* * * * * *

 ハンナは箪笥クローゼットにあった、なるたけ女の子っぽくて可愛い服を選んで着ていました(それでもユニセックスの範疇でしたが)。本能の従うままに足を運ぶと喫茶店に辿り着き、何故か「ここだ……」という確信を得ていました。寒さに頬が雪化粧していました。


ちりんちりん!


と入り口のゴングが鳴って、店主のアルは意外なものを見たように一瞬だけ視線をハンナに向け、それから見たいものがあるわけでもない携帯電話の画面に目を下ろしました。

「どうした? 今日はバイト休みだろ。忘れ物でもしたか」

あたしってここで働いとるんか?! とんだ浦島太郎状態でした。気を取り直してハンナは「何か違うと思わない?」と挑戦してアルは、あー、なんか、髪が伸びたか? とトンチンカンな事を言いました。

「いや、なんかほら、顔が見たくなって」

「なんだそりゃ」

アルは思いつきで訊いてみました。

「どうせ暇なら、今日の夜とかうちで協力プレイするか?」

「夜に?! プレイ?!」

「いやゲームの話な。新しいやつ買ったから」

ゲームか……とハンナは独り言ちました。

「お客さん、来ないね?」

「雪だからな」

なんか曲でも流してくれ。ピアノでも、ラジオでも、ジュークボックスでも……。ハンナは(知る由もありませんが、アリスがいくつか録音した)ピアノロールの巻紙を取って「ジムノペディで良いかな」と自動ピアノにセットしました。

 それから近くに置いてあった黒いビニル袋を発見し、その中身を見て叫びました。

「あ、これって! 私が昔買ってきた!」

「昨日話したじゃないか」

ハンナは「ちゃんと渡してくれたんだ」と思って何だか感極まってしまい、

「踊らない?」

気付けば微笑みながら彼の手を取り、二人は踊りだしていました。

 静かに鳴り響く三拍子のワルツ、【ゆっくりと、痛みをもってレント・エ・ドゥルルーズ】。停滞するピアノ楽曲はに弾かれており、まるで幽霊が椅子に座って演奏しているのでした。

 ふと我に返るとハンナは意中の彼とゼロ距離で手を取り合って(アルもなんだかんだ付き合っていました)いた事を自覚すると、顔を真っ赤にして「きゃー!」と叫びながら店の外に飛び出してゆきました。

 ちょうど喫茶店に立ち寄ろうとしていたアリスは、びっくりして走り去る女の子の後ろ姿を遠くに見ながら、

「今日のあいつ、……何か変だぞ」

「そうかも知れないデス」

灰色の猫が彼女を追いかけていくのを眺めていました。


* * * * * *


 スペースシャトル・ディスカバリー号のニュースが流れていました。『ベツレヘムに生まれたもう』が流れており……ハンナはだんだんと走ることから街の様子に興味が移っていって……なにか思い出せないけど、どこかで聴いたことのある唄だと思いました。

「……どうしたの? そんなに息を切らして」

「あっ、」

走り疲れたハンナは呼びかけられて顔を上げると、雪の積もるバス停で思いがけず赤毛の彼女と再会しました。

「えっと……」

「バスに遅れると思ったの? 私はこれから大学だけど」

なんだか面を食らったハンナは言葉を失くしてしまって、

「こないだはごめん」

「ごめんって、何が?」

私もそれを探してるんだけど。酷いことを言った気がして。クレアは到着したバスに乗りハンナは慌てて続きました。座る? と言って二人は一緒に並んで気まずく座りました。

 しばらく沈黙していましたが……自動音声のテープが次のバス停の名前を告げると、クレアが口火を切りました。

「ねえ、知ってる? あのバスのアナウンスはね……小さな妖精さんがあの小さな箱の中で話しているのよ」

「そうなんだ」

「ご飯食べた?」

「まだ」

「そう、」

クレアはちょっと考えてから訊ねました。

「ホットチョコレート飲む?」

「ううん、」

ハンナは首を横に振りました。バスの中で誰かがくしゃみをして、「お大事にブレス・ユー」と近くの人が言いました。

「結構、クリスマスの準備とか忙しくて」

「色んなとことか周らないといけない感じ?」

一応ね。お父様ほどじゃないけど。クレアは一人ぼっちのクローディアおばさまの事を、少しだけ思い出していました。

「私は、家族よりも皆と過ごす、って決めてるから。私たちの周りってそういう人、多いでしょ。ギルは家族と過ごすでしょうけど……そこにイリスさんとアリスちゃんも呼ぶだろうし。アルはニューヨークに親戚が居るだろうけど面倒くさがって行かないから、なんとなく皆と過ごすし。お兄ちゃんも私と同じだし、シェーラとレベッカも両親が忙しいらしいじゃない? お父様の仕事関係の知らない人と社交するより、そっちのほうがクリスマスらしいと思うわ」

家族が無い人が多いから。私の父が義肢会社によって手足の無い人たちに貢献しているように、私があくまで社会の一部品として、失われた家族役割を埋め合わせているのよ。とは言いませんでした。

 戦争があって、兵隊が手足を失って、それを補填する産業があって。大きな事件や事故、災害があって、誰かが家族を失って、誰かがその代わりになって。やっていることは偽善だろうが、やらないよりマシだろうくらいには思っていました。

「今日は、ボディガードの人居ないの?」

んー、とクレアが唇に指を当てて答えました。

「見えない距離から付いてきてると思うよ。今年の8月とかロンドンでテロ未遂があった時期はうんざりするくらいだったけど。最近は私の意向で物々しい警備はやめて、って言ってるわ」

私は何というか、なるたけ普通が良いのよ。パーティもドレスも要らないし……。誰かのお人形さんプーペ・ド・シレになるなんて、うんざりしちゃう。

「無い物ねだりなんだろうとは思うけどね」

「クレアは何ていうか、皆のお母さんになりたいんだもんね」

何の気なしにそう言って、クレアはじっとハンナの瞳を見つめました。それからちょっと目を伏せて、なんでもないように言いました。

「謝るのは私のほうだわ」

えっ、とハンナが言いました。

「昨日までずっと、約束を破っていたんだから」

私って、結局あなたに叱ってもらいたかっただけなのかも。クレアは困ったように笑いました。

「私も……」

ううん、と首を振って言いました。

「私のほうが、一ヶ月だけお姉さんなのにね」

バスが到着して、二人は一緒になって降りました。先に降りたクレアが手を差し伸べましたが、ハンナは一人で降りられました。

 運賃はクレアが払いましたけど。

 それと「またね」と言って別れたあとの警備も、こっそり指示して付けさせましたけど。

 大学の入り口のそばで、誰かの作った雪だるまの人参の鼻が曲がっているけれど。何だか嬉しそうに笑っていました。

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