scene8 ブラック

 人型蜘蛛に斬りつけた黒い影は、油断なく廊下の方向に目をこらしていたが、蜘蛛が戻ってこないことを確認すると、素早く士郎の傍らへ駆け寄った。

「だいじょうぶか、赤穂」

 長身痩躯の男。士郎と同じ大江戸高校の制服を、きっちりと上までボタンを留めて着ている。女みたいに長い髪をポニーテイルに縛った変なやつ。こいつ、隣のクラスの黒田武史じゃねえか。武士気取りのアホとして有名な変人。こいつここで何やってる。どうしておれはこいつに助けられた?

 黒田は手にした刀で、士郎の口に噛まされた蜘蛛の糸を切る。手つきがぎこちなくて正直怖い。彼が手にしている刀は、完璧な日本刀。ただし時代劇の侍が斬り合いでメインに使う長いやつではなくて、刃渡り三十センチくらいの小刀。脇差というのだろうか? とにかくそんなやつだった。

「いまのは、なんだ? なにが起こってるんだ?」とにかく大きく息を吸い込んでから、詰問する。が、口調は我ながら情けないほど弱よわしい。

「土蜘蛛だ。大した妖怪じゃない」黒田は一度入口の方を振り返り、敵の動向を確認しつつ、士郎の手足のいましめを切る。

「土蜘蛛? 妖怪? 痛っ!」拘束が解かれ、コンクリートの床の上に落下した士郎は小さく悲鳴をあげた。「どうして? なんで妖怪がいる。しかも保健所に蜘蛛って!」

「やつはすぐに戻ってくる」黒田は士郎に脇差を渡した。「おれが奴の相手をするから、おまえは早くこれで他の子どもたちを助けて逃げろ」

「いや、ちょっとまて」

「いそげ。理解はあとだ。いまは行動のときだぞ」切れ長の黒田の目は真剣だった。「それとこれ。田島先生からだ。一応渡しておく」

 制服のポケットから、刀の鍔と赤い印籠を出して士郎の手に握らせた。

「なんだ、こりゃ」赤い印籠は、片方の側面が画面になっていて、なんのことはない、ダサいデザインのスマートフォンだ。鍔は鉄製で、冷たくて重い。右手に持った脇差の鍔と比べるとひと回り大きいので、大刀の鍔だろう。縁のところに微かに出っぱった電源ボタンみたいなのがついている。

「確かに、渡したぞ」黒田は偉そうに士郎のことを指さして宣言した。

「ちょっとまて」立ち上がり、黒田に詰め寄ろうとした士郎の視線の先で、なにか黒い物が蠢いた。

 暗がりでよく見えなかったが、天井付近を素早く動いて廊下から何かが侵入してきたようだ。

「来たな」黒田がつぶやき、士郎に背中を向ける。見ようによっては妖怪から士郎を庇うような立ち方だ。「早く行って子供たちを助けろ。ここはおれが食い止める」

 士郎は聞こえよがしに舌打ちした。そういうカッコいいセリフ、おれも一度でいいから言ってみたいぜ。心の中で毒づきながら、一番近くで動けなくなっている航平に駆け寄る。

 一方、黒田は、土蜘蛛と士郎たちの間に立ちふさがると、脚を肩幅以上に開いて立ち、手に持った鍔を差し出すと、ドスの利いた声で叫んだ。

「士魂注入! 剣豪ぅ! チェーンジっ!」

 黒田が叫んだ瞬間、墨のように黒い竜巻がやつの身体を包み込んだ。一秒か二秒、もっと長かったかもしれない時間、黒田の身体を包み込んだ小型の竜巻は、次の瞬間にはなにごともなかったかのように消失した。そしてそこに、先ほどまでとはまったく姿の変わった黒田武史の姿があった。

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