第5話

「白です」


 青年がテーブルのカードをめくる。その色は、当然のごとく白だった。

「僕の勝ちです。約束通り、あなたの名前は頂いていきますよ。鳴神ジンさん」

 札束を回収し、鞄に入れる。その足で彼は真っ直ぐホールを出て行った。

 ジンは、その場に呆然と立ち尽くす。

(……負けた。イカサマまで仕掛けたのに、オレが、あんなやつに)

 ジンは袖口から、二枚のカードを取り出す。赤一枚に、黒一枚。ブランクカードを抜く際、ついでに引き抜いておいたのだ。だから本当は、青年より先にカードをめくるふりをして、すり替えてしまうこともできた。勝とうと思えば勝てたはずだった。

 けれど、動けなかった。

 自信があった。青年が白と答えることはできないはずだった。

 なのに、何故、彼は白と答えた。何故。

「……クソ!」

 たまらずジンは出口へと走り出す。階段を駆け上がり、カジノのあるビルから飛び出すと、青年を捜した。

 青年はちょうど横断歩道を渡っていたところだった。追いかけ、その腕を掴む。

「待てよ!」

 青年は振り向いた。

「どうしました。僕、忘れ物でもしましたか」

「なんでわかった」

「はあ、何をです?」

「カードの色だよ! 白なんて普通の発想じゃ出てこない。お前、何を仕組んだ」

「そんなの、僕に答える義務はありませんけど」

「この……!」

「とにかく、手、離してもらえません? こんな所で、あなたと車に轢かれて心中なんてまっぴらごめんなんですけど」

 そのセリフと同時に、側方からクラクションが鳴らされる。信号はすでに赤になっていた。ジンが舌打ちし、握る力が弱まった腕を引き離すと、青年は先に歩き出す。

「こんな所で話すことでもありませんから。場所を変えましょう」

「おい、あんた」

「ジンですよ」

「は?」

「僕の名前です。ついさっきまでは、あなたの名前でしたけど」

 怒りで一瞬我を忘れかけるが、ジンはあることに気付いた。

「そういえば、何故オレの名前を知っている。あんたの前で名乗ったつもりはないぞ」

 だがその問いに答えず、青年は歩みを早める。その後何度か問いかけたが、結局青年から答えはなかった。

 十五分くらい歩き続けただろうか。青年が古びたアパートの前で立ち止まった。

「おい……ここは」

 そこはジンのアパートだった。職場に近いという理由だけで、四年前適当に選んだ住処だ。

「すみません。散らかってますけど、どうぞ」

 さも自分の部屋のように、鍵で戸を開けると、青年はジンを招き入れる。

 洋楽ばかりのCDラック、跳ね起きてぐしゃぐしゃのままのベッド、毎週欠かさずに買い続けている雑誌の山……間違いない。今朝までジンが生活していた名残が、そこにはあった。

「ふざけるな、ここはオレの部屋だぞ! お前、鍵はどうやって!」

「何言ってるんですか、ここはあなたの部屋じゃない。ジンの部屋ですよ?」

 すると青年は鞄から手錠を取り出すと、ベッドの柵とジンの手をつなぐ。カシャン、と金属のこすれる音がした。

「……は?」

「もう忘れたんですか? ジンはあなたの名前じゃない。僕の名前です。わかります?」

「お前、何言って」

「つまり、今まであなたが持っていた物は、全部僕のものだということです。この家も、職業も、銀行口座も、戸籍も、家族も、友人も、ジン名義の物は全部。一つ残らず奪ってやったんですよ、そこの名無しさん」

 青年は鼻で笑うと、鞄から写真を数枚テーブルの上に置く。そこにはジンの家族や友人と親しげに写る青年の姿があった。

「な、これ……なんだ、お前。どういう」

 ジンはもう一度、写真を見つめる。他人のそら似なんかじゃない。ジンの知り合いと、目の前の青年が微笑み合い、肩を抱き合い、幸せな空間を共有している。

 決して赤の他人同士には見えなかった。青年の代わりに、ジンがそこにいてもおかしくないくらいだ。

 いや、違う。逆だ。

 本来ジンがいるべき場所に、青年が立っているのだ。

(――は?)

 その瞬間、ようやくジンは恐怖を自覚した。

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