* * * * * *

「買い忘れはない?」

お姉さんに訊ねられてアリスは頷きました。ドライフルーツに紅茶、リコリス菓子、新しいお洋服をいくつかと細かい模様の描かれた陶器、楽譜、それからダイナお気に入りのキャットフード。ジンジャーブレッドマンにアイシング、キャンディケイン……その他その他を積み込んで姉妹は車に乗り込みシートベルトを締めました。

「今度またハンナさんの家で映画見るんだ」

レンタル? とハンドルを握るイリスが訊いてアリスが頷きました。車のラジオからは『キャロル・オブ・ザ・ベル』が流れています。

「こないだは何を見たんだっけ」

「ええとね、私が選んだのは『ローマの休日』と『雨に唄えば』、それから『サウンド・オブ・ミュージック』かな」

 でもハンナさんってば私にホラー映画ばかり見せるの。

 どうして?

 私が怖がってるのを見るのが好きなんだって。

「他にはええと、チャップリンの『独裁者』に、『ひなぎくセドミクラースキー』と『ミツバチのささやき』、コクリコっていう女の人が可愛かった『まぼろしの市街戦』と……あ、それとね賞金稼ぎの男の人と修道女シスターとラバが出てくる西部劇。音楽が良かった」

「ああ、たぶんイーストウッドの『真昼の死闘』だね」

 前にギルの家で一緒に見たことあるよ。

 またギルさんの話してる……。

「ギルさんに、お姉ちゃん取られちゃったと思ってた」

「別に私は誰のモノでもないよ」

「お姉ちゃん、結婚するの?」

「えっ! ま、まだだよ……」

「じゃあはあるんだ」

「……うー……」

イリスは面食らって咳払いしました。こんな事を訊くような歳になったんだ、と思ったのか分かりませんが。お姉ちゃんが結婚したらギルさんがお兄ちゃん、かぁ。――だから気が早いって! イリスの動揺はそのまま運転に反映されて実際ちょっと危ないのでした。

「あ、」

「なに?」

「なんか、色々と露天商が出てる」

「冬なのに? 夏はよくアイスクリームとか売ってたりするよね」

クリスマス市マルシェ・ド・ノエルかな」

 なんだか街全体がお召かししてるみたい。

 そりゃ神様の誕生日だからね。

「ちょっと寄ってみる?」

お姉さんが訊ねて、アリスは「うん」と言って頷きました。


 街は何だか賑わっていました。つる植物みたいに張り巡らされた電飾はピカピカしていますし、ツリーのてっぺんでは星が輝いていて、風船を持った子供もあちこちウロウロしており、アリスも赤いリンゴ飴を買ってもらいました。

「日本だと、こういうお祭りのときは皆キモノを着て歩くんだって」

「ハンナさんに聞いたの?」

うん、と言ってアリスはしゃくりとリンゴ飴を齧りました。それからアリスは他愛のない想像を膨らませてみました……私もお姉ちゃんもハンナさんもクレアさんもシェーラさん(あれ、それともレベッカさん?)もサクラコさんも、皆みんな色とりどりのキモノやユカタに身を包んで、お面を付けたり、帯に団扇うちわを差してみたり。橙色オレンジの提灯がぶら下がって紅白幕が垂れており、夜空には花火が上がっている。クリスマスに家族が集うようにお盆と正月には親戚みんなが集まって……、……――家族?

(そういえば何故、ここにお父さんとお母さんが居ないのだろう?)

アリスは思いました。視界の先では歩き疲れた子供が父親に負ぶわれており、また別の子供は母親に手を引かれたりしていました。


(思い出してはいけない。きっと何かが壊れてしまうから)


むしろ守っているのはあたしの方だわ――もっと感謝されたって良いくらいに。だけどアリスはもう知ってもいいのだわ。お祭りで棄てられるゴミの匂いを嗅ぎつけたカラスがカァカァと啼いて、足元では猫たちがと言い争っておりました。甘い甘い糖蜜の匂いにぼうっとしていたのかさせられていたのか、と気が付くと遠くにフードを被って顔を隠した占い師が見えて、アリスは思わず彼女に近付いていました。

 あのう、と話しかける前に占い師が「待って」と制しました。

「あなたは……何か楽器をやっていますね? それも、きっとピアノでしょう。違いますか?」

――すごい。ドウシテ、分かるんデスか? アリスは感心してしまいました。続けて占い師が言いました。

「あなたは内向的な性格でしょう。そして物凄く頑固だ。甘いものが好きで、そしていつもおっちょこちょいなところがあるでしょう」

(コールド・リーディングだ)

とイリスは思いました。アリスの持つトートバッグはピアノの鍵盤と音符がデザインされているし、リンゴ飴の破片が口の周りに残っている(占い師は「付いてるわよ」と言ってアリスの口元からそれを拾い上げて見せました)。色素の薄いアリスの肌は太陽の光を苦手とするのは自明的だ。香水と葉巻と……燻る火薬の匂いがする。とイリスは思いました。

「刑事の貴女! そんなに警戒しなくても大丈夫。それより背後にご用心」

占い師がビシッとイリスを指して言って、「え?」と思って振り返るとほとんどゼロ距離でギルが覗き込んでいたので「わわっあっひゃあ」と甲高い変な声が出ました。

「そんなにビックリする?」

とギルはちょっと傷付いたみたいでした(けっこう男の子って繊細なんです)。祭りに寄ってみたら見かけたもんで。

「占い?」

「そうですよー。お二人の今後も占って差しあげましょうか?」

と占い師はクスクス笑って言いました。ギルが何の気なしに「あ。じゃあ、お願いしま――」と言いかけたところで赤面したイリスが「け、結構です!」と叫んで、アリスは(これから知る楽しみが無くなるから?)なんて思ったりしました。

「お姉ちゃん、お兄ちゃんと一緒に行って見て周ってきたら? 私は大丈夫だから」

「今ひょっとして俺のこと、お兄ちゃんって呼んだ?」

「聞かなかったコトにしてクダサイ」

拗ねたフリをして誤魔化しました。「見えるところに居るからね」とイリスが言って、しばらく二人で歩いてから、ふと思い出したようにちらりと振り返りました。

 私、あの占い師のひとに会った事がある?

 占い師は遠くにイリスを見ながら静かに微笑んだようでした。

「折角なのでタロットを。三枚のカードはそれぞれ過去・現在・未来を象徴します」

占い師は大アルカナの22枚をテーブルの上で混ぜ合わせると、わざとらしく「むむむ」と言って三枚のカードを選び、めくりました。


 過去たる一枚目【恋人】の逆位置は失恋・破局・空回りを象徴し、

 現在たる二枚目【月】は夢・霊界・現実逃避・幻惑を象徴し、

 未来たる三枚目【審判】は再生・目覚め・復活を象徴しました。


「これは……」

とタロットの図柄を眺めながらアリスが言いました。

「私のことじゃないです。誰を占っているんですか?」

【審判】のカードに描かれる大天使ガブリエルの吹くラッパは、怒りの日と最後の審判を告げる音と光を示しており――創世記において神は「光あれ」と言われました。すなわちヨハネが「はじめにことばありき」と福音したように、光より先にロゴスが、そして音があったという事です。

 赤毛の占い師は「ふふ」と言って口元が笑ったようでした。

「そうしたら、あなたの双子の片割れのことかしら?」

「私に双子は居ませんが――あっ。でも、ひょっとして」

アリスは思い切って言ってみました。

「もしかして、あなたがペニナさんですか?」

「あら。よく分かったわね」

あなたのところのドモヴォーイは元気? とペニナは訊ねました。

「ドモヴォーイ……ああ、お爺さんヂェードゥシュカのことですか? はい、元気にしていると思います」

「思うということが大事ね」

人は記憶から思い出された時だけ存在できるのだから。

 あなたは、あなたのお母さんのことを覚えている?

「はい。けれど、最近のことをすっかり思い出せないんです」

、とは言いませんでした。

 創り上げて護るのは大変だけれど、壊してしまうのは簡単だから。

「あの、ペニナさんは……」

ペニナは頷いて答えました。

「ええ、魔女ヘクセよ。あなたのお母さんと同じで。あの世とこの世の垣根リーメンを、ホウキに跨って飛び回る存在」

 あなたのお母さんが産婆ミッドワイフをしていたのと同じように。

 ある意味では、私もひとの生き死にを取り持っているの。

「私、貴女と同じ形の女の子に会ったことがあると思うんです」

「ハンナの事ね、」

ペニナがその名前を口にしたときの表情があんまり淋しそうだったものですから、アリスは目を見開いてしまいました。

 貴女あなたは光そのものよりたましいの形を見ている。そうでしょう?

 物や肉に宿る魂の形を。手指によって編み出される技巧テクネの形を。

「だから、あの子に会ったら渡してくれる?」

これって、勝手だけれど。ペニナはそう言って、真珠のような白珊瑚のイヤリングを手渡しました。アリスは「きれい」と呟いていました。

「直接、渡しても良いんじゃないですか? きっと喜びますよ」

ありがとう、優しいのね。ペニナは遠くに、若いカップルの二人やクリスマスツリーの星を眺めながら、淋しく笑って言いました。

「けれど、私があの子に会う資格なんて、きっとないのよ」

路傍みちばたに群生するオオアマナが雪を被って寒そうに凍えていました。

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