scene5 おっ先にぃー

「あのバス、どこへ向かっているんだ」

 士郎のつぶやきに、キナ子が答える。

「シロウサギ幼稚園のバスでした。このあたりを巡回してるんでしょうけど、最後はこの先の公園通りを左にずうっと走ったところにある幼稚園にゴールインのはずです」

「じゃあ、先回りするか?」

「もしちゃんと、幼稚園に到着する気があるのならば、それもいいかもしれません」

 士郎は口をつぐんで素早く考えた。

 このままあのバスが幼稚園にいくのなら、あまり問題はない。逆に、問題ありのバスならば、幼稚園にゴールインは考えにくい。園児たちを乗せて、そのまま走り去る可能性もある。

「このまま追跡しよう。ちょっときついが、意地でも追いつく」

 二人はサドルから腰を上げると、立ち漕ぎで自転車をさらに加速させる。

 五十メートル近く離れていた幼稚園バスがウインカーを点滅させて路肩により、お母さんに手を引かれた園児を一人のせるために停車した。いまがチャンス。士郎はキナ子が遅れるのも構わず自転車をトップスピードまで加速させたが、あと少しというところでバスが発進してしまい、取り逃がす。

「すみません!」急ブレーキで停車した士郎は、荒い息の下で子どもを預けたお母さんに声をかける。「いまのバス、つぎにどこで止まるかわかりますか?」

「え?」一瞬戸惑ったものの、士郎の必死な表情に促されてお母さんが答える。「この先の新井三丁目って表示のある交差点手前で、園児さんをひとり乗せて、そのまま幼稚園に向かうと思います」

「ありがとうございます」深呼吸しながらも、なんとか声を絞り出してママチャリを再び漕ぎ出す士郎。最高速まで加速しようと必死にペダルを踏みつけていると、勢いに乗ったキナ子があとから追いついてきて、「おっ先にぃー」とお気楽な調子で追い抜いて行く。

 ひとつ向こうの信号でバスが停車する。『新井三丁目』の表示はない。

 信号がすぐ青になり、バスは発進するが、かなり距離を詰められた。後部ボディーに手が届きそうな距離まで追いついている。

 バスが加速し、ふたたび距離がひらく。バスの車体がみるみる小さくなり、前方の視界も開けた。

 次の交差点の信号機の下に『新井三丁目』の表示看板がさがっている。その手前、ガードレールが切れた場所で、黄色い帽子に青いエプロンの園児とそのお母さんが、歩道で首を伸ばしてバスの到着を待っている。

 あれか。なんとか間に合うか?

 バスがブレーキランプを点灯して減速をかけている。再び距離が詰まり始める。士郎は次のガードレールの切れ目から歩道に飛び込み、バス待ちの園児に向けて渾身の力でペダルを踏みつけた。

「ちょっと待ったぁー!」大声で叫ぶが、園児は士郎の言葉なんぞ無視して、前部ドアから停車したバスに大喜びで乗り込む。ちびっ子は、膝がお腹につくくらい大きく脚を上げて、最初のステップに足をかけるとそのままバスの中に姿を消す。歩道でお母さんが楽しそうに手を振っている。

 追いついた士郎は急ブレーキをかけ、タイヤを軋らせながらお母さんの後ろに自転車を急停止させた。開いたままのドアからバスの中をのぞきこむ。とくに異常はない。高い位置にある窓を、前からさっと後部まで確認する。まばらに席についた園児たちは、騒ぐ様子もなく、首をくるくる回したり、なにかを指さしたりしている。特に変わったことがある様子はない。

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