心のケア 〜とある精神科医の物語〜

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心のケア〜とある精神科医の物語〜

 携帯のアラーム音で夢から覚め、むくむくと起き上がる。すぐに着替え、腕時計をはめた。ぐっすり眠っている妻に小声で、

「行ってきます」

と声をかけ家を出た。家の近くのコンビニで菓子パンを一つとから揚げを買った。僕、春宮小太郎はるみやこたろうはここのコンビニの常連で6年間毎日ここで朝ごはんを買う。だから一年ぐらい前からちょうど僕が寄る時間にから揚げの揚げたてが用意されている。硬貨を四枚出して、レシートを受け取った。二百十五円。当たり前だがいつも二百十五円。そして、歩きながら食べる。まだ、あたりは暗く普段は混雑するこの道も人通りが少ない。学生の姿など一度も見たことがない。私は今出勤真っ最中だが、スーツを着ていないから他の人から見たら、朝まで遊び呆けていたニートに見えるだろう。しかし、幸いなことに僕はニートではない。なぜなら、さっきも言ったように今、会社に向かっているから。ニートとは15から35歳までの通学や仕事をしていない人のことらしい。だから、僕はニートではない。きちんと会社に着いたら着替える。僕は裏口のドアから入っていた。今日は一番早いようだ。朝礼が朝六時で今が四時半を過ぎたところだから不思議ではない。僕も、いつもは五時過ぎぐらいに来る。今日はたまたま早く起きたから、少し早めに来ただけのことだ。早速僕は白衣に着替えた。あ、言い忘れていたが、僕の職業は精神科医だ。これで、スーツを着ていない理由も分かっただろう。精神科医とは患者さんの気持ちになって患者さんに寄り添う。僕は患者さんの心のケアをする仕事だと思っている。まあ、カウンセラーみたいなものだ。僕はポットでお湯を沸かし始めた。いつも、ここでコーヒーを飲んでいる。おっと、タイムカードをやってこないと。また、奥さんに怒られちゃう。自分の机からカードを出して受付に行った。四時三十一分出勤と。また、控え室に戻り、コーヒーを飲み始めた。僕はブラックが好きなのだ。だから、ミルクとか砂糖を入れたことはない。朝の一杯を飲み干すと、一冊の本を読み始めた。これも朝の日課の一つだ。脳が活性化するらしい。今読んでいる本は、「医療の最先端 〜日本の最新医療技術〜」という本。医師をしている僕からすると、実に興味深く、ためになる本だ。こういう医者らしい仕事してみたいなあなんて思うときもあるが、別に今の仕事に不満を持っているわけではない。そうしているうちに仕事場の仲間たちがやってきた。そのうちに朝礼が始まり、準備をし始めた。ほとんど使わない聴診器を首にかけ、ネームプレートを胸につけた。さて、僕は自分の診察室に行きパソコンをいじりだす。そして、今日二杯目のコーヒーをすする。バックからさっきの本を取り出し続きを読みだす。今ちょうど精神科の章だった。患者さんの言うことを信じる。機械や薬ではなく人の感覚や気持ちを使って治療する。

 チーン…チーン…放送がなった。中原様、中原様、一番の部屋にどうぞ。あ、僕のところだ。本を閉じて入り口の方に体を向けた。

「すいませーん」

そう一声かけ椅子に座った。始めに挨拶、その後座るとカルテに書く。今日はどうなされましたかと聞こうとしたら、目を疑った。目の前に座っているのは、どうも小学生らしい。「ねえ医者。いじめに遭っているうちを助けて、助けて、ねえ、助けてよ。」

さっきと態度が急変した。こういう時はただ寄り添って話を聞くのが一番だ。

「何歳かな。お家の人はいる?」

「十二歳。中原希子。親はあっちにいる。」

少しは落ち着いたがまだ息切れをしていた。

「お母さん呼んできてくれないかな」

中原さんは一旦病室を出てお母さんを呼びに行った。多分あれは典型的な面倒ないじめだぞ。すでに引きこもっている可能性が高い。一回吐き出させるのがいいかな。僕は看護師さんにオレンジジュースを取ってきてもらった。飲み物を飲むと、落ち着くものだ。

「失礼します」

今度はお母さんと一緒に入ってきた。

「あの、うちの子は…」

「大丈夫ですよ。優しく見守ってあげましょう。」

「希子ちゃん、やめてって。いじめないでよって言えないかな。」

希子ちゃんは首を縦に振った。

「あの、薬出してもらえないんですか」

これはお母さん。

「出せないことはないんですけど。あんまり薬に頼らないほうが希子ちゃんのためかなと思ったり。まだ、小学生ですしね」

希子ちゃんはオレンジジュースを口に入れた。お母さんはため息をついた。

「じゃあ、このままほっとけっていうんですか。それでも医者なの。希子がかわいそうだわ。」

今度はお母さんが怒鳴った。あー、こういうの苦手なんだよな。よくあるんだけど。

「じゃあ、一週間分だけ安定剤だしときますね。夕食後服用です。その代わり、飲んだ次の日は学校に行って下さい。」

二人は一礼して帰っていった。


 一週間後


 「中原さん、一番の部屋にどうぞ。」

どうだったかな。僕はあまり期待していなかったが、祈ることしかできない。結果は思ったとおりだった。薬は飲んだものの、学校には行けなかったらしい。もう、三月だからな。卒業までに行かせてあげたいけど。今日はお母さんは来ていなかった。希子ちゃんが嫌がったのかな。今日は学校での出来事を全部聴くことにした。もう六年生だし、親の前で言えないこともあるだろう。

「希子ちゃん、どんなことされたか教えてくれないかな」

「悪口、陰口、殴る、蹴る。机に画鋲置くとか。上履き盗んで汚い池に落とすとか。馬鹿だよね。何が楽しいんだか分かんない。」

希子ちゃんの目からは涙が出ていた。やっぱり辛いよね。

「希子ちゃん。卒業式の練習の時間分かるかな。」

「毎日一、二時間目にやるって言ってたよ。」

「じゃあその時だけ学校行ってみたらどう。練習してたらいじめられないでしょ。ね。」

希子ちゃんは不安げな表情を浮かべつつも少し学校に行く気分になってくれた気がすいる。色々な気持ちが入り混じっている、そんな表情だった。話しているうちに段々と打ち解けている様子もあった。

「また、明日学校終わったら来てくれないかな。これからのこと話そう。」

「うん」

希子ちゃんの顔には笑顔も見られた。次の日、希子ちゃんは病院には来なかった。僕は心配だった。また、明日来てくれることを信じていた。

次の日もその次の日も来なかった。僕は自分が無力に思えてきた。次の土曜日に希子ちゃんは病院に来た。希子ちゃんは笑っていた。満面の笑みを浮かべていた。「ど、どうしたの?」

僕は嬉しかった。やっぱり、元気になってくれると嬉しい。医者のやりがいを感じる一番のときだ。

「あのね、あのね。一回行ったら楽しくなっちゃって。みんな心配してくれてた。やめてねって言ったら、私のことをいじめてた子も謝ってくれて。楽しいからいいかなって。放課後も毎日遊んだんだよ。」

僕は、希子ちゃんの話をずっと聞いていた。それから、希子ちゃんは病院には来なかった。もう、僕は心配しなかった。後になってお母さんから来た手紙によると、無事みんなと一緒に卒業できたと書いてあった。希子ちゃんの勇気のおかげで僕も毎日楽しく働けている。ありがとう、希子ちゃん。これからも頑張ってね。



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