scene8 緊急事態なの
桃山あづちは、いつも通学は運転手つきの自家用車である。通学に使うのは、だいたい白のベントレー・フライングスパー。4ドアで後部座席はゆったりしていて、乗り心地もいい。運転手は、もうかれこれ十年以上のつきあいになる牧島氏。今年齢六十になろうという還暦の紳士だ。
あづちはちらりと運転席の牧島氏を一瞥すると、白い革張りのシートの上で身体をずらし、シートベルトの間からポケットの中の印籠フォンを取り出して耳に当てる。
「ああ、赤穂くん? いまどこにいるの?」
「幼稚園バスの中だ!」
なにやら騒がしい声の中で、赤穂士郎が叫んでいる。
「妖怪は、捕捉できたの?」
「わっかんねえよ!」
極限までイラついた声で叫び返してきた。
「状況を説明して」あづちは努めて冷静な声で告げる。「なんで、そんなに周囲がうるさいのよ」
「子供たちが泣いちゃって大変なんだよ」
「ちょっと、怪我した子がいるの?」
「そんな子はいねえ。妖怪の姿は見えないんだ。が、勝手にバスが走っている」
「止められないの?」
「あ……、それはまだ試してねえ」
「だったら、バスを止めて、とっとと子供たちを降ろしなさい!」
「いや、でも、バスの運転なんてしたことないし。ブレーキ踏めばいいのかな?」
「そうなんじゃないの? レースゲームとおなじでしょ?」あづちは揶揄するように挑発してみるが、士郎は気づかない。
「とにかくやってみる」
「お願いするわ。こっちもすぐに追いつくから」
印籠フォンのマップを開いたあづちが顔をあげると、ルームミラーごしにステアリングをにぎる牧島氏と目が合う。
「牧島、緊急事態なの。それでお願いがあるんだけど」
「はい、お嬢様」
「これから話す内容は、お父様とお母様には秘密にしてもらいたいの」
「いまお電話で話されていた、『妖怪』のことでしょうか」
「そう。それと、それを追っているあたしたちのことも」
「妖怪と、妖怪に関した話はすべて、秘密、ということでしょうか」
「ええ」
あづちは強くうなずいた。
牧島は、あづちが秘密にしておいてくれといった話を、たとえそれがどんな内容であれ、父母に告げ口したことはない。が、果たして今回はどうだろうか? いくらなんでも内容が内容だ。実在する妖怪。それを退治しようというあづち。そのために銃器を使用しているという一点だけとっても常識の枠を外れている。
「かしこまりました」
牧島は内容も聞かずに承認した。
まあ、言うか言わないかは、彼に任せましょう。
あづちは身を乗り出すと、印籠フォンの画面を牧島から見える位置まで差し出した。
「このポイントに行ってちょうだい。妖怪にジャックされた幼稚園バスを追うわ」
「かしこまりました」
牧島の声がかすかに興奮していた。
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