scene7 おじいちゃんも登場


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 士郎が小太刀や十手を入れた手提げを下げて武道場に入った時、木刀を構えたあづち姫と薙刀をもったキナ子ママ・杏が対峙しているところだった。杏が持っている薙刀はもちろん木でできた練習用である。その練習用の木の薙刀の刃を地面に垂らすように構えた杏はあづち姫に向かい、さっと刃を返すような仕草であづち姫の手元に薙刀の先端を突きこんだ。あづち姫はさすがの反応速度で薙刀の刃を払うが、あのタイミングでは判定としては両手を斬られているだろう。一方、あづち姫の払う動きに反応した杏は、すかさず薙刀の刃をもどし、下からあづち姫の脇腹に刃を寸止めで打ち込む。それをすかさずあづち姫が木刀で払おうとするが、ふたたび杏は刃を外し、今度はあづち姫の首へ。

 まるで大人と子供だ。あの運動神経抜群の桃山あづちが、遊び半分の杏に翻弄されている。実力が違いすぎる。いや、士郎の見るところ、あづちが一つ動く間に、杏は二つかそれ以上動いている。あれでは、勝てっこない。

 ふと周囲を見回すと、キナ子の他に武道場で練習していたはずの剣道部の連中までが、魅入られたように二人の稽古をじっと見つめている。ただ唯一、壁際に立つ黒田だけが、ときどき後ろの鏡を振り返ってばかりおり、落ち着きがない。

 その時、ぎいっと音を立てて、裏庭側の鉄のドアが開かれた。

 士郎が反射的に振り返ると、風呂敷包みをさげたおじいちゃんが、釣りに行くときの格好で中に入ってくるところだった。おじいちゃんは、釣りに行くような帽子を被り、釣りに行くときに着るようなナイロンのジャンパーを羽織り、釣竿ケースを肩にかけている。

 はあ? なにあれ? なにしに来たんだ?

 士郎が「ちょっと、あんた……」と入ってくるおじいさんを止めようとすると、「あ、おじいちゃん」とキナ子が声をかけた。

「おお、キナ子。職員室で顧問の先生に聞いたら、こっちにいるみたいだって教えてもらってね。古武道研究会の稽古場は、ここでいいんだな」

 きょとんとした黒田とあづちが顔を見合わせ、とりあえず入ってきたおじいさんのところに行くので、士郎も近づいた。

「これは、うちの祖父です」キナ子が釣りに行くみたいな恰好をしたおじいさんを士郎たちに紹介してくれた。「一応あたしが呼んだ、古武道研究会のコーチの人ってことで、いろいろみんなに教えてもらおうと、先生にも許可を得てます」

「あ、どうもはじめまして」士郎たちは、口々に挨拶する。

「大野と申します。どうも、いつも孫がお世話になってます」にんまりとおじいさんは笑った。

「うおっ、大野テンゼン先生ですか」おじいちゃんの釣竿ケースについている名札に『大野典善』と書いてあるのを発見した黒田が大袈裟に驚く。「剣豪っぽい名前ですね」

「いえいえ、これはノリヨシと読みます。孫は、うちの娘の娘ですので、姓はちがいますが、キナ子の祖父でございます」

 なんかずいぶん柔らかい先生だ。

「どうも初めまして」少し元気の出てきたあづち姫が社交的に挨拶する。「では、杏さんと一緒にあたしたちに武術をご指導いただけるということで、よろしいでしょうか?」

 言われた瞬間、典膳先生の顔が強張った。

「杏? 娘が来たんですか?」

「は?」士郎はあづち姫と顔を見合わせてから、訝しげに肯定の意味でうなずく。「はい」

「なんと」典善先生はちいさく否々と首を振るとキナ子に向き直る。「本当か?」

「うん」口をとがらせてキナ子がうなずいた。

「みなさんにも、杏の姿は見えましたか?」典善先生にたずねられ、士郎とあづちはうなずく。

「見えましたが、それがなにか……」

 典善先生は大きく嘆息すると、難しい顔で天井を仰いだ。

「そうですか。娘にも困ったものです」

「あの」あづちがおそるおそるたずねる。「なにか、問題でも……」

「娘は十年前、夫、すなわちキナ子の父親とともに旅客機の墜落事故で亡くなっておりまして」

 一瞬、いや数秒、士郎とあづちはきょとんとした。

「最終的に遺体は発見されず終いでしたが、なにせ太平洋上の事故でしたので」

「なんの話?」あづちが士郎の耳元に囁く。

「さあ?」士郎も首を傾げるしかない。「あの、すみません。亡くなった娘さんってどなたのことでしょうか? キナ子の叔母さんにあたる人とかですかね?」

「そうじゃなくて」キナ子本人が否定した。「十年前に死んだのは、あたしの母の杏で、さっきまでここで薙刀振り回してた、あの人です」

「いやちょっとまてよ」半笑いで士郎は武道場をぐるりと指でさしてまわる。「キナ子のお母さんの杏さんなら、いまここに……、いねえな。いつのまにか」

「よく出てくるの」キナ子が言う。「あたしの前には」

「わたくしには、見えないのですが」典善先生が嘆息する。「みなさんにも見えましたか」

「は?」さすがのあづち姫も半笑いだ。「お二人とも、ふざけて言っているんですよね」

「死んだにもかかわらず、孫の前にはよく姿を現すようで」典善先生が悲痛な表情を見せる。

「なにれこ」あづちが小さい声で言って、士郎の脇腹を小突く。「どういう状況?」

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