scene3 カツ丼二十三個



「で、桃山。おまえたち、怪我はないのか?」

 但馬守の心配そうな声がたずねる。大きな心配が去って小さい心配が気になるといったところか。

「ええ、ちょっとあたしも水戸さんも手足が痺れていますが、軽度の感電といった感じで、火傷はありませんでした。ブゲイスーツの防御のお蔭かもしれません」

 印籠フォンに答えながら、車の窓越しに赤塚神社の境内を眺める。いまちょうど駐車場の方向へ応援のパトカー二台と救急車が入っていくところだ。そしてその五分ほど前には赤い消防車も一台駆けつけてきている。

「警察にブゲイジャーの姿は見られたか?」

「それもないと思います。警官は全員気絶していましたから。あと変身解除も離れてからしましたから、あたしたちの顔もバレてないはずです」

「その獅子丸とかいう妖怪が近くに潜んでいる可能性はあると思うか? 一応妖怪サーチャーに反応はないが、まだ『人魚のミイラ』を狙っている可能性は捨てがたいぞ」

「はい」あづちは膝の上にのせた桐箱を撫でつつ、周囲を見回した。「ただ、案外あきらめが早かったので、人質との交換で入手するつもりかもしれません。ただ、これ、あたしたちが手に入れちゃったら、人質との交換には使えませんよね」

「そりゃそうだが、とにかく戻って来いよ。このあとの作戦を練ろう。どちらにしろ、『人魚のミイラ』を妖怪どもに渡すわけにはいかねえんだ」

「はあ、まあ」あづちは曖昧に答えて通話を切った。「もどりましょう」とだけ牧島に伝える。

「キナ子ちゃん、身体は本当にだいじょうぶ?」

「ええ」キナ子は肩をすくめてみせる。「イエローですから、雷属性なんで。それよりも、あの男に、兵法家として未熟と言われたことのほうが、こたえてます。たしかにあたしは技は分かっているかもしれないですけど、戦略は丸っきりダメです。駆け引きとか状況判断とかは全然できないし、相手の手の内を読むようなことも、したことがないから。ていうか、手の内どころか、空気すら読めないですもんね」

 キナ子のあははははという笑いが、車内に悲しく響く。運転席で、身じろぎするように牧島が少しだけ振り返る。

「赤穂くんがあなたに、武術を教えてくれって頼んだんですってね」あづちは牧島に車を出すよう目で促す。「だったら、駆け引きや戦略は赤穂くんにならいなさい。彼、そういうの得意だから」

 キナ子はすこしうつむいたまま、目線を上げずにちいさくうなずく。

 だめだ、こりゃ。あづちは心の中でつぶやいた。これは、重傷だわ。

 黒のフライングスパーは静かに走り出した。



 時刻は夜の六時を回っている。

 どうやら要求したカツ丼二十三個が届いたらしい。

 シャッターの外から警察のスピーカーがそれを伝えてきた。

 シャッターの開いた場所から、白衣を着込んだ出前の男たちが、プラスチックのバンジュウにつめこまれたカツ丼を運び入れてくる。蓋つきのどんぶりに入ったカツ丼と小皿の漬物にそれぞれラップがかけられ、規則正しくバンジュウの中に並べられたものが、三セット。白衣の男三人が軽々と抱えて中に入ってきた。

 男たちは三人とも、三十代の体格のいいそば屋の店員という風だが、全員目つきが妙に鋭く、履いている黒の皮靴はぴかぴかに磨かれていた。士郎は、彼らがそば屋に変装した警官だとひと目でわかったが、というか、あんなそば屋の店員はいやしないのは明白で、これは一悶着あるか?とショウの様子をうかがったが、長身の妖怪はにやにやとカツ丼が運び込まれる様子を眺めているばかりで、とくに店員たちが警官の変装であることには気づかない、あるいは気にしていない感じだった。

 そば屋に変装した警官たちは、カツ丼の入ったバンジュウをフロアの中央に置くと、周囲にするどい目を走らせて、そのまま静かに出て行った。

「よし、じゃあみんな、食事の時間だ」ショウはぱんと手を叩いた。「一列になってカツ丼をとりにきてくれ。ひとつずつとったら、それぞれ好きな場所で食べること。あっちのイスと、あとカウンターの中のデスクを自由に使っていいぞ。食事は一時間。終わったら元の場所にもどること」

 ショウの指示にしたがって、人質たちがのろのろと動き出す。士郎も目立たない様にカツ丼の列に並んだ。

「あの、ショウさん」立ち上がったユリアが、つかつかと犯人グループのリーダーの前に踏み出した。「提案があります」

 士郎はぎょっと目を剥く。

「おう、なんだ」ショウは鋭い視線をゴスロリ風の女の子に向ける。

「あそこのおじいさんと、あっちの妊婦、それとあの子供を解放してはいかがでしょうか?」ユリアは三人の人質をつぎつぎと指さす。

「なぜ?」ショウは不機嫌そうにユリアを睨む。

「警察はあなたの要求を呑んで、カツ丼を寄越しました。今度はあなたが、警察の要求を呑む番です。人質を何人かここで解放すべきです」

「んなことしてたら、あっという間に人質がいなくなっちまうじゃねえか」

「だいじょうぶです。まだ二十一人も残っています」ユリアは一歩も引かない。「ここで、警察が要求を呑めば、あなたが人質を解放する、そういう図式を作っておけば、次の要求に対しても警察は素直に従う可能性が高い。カードは有効に使うべきです」

「ふうむ」ショウは顎に手を当ててしばし考えた。「よし、そうしよう。じゃあ今言われた三人。解放するぞ。でもせっかくだからカツ丼は食って帰れ。それまでに警察にはおれから電話一本入れとくから」

「ありがとうございます」ユリアは一礼すると、士郎の隣にもどってきた。カツ丼の列に割り込む形になったが、後ろの人はなにも言わずに場所をあける。

「勇気あるなぁ」士郎はユリアの顔をまじまじと眺めて、しきりに感心した。

「いえ」ユリアはちょっと頬を赤くしてうつむく。「大したこと、ありませんって」

 やがて静かに食事がはじまり、人質たちがもそもそとカツ丼を咀嚼する音だけが、行内に響いた。

 皆がだまって口だけを動かしている。

 ぴくりとも動かないヒトガタたちと、不動の姿勢で立ち尽くすアミキリ。ショウだけが退屈そうにあくびをしている。そして少し離れた床の上に倒れたままの黒田。出血は止まっているし、死んではいないと思うが、さすがにちょっと心配になってきた。

 が、とにかくここは、大人しく情報収集に徹する。

 陰でこっそりゲーム機をネットに接続し、返答をチェックするが、レスは無し。まあ古武研のフェイスブックじゃあ気づかないのは無理もないが、妖怪サーチャーの反応には気づいているんじゃないのか? そうしたら当然士郎と黒田にも呼び出しがかかり、反応しないことから位置検索されて、この場所、すなわち妖怪と一緒にいることが知れるはずだ。

 そう。但馬守たちは、士郎と黒田がここで人質になっていることには、気づいているはずだ。が、印籠フォンが手元にないので、向こうからの連絡はとれない。あるいは、人質であることをおもんばかって、あえて印籠フォンに連絡を入れてない可能性もある。

 来る。助けは必ず来る。だが、それはいつだ? どのタイミングで残りのブゲイジャーは突入してくる? そのときおれは、どう動く?


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