scene5 塗壁

「ああっ、くっ」大袈裟なうめき声をあげて、ジュウベエが四つん這いのまま犬みたいに後退し、士郎のもとまで来ると、何事もなかったように立ち上がり、尻の泥を払ってブゲイスーツの襟を直した。

「なかなか硬いな」

「近すぎだろ、黒田。いまの鍔があたってなかったか?」

「深く斬りつけるにはあれくらいがちょうどいい。『五輪の書』にも、鍔で相手の頭を打つつもりで、と書かれている」

「どう考えても、刀の先っぽを当てた方が、威力があるだろう」

「ゲームの攻略法を実戦に持ち込むな」

「別にゲームじゃねえって。てめえこそ、『五輪の書』を妖怪退治の場で引用するな」

「うももももーん!」再び塗壁が目鼻の無い顔をしかめて叫び声をあげた。壁自体が顔。この大声も壁自体が震えて出しているのか。妖怪の咆哮に、士郎と黒田はびくりととびあがった。

 その叫び声を合図にしたように、暮れはじめた夕空を映しながら、ゆっくりと畳四畳分の壁が前進を始めた。

「やべっ」小さく叫んで士郎はとりあえず後退する。塗壁が詰めた分の間合いを保持して後ろにさがった。慌てて黒田もついてくる。

「どういうつもりだ」

 妖怪の意図を計りかねて黒田がつぶやく。こちらを攻める気なのか。はたまた痛みに耐えかねて逃げ出す腹づもりか。

 ゆっくりと加速しながら前進してくる巨大な壁を前に、後方へやむなく撤退してゆく二人。塗壁は、太い脚を動かすことなく、するすると前に進んでくる。その様が不気味だ。

「おいこら、赤穂。逃げるな」

「逃げてるわけじゃねえが、こっちの攻撃が効かないんじゃあ下がるより他にないだろう」

「まったく、情けないわね」凛としたあづち姫の声が響いた。

「ガラシャか」士郎が見回すと、士郎たちの行く手に、長大なライフル銃を肩に担いだピンクガラシャの姿が、暗い夜空を背景に、シルエットとなって立っていた。

「うほっ、かっこいい」士郎の揶揄を無視して、ガラシャはガラシャ・ガーランドを構えると、躊躇なく引き金を引いた。

 ガーン!という撃発音を発して緑色の光弾が走る。士郎と黒田は悲鳴をあげて横っとびに地面にダイブした。敵より怖いピンクの銃撃だ。

 地面を這って逃げる士郎たちを無視して、あづち姫は引き金をつぎつぎと引いてガーランドを連射する。五発撃ったところで、ピーンという金属音をあげて弾丸をまとめていたクリップが薬室から弾きだされる。白い煙をあげる銃口をもちあげて、ピンクガラシャが敵の様子を観察する。地面に這いつくばったまま、士郎と黒田もふりかえった。

 塗壁に弾が全弾命中したとしたら、ダメージはまったくなかったと見える。なにごともないかのように、巨大な壁はさっきと同じスピードでするすると前進してきている。

 向かってくる壁に轢かれそうになって、士郎と黒田はあわてて左右に分かれて走り出す。塗壁の向かう先では、ピンクガラシャが落ち着いた手つきでガラシャ・ガーランドにバナナ・マガジンを装填して、ボルトを引いた。

「ガラシャ・ガーランド、マシンガン・モード」

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