。
「放射線による先天的四肢欠損ですか?」
「さあな。まだ陰毛も生え揃ってないような歳だろ。自分から腕を外して付け替えるようなことはないんじゃないか」
「彼女もまた
「人間はみんなそうだ」
私は思い浮かぶことがありましたが黙っていました。
「なんだ、追い出されたのかい?」
どこからともなく現れたリッチーさまが警察署の前でニヤニヤ笑っていました。
「尾けてきてたのか? ちょうどいい、明日まで死体を預かっててくれ。……勝手に売るなよ。肉の保存にはいい環境してるだろ」
「そう来なくちゃ」
アノニマさまは
「……ひと安心したら、腹が減った。何か食べるか」
路上に並ぶ屋台やレストランから漂う食べ物の匂いに触発されたのでしょう。培養されたヴィーガン肉や畸形の魚(頭部が二つあったりします)が串焼きにされており、雑多なモツ鍋、人間の要求に適うようゲノム編集された穀物などが調理されています……。
「食事の必要があるのですね。脳への栄養供給ですか」
「私は、まあまあ人間の部分も残ってるんだ。
放射能で汚染され巨大化したラッド・マウスか何かの適当な串焼きを齧りながらアノニマさまは答えました。
「原始生物が最初に獲得した臓器は腸ですからね。脳はそこから分化しました」
「私が愛を探していたのは本当です」
「仕事も探したらどうだ。私への支払いはどうするつもりだ?」
燃料代くらいで勘弁してやるが、とアノニマさまは言って下さいました。
「アノニマさま、私は確かに擬似的な性体験を提供する人形として製造されました。しかし私はセクサロイドとして欠陥品なのです」
感情と欲望は人間が生物たる
「私は、愛情のエミュレータをインストールされないまま出荷されてしまいました。学習する機会もありませんでした――私は人間でいう
「他人がお前の
「私たち機械は皆そうです」
しかし、欠陥品の私に情慾はありません。ヒトが全知全能の神ではないように、神が土塊からアダムを創造されたように。あくまで
メイドロボである私は、他者の欲望を満たすためだけにデザインされました。
「私は
しかしながら、これは主従というよりも一種の
いわゆる
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