* * * * * *

「あの事件はどうなったの?」

「連邦捜査局が引き継いだって」

「それ、本当にあるんだ」

ドラマでしか見たことないわ。

「州またぎのコロシだったんだって」

拳銃や足跡の特徴が一致したと……。

「期待の新人刑事さんは獲物を盗られてガッカリかしら?」

スーがからかうと、イリスは素っ気なく、

「別に? 捕まえてくれればそれで構わないよ」

と答えました。それは本心でイリスはキャリア形成にハナから興味がないのでした。スーは店員に注文しました。

「あたしは、ホット・バタード・ラム・カウ。あんたはウォッカ?」

「ストリチナヤがあればそれをオン・ザ・ロックの、ダブルで」

イリスはでしたが飲み方といえば初めはウォッカで慣らしてからあとは味を楽しむ目的で色んな種類のカクテルを代わる代わる、それこそジュースやソフトドリンクのように飲むのでした。

「誰が次の署長になるのかなぁ」

「ああ、前のはセクハラでクビになったかんね」

あのエロ親爺。とスザンナはぼそっと恨み言を呟きました。

「私はハツシロさんが良いな」

「あんた、ああいうのがタイプ?」

「えっそういう意味じゃなくって」

「からかっただけよ」

スザンナは鼻で笑って言いました。

「だってあんた、絶対に父親との関係に問題抱えてるタイプでしょ。見れば分かるもん」

「そう思う?」

思うわね。スーが言うと店員がお酒を持ってきて二人は儀礼的に(そうするのが習慣であるように)乾杯しました。

「父さんと母さんが911の日にロサンゼルス行きの便に乗ってて」

スーは口に含んでいたラムを少量、横を向いて噴き出しました。

「初耳よ」

「そうだっけ?」

悪かったわよ、とスーはの悪そうに言いました。

現場グラウンド・ゼロには行ったけど、遺体は見つからなかった。ほとんどの人がそうだったかな。泣いてる人も多かった」

「あんたが刑事になったのは……」

「うん。辿りたかったから」

父さんとは、森でよく狩りをしてたんだ。私に銃の撃ち方を教えてくれた師匠せんせいはインディアンのスカウトの技術わざを身に付けていた。痕跡を読んでイメージすること。たぶん、私にはその才があったのね。

「でも妹は、テロのことなんか何にも気付いてないふうなの。何も起きなかったかのように……まるで遠い出来事でしか無かったかのように。両親が居なくなったことについても、何も言わないし……。もともと内向きな子だけど、それが逆に心配で」

(こいつよりも世間知らずでな奴が存在するのか)とスーは思いながらグラスで顔を隠しました。

「あんたにも妹が居るのね」

「居るよ。スーも?」

のはよく考えたら異父弟おとうとだったわ。種違いの」

スザンナはピスタチオの殻を割りました。

「アリスは――妹のことね、ピアノが好きで。私が猫を持ってきたときのこと、覚えてる? あれは妹の猫だったの」

「あれは本当の野良猫だったわね」

うん、とイリスは頷きながらウォッカを少し飲みました。

「あの頃は私も気が立ってて。警察学校を卒業するかしないかの頃だったし、妹が何を考えているのか、分からなかったから。心理学に防衛機制ってあるでしょ? 初めは両親のことでショックを受けていたんだと思ってたんだけど……」

けど? スザンナは訊きました。

「不気味なくらい、以前と変わらないから。たぶん本当に知らないんだと思う。だから、わざわざ言わなくても良いかなと思って」

「妹ちゃん、今年でいくつ?」

「……先月で十四になった、かな?」

「学校は?」

「行ってない。私もそう。ホームスクールみたいなもんだったから」

「友達は?」

「最近、出来たみたい。ハンナさんって言うんだけど。もう一年も経つかな。今日は街で何があった、こういう話をした、クッキーやアイスが美味しかった、って話をするよ。――そう、そのハンナさんってね、本当に料理が上手なのよ。喫茶店で売ってる手作りのお菓子とかよく買って帰るんだけどね……昔は、師匠せんせいのところの犬たちだけが友達だった。私もね」

「あんたの家って、ちょっとヘンなのね?」

イリスはカシューナッツを少しつまんでウォッカを一杯飲み干すと、新しいのを注文しました。

「それは思うよ。母さんは産婆ミッドワイフだったの。あの深い森で、私は赤ん坊が生まれる所と獲物たちが死ぬ所の境界はざまに居たの。六歳かそこらの子供にとっては、かなり強烈な経験だったよ! 産むことがおんなの役割なんだって、そのとき胸の奥にハッキリ刻まれた」

その日、初めて乳歯が抜けたの。イリスはアーモンドとピーナッツを噛んでぽりぽり音を立てました。

「スーは? 学校には行ってた?」

「たぶん行ってた……と思うわ。もう遠い昔のことだから。十年前とか? 卒業はしたはずだけど」

 そんなもんかぁ。

 そんなもんよ。

「私、学校に行ったこと無かったから憧れがあったのね。警察学校はちょっと違うじゃん、短いし」

「あんた高校出てないならどうやって警察入ったの?」

「世間には高校卒業資格GEDというのがあるんですよ」

「はあ、そうですか」

タバコ吸っていい? とスザンナは訊いてイリスは「うん」と言いました。赤いマルボロを取り出し火を点けると、それからビールを注文しました。

「高校の時ねぇ。あたしがまたアラバマに居て、十六とか十七とか、そんくらいの時でしょ? 初めてカレシが出来て浮かれてたかな」

「おおう」

「何よ」

「いや……」

 恋愛の話が出てくると思ってなくて……。

 そういう話が聞きたかったんじゃないの?

「ええとですね」

「はい」

「このあいだ……」

二人の間にしばらくタバコの煙が漂っていました。

「……初めて男の人とキスをしたの」

スザンナは頬杖をついたまま拍子抜けとも呆気とも言えないような顔をしました。

「まじ? あんたヤバいわね」

「やっぱ、そう?」

「もう寝たの?」

「えっ! ま、まだだよ……」

「じゃあはあるのね」

「……うー……」

イリスは耳まで真っ赤になりました。

「あんた来年でいくつになるっけ」

「……二十三?」

「二十三で処女はヤバいって」

「やっぱりそう思います?」

「中学生じゃないんだから」

「だって誰も恋愛の仕方なんて教えてくれなかったし」

「ちなみにそれ、いつの話?」

イリスはウォッカを少し傾けてそれから答えました。

「ちょっと前、左の脇腹を撃たれて一瞬だけ入院したとき。わざわざお見舞いに来てくれたのが嬉しくて……なんか、その、成り行きで」

言いながらグラスで顔を隠しました。

「ああそうなの。デートとかはしたの?」

「うーん……一緒に射撃場に行ったり映画見に行ったりはしたけど、でも、それより前の話だし」

「へー、けっこう向こうも気がありそうじゃない。何の映画?」

「『スターリングラード』とか」

「戦争映画かよ」

「でも結構、恋愛のシーンもあったよ。ハッピーエンドだったし」

「さいですか」

「えと……銃砲店の子でね? ……子供のときに何度か会ってたの。彼は背が伸びていて私は最初気付かなかった。でも向こうは私のこと覚えてくれてて……」

「ごめんちょっと胃もたれしてきた」

「急にお酒入れたから?」

「ちがうわよ馬鹿」

スザンナは灰皿にタバコを押し付けて消しました。


* * * * * *


「さー次行くわよ」

「飲み過ぎじゃない?」

「良いじゃない。あたし、おととい誕生日だよ」

ハロウィンまでもう十日かそこら。街は様々なデコレーションで飾り付けられていて、カボチャ、魔女や猫のモチーフ、それからイルミネーションがぴかぴかしており……【モーリス・アンド・フィリップス】という名前の看板も例外ではありませんでした。

 イリスはそれを見上げて呟きました。

「私ここ来たことない」

「連れてきたこと無かったっけ?」

「なんていうか……妖しい感じのする」

ふーん、とスザンナはニヤニヤ笑って言いました。

「じゃ、あんたには刺激が強すぎるかもね……」

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