scene7 天井を這う物

 なにか人間サイズの巨大な生物が、天井の闇の中をもぞもぞと這いずり、ゆっくりとこちらへ近づいてきている。士郎の全身から汗が吹き出す。人間じゃない。人間以外の何かが、天井を這っている。あいつはおれたちを捕まえて何をしようというのだ。そしてなぜ、そんなに余裕をもってゆっくりと近づいてくるんだ。

 助けてくれ。渾身の力を振り絞って叫び声を上げるが、糸に塞がれた口はもぉんもぉんという唸り声を漏らすだけ。熱い息が自分の頬に跳ね返り、糸がさらにしまった。

 天井を這うそいつが、士郎の動きに反応し、のそりとこちらへ向く。まっすぐと士郎のいる方向へ二歩ほど進み、音もなくその場から床に向かってすうっと降下した。糸に吊られた人形が降りてくるように、床のすぐ上で一度停止し、脚を伸ばして重さがないかのように着地した。

 窓から差し込む夕暮れの赤い光がそいつの姿を露わにする。

 全身毛むくじゃらの細い身体。二本の脚で立ち、両肩からだらりと下がる長い腕はどう数えても四本ある。腹が有り得ないほど細く、腰と胸は異様に幅広い。頭は不気味に小さく、上に四つ、下に四つの赤い光がゆっくりとしたリズムで点滅している。点滅するその赤い光が、八つあるそいつの目であることに気づいた士郎は、全身の力をふりしぼって糸の中で暴れた。

 助けてくれえ、助けてくれえ、助けてくれぇー!

 士郎の心の絶叫もむなしく、異形の人型は足音をまったく立てずに士郎に近寄る。蜘蛛だ。人に似た部分もあるが、こいつは立ち上がった蜘蛛だ。二足歩行する、巨大な蜘蛛なのだ。

 蜘蛛は、有り得ない長さの細い腕をのばし、鉤爪の生えた三本指を開いて士郎の喉元へ突きつける。

 だめだ。殺される。こんなところで、こんな化け物に。いやだ、いやだ、いやだ……。でも、ああ……。

 士郎が自分の命を諦めたとき、窓ガラスを割って飛び込んできた黒い影が、一直線に人型の蜘蛛に走り寄り、擦れ違いざまに刃物で切り付けた。

「があっ」と身をのけぞらせた二足の蜘蛛は、錐もみ状に一回転してその場に這いつくばる。異形の赤い八つの目が一瞬こちらを睨んだように見えたが、素早い動きで逃走方向を決めると、もの凄い速度で撤退を開始した。廊下につながる扉のひとつをぶち破って外に飛び出ると、そのままの速度で這いながら去ってゆく。

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