scene5 十手、二十手、三十手

「あっ」と士郎は声をあげる。「もしかして、おれたちに武術を教えに来てくれたんですか。キナ子の言っていた家族の師範って、杏さんのことですか」

「むふうんっ」杏は、口の両端が耳にくっつきそうになるくらいの満面の笑顔を見せた。「あーら、あんたたち、あたしに武術を習いたいってわけ?」

 にっこり笑うと目じりの小じわが目立つが、そこには触れないでおく。

「おおうっ」黒田がおめくような歓声をあげる。「本当ですか、師範! 是非、是非、是非。われわれに一手、いや一手といわず十手、二十手、三十手、武術の技をご教授くだされぃ」

「急に時代劇口調になるな」冷静に指摘しているつもりの士郎だが、自分でも、自分の声が興奮に上ずっているのがわかる。「杏先生、おれからもお願いします。居合でも剣術でもいいんです。なにかほんのちょっとした技でも構わないんで、戦いのヒントになる何か、とっかかりだけでもいいから、教えてください」

 士郎と黒田はふたりそろって頭をさげた。変なところで呼吸がぴったり合う。

「いや、ちょっとまって、二人とも」キナ子が割って入ろうとする。「うちのお母さんは……」

「んじゃあ、二人とも、まずは、あの奥の壁際に積んである机を移動してちょうだい」

「え?」士郎と黒田はホコリをかぶって積み上げられている使われていない机の山を振り返った。筋トレか?と一瞬思ってしまう。

「あの机の山の一番下、奥の壁際のところに段ボールがあるの、わかる?」

「はあ」たしかによく見ると、ホコリにまみれて黒ずんだ段ボール箱がふたつ、ビニール紐を掛けられて置かれている。

「キナ子、あんた、あの箱の長さを見て、今まで気づかなかったの?」ちょっとバカにしたように杏が娘を振り返った。

「あ……」言われていま気づいたようにキナ子が、ぽかんと口を開いて目をしばたく。「木刀か……」

「古武道研究会の部室だからね」杏が娘をからかうように人差し指を振り回す。「隠してあってもおかしくないわね。それに、右の箱と左の箱はつなげてあるわ。きっと薙刀もあるわよ、あの長さなら」

「うえっ、ナギナタですか、師範」黒田が興奮して変な声をあげる。

「桃山あづちさん」杏がふいにあづち姫を振り返った。「あなた、ナギナタも使うんでしょ。これからあたしに見せてよ」

 うつむいたままのあづちは、しばらく間をおいてからぼそりと答えた。「あたし、使うのは基本的に銃ですから」

「薙刀は最強の武器といわれているわね」杏は楽しそうに会話をつなぐ。「でも戦場では槍が主だわ。どうしてだと思う?」

 杏の問いに、あづち姫が顔をあげた。表情が暗い。なおかつ機嫌が悪そうだ。

「薙刀が最強の武器。その理由が言えたら、大したものだわ」杏は言うだけ言ってあづちから目をそらす。

 その挑発に乗せられたあづち姫は、前に出た。

「赤穂くん、黒田くん。机をどかして、中の道具を引っ張り出してちょうだい。あたしは、剣道部にかけあって武道場の隅を借りられるよう手配してくるから」

 不機嫌そうな声だし、無表情だったが、それでもあづち姫は動き出した。引きずるような足取りで部室を出ていく。

 キナ子が「だいじょぶかしら?」とつぶやいた。



「こりゃ、宝の山だなぁ」古い居合刀とホコリをかぶった木刀を何本か、腕に抱えて持ってきた黒田武史がつぶやきながら『宝の山』を武道場のすみにそっと置く。

「いや、これ、全部ボロボロですよ」キナ子が口をとがらす。「木刀なんかケバ立ってるし、居合刀の刃は、これきっと打ち合わせてますね、ノコギリみたいにギサギザじゃないですか。むかしの古武道研究会の先輩たちはこれで一体どんな稽古してたんでしょう? すくなくとも、武術の経験者はこういう道具の使い方しないはずですよ」

 鍔のところに錆が浮いた居合刀を抜いてみて、その刀身を確認している。

「鍔は鉄だし、刀身は合金製。結構いいものなのに、もったいないなぁ」

「キナ子、あんた、そこの刀袋を帯の代わりに腰にまいて、その居合刀で抜刀してみなさいな」後ろからやってきた杏が声をかける。彼女はすでに腰に居合刀を差している。部室で発見された中で、いちばん状態のいい居合刀を選んでいる。

 キナ子は口を尖らせて振り返ると、それでも無言で母の言葉に従う。ホコリまみれの居合刀の袋を腰に巻いてぎゅっと縛り、そこにさきほどのボロボロの居合刀を差した。



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