* * * * * * 

「あんた、飲み過ぎじゃない?」

「そうかなぁ?」

まだいけるよ、と言ってイリスはウォッカのショットを煽りました。

「だって、目が据わってんだもん。ちょっと怖いわよ」

「じゃあ可愛い話する? スーのネイルの趣味とか」

「あんた興味ないでしょ」

「無くはないよ。私、小さい時はお花屋さんとかになりたかったんだもん」

「曖昧な願望ね」

「女の子らしいのって、憧れる。料理が上手いとかさ」

「男の目を楽しませる所有物になることが?」

「そういうんじゃないよ……」

イリスの腕時計は防水もある頑丈そうな男もので、それは父親の形見の品でした。イリスは実際的な道具を好んで使用しましたが、同時に酷くウンザリしてもいました。

「スーの腕時計ってさあ」

「何よ」

「なんでもない」

「言いたいことがあるなら、言いなさいよ」

「あれって、別れたっていう彼氏の?」

スーは煙を吐いて答えました。

「まあそうね」

「壊れたの? それとも壊したの?」

「今となっちゃ、それも分からないわ」

「時計が無くて不便じゃない?」

「そのうち自分で買うわよ」

「マクローラン巡査長さぁ」

「なに? ソーンツェワ巡査部長」

階級章の二本線と三本線の差は給与の違いでしかありませんでした。

「私の、あげようか?」

イリスは左手を差し出して見せましたが軽くあしらわれました。

「いいって。あんたが持ってなさいよ」

「更衣室でさあ」

「何?」

イリスは、自分で変えたはずの話題が変わったことにも気付いてないみたいでした。

「スーの下着、黒と紫のレースですっごいセクシーだと思った」

「あんたの色気ないデザインのベージュだもんね」

そう、色気がないのよ。とイリスが独り言ちました。

「……スーはさぁ、」

結婚とか考えてるの? と言いかけたとき、

「イリス! イリス・ソーンツェワ? 珍しいなこんな所で」

「わ!」

呼びかけられたイリスの瞳は明らかに輝いて、動揺と期待と不安とが見て取れました。「ギル? ここにはよく来るの?」

「モーリスとはたまに皆でゲームするんだよ。フィリップも少年野球で一緒だったんだ」

ギルバート・アレンはスザンナにも「よっ」と会釈して、スーは(こいつがイリスのか)と思いました。

「野球、するの?」

イリスが心臓を落ち着けるようにしながら訊きました。

「小学生の頃は。おれ左利きだから投手ピッチャー一塁手ファーストか選べって言われてさ。本当は三塁手サード遊撃手ショートが良かったんだけど、投手ピッチャーにしたよ。監督からはレフティって仇名で呼ばれてた」

アルは動きたくないから捕手キャッチャーを希望したって。ヘンリーのやつは、右翼ライトでもなく左翼レフトでもない中堅手センターだったってよく冗談を言ってるよ。

「そうなんだ」

(こいつ野球の話分かんのか?)とスーは思いました。

「うん。イリスはよくここに?」

「ううん。初めて連れられて来たの」

「あたしに付き合わせてんの」

「スーは最近、エドとは会ってんのか?」

「ヒゲを整えて、“ムスリムっぽくない感じ”に髪切ったって言ってた。ま髪は後ろで結ってたけどね」

「エドとは割と最近ゲームしてるよ。ハンナも家に呼んだりしてさ」

イリスが目をぱちくりさせて訊きました。

「ギルって銃に詳しい?」

ギルも目を丸くして答えました。

「まあ実家が銃砲店だから、人並みには」

「施条みたいな痕が残った薬莢があって……ほら、MP5の薬莢にフルートの痕が残るでしょ、あんな感じ」

「残るね」

「でも9ミリパラベラムじゃなくて9ミリマカロフなの」

ふーん、とギルが相槌を打ちました。

「強装弾使うマカロフかも」

「そんなのあるの?」

「うん。H&KのP7とかMP5のフルーテッド・チェンバーは薬莢の張り付きを防ぐためだけど、強装弾使うマカロフの薬室は遅延ブローバックさせるために溝が彫られてるんだって聞いたことある」

「へー」

イリスはだんだん落ち着いてきました。

「でも通常弾向けのマカロフで強装弾使うと薬室が早期開放して危ないから、市場には殆ど出回ってないはず。特殊部隊向けだと思う」

っつーか、ロシア製の銃って輸入が規制されてるから、そもそも民間には出回らないんだけど。

「じゃあそんな銃を入手できるのは……」

「配備されているロシアの特殊部隊とか、それこそもっと国際的な、武器商人とかじゃねえかなぁ」

「座ったら?」とスーが促しました。「邪魔じゃない?」とギルが尋ねましたが「いーの、眺めてるから」と答えました。

「クラムチャウダーある? 腹減ってきた」

ギルが注文して、フィリップがウィンクしました。彼は意外と空気の読める男でした。

「貝好きなの?」

父さんと同じだ。スーは聞いていて横目で「やば」と思いました。

「うちのオヤジもお袋が作るチャウダーに胃袋を掴まれたんだって」

ギルの父親はジョゼフ・アレンといい、母親はアナ=マリア・ハントといいました。ジョゼフは体躯が大きく控えめな性格をしており、アナ=マリアは子供時分に七〇年代のウーマン・リブ運動の影響を多分に受け、竹を割ったような男勝りな性格で(ギルは母親似でした)、旧姓を名乗り続けていました。アレン銃砲店のカウンター側の壁には大戦を生き抜いたお祖父さんであるウィリアム・G・ハント伍長の【勇者の機関銃】ことブローニング自動小銃が飾られていました。

 イリスは刑事に昇格したとき、アレン銃砲店でステンレス・スライドのルガーP95とショルダーホルスターを併せて購入しました。バックアップには貸与されたS&W908。(スザンナは、ラバーグリップに付け替えられた使い古しのミリタリー&ポリスでした)

「拳銃はBDA380で慣れてたから、ハンマー式かつデコッカーセイフティのが良かったの」

「俺はグロックを薦めたんだけど。結構保守的だよな」

手動安全装置マニュアル・セイフティが無いでしょ? 手動でパチンと切り替えられないと、不安で」

「最初に撃った銃の事、覚えてる?」

「ルガーの10/22テン・トゥウェニトゥ

「あっ俺も。やっぱ二二口径のライフルになるよな」

「それって明日の日付のこと?」

話についていけないスーが口を挟みました。

「銃の名前だよ。小指みたいな小さい弾を撃つライフルで、ウサギを狩ったりする」

大きくなってからは、モシンナガンの騎兵カービン銃を持って鹿撃ちに使ってたかな……他に家にあったのは、父さんが『ダーティハリー』を見て買っちゃったっていう四四口径のレッドホークとか、八〇年代に買ったっていうSKSセー・カー・セーとシュマイザーとか。

「八六年にフルオート火器規制法が制定されたからかな」

「多分そう。今は仕事でMP5を使ってるけど。操作体系が少し似てるから」

散弾銃ショットガンは?」

「うちに水平二連式コーチ・ガンがあったかも。でもあんま撃たなかったな」

「【出来ちゃった結婚ショットガン・マリッジ】ってのは聞いたことあるわ。あと助手席をショットガンって言うとか」

「あれは西部開拓時代の名残で……護衛が助手席で散弾銃を持ってたからとか」

「スーは車、何だっけ? あのオレンジで可愛いやつ」

「チェコの……シュコダ100とか110とかだ、確か。数字覚えらんないのよね……2ドアで、リアエンジン式の」

「リアエンジンってマニアックだなー」

「単に安かったのよ。荷物が積めないから困ってるわ」

フィリップが「お待たせしましたぁ」とチャウダーとかピザとかビールなんかを持ってきました。「何の話?」「銃と車の話」「あー、男の子って好きよねぇ」と短く会話しました。警察の方ってホントよく車を見分けられるわよねぇ。

「刑事さんは日本車でしょ? ヤリスの5ドア、シルバーのやつ」

「だって、リスみたいな顔して可愛かったんだもん……ギルはフォルクスワーゲンだっけ?」

ギルがチャウダーをスプーンで口に運びながら答えました。

「うん、そう、セダンの。四輪駆動。昔会った時に親父さんが軍用車みたいなの乗ってたじゃん、俺もああいうの欲しいんだよな」

イリスが頷いて答えました。

「うん、あれはウリヤノフスクの、ツンドラ。荷台がキャンバストップになってる……最近は動かしてないから、ちょっと不調だけど」

「おれイジったら直せるかも。見に行こうか?」

するとイリスは急にもじもじしだして「えっうん、いいけど……でも、心の準備が……」とか言い出しました。見てらんないわとスザンナが会話を続けました。

「あんたって自動車工? たまに署でも顔見るけど、今は何の仕事してんだっけ?」

ギルはニヤリと笑って答えました。

賞金稼ぎバウンティハンター。いや冗談じゃなく、民間の逃亡犯回収業者FRAだよ」

「民間かぁ。警官やってた時期も一瞬あったわよね?」

「あった。でも制服は似合ってたんだけど、どうも窮屈でさ」

減らず口を! でもスザンナも少しは同じ気持ちでした。

「おれの親戚の兄ちゃんも州兵でさ、今はイラクに行ってるけど。もともとは民間の警備会社に勤めてたんだ。保安職とか法執行機関が巷に溢れてるのはアメリカらしいよな。ATFとかもそうだし」

「賞金稼ぎって、どういう事するの?」

イリスが訊ねました。

「保釈保証業者が立て替えた被疑者・被告人の保釈金を、踏み倒されそうになったときに回収しに行くんだよ。その為の自衛武装も認められてる」

ちょうど先週、『ドミノ』っていうバウンティ・ハンターの映画が出たんだよ。まあリアルって感じっつーかかなりフィクション入った映画だなって感じだったけど……。

「キーラ・ナイトレイのやつ?」

「そうそれ。『ビバリーヒルズ高校白書』の俳優が出ててさ」

「ウッソ、ブランドン・ウォルシュ出てんの?」

「いやスティーブ・サンダースとデビッド・シルバーのほう」

「あー、そっちか」

『フルハウス』とか『アルフ』とか見てたなー。最近は『名探偵モンク』も。なんでああいうのってだいたい西海岸が舞台なのかしら? 『フレンズ』はニューヨークだけど。

「ハリウッドがあるからじゃね? おれは『特攻野郎Aチーム』とか、『コンバット!』とか好きだけど」

「あー、言われてみりゃそうか」

あんたは、テレビドラマとか見ないでしょ。と話題に混ざれず静かにお酒を飲んでいたイリスに訊きました。

「うん。うちラジオしかないし」

「変わってんのよねぇ。あんただけ四〇年代に生きてんじゃないの」

「それは、そうかも」

父さんと母さんは初めてのデートで西部劇を見に行ったんだって。たしか、ポール・ニューマンって人が主演で……牧師と、それからメドヴェーチが出てくるっていう…………。

「牧師? 『ペイルライダー』とかかな」

「そりゃポール・ニューマンじゃなくてクリント・イーストウッドでしょ」

「クリント・イーストウッドって?」

「あんた、やばぁ」

スザンナはとうとう言ってしまいました。

「おれイーストウッドとスピルバーグの区別が付いてないやつ見たことある」

「え、なんでそこ混ざんの? 監督でってこと?」

「どっちも巨匠だし、『ミスティック・リバー』とか出演しない監督作だったじゃん。んで今【硫黄島プロジェクト】の『父親たちの星条旗』と『硫黄島からの手紙』併せて撮ってるっしょ。あれスピルバーグが製作に入ってんだよ、それで混じったらしい」

「『プライベート・ライアン』と勘違いしたってこと?」

「まあ実際『マディソン郡の橋』でもスピルバーグ噛んでるし、距離が近くはある」

「でもイーストウッドは『ジョーズ』とか『ジュラシック・パーク』は撮んないじゃん。『レイダース』は撮るかもしんないけど」

「イーストウッドはドン・シーゲルとかフラーの撮り方に似てるよなー。低予算・早撮りの感じの。フラーもサメ映画の先駆けだし」

「昔の恐竜映画って何かあったっけ?」

「そりゃ『怪獣王ゴジラ』だろ。いや正確には『ゴジラ』か。アルがうるさいんだよな」

「喫茶店の?」

「そう。あいつ、もともと恐竜好きでさ。考古学と古生物学を一緒くたにすると怒るんだけど。地層の中に保存されてるのを発掘するんだから、似てるだろとは思うんだけど。で、去年『ゴジラ』シリーズ五十周年でさ。やっと日本オリジナル版が公開されたって、めちゃくちゃはしゃいでたんだよ」

「あの仏頂面で?」

「んーまあ、付き合いが長けりゃ分かるよ」

「何の話だっけ?」

「西部劇が何なのかって話だろ?」

「あんま見ないジャンルかも。流石に、『荒野の七人』とか『夕陽のガンマン』は見たことあるけどさ。あたしの苗字のマクローランMcRolandを説明する時に【Dは発音しないの、ほらマカロニのジャンゴみたいに】って言ったりもするけど。あとはメル・ギブソンの『マーヴェリック』に、『バック・トゥ・ザ・フューチャー3』とか?」

「ジョン・スタージェス監督で言えばおれは『シノーラ』かな。『大脱走』とか『六番目の男』とかの監督の。『殺しが静かにやって来る』みたいにモーゼル・ミリタリーが出てきたから珍しいなと思って、覚えてるんだ。たしか『シノーラ』の撮影のときに『ロイ・ビーン』とブッキングして――」

「あ! 『ロイ・ビーン』じゃん」

ギルとスーが指を指し合ってあーあーそれだ、それ。となっていましたがイリスはピンと来てないようでした。

「あんたが言ってた両親の初デートの映画よ! 奥さん役のジャクリーン・ビセット……じゃないや。そっちは娘役だ……ヴィクトリア・プリンシパルがめちゃめちゃ可愛い映画」

「リリー・ラングトリー役でエヴァ・ガードナーが出てたよなー」

リリー……とイリスは母親の名前を思い出していました。だから父さんは母さんのことリリーって呼んだのかな。

「あれは良い映画だったわねぇ。何より音楽が良いのよ」

「私、見たこと無くて」

「俺、確かVHS持ってるよ。『赤い矢』と『ワイルドバンチ』、『アウトロー』のあいだ辺りにあったと思う」

ギルがちょっとためらって、それでも言いました。

「うちに見に来る?」

このあと予定がなけりゃだけど。イリスは「えっえっえっ」と戸惑ってスーのほうを向きました。

「いやあたしは気にしないでいいから。二人で観に行きなさいよ」

スザンナは煙草を吸ってごまかしました。

「オッケー。じゃ、もう何杯か飲んだらうちに行こうぜ。おれ、ちょっとトイレ行ってくる」

ギルが離席して、イリスがスーを見て、手をもじもじさせながら言いました。

「あの、スー、ありがとう」

「良いってことよ。後でどうなったか聞かせなさいよね」

ありがとう。とイリスはもう一回言って、スーの耳元に顔を近付けました。スーは(睫毛ながっ)と思うと、「あんた酔ってんの?」と再び訊ねましたが、イリスは意に介さずに囁きました。

「スーには、教えてあげるね……」

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