* * * * * *

「教えるって、何を?」

 私が警察官になった理由。

 もう聞いたわよ。辿りたかったから、でしょ?

 うん。でもそれは両親の行方じゃなくて、

 私たちが何者なのかを知るため。

?」

「初めて会ったときのこと、覚えてる?」

「ええ。あんたが野良猫を連れてきて……」

「両親が911のテロで行方不明になったって、言ったよね」

イリスは確信犯的に言いました。

「私が警察官になったのは、怪しまれずに戸籍情報を調べることが出来るから」

 それだけじゃなく、この地域のロシアンマフィアに尋問することも出来るから。

 うちの署でロシア語をすらすらと話せるのって、私くらいのもんでしょ?

 私は通訳をするフリをしたり、私的な事情聴取をしたりして繰り返し探ってきたの。

 それで分かったことがある。まだ誰にも言ったことのない話。

「私たちの両親は、もともと戸籍上存在してなかったの」

 生年月日や出生地くらいは判ると思ってた。

 けど、何も痕跡は出なかった。初めから存在してなかったのか、それとも後から消されたのか。

 そう、あの野良猫っていうのはつまり、私たち姉妹のことなの。

「戸籍が存在していない?」

そんな事ってある? イリスはギルがトイレから出てきて、遠くでモーリスやフィリップと話しているのを確認して続けました。

 ロシアンマフィアたちが言っていた。あんたの父親――イワン・ヴォルカヴィチ・ソンツェフ――私の父は、先の戦争の最中、この地に彼らの先祖を移民イミグレーションさせる支援をしたのだと。

 ポグロムを逃れた古儀式派や霊的キリスト教徒たち、ユダヤ教徒、それから白系ロシア人のウクライナ人やポーランド人ね。

 父はボリシェヴィキには与せず、集団からはぐれたヴォルクのように、抑圧からの自由のために戦ったと、そう伝え聞いている。

 だけどそれは何十年も昔の話であり、彼らの爺さん婆さん世代の話であって……また一種の神話や寓話に過ぎないと。彼らは思っていたみたい。

「先の戦争って……ソ連とアフガンのやつ?」

スザンナはイリスがペレストロイカや冷戦終結、ソ連崩壊の話をしているのだと思って聞いていたのですが、イリスは首を横に振って、それから大真面目な顔で言いました。

「ロシア革命と大祖国戦争」

その答えはあまりに突拍子もなかったものですから、スーはしばらくぽかんとして、それからやっと訊きました。

「……あんたって今、歳いくつ?」

「……数え年で二十三?」

「あんた、酔ってんの?」

そう言うと、しばらく二人は見合っていて……ふとイリスが堪えきれず破顔して、淋しく笑って言いました。

「本気にした? からかっただけだよ……」

でもスザンナには、堅物のイリスが嘘や冗談を言っているとは、とても思えないのでした。


* * * * * *


「大丈夫?」

「大丈夫って何よ。あんたのほうが大丈夫?」

「うーん、駄目かも……」

「なに弱気になってんのよ、当たって砕けろゴー・フォー・ブロークでしょう」

おーい、と遠くからギルバートが呼びかけていました。

 イリスは決意を固めたように「じゃ、行くね」とスザンナに言いました。

「おうよ、行ってこい」

店の外で煙草を吸いながら、スザンナは二人を見送っていました。遠くで小さく「行こっ」と言って、駆け寄った彼女が彼の手を握るのが見えました。それから、

(ああ、あたし、頼れるお姉さんになりたかったんだ)

と、今更のように思いました。

――あの二人はきっと今夜同じ形の幸福を夢見るのだろう。あの二人はきっと、これからも同じ幻想を共有できるのだろう。観客が同じスクリーンを眺め、その顔を照らされるように……。


 あたしゃアラバマからルイジアナへ

 本当の愛を探しにゆくとこさ

 出発の夜 一晩中降り続いても乾いてて

 陽は暑いってのに 凍え死にそう……

 スザンナ、泣くんじゃない

 おおスザンナ、泣くんじゃないよ

 バンジョーを抱えてゆくとこさ


 おれが電信柱に飛び乗って河を下ると

 電流が速くなり 五〇〇人のニグロが死んだ

 発電機は爆発して馬も逃げ出し 本当に死ぬかと思ったよ

 しっかと目を閉じ 息を殺した……

 スザンナ、泣くんじゃない

 おおスザンナ、泣くんじゃないよ

 バンジョーを抱えてゆくとこさ


 昨日の晩 おれは夢を見た

 皆が寝静まった頃 おれは確かに彼女を見たんだ

 蕎麦粉のパンをくわえながら 目には涙を浮かべ

 丘から駆け下りてくる スザンナの姿を

 おれは南部から君に会いに行くよ だから

 スザンナ、泣くんじゃない

 おおスザンナ、泣くんじゃないよ

 バンジョーを抱えてゆくとこさ


「あたしにはそんな人が現れるものかしら」

 大きく吐いた煙の微粒子に臥待月ふしまちづきの光が乱反射しました。黒人ともヒスパニックともアジア人ともつかない浅黒い肌をして、天然の癖っ毛とツギハギだらけの心をした三十路前の女の子は、……ぼうっと浮かび上がる幻燈を眺めるように……いつまでも二人の背中を見送っていました。

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