* * * * * *
その視界に順繰りに現れては消えていく石畳の作る路地の模様を眺めながらアリスは、街というモノの空気を味わっていました。行き交う人々と車や自転車、重い空、白糖とブラウンシュガー、それにメープル・シロップや
(ダイナはどこまで行ったのかしら?)
街の建物の看板には魔女のモチーフやカボチャなどがあしらわれていて、アリスは知らなかったのですが、街は気が早くてまだ九月なのにハロウィンの準備をしているのでした。街頭のテレビジョンからは『
黒人の
じゃ、
じゃ、そのまた
来月にはサウスパークも再開するし……。
前回は何だっけ? 未来からの移民の話?
ビンラディンの回よかったなぁ。昔のアニメみたいで……。
スラップスティックだったね。それでも寓意性と風刺があるよね。
全体的にね。でも
ロスト見た? 飛行機が無人島に墜落して……。
見た、見た。なんか考察のしがいありそうだよね。
フラッシュバックだっけ? みんな過去に色々ありそうでさ……。
24の次シーズンもまだ先だしね。あれ見てると疲れるけど。
クリフハンガーだって言うけど、なんか見ちゃうんだよなぁ。
キリストは
そりゃなんでまた……じゃ、彼の
なるほどね。その
ミリタリー系のスパイアクションが流行ってるよね。
やっぱドラマの影響かなぁ。あと映画とか、時事問題とか。
アメリカ論みたいな側面があるね。陰謀論とも相性いいし……。
暴力の行使って何なのか、考えさせられるよ。
3も冬に出るしさ。舞台が六〇年代だっけ? 待ちきれないよ。
まさにスパイ活劇黄金時代だもんね。スパイと言えば……。
五代目もそろそろ引退かな? 次のボンドは誰だろう……。
アメリカという国は
グローバリズムは? ――うーん、
じゃ、
(街には沢山の名前が溢れているのだわ)
と、アリスは思いました。名前とは刻印や
僕は
街路樹はほんのり
「
と声を上げましたが、女性がきょとんとしたままでしたので、
「
と、言い直しました。明るい橙色の赤毛の女性は目を大きくして、
「――あら! フランス語がおじょうずね!」
と答えました。口元には笑みが浮かんでいて、あるいは常に笑みを湛える事が彼女の武装と方陣であったかもしれませんが、
「私もよそ見をしていたわ。ごめんなさいね。怪我はない?」
「イイエ、だいじょぶです。ありがとございます」
ケベック州から来たの? 女性は尋ねました。イイエ、私は、森から……。とアリスは自分が来たと思う方向を指差しながら答えました。森? とだけ言って頷いて、
「少しだけ、ウクライナや白ロシアのなまりがあるのね」
若い女性(少女と言っても問題ない年頃でしょう)がきょとんとしていたのはぶつかられた事よりもアリスの話す言葉のほうに強く興味を惹かれたからでした。
「
「
「
話す言葉がとても上手だから。アリスはそう思いましたが口にはしませんでした。
「
「それで、コトバを……」
そう。あなたほど上手じゃないでしょうけれど。と、外に跳ねる赤毛の女の子は言いました。自己紹介がまだだったわね。
「
「雨が降るのね」
どこかで、雨宿りしましょう。
良い喫茶店を知っているのよ。
この街では昔、糖蜜の津波が起きたそうよ。
糖蜜の?
だから甘い匂いが漂っているんですね。
ええ、そうなの。
私は、結婚式の帰りでね。
あたらしく結ばれたのは花嫁と花嫁。
女の人どうしが?
そんな事があるなんて、初めて聞きました。
おばさまも「ここは実に進歩的だ」と言っていたわ。
(魔女狩りのあった時代に比べれば…………)
(いいえ、それは今も変わらない)
(人が人である限り、誰かを疎外せずにはいられない……)
今年の五月、十七日から。州憲法でね。国内初なんだそうよ。
知らない事ばかりなのね?
それはきっと幸せな事だわ。これから知る事が出来るんだもの。
この土地はネイティヴの言葉で「
街の名前はアーカム市。海が見えたかしら?
大航海時代から貿易港として栄えたそうね。
大航海時代…………なんでも知ってるんですね。
大学で聞いた事ばかりだから。受け売りの知識なの。
それでも、たくさん知っている事はスゴイです。
ありがとう、…………。
きっとあなたも、私の知らない事を知っているに違いないわ。
(きっとあなたにも、私には分かりえない部分があるのだわ)
……クレアさんは、――あっ…………。
「どうしたの?」
「猫がたくさん」
なんだか野良猫の数が増えてきたようでした。アリスは一匹いっぴきの顔付きや毛色なんかをよく目を凝らして確かめましたが、どうも「ダイナ!」と呼びかけてもみんなが一斉に返事をしてきそうで、というよりも、私なんかよりヒトに慣れていて、近付いても全然、逃げ出さないのだなぁなんて事を思ったりしました。
「喫茶店に近付いてきたからよ。あそこで働いてる子が、猫好きでね。よく餌をやったりしているの」
「実は、飼っている子が街のほうに……」
「それを追いかけてきたのね? ――ほら、もう、ここがそうよ。その子が居ると良いけれど」
アリスはガラス窓越しに店内を眺めました。少し曇っていて、ピアノの音がして、お客さんは全く居ないという訳ではないけれど騒がしいといった感じでもありませんでした。
「……ピアノ……」
「自動ピアノよ。ジュークボックスや、ラジオもあるけれど。音楽が好き?」
「ハイ。家ではよくピアノを弾くんです」
「私はセロを。ときどき、街の
「あっ!」
ダイナ! と窓越しに言って手を振りました。ダイナは一番奥の席の青年の傍に箱座りしていて、その毛並みを撫ぜられていましたが、青年は気付くと、チェシャ猫みたいに笑ってアリスに手を振り返しました。アリスはちょっと恥ずかしくなって赤面しましたが、
「あの子がさっき言っていた猫好きの友達よ。名前は――、いいえ、私が説明するより、会って話したほうがきっと早いわね」
雨はしとしとと柔らかに降って、【OPEN】と
(まったくアリスったら、いったい今までどこに行ってたのさ?)
とでも言いたげな様子でした。
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