scene9 いま必要な物

「なんだ、ありゃ……」士郎は息を呑む。目の錯覚か? 竜巻の向こうで誰かと入れ替わるトリックか?

 さっきまで制服姿の黒田が立っていた場所に、いま立っているのは、頭部全体を黒いヘルメットに包み、防弾ベストに使われるゲブラー繊維みたいな硬質の光沢を放つ繊維で作られたスーツに身を包んだ男だった。

 頭部を包む黒いヘルメットは全体が丸いシンプルなデザインで、目の部分だけサングラスバイザーになっている。着用しているスーツは動きやすそうだが、たっぷりしたデザインで、忍者装束のようにも見える。腕と脚だけが、黒い金属アーマーで覆われている。腕は、手甲になったグラブと一体型のプロテクターが肘までを覆い、脚は膝までをガードする装甲ブーツに包まれていた。袖のない陣羽織を上に着ているため、肩先がとがって逆三角形のシルエットを作っている。さらにそいつは、腰に二本の刀を差していた。

「剣豪戦隊ブゲイジャー、ブラックジュウベエ、推参!」名乗りを上げた声はあきらかに黒田の声だ。変身したのか? 黒田があの姿に一瞬で変わった? 「赤穂、子どもたちを早く」

 ちょっとだけこちらを振り向いて黒田が鋭く叫ぶ。

 状況の展開が速すぎて、完全に頭がついていけない。とにかくいま手にした脇差で土蜘蛛の糸を切り裂き、捕まっている子供たちを助けなければならない。

 縛った糸を切り裂き、まずは航平をなんとか助け出す。自由になった航平は、青い顔でその場によろけるように倒れ込む。

「気をしっかり持て。これからガキどもを率いて逃げ出す仕事が残っているからな」

 士郎の叱咤に航平は気丈にうなずいて立ち上がり、倒れて意識を失っている小学生たちに近寄り、つぎつぎと揺すり起こして行く。士郎ももつれる手足で、つぎはドカッチに駆け寄って脇差で糸を切り始めた。どういう仕組みか知らないが、とにかくこの脇差は強靭な土蜘蛛の糸をぶつぶつと面白いように切り裂く。ドカッチを解放し、陽介に駆け寄ったところで、士郎は黒田の方を振り返った。

 ちょうど土蜘蛛が天井から、黒い戦闘スーツに身を包んだ黒田に飛びかかる瞬間だった。すでに腰の刀を抜き放っていた黒田は、ぴかっと光る白刃を振り上げて土蜘蛛に斬りかかる。落下してきた土蜘蛛は、斬りつける黒田の手を四つある腕のひとつで捉えて抑えると、残った三本の腕をマシンガンのように振るって黒田の頭部を連打した。打撃に翻弄され、半ば意識を失ったように棒立ちになった黒田の身体に、土蜘蛛は体重の乗った回し蹴りを放った。黒田の身体が孤を描いて宙を舞い、十メートル近く離れた場所へ襤褸切れのように落下した。倒れた手から、刀が落ちる。すでにやられたらしい。

「弱っ!」

 士郎は吐き捨てるように叫んだが、倒れた黒田が動かなくなったのを確認した土蜘蛛がこちらに向き直った瞬間、自分の身体がぴきんと音を立てて凍りつくのを感じた。

 え? こんどはおれ?

 手足がぶるぶると震えだす。真冬の深夜、雪が積もる中、全裸で立ったみたいな感じに、自分の身体が滑稽なほどに震えだした。さっきまで脳が現実についていけていなかったものが、多少認識力に余裕ができて、自分が置かれた状況と、リアルに差し迫った危険を認識できたということだろうか。怖い。恐ろしい。死にたくない。現実と希望、生存本能と状況認識のズレの中で翻弄されるように、士郎の肉体はがくがくと震え続けた。

「赤穂、聞こえるか?」赤い印籠から声が響いた。外部スピーカーを通したにしてはえらくクリアな音声のため、それが田島先生の声であることがはっきり分かる。こんな状況だってのに、ほんっと、空気の読めない先生だ。

 しかし、呑気そうなその声は、士郎を恐怖に震え上げて動けなくしていた絶望という呪縛から解き放ち、硬直していた身体を自由にしてくれた。ポケットに突っ込んでいた印籠型スマホを取りだした士郎は、赤くて派手なデザインの端末を耳に当てた。

「田島先生か?」土蜘蛛の方を睨みながらマイクに話しかける。

「ここでは、ブゲイジャー支配・但馬守と呼べい」

「は?」

「赤穂、おまえ、力が欲しくないか?」

「力? いま先生、おれはそれどころじゃないんだ、妖怪の土蜘蛛が──」

「力だよ。大切な人を守るための、力だ。凶悪な妖怪を倒すための力だ。欲しくないか?」

 士郎は一瞬、息をのんだ。

 そして自分でも不思議なくらい余裕をもって口もとを不敵に歪めた。

「欲しいね、その力。いまちょうど必要なときなんだ」

「刀の鍔をかざせ。音声スイッチになっている。ボタンを押して士魂を注入しろ。叫べ『剣豪チェンジ』と」

 士郎は尻ポケットからさきほどの刀の鍔を取り出した。ボタンに指をかけ、前方に勢いよくかざす。

 その動きに反応して、土蜘蛛が地を蹴った。人間には不可能な速度でスタートダッシュし、一瞬のうちに士郎へ迫る。三本の鉤爪が彼の喉元めがけて突き出された。

「士魂注入! 剣豪チェンジ!」

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