* * * * * *

「あらオコゲのスーちゃん久しぶり、あらちょっと痩せたんじゃないの、今日のネイル可愛いじゃない、あっ席のほう案内するわね、そっちの産子うぶくて可愛い子はどなた?」

と矢継ぎ早に言うのは黒い髪で緑のメッシュの入ったモヒカン頭をトサカのように逆立て、過剰な化粧と服飾とで自らを着飾ったドラァグ・クイーンでした。

「オコゲってゆーな。てかあんた別にゲイじゃないんでしょ?」

ドラァグ・クイーンはチッチッと指を振りながら答えました。

「ゲイだと自称しない事と、ゲイでは無い事とは似ているようで大きな違いよ。あたしは別にゲイだと自称した事がないだけ」

「じゃあゲイなの?」

「アタシにもプライバシーってもんがあるの」

「あたしはオコゲって言われたのを取り消して欲しいだけよ」

「傷付けちゃった? 御免なさいね、ほっぺにキスしてあげるから許して頂戴」

「まあいいや少なくとも、ここはゲイバーじゃないんでしょ?」

「そうね、強いて言うならノンバイナリー・バー。この扮装はアタシの趣味ってだけ。あっ赤毛の貴女こっそり逃げないで、痛くしないんだから。アタシはフィリップ、こっちのさっきから石みたいに黙ってる黒いのがモーリス。二人でモーリス・アンド・フィリップスってコト。お分かり?」

赤毛のイリスと黒い肌のモーリスは揃って、

「…………」

とだけ言いました。(でもイリスは表面上笑っていました)

「あら、黙りんぼさんね。スーちゃん、この子とはどういう関係? 新しいカノジョ?」

「同僚よ。まあ見ての通りこいつ、クソが付くほど真面目なのよ。たぶんあんたみたいな人種を初めて見たんじゃないかしら」

「あら、警察の方。安心して、違法な薬物は取り扱ってないから」

「…………」

モーリスがフィリップをじろりと横に見て黙っていました。フィリップは「はい、はい」と答えて続けました。

「とりあえず、席に案内するわね。スーちゃん、同僚ちゃんにアタシのコト無害だって教えてあげといて」

それからフィリップはスーに聞こえないようにイリスに耳打ちするフリをしました。

「スーちゃんはね、彼氏に振られると絶対ここに来るのよ。だから優しくしてあげて、ね?」

「言っとくけど聞こえてるからね」

スザンナはじろりと睨んで、それからわりかし大声で言いました。

「あと誤解の無いよう言っておきますけど、あたしは別にカノジョが居たこと、ありませんから!」


 フィリップはテキサス出身、モーリスはイリノイのシカゴ出身。二人は軍隊で出会いました。元テキサス・レンジャーであるイシュメル・ヘンリー曹長の分隊で、彼は銀色に鈍く輝く【ピースメイカー】こと……357マグナム口径のスタームルガー・ニュー・バケロを腰に提げていました。

「新任の小隊長はなんと女性。ジェーン・サンダース少尉って言ったかな。みんなで本物の『GIジェーン』だぜって言って、からかった。俺たち――いえあたしたちは補給部隊だったから最前線で戦うことは無かったけど……」

だけど今日び、前線のある戦場がどこにある? 死の不安と危険は常に付きまとう。交通事故でだって年間何万人と死んでる。戦場は、日常のあらゆる要素が過剰に増幅されているだけの狂気なんだ。

 【モーリス・アンド・フィリップス】はテクス・メクス料理を中心としてタコスやナチョス、それからイリノイの四角く切り分けたクリスピー・ピザやイタリアン・サンドなどが人気の飲み屋でした。

「あとはね、キャラメルとチーズのミックス・ポップコーン。デザートにはレインボー・アイスと【レモネード】って名前のシャーベットがあって……あたしあれ好きなのよ」

「特に飲みすぎた夜はね……」

フィリップが【レモネード】とウォッカを使ったフローズン・マルガリータのバリエーション……言わばフローズン・カミカゼとフローズン・バラライカとでも呼ばれるようなカクテルを、一つずつ持ってきました。

「モーリスの料理は美味しくて好きだわ。味付けが好みなのよ」

「アラバマの母親の味を思い出すから?」

フィリップがからかって、スーが「はああああ?」と言ってカチ切れました。

「うちのニグロはサンボじゃないわ……父がメスティーソだったはず。だから一滴規定ワンドロップ・ルールに従えばあたしもインディオってワケよ。青春を公民権運動に費やした母親がひょんなことからヒッピーの父と出会った。当時はエイズもなかったし、LSDに溶けた脳ミソが避妊なんて考えるはずもなく……生まれたのが二人の兄と、あたし。あの辺りとはもう連絡取ってないけどね……」

「【ニグロ】は差別用語じゃないの?」

「あら、私の母語はスペイン語よ。あんたは、モホーク族だっけ? それともコマンチェ?」

フィリップがニヤリと笑って答えました。

「オグララ・ラコタ・オヤーテよ」

「冗談でしょ?」

「あたしみたいなのをスー族じゃ【ウィンクテ】って呼んで、大事にするのよ。ヘンリー曹長にあたしがインディアンだって言ったら、苦笑いしてたっけ。ねえモーリス、」

モーリスはうんうんと頷きました。(彼は寡黙でしたが無愛想や無感情という訳では決して無いのでした)


 モーリスは肉屋でした。屠殺された家畜や狩られた獲物の肉を商品の形にして売るのが彼の仕事でした。彼自身はイスラム教徒ではありませんでしたが、いちおう啓典の民であったので【ニグロ】向けにハラールの肉を提供することも出来ました。

(人を殺したことあるかい、刑事さん)

 指先を刃物が掠めたとき、新兵訓練所で嫌というほど怒号に晒されたとき、そして砂漠の戦場でバラバラになった死体の一部を踏んだとき。人間も肉なんだ。という事を認識するようになりました。

 子なる神も肉なのだと意識するようになりました。イリスは「ええっと」と前置きして、

(つまるところ、生き死には経済ですから)

と答えました。私たちは生まれるのも死ぬのも記帳されて、管理され、納税したりして、権利や公共サービス、それから市民生活を享受したりします。生の間、罪と負債は神や国家といった権威によって肩代わりされ……清算の日に罪と負債は弁済され、帳消しとなる。

(私的な殺しは常に犯罪です。社会契約エンゲージメントのルールと、この経済エコシステムののものですから)

モーリスはまたうんうんと頷きました。二人の物静かな会話は店の喧騒に溶けていきました……。店内にはスキャットマン・ジョンの『エブリバディ・ジャム』が流れていて……、スザンナとフィリップが続けて、弟のエドを話題しています。

「エド・フォスターなんてムスリムらしくない名前だよな」

「あれは、自分で付けたのよ。“【X】は本来の自分の姓でなく、勝手に付けられたものだ”って言ってね。イスムはサイードだったと思うわ。エドは【サイードSaid】を【言ったセド】って読まれたことから生まれた渾名よ」

 あんなに怪しいムスリムも見たこと無いけどね。

 クリスチャンだって敬虔なのとそうでないのが居るわ。

「種違いのエドは母親が鞍替えもとい宗派替えしてからよ。あれはキング牧師からマルコムXに乗り換えたの。当時はもうどっちも死んでたワケだけど……、ムスリムは白人じゃないからアフリカと親和性があるとか、そういう感じの流れあったでしょ」

だから母親のファミリーネームはマクローランじゃないわ。Xに改名してたはずよ。この話にはオチがあってね……。(スザンナは暑くなったのか、笑いながらジャケットを脱ぎかけていました)

「あのニグロは、日焼けが一段と濃いだけのアラブ人をニグロイドだと思い込んでたのよ。あの女は、最終的には白斑が悪化したので白人のフリをしてKKKに入信したわ。今はもう、閉経したんじゃないかしら」

 あのキング・オブ・ポップと同じよ。

 えっ、マイケルってKKKだったの?

 ばか、尋常性白斑のほうよ。

 なーんだ、ビックリした。

「エドは今、何をしてんだっけ?」

スーは伏し目がちに煙草に火を灯し、煙をふうと大きく吐き出しながら答えました。

「看護師よ。イケメンで独身の先生を紹介してくれるって言うから、そこそこ期待してるわ」

ジッポーをパチンと閉じて場面はカット、その会話は終わりました。


 少し店内は静かになって、チェット・ベイカーの『ノット・フォー・ミー』がよく聞こえました。

「楽しんでる?」

イリスがチーズのたっぷり乗ったピザを飲むように食べながら、

「うん。料理も美味しいし」

とあどけなく答えました。

「あんたと来たのに、あんま喋ってないなと思って」

「気にしてないよ。花より団子って言うでしょ」

 わたし基礎代謝高めだからすぐお腹空いちゃうんだよね。イリスは身体ごと傾けてスザンナの背中を覗きました。

「スーの刺青って、すごいよね。右肩から背中いっぱいに。蝶と、龍と、バラと、鎖?」

スザンナは虚を突かれたように一瞬だけ目を大きくしましたが、「すごいでしょ」と言って誤魔化しました。

「半袖で隠れる部位にやんなきゃいけないのよ。警官の規定でね。左腕の蝶はギリギリだけど。そんくらいなら何も言われないわ」

スザンナはかがんでジーンズの裾をめくって見せました。

「こっちの足首にはいかりを入れてんのよ。反対の、右の内ももでは羽根の生えたハートが弓矢を引いてるわ。見せないけどね」

ぴとっと水滴が落ちてつめたっと言って見上げるとイリスがぼろぼろと涙を零していました。

 スーは思わず、わあっと声を上げました。

「なんであんたが泣く」

「だって……」

イリスは目尻を赤くして擦っていました。

「それ、よく見たらさ……」

「あー(ちょっとめんどくさいな、とスーは思いました)。あんた刑事だから分かるんだ」

イリスは小さく頷きました。スーは大袈裟に肩を叩いてやって言いました。

「まあ気にすんなって。あんたが殴ったワケじゃないし」

「最近じゃないでしょ?」

まあね、とスーは答えました。

「てっきりかと思ったけど。――誰に、やられたの?」

イリスの表情は既に憐憫というよりも明らかな怒りが混じっているのが分かりました。それを見たのでスザンナは、深く深く吸い込んだ溜息を煙として吐き出しながら、答えました。

「馬鹿で哀れな、それでもたった一人のあたしのニグロよ」

マルボロの吸い差しを透明なガラスの灰皿に押し当てると、その炎は消えてなくなり暗い焦げ跡だけがそこに残りました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る