第3話 決断

 あれから幾許の時間が経過したのかを知ることはできない。世界が白に包まれてからまだ数秒しか経過していないのかもしれないし、何時間も何日も何年も経過したのかもしれなかった。気付いた時にはただ広い無機質なプラスチックのようなメタリックのような壁と床に囲まれた広いエリアに立っていた。そしてその向かいには一人の男が立ってこちらを見つめていた。

「『夢幻大陸パンゲア』プレイしていただきありがとうございました。」

髪の毛をキチっと七三に分け、眼鏡をかけスーツを着た男が物腰柔らかく喋りだした。

「長い間、ご愛好いただいておりました本ゲームですが2075年3月31日24時を持ちましてサービスを終了させていただいております。」

「おります?一体今はいつなんだ?」

「本日は2076年1月18日となっています。本ゲームがサービス終了を宣言し、運営を停止してから294日経過しております。」

「俺は……一体何をしていたんだ……」

 ランサムの狼狽えにも男は柔らかくそして冷静にゆっくりと語りだす。

「お客様、ユーザーネーム『ランサム』さまは、サービスを終了させていただきましてから本日まで眠りにつかれていたようです。」

「眠り……?ここはどこなんだ」

「このエリアは簡単に言えばデバッグルームとなっております。」

「デバッグルーム?世界は終了したんじゃないのか?」

「左様でございます。ランサムさまには、非常に長い間、本ゲームをご愛好いただいておりました。従って、今回は特別にあるご提案をさせていただきたく参りました。」

「提案?」

「そうです、提案です。ですが、そのご提案の前にまずはランサムさまの現在置かれている状況を再確認させていただかなければなりません。」

「状況だと……?」

「ランサムさまは、非常に長い間パンゲア内にログインをされていたため、頭が混乱しておられるのです。」

「ははは……そうだよ。その通りだ、俺は混乱している。どうなっているんだこれは、そしてお前は誰なんだ」

 ランサムの前に立つ男は、静かに一礼し、顔をあげる際にずれた眼鏡を元に戻した。

「申し遅れました。わたくしは、本ゲームの開発者兼ゲームマスターであるサイトウと申します。以後お見知り置きを。」

「サイトウ……」

「ユーザーからはマスターサイトーとして愛されていたもんですよ。」

サイトウは、指をパチンと鳴らすと周囲の床に二つの円が浮かびあがった。それは幾何学的な模様が絡まり合い、赤色であったり緑色であったりと絶えず色が変化している。するとそこにブォォンという小さな音と共に二人の人間が現れた。

「この方々に見覚えはありますか。」

 サイトウはランサムへ問いかけた。ランサムは非常に強い衝撃を受けた気がしたがそれが何かは思い出せなかった。

「ない……ような気がするが、そちらの方にはどこかで会ったような気もする……」

ランサムの答えにサイトウは苦笑いをし、覚えている気がすると思った人間は少し悲しそうな顔をしたのをランサムは見逃さなかった。

「そうですか……やれやれ、当時のお姿に出来るだけ似せてモデリングしたのですがね。」

 モデリング……

口には出さなかったが、さっきからよく分からない言葉が出続けているとランサムは感じていた。でもランサムはその言葉を遠い昔知っていたような気もするのだ。

「このお方は、あなたのお母さまです。」

 サイトウは冗談を言っているのだろランサムは初め思った。なぜならランサムは親などいないと思っていたからだ。

「俺に……親はいない……はずだ」

「いいえ、この方は18年前の2058年当時のモデルである紛れもないあなたランサムさまのお母さまなのです。」

「18年前……だと?」

「左様です。本ゲームは、18年前の2058年に世界初の全感覚没入型仮想空間ゲームとしてサービスを開始したのです。」

「さっきから言っているゲーム……ゲームだったというのか?」

「…………頭が混乱している現在のランサムさまにいきなりご理解いただくのは酷かもしれません。」

「いや……そんなはずは……俺はあそこで孤高の旅人として……」

「ログイン時間が長期間に及ぶ方は、稀に現実と仮想空間の判別がつかなくなる場合がございます。それが社会問題ともなっておりました。特にランサムさまにおきましてはログアウトせずにログインし続けている状態であったため、あちらの世界が現実であると脳が錯覚してしまっているのです。」

「いや……それでも……」

「ここはご理解ご納得していただかなければなりません。ではないと、この後のお話に進むことができません。」

 狼狽えるランサムにサイトウは冷静にかつ冷酷に伝えた。

ランサムは、納得できるわけがなかったが、話が見えてこないので無理に納得せざるを得なかった。

「わかった……納得はできないが言っていることを理解は、するよう努めよう。そして次はなんだ……」

「ここからは私が話そう」

 サイトウが召還した二人の人間のうちの片方の人間が口を開いた。白いスーツを来ているが、髪までも白い。口ひげも白くまるで白を基調としているかのような老人だった。

「お前は、もしかして俺の父親だとか言い出すんじゃないだろうな……?」

「はははは、そういう言い返しができるようになってきたのじゃな。なら少しは安心じゃ。だが残念。私はお前さんの父親ではないのだよ。」

「じゃあなんなんだ」

「私は医者だ。君の担当医を長年続けている」

「医者だと?俺はお前など知らないが」

「それはそうだ。君と私は顔を合わせたことなどないのだからな」

 医者と名乗った老人は、左腕で口ひげを軽くなぞると口角を軽くあげてみせた。どうやら彼なりの微笑み方であるらしい。

「私はタナベという。脳神経外科の医者をしている、その中でも主に脳神経と海馬体辺りを専門としている」

「タナベ医師は、脳研究の権威であり、かつこの全感覚没入型仮想空間の研究の第一人者でもあるのです。」

 サイトウは、タナベの自己紹介に補足を入れた。

「そうだねぇ、ふむぅ……まぁこれから君に言うことは全て真実なんだ。真実は時として残酷だ。言わなければいい真実も存在する。真実を伝えたことにより保たれていた自我が崩壊する可能性もあるからね。だがそれは現実世界での話だ。大丈夫、ここは仮想空間だ。ここで伝えることは君の感覚へと直接訴えかける。それは非常に君には辛い事実であるかもしれない。でも君はそれを受け入れるしかないんだ。人間の感覚には『拒否』という感覚がある。それを感知することは難しいが、人間は確実に感覚を取捨選択し、必要のないもの自分が害となるものを拒否するんじゃよ。だが、ここではその拒否の壁というものは存在しない。いいかね?」

 タナベはここまで一気に言うと、一つ呼吸を置いた。どうやら彼にとってこれを説明することは勇気のいることであるらしかった。

「いや……すまない、俺にはお前の言っていることはよく分からない。何を言って……」

「聞いて欲しいの、お願いっ……」

 ランサムが紡ぐ言葉を遮るように、ランサムの母と紹介された女性が口を挟んだ。

鋭い目つきで睨んだランサムだったが、その女性はまっすぐとランサムを見つめていた。そしてランサムはその視線に不思議と吸い込まれこれ以上なにか言うことはできなくなってしまったのだった。

「むぅ……ではいいかな。今からちょうど20年前の2056年の夏の事、君は21歳の大学生だった。君は、ご両親そうだそこにいるお母さまとお父さまの愛情に精一杯の学力という努力で恩返しをしたんだ。誰でも入れるわけではない大学府。君はその中で必死に勉学と研究に励みながらも青春を謳歌していた」

 タナベは静かに語りだした。サイトウは今回は口を挟むつもりはないらしく、両手を前に組みながら少し居心地の悪そうに下を向いている。

「だが、そんな平凡かつ幸せな日常も一瞬で崩れさってしまうのだよ。君は旅行先からの帰宅途中、車を運転していた最中に事故を起こした。車は分かるか?分かるだろう。忘れているようなことも脳は本当は覚えている。よく思い出すんだ。君は全てを知っているはずだ」

「車……」

「君の車は、不運にも旧型車であり自動安全運転装置が装着されていなかった。スピードを出しすぎた君は、カーブを曲がりきれず車道を大きく膨らんだ。そこに対向からきた、これまた不運にも自動安全運転装置を解除させて走らせていた走り屋と衝突したんだ。君は車外へと放り出され、そして車道から転げ落ちた。だが、君は幸運にも一命を取り留めた。いや取り留めてしまったということが正しいのだろうか。君は車外へ投げ出された際に地面へ頭を強く打ち付けてしまったのだよ。その際の脳へのダメージは大きく、すぐに病院へと搬送され緊急手術が行われたよ。手術は成功したが、君は意識が戻ることはなかった。脳へのダメージが大きかったからか君は脳だけは活動を続けるが意識を取り戻すことはない植物人間状態へと陥ってしまったのだよ」

 あまりにも唐突に衝撃なことを告げるタナベに対してランサムは言葉が出なかった。しばらくの間、両者言の無い沈黙が続いた。

「だが……俺は現にこうやってここにいいるじゃないか……」

 しばらく悩んだ挙句、ようやく口に出した言葉がこれであった。

「そうだ、君が植物人間となってからちょうど1年が経とうとしている時だった。私は、このサイトウ氏の会社であるメディアソフトカンパニー社との共同研究の末、遂に全感覚没入型のプロトタイプを完成させたのだよ。そしてその制作の副作用と言ってもいいのだろうか、非常に不思議な現象が起きたのだ」

 タナベは喋りだすと興奮のボルテージがあがってきたらしく、頬が紅くなってきている。

「全感覚没入型は脳の神経を直接読み取り、ネットワーク上の仮想空間でコミュニケーションを取る仕組みになっているんだ。つまり君のような永久に現実世界へと目覚めることのない人間と仮想空間という別世界で再び出会うことが可能となったのだよ。分かるかね、この意味が」

「俺は……そういえば……」

 ランサムは右手をおでこに添えると、片膝をついて呻きだした。ランサムには20年間忘れていた時を思い出すための心の余裕が必要であった。

「君は、この全感覚没入型によるこの研究の試験体第一号となったのだよ。研究というものは、綿密な準備と純然たる好奇心、そして必ず達成するという自信を持って行われるものだ。だが、それが成功に繋がるとは限らない。君をこの空間へ眠った意識を覚醒させデータとして表現すること自体は成功した。だが、君の意識は表現できても記憶までをも性格に表現することはできなかったのだ」

「弊社のサービスは、世の中の人々へ新たな世界を提供すると共に、現実の世界で意識の戻ることのない人々と家族が再会することができ、第二の人生を歩ませることができる最先端の更正かつ医療サービスであるのです。」

 サイトウはここまできてようやく口を開いた。だがサイトウは、言葉遣いこそこれまでと変わってはいなかったがその口調からさきほどまでの営業トークのトーンは消えていた。

「そうだ。君には申し訳なく思っている。だが君のこの失敗と経験があったからこそ、現在のこの成功があるのだ。今ではほぼ確実に意識を失ったもの、現実世界で自由に四肢を動かすことができない者をこの仮想空間に表現することが可能となったのだ」

「俺の名は……」

「そんなに無理して思い出さなくてもいいのよ……あなたはあなたの生きてきた人生こそがあなたの人生なのだから」

 ランサムの母親と紹介さえた女は優しく語りかけた。

「あなたは……もしあなたが私の母親だと言うのならばこれまでなぜ会いにきてくれたかったのだ……」

 ランサムは苦しみながらも言葉を捻り出した。

「あなたのお母さまは、何度もあなたに会おうと思っていましたよ。ただ勇気がなかったのです。あなたのその失われた記憶の状態で出会うという勇気が。そこはなんとかご理解いただきたいのです」

「じゃぁなぜいまになって……」

「考えてもみてください。あれから20年も経過しているのですよ。当時より20年の歳を重ねたお母さまは、いつまでも健康でいられるかの保障がないのです。そしてあなたが生活を送ってきたサービスが終了した今、あなたとお母さまが会える最後のチャンスなのではないかと思い今回、遂にお会いする決意をされたのです」

「最後……最後だって?じゃあ俺はどうなるんだ」

「そこでなのです。今回弊社のサービスを長らくご愛好していただき、そしてこのシステムの発展に大きく貢献していただいたあなた様にせめてものご提案をさせていただきたいのです。」

「提案だと?」

「提案の前に一つ、お聞きしたいことがある」

 ランサムが前のめりになったところでタナベがそれを遮った。

「……なんだ?」

 ランサムはため息混じりにそう返答した。

「さきほど私がお話したあなたの前世とでも言うべき内容ですが、それに対してあなたは何か思い出したことはあるのでしょうか」

 タナベはこれまでよりもゆっくりと話した。ランサムは空気が張りつめたのを感じた。なぜならば、タナベもサイトウもランサムの母親も固唾を飲んでランサムの反応を待っているからだ。

「残念ながら……何も思い出したことはない。俺はパンゲアの孤高の旅人ランサムだ」

 そんな……とランサムの母親が小さな声で呟き、震えるのが分かった。

「ただ」

 ランサムは言葉を続けた。落胆の色が隠せていなかった母親もランサムを再び見つめた。

「ただ……俺にはあなたが非常に懐かしく見える。これを優しさというのか愛というのかは分からない。あなたが私の母親だと言うのならば、あなたは私の母親なのだろう」

「ああ…ああ……」

 ランサムの母親は言葉を見つける事ができず、泣き伏せた。

「分かった。ありがとう。私は彼女をここまで連れて来て正解であったよ」

「あぁそうか、それなら良かった。じゃあ改めて提案というのを聞かせてもらおうじゃないか」

「それでは提案をさせていただきます。そもそも今回なぜ本サービスが終了されたのかをお考えになったことがありますか。」

 そういえばそうであったとランサムは思った。そこで自分のような人生を送る人々がいるのならばこの世界を終える理由などないのではないだろうか。

「確かに、なぜだサイトウ」

 サイトウは明らかに残念そうに語りだした。それはこの空間が自分が作り出したものであるからこその制作者故の悲しみであるように。

「本サービスが開始された直後は、確かに全感覚没入型のゲームとして社会現象となりました。ですが、それは当時の話。盛者必衰、流行りがあれば廃れもあるのです。簡単に言えば、似たようなサービスが乱立されたのです。競合各社、更に弊社も続々と類似のサービスを打ち出し、世は全感覚没入型ブームとなりました。本サービスは老舗のサービスとして長く生き延びてはいたのですが、やはり時代の波には勝てません。プレーヤーの数も少なくなり、サービスへとログインするための機器も時代遅れとなった今、サービスを継続させることは得策ではないと判断し今回残念ながら終了となったのです。」

「すまない、難しい話をされても俺には分からないんだ……つまり何が言いたいんだ」

「今回、あなた様には弊社が現在世界最大規模で運営している最新の全感覚没入型のサービスにご招待したいと考えています。そこで新たな人生をその命が果てるまで、もう一度体験していただきたいのです。」

「ほう……」

「ですが、それには一つの制約があるのです。」

「制約?」

「このサービスに加わると、あなた様の記憶はリセットされてしまいます。現在、ここでこう話していることも、そしてこれまでパンゲアにて体験してきた思い出すべてが消去されてしまいます。それでもよろしければ、このサービスへの移行を開始させていただきます。」

「ちょっと待ってくれ……消える…?記憶がか?」

 ランサムの質問に対してはサイトウではなくタナベが答えた。

「その通りだ。さきほども伝えた通り、君は試験体の第一号だったのだ。記憶の移行が不十分であり、サービスを跨いでの記憶の継続をすることは不可能なのだ。それは全ては私の責任であり、恨むならばどうぞ私を恨んでもらって構わない。だからこそせめてもの償いとして、今回この莫大な維持費がかかるサービスの継続や移行をこちらが無償で持とうという話なのだ」

「ここで俺がそれを拒否したらどうなるんだ」

 ランサムは分かっていた、それは死を意味するのだということを。だが、サイトウが口にした言葉は意外なものであった。

「勿論、あなた様をここまできて一人孤独にさせるわけにはいきません。あなた様が拒否するであろうという想定もしていました。なので代替案をここで提示させていただきます。」

「代替案だと」

「左様でございます。それは夢幻大陸パンゲアのスタンドアローン型の配布でございます。こちらはこれまでのようにネットワークに繋がって世界中のプレーヤーとやりとりをすることはできません。ですが、これによりランサム様の記憶、データ全てを維持したままこちらの世界を再び永遠に過ごすことができるのです。」

サイトウが提案したものは、新しいゲームへと移行し、文字通り真っ白な状態ですべてをやり直すことを選択するか、これまで20年弱過ごしていたこのパンゲアで他プレーヤーのいないパンゲアで生き続けるかの選択だった。

「そうか、少し……考えさせてくれないか……」

 ランサムは目を閉じてそして座り込んだ。集中したい時は常に彼はそれをしていた。

その集中も何分経過したのだろうか、数えるものがいなかったので分かることはない。だがその静寂はタナベの一言で破られた。

「私は世界の終わりでも、林檎の種子を植えるだろう、という言葉があってな」

 ランサムは静かに目を開くと、タナベを見つめた。

「なんなんだ、それは」

「遥か昔の作家の言葉だよ。非常に胸に残る言葉だ」

 タナベは優しく微笑んだ。やはり口角が変に上にあがり奇妙な笑顔だった。



「それではまたお会いできる日があると良いですね。よい人生を。」

 サイトウはそう告げた。彼の別れの言葉は、非常にあっさりとしていた。もう会えない方があなたにとっては幸せなのかもしれませんがね、とその後に小さな声で言っていたのは彼なりのジョークであったのかもしれない。

それはあっという間であった。気付いた瞬間には、空間が歪み次元の狭間を彷徨うならばこのような感じなのだろうという体験をランサムはした。

見えていた空間は光に包まれ、光が細切れにされていったかと思うと、空間自体が加速し移動していくようであった。

やがて、視界は光が強くなり目を開けていられる状態ではなくなった。それと共に感覚が失われていくのを感じた。ランサムは、意識が遠のいていく中で、はっきりと一つの声を聞き取ることができた。親愛なる者からの最後となる言葉を。

最初に気付いたのは、カサカサという音であった。そしてそれが、風に揺られて葉が擦れ合う音だと気付いた時には、ランサムは乾いた大地の上に立っていた。

「……戻ってきたのか」

 この乾いた土は、覚えがあった。ランサムが最後に立っていたセンリアのギルド区の丘の上だった。同じ土の感触に同じ樹木、そして同じ服装で立っている、なにもかもが同じであるのに何か違う。ランサムははじめそれが、世界に降り立った際の後遺症であると思った、だがその違和感はすぐに気付いた。

静寂なのだ。

丘から見えるセンリアの町からは何も聞こえない。いつもならば町の喧噪がここまで聞こえてくるはずなのになにもない。

ただ風が吹く音だけがランサムの鼓膜を震わせる。

「そうだ……俺は選んだんだ。これでいいんだ……」

 誰が聞いているわけでもない、ただ自分に言い聞かせるためにそうランサムはつぶやいた。

その刹那、風の音が大きくなった、それは強風という音ではなく風自体が震えそして音を立てている。

その音をランサムは忘れるわけがなかった、ずっと一緒にいた家族。常に隣で一番聞いていた音が聞こえたのだ。

「そうか……お前はいてくれたんだな、ずっと待っていてくれたのか」

 ランサムの声は震えていた、その声に呼応するかのように大きくそして長い鳴き声が響いた。

「さぁ、行こうじゃないか。これからの人生は長い。これまでも俺達は一人と一匹で過ごしてきたんだ、これからもなんてことはないさ。この命が尽きるまで共に歩もうじゃないか」

 ランサムは新たな一歩を踏みだした。それはこれまで幾億歩も歩いて来た歩みと同じではあるが新たなそして決意のある一歩に違いなかった。その歩みはもう止まることはない。彼がその人生を終える時まで。

「そうだ、俺はお前と約束をしていた。今度、再会する時はお前に名前をつけるのだと。その約束を今果たそうじゃないか、名前は既に決めてある。俺を産み落とした最愛の者が私に伝えた最後の言葉だ。それは私にとっても忘れる事のないものであるが、その名前をお前に託そうじゃないか」

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終わり往く世界、歩み往く男。 千代 @imoyich

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