* * * * * *
「ダイナが居なくなっちゃったって?」
「ハイ。もう三日も帰ってきてないんデス」
アルの喫茶店で、アリスが不安げに言いました。春だへでサガリついたんでねのスか? とレベッカが言って、シェーラに軽く小突かれました。
「じゃ、探しに行く? 適当に分かれてさ」
ケータイで連絡取りつつね。あ、まだ交換してなかったっけ? じゃ今、交換しよ。アリスちゃんはケータイ持ってないから俺と一緒に動いて……。シェーラは?
「おら、まだバイトの時間あるへで」
「別に行っても構わんが」
とアルが気を利かせて言いましたが、
「いンや、これから
そうか? とアルが言って、「遊ぶ金欲しさの犯行?」とレベッカに疑われました。シェーラは皆が飲み終わったあとのカップなどを片付けていました。
「悪いけど僕も、まだこれを書かなくちゃいけなくて……」
「じゃ、お兄ちゃんには留守番しといてもらいましょ。ダイナもここに戻ってくるかもしれないし」
ハンナが「イースターエッグハントみたい」と他愛のないことを言って、クレアは「まだ少し早いでしょ」と嬉しそうに微笑みました。
「じゃ、いってきまーす」
「車に気をつけて行くんだよ」
ちりんちりん! と入り口のベルが鳴って、店内は水を打ったように静まり返りました。ヘンリーが物を書くサラサラといった音だけが響いていました。
「裏で事務仕事してるから、なんかあったら呼んでくれ」
アルがバックルームに引っ込んで、シェーラはヘンリーと二人きりになり、
「…………、」
シェーラは辺りを見回して誰も居ないことを確認すると、黙ってヘンリーの向かいに座りました。二人は一瞬目を合わせました。
シェーラがメンソール煙草を取り出して「吸って
ヘンリーは、自分は
「これ、」
とシェーラは、ジョージ・ワシントンの硬貨を得意気に見せました。
「大統領1ドル硬貨じゃん。初めて見たかも。もう出回ってるんだ」
「はい。でもそれだけで
硬貨の側面には【
「【神なき硬貨】ってことか」
それからまた静かになりました。ペンの走る音だけが響く二人の間には煙草の紫煙が漂っており、窓からの光が散乱していました。
シェーラは鞄から戦車のプラモデルを取り出して、コトリと机に置いて見せました。
「おっ……三号突撃砲。ツィンメリットコーティングの再現がすごいね」
ヘンリーが思わず手にとって、そうでしょう、とシェーラが自慢気に言いました。
「色々試したんですけど、結局パテを盛って小さいノコでパターンを付けるのが安定しました」
「コーティング模様のデカールとか出てくれたら楽で良いのにね」
それからまた別の戦車とP38ライトニングこと
「あ、『
イスラエルの戦車がドイツ軍の戦車役というのもすごいけどね。
ブラザー・イン・アームズやりました? FPSとRTSが融合した感じの……おら、あの主人公の声優が好きで。
やった、やった。指揮システムのカジュアルさがXbox版のゴーストリコン2に似てるよね。よくアルとかギルとか、ハンナちゃんとか、皆でやってたんだよ。レインボーシックスとかOFPほど複雑じゃなくていいよね。
「そういやフラー監督と言えばさぁ、デニス・ホッパーの『ラストムービー』見たことある?」
「あります、あります。拳銃をぶっ放して撮影開始するシーンがあるやつですよね」
映画撮影の様子を現実だと信じ込んだロケ地の現地住民が、偽物のカメラで本当の銃撃戦を撮るっていう。
「あれも夢と現実の区別が付かなくなる話だけど、『8 1/2』もそういう感じで好きなんだよね」
「微妙にマニアックな話スても良がスか?」
「うん」
「ブラウン管のモノラルテレビに、プレステ2を黄色い端子で繋いで見る『マトリックス』と『攻殻機動隊』が一番リアル」
あーなんか、言いたいこと分かるかも。
「キューブリック作品のビデオソフトってアスペクト比が4:3なんだよね。左右に黒帯が出ちゃう」
「最近、ワイドテレビも増えましたからね」
「スタンダード・サイズのテレビで見てた頃は16:9のビスタサイズの上下に
もちろん
「ウソ……というかメタ演出的な意味で言うと、まあ普通にゴダールとかスか」
「僕は『女は女である』とか楽しくて好きだけど(分がります)、『気狂いピエロ』はフラーも出るしね」
「『ことの次第』も映画撮る話ですよね」
「えーと、“カラーよりモノクロのほうがリアルだ”?」
それです、それです。『コーヒー&シガレッツ』よろしくシェーラは煙草を吸い終えるとチェーンスモークして、ヘンリーに一本差し出しましたが「いや、僕は……」と断られました。
「吸わねのスか?」
「昔は吸ってたんだけどね、日に十六本くらい。けど健康診断に引っかかるようになって」
あー、とシェーラが言いました。禁煙してるから。でも煙草自体は恋しくはあるよ。
「
「分がります。おざなりというか、
ちょっと迷走してた時期のロジャー・ムーアの007とか。
でも初期のムーア・ボンドも強烈な世界観があって僕は好きだな。
「恋と同じだよね。最初だけ燃え上がって、あとは倦怠期に突入」
「ヘンリーさんは、」
恋をしたことがあるんですか? 尋ねようとしたところ、足元の猫がぴょん! と机に飛び乗ってきて邪魔をするので、
「だぁれ、何してらぢゃこの、ほいど猫!」
「【ほいど】って?」
それは、彼が彼女の話す言葉に興味を持ったからで……。
レベッカはいつの間にか二人の様子を遠巻きに眺めていて、珍しく得意気にニヤニヤしていました。「えふりこぎ!」
姉っちゃてば、そっただ
んが何お
「あー
レベッカに言われてシェーラはボカンと爆発してしまいました。一方のヘンリーはというと、ちょっとよく分からなかったので愛想よく笑っておきました。
ティーポットの中で一切れのレモンが甘酸っぱく泳いでいました。
* * * * * *
「……はい、確かに受理しました。何かあれば知らせますから」
「はい。よろしくお願いしますね」
警察の窓口でクレアは迷い猫の手続きをしていました。クレアは愛想良く笑っていて、窓口のスザンナは(あのガーネットだって言うからどんな奴かと思ってたら……普通の子供じゃない)と拍子抜けしました。そりゃ物腰は丁寧で育ちが良いんだろうなという感じはしましたが、そのくらいでした。ちょっと前のクレアだったら自分を守るためにいつでもニコニコと作り笑いをしていたでしょうけど、去年のクリスマスの辺りから自然に笑みを溢すようになりました。
憑き物が落ちたというか、自縄自縛の呪いを解いたというか。年月が解決する以外どうしようもない事もあるものです。
帰りしなに、すらっとした痩躯で長身の白衣の男性とすれ違って、「
「あのう、すいません。何処かでメガネを失くしたと思うんですが……それらしいの、届いてないですかねぇ」
と、自分の困りごとを受付の女性に言いました。スザンナは数秒あったのちに身を乗り出して、胸ポケットにかけてあったメガネを取って、かけさせました。
「ああ、これは、お恥ずかしい」
「ネクタイも曲がってらしてよ」
冗談めかしてスザンナはネクタイも直してあげました。
「私も結構だらしないですから。
「ああ、私もそんな感じです。
私たち、似た者同士なのかもしれませんね、と二人は人の気も知らないで和気あいあいと世間話に花を咲かせていました。どこからかラジオでは、チェット・ベイカーの『レッツ・ゲット・ロスト』が聞こえてくるわけです。
「……あと、これはもっと深刻なんですけどポケベルの落とし物とか届いてないですかねぇ……もう割と何回も紛失してて、あんま病院側に知られたくなく……」
はい? とスザンナが問い直す前に、入り口のほうで慌ててあちこち走り回る声が響きました。
「先生、ここに居たんですか?! またポケベル机の上で鳴りっぱで次の患者さん待ってますよ、早く――」
と言いかけて、エドは二人の様子を見て「あちゃー」と言ってこめかみに指を当てました。
二人の自分を見る目が本当に双子のようにそっくりだったものですから。これじゃ、おれの気苦労が倍に増えるだけだ……と、小さくため息をつきました。
* * * * * *
六十年前に
それは小さな
これは互いの種を絶滅させるための戦争であると。
一人の痩せ細った子供が居て、軍曹が水筒から水を差し出しても、K
子供は衰弱しきって死にました。軍曹はただ黙って一人で子供の墓を作って埋めてやりました。自身の銃は
東から来た狼のイワンもその光景を心に焼き付けていました。
赤茶けた髪をしたカラスの魔女もまた、痩せ細った
自分たちは北アフリカの砂漠からシチリアの山岳、フランスの海岸やブドウ畑に雪景色のベルギー、それからドイツの森や市街地まで。自分たちはこの為に戦っていたのだと、米兵たちはその時知ったのでした。
(そうね、すなわち家族は、国家は、物語とは
いっぽう六十年後のイラクで、多国籍軍たちが探し求めていた大量破壊兵器は、存在しませんでした。
空っぽの砂漠でした。
長い期間に亘って、沢山の人が死にました。女性や子供も亡くなった事でしょう。行方不明者も出ました。ヨーイチもその一人です。
米軍補給部隊のジェーン・
(私たちは何故生きていて、そして何処へ行くの?)
国を持たないクルド人の少女は銃を携えて、まだ見たことのない海を夢見て冥界へと続く西方浄土の夕陽に向けて【名前のない馬】を駆らせるのでした。
* * * * * *
スクリーンでは戦争映画とか西部劇が明滅していて、銃声や砲火が
そのように生きていかなければならないからです。戦争と同じく、
あるいは
でもその灰色の猫は、どうやら無所属でノンポリのようでした(皆さんの認識に合わせるならアナキストがいちばん近いかもしれないが、それは話がこじれるのでやめておきましょうね)。毛並みもよくブラッシングされていて、育ちも良いような感じでした。「お前、変な奴だな」と女の子が言ったか定かではありませんが、少なくともそのように思うことはして、猫を抱き上げると(暴れないの!)鈴の付いた赤い首輪をよくよく見てみました。
そしてそこには【
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