* * * * * *

「ダイナが居なくなっちゃったって?」

「ハイ。もう三日も帰ってきてないんデス」

アルの喫茶店で、アリスが不安げに言いました。春だへでサガリついたんでねのスか? とレベッカが言って、シェーラに軽く小突かれました。

「じゃ、探しに行く? 適当に分かれてさ」

ケータイで連絡取りつつね。あ、まだ交換してなかったっけ? じゃ今、交換しよ。アリスちゃんはケータイ持ってないから俺と一緒に動いて……。シェーラは?

「おら、まだバイトの時間あるへで」

「別に行っても構わんが」

とアルが気を利かせて言いましたが、

「いンや、これからいそがすぐなるがもれねがら、もぢょっとのごります」

そうか? とアルが言って、「遊ぶ金欲しさの犯行?」とレベッカに疑われました。シェーラは皆が飲み終わったあとのカップなどを片付けていました。

「悪いけど僕も、まだを書かなくちゃいけなくて……」

「じゃ、お兄ちゃんには留守番しといてもらいましょ。ダイナもここに戻ってくるかもしれないし」

ハンナが「イースターエッグハントみたい」と他愛のないことを言って、クレアは「まだ少し早いでしょ」と嬉しそうに微笑みました。

「じゃ、いってきまーす」

「車に気をつけて行くんだよ」

ちりんちりん! と入り口のベルが鳴って、店内は水を打ったように静まり返りました。ヘンリーが物を書くサラサラといった音だけが響いていました。

「裏で事務仕事してるから、なんかあったら呼んでくれ」

アルがバックルームに引っ込んで、シェーラはヘンリーと二人きりになり、

「…………、」

シェーラは辺りを見回して誰も居ないことを確認すると、黙ってヘンリーの向かいに座りました。二人は一瞬目を合わせました。

 シェーラがメンソール煙草を取り出して「吸ってがスか?」と訊いて、ヘンリーは「うん」と頷きました。シェーラは蜂蜜の入ったホットレモンティーを、ヘンリーは食事の代わりにとたっぷり砂糖とミルクの入ったコーヒーを飲んでいました。

 ヘンリーは、自分は魔法マギヤを使えるのだと思っていました。すなわちそれは、紙とペンと言葉です。人々が会話パロールによってコミュニケーションするのと同程度には、文字エクリチュールによって自分を表現していると思っていました。

「これ、」

とシェーラは、ジョージ・ワシントンの硬貨を得意気に見せました。

「大統領1ドル硬貨じゃん。初めて見たかも。もう出回ってるんだ」

「はい。でもそれだけでくて、これ【我ら神を信ず】の文言が落丁スてらのス」

硬貨の側面には【我ら神を信ずIn God We Trust】と【数多から1つへE pluribus unum】が刻印されており、その硬貨では【God】の部分が空白になっていました。

「【神なき硬貨】ってことか」

それからまた静かになりました。ペンの走る音だけが響く二人の間には煙草の紫煙が漂っており、窓からの光が散乱していました。

 シェーラは鞄から戦車のプラモデルを取り出して、コトリと机に置いて見せました。

「おっ……三号突撃砲。ツィンメリットコーティングの再現がすごいね」

ヘンリーが思わず手にとって、そうでしょう、とシェーラが自慢気に言いました。

「色々試したんですけど、結局パテを盛って小さいノコでパターンを付けるのが安定しました」

「コーティング模様のデカールとか出てくれたら楽で良いのにね」

それからまた別の戦車とP38ライトニングこと戦闘爆撃機ヤーボを将棋の駒みたいに置きました。

「あ、『最前線物語ビッグ・レッド・ワン』仕様のスーパーシャーマン? 往年の戦争映画って戦後の戦車とかもけっこう出てくるけど、だいたいジャーマングレーだったら何か雰囲気良かったりするよね。『バルジ大作戦』のM47パットンも何故かキングタイガーに見えてくるし」

 イスラエルの戦車がドイツ軍の戦車役というのもすごいけどね。

 ブラザー・イン・アームズやりました? FPSとRTSが融合した感じの……おら、あの主人公の声優が好きで。

 やった、やった。指揮システムのカジュアルさがXbox版のゴーストリコン2に似てるよね。よくアルとかギルとか、ハンナちゃんとか、皆でやってたんだよ。レインボーシックスとかOFPほど複雑じゃなくていいよね。

「そういやフラー監督と言えばさぁ、デニス・ホッパーの『ラストムービー』見たことある?」

「あります、あります。拳銃をぶっ放して撮影開始するシーンがあるやつですよね」

映画撮影の様子を現実だと信じ込んだロケ地の現地住民が、偽物のカメラで本当の銃撃戦を撮るっていう。

「あれも夢と現実の区別が付かなくなる話だけど、『8 1/2』もそういう感じで好きなんだよね」

「微妙にマニアックな話スても良がスか?」

「うん」

「ブラウン管のモノラルテレビに、プレステ2を黄色い端子で繋いで見る『マトリックス』と『攻殻機動隊』が一番リアル」

あーなんか、言いたいこと分かるかも。

「キューブリック作品のビデオソフトってアスペクト比が4:3なんだよね。左右に黒帯が出ちゃう」

「最近、ワイドテレビも増えましたからね」

「スタンダード・サイズのテレビで見てた頃は16:9のビスタサイズの上下に黒帯レターボックスが入って『おお、映画だ』って思ってたけど、いざワイドテレビで画面いっぱいに広がると何故か同じ画角なのにウソっぽく感じちゃうんだよね」

もちろんフィクション真実味リアリティを持つ瞬間こそ映画の魅力なんだけど。

「ウソ……というかメタ演出的な意味で言うと、まあ普通にゴダールとかスか」

「僕は『女は女である』とか楽しくて好きだけど(分がります)、『気狂いピエロ』はフラーも出るしね」

「『ことの次第』も映画撮る話ですよね」

「えーと、“カラーよりモノクロのほうがリアルだ”?」

それです、それです。『コーヒー&シガレッツ』よろしくシェーラは煙草を吸い終えるとチェーンスモークして、ヘンリーに一本差し出しましたが「いや、僕は……」と断られました。

「吸わねのスか?」

「昔は吸ってたんだけどね、日に十六本くらい。けど健康診断に引っかかるようになって」

あー、とシェーラが言いました。禁煙してるから。でも煙草自体は恋しくはあるよ。

煙草ニコチンも最初は興奮するけど、だんだん慣れてきて何のために吸ってるのか分からなくなるんだよね」

「分がります。おざなりというか、惰性マンネリさなってくる」

 ちょっと迷走してた時期のロジャー・ムーアの007とか。

 でも初期のムーア・ボンドも強烈な世界観があって僕は好きだな。

「恋と同じだよね。最初だけ燃え上がって、あとは倦怠期に突入」

「ヘンリーさんは、」

恋をしたことがあるんですか? 尋ねようとしたところ、足元の猫がぴょん! と机に飛び乗ってきて邪魔をするので、

「だぁれ、何してらぢゃこの、ほいど猫!」

「【ほいど】って?」

それは、彼が彼女の話すに興味を持ったからで……。

 レベッカはいつの間にか二人の様子を遠巻きに眺めていて、珍しく得意気にニヤニヤしていました。「えふりこぎ!」

 姉っちゃてば、そっただ甲斐無きゃねェよったあんちゃが好みなのスか?

 んが何お道化どげでら! いづだりかづだり店さ来てよ!

 べづに、ちょっと忘れ物取りさ来たら、なんか入り込めよった雰囲気だったへでよ。

「あー可笑おがすね。めづらすく動転ドンデすてらぢゃ、姉っちゃ」

レベッカに言われてシェーラはボカンと爆発してしまいました。一方のヘンリーはというと、ちょっとよく分からなかったので愛想よく笑っておきました。

 ティーポットの中で一切れのレモンが甘酸っぱく泳いでいました。


* * * * * *


「……はい、確かに受理しました。何かあれば知らせますから」

「はい。よろしくお願いしますね」

警察の窓口でクレアは迷い猫の手続きをしていました。クレアは愛想良く笑っていて、窓口のスザンナは(あのガーネットだって言うからどんな奴かと思ってたら……普通の子供じゃない)と拍子抜けしました。そりゃ物腰は丁寧で育ちが良いんだろうなという感じはしましたが、そのくらいでした。ちょっと前のクレアだったら自分を守るためにいつでもニコニコと作り笑いをしていたでしょうけど、去年のクリスマスの辺りから自然に笑みを溢すようになりました。

 憑き物が落ちたというか、自縄自縛の呪いを解いたというか。年月が解決する以外どうしようもない事もあるものです。

 帰りしなに、すらっとした痩躯で長身の白衣の男性とすれ違って、「こんにちはボンジュール、先生」「ああ、元気かいコマンタレヴ」「はい、元気ですサヴァビアン メルシ」と短く挨拶しました。それからクレアはウキウキと楽しそうに電話をかけて、白衣の先生は(なんか……人が変わった?)と目を丸くして思いましたが、まあ元気なら良いか……と思って、

「あのう、すいません。何処かでメガネを失くしたと思うんですが……それらしいの、届いてないですかねぇ」

と、自分の困りごとを受付の女性に言いました。スザンナは数秒あったのちに身を乗り出して、胸ポケットにかけてあったメガネを取って、かけさせました。

「ああ、これは、お恥ずかしい」

「ネクタイも曲がってらしてよ」

冗談めかしてスザンナはネクタイも直してあげました。

「私も結構だらしないですから。異父弟おとうとによく部屋片付けろ~! あと野菜も食べろ~! って叱られるんです」

「ああ、私もそんな感じです。看護士ナースに机の上を綺麗にしろとか、灰皿の吸い殻が溜まりすぎだとか、怒られたりします」

私たち、似た者同士なのかもしれませんね、と二人は人の気も知らないで和気あいあいと世間話に花を咲かせていました。どこからかラジオでは、チェット・ベイカーの『レッツ・ゲット・ロスト』が聞こえてくるわけです。

「……あと、これはもっと深刻なんですけどポケベルの落とし物とか届いてないですかねぇ……もう割と何回も紛失してて、あんま病院側に知られたくなく……」

はい? とスザンナが問い直す前に、入り口のほうで慌ててあちこち走り回る声が響きました。

「先生、ここに居たんですか?! またポケベル机の上で鳴りっぱで次の患者さん待ってますよ、早く――」

と言いかけて、エドは二人の様子を見て「あちゃー」と言ってこめかみに指を当てました。

 二人の自分を見る目が本当に双子のようにそっくりだったものですから。これじゃ、おれの気苦労が倍に増えるだけだ……と、小さくため息をつきました。


* * * * * *


 六十年前に第1歩兵師団ビッグ・レッド・ワンのサンダース軍曹の分隊が、ナチスへの宥和政策により割譲されたズデーテン地方――チェコの強制収容所を解放したとき、その凄惨たる光景にアメリカ兵たちはみな言葉を失くしました。

 抵抗勢力レジスタンスとして連合軍に協力していた魔女たちも、(ある程度の状況を知っていたとはいえ)動揺の色を隠せませんでした。

 それは小さな納骨堂コストニツェのようでした。死体は焼却炉で火葬され、もくもくと煙が上がり、入り口に掲げられた【働けば自由になるArbeit macht frei】の看板が、落ちかけていました。

 

 一人の痩せ細った子供が居て、軍曹が水筒から水を差し出しても、K携帯食レーションのチョコレート・バーやチーズ、リンゴを口元にやっても食べようとしませんでした。

 他人ひとを信じる心を奪われていたからです。

 子供は衰弱しきって死にました。軍曹はただ黙って一人で子供の墓を作って埋めてやりました。自身の銃は墓標ファルスとなり、不要になった鉄兜ヘルメットを脱いで、墓碑銘エピタフであるように認識票ドッグタグを垂らしました。

 東から来た狼のイワンもその光景を心に焼き付けていました。

 赤茶けた髪をしたカラスの魔女もまた、痩せ細った同胞はらからたちに食物を与えながら、「誰もが帰れる祖国を作る」という信念を、より一層強くしました。

 自分たちは北アフリカの砂漠からシチリアの山岳、フランスの海岸やブドウ畑に雪景色のベルギー、それからドイツの森や市街地まで。自分たちはと、米兵たちはその時知ったのでした。

(そうね、すなわち家族は、国家は、物語とは劇薬パルマコンだということ)

 いっぽう六十年後のイラクで、多国籍軍たちが探し求めていた大量破壊兵器は、存在しませんでした。

 空っぽの砂漠でした。

 長い期間に亘って、沢山の人が死にました。女性や子供も亡くなった事でしょう。行方不明者も出ました。ヨーイチもその一人です。

 米軍補給部隊のジェーン・クローディア・サンダース中尉は、それを見つけるために再びステップ気候の戦場へ戻っていくのでした。

(私たちは何故生きていて、そして何処へ行くの?)

 国を持たないクルド人の少女は銃を携えて、まだ見たことのない海を夢見て冥界へと続く西方浄土の夕陽に向けて【名前のない馬】を駆らせるのでした。


* * * * * *


 スクリーンでは戦争映画とか西部劇が明滅していて、銃声や砲火が反響こだましており……映画もまた記憶の魔法マギヤでした。フィルム・スプライサーを使って紡いだり切ったり、活けたり殺したり……カット、カット! 灰色の猫が顔を舐めていて、名前のない女の子は目を覚ましました。その「にゃあ、にゃあ」と鳴く声が「アリスのことをよろしくね」と言っているようにも聞こえて、自分はまだ寝呆ねぼけているのだと思い、顔をはたいて気合いを入れました。

 そのように生きていかなければならないからです。戦争と同じく、生存サヴァイヴァリズムということです。顔を洗って水浴びもして、たまには服も洗って、繕って。猫だって同じように毛繕いをして顔を擦りますし、餌を探してはあちこちをウロつきます。

 あるいはつがいを探し回ったり。グループに参加してボス猫に従ったり、いじめられたり、いじめたり。そこは人間と変わりません。

 でもその灰色の猫は、どうやら無所属でノンポリのようでした(皆さんの認識に合わせるならアナキストがいちばん近いかもしれないが、それは話がこじれるのでやめておきましょうね)。毛並みもよくブラッシングされていて、育ちも良いような感じでした。「お前、変な奴だな」と女の子が言ったか定かではありませんが、少なくともそのように思うことはして、猫を抱き上げると(暴れないの!)鈴の付いた赤い首輪をよくよく見てみました。

 そしてそこには【DYNAダイナ】と書かれておりました。

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