第2話
「お前いつか、客に刺されるぞ」
交代に来た同僚のディーラーは、ジンにそう苦言すると、放心して座り込んだままの男を見やった。
ジンが鼻で笑う。
「その時は、死神に有金はたいて、命乞いでもするさ。地獄の沙汰も何とやら、だ」
同僚はため息をつくと、片手で早く行けとジェスチャーする。ジンは素直にきびすを返し、スタッフルームへ向かった。
(悪癖だとは、わかってるけどな)
カジノだろうと何だろうと、ギャンブルなんてものは、最終的に店側が勝つようにルール設定されている。だからディーラーも無理に勝ちに行く必要はないのだが、ジンは時折客相手にイカサマを仕掛けていた。
それはジンの屈折した欲求のためだ。
ジンは、人の絶望する顔が好きだった。それを高みから見物することが、生きがいだった。
勝者と敗者、天国と地獄が明確に別れるその瞬間の悦楽は、金ですら買えはしない。
だからこそ、カジノのディーラーなんてリスクの高い仕事をしているのだ。
「――ん?」
ふと、ジンの目が一人の男に止まる。
ずいぶん若い男だ。まるで学生のようなあどけない表情で、田舎から出てきたような垢抜けないニットのカーディガンをまとっている。およそ、カジノなどに縁のなさそうな青年だった。
青年は壁際で居心地の悪そうに鞄を抱えて、辺りを見回していた。
いいカモだ、そう直感した。
ジンは腕時計を確認する。
(もう休憩時間……だが)
さっきのポーカーぐらいでは刺激が足りない。もう少し、遊んでいたい。
暗い欲求が鎌首をもたげた。本当に、救いようのない悪癖だ。
(やめられないから、悪癖なんだがな)
そうと決まれば、動きは迅速にだ。
ジンは青年をなるべく刺激しないよう、優雅に近寄っていく。
「お客様、何かお困りでしょうか」
「ひ、ひゃい?! な、何でしょうっ」
だがよっぽど驚いたのか、青年は声を裏返らせて、ジンを見た。
(おいおい、どんだけとっぽいんだよ。声をかけただけだろう?)
失笑しそうになるのをこらえて、ジンは会釈する。
「どなたかと待ち合わせでしょうか? それとも何かお探しで?」
「あ、い、いえ、その」
青年は赤面しながら答える。
「僕、こういう所って初めてで。その、友達に誘われてきたんですけど、友達も勝手にどこか行っちゃって、一応好きに遊んでろって言われたんですけど――」
しどろもどろで、必死に言葉を探している。
初心者丸出しも良いところだ。
このまま放っておけば、いずれ誰かしらのカモになってしまうだろう。
やはり、早めに狙いをつけて正解だった。
「そうですか。ではよろしければ、私が簡単にご案内致しましょうか? 初めての方向けのゲームなど、ご紹介できるかと思いますが」
「本当ですか、ありがとうございます」
青年はほっとした様子で肩をなで降ろす。
予想通りの反応に、ジンは胸の奥でほくそ笑んだ。
右手を伸ばすと、大まかにホールを二つに区切る。
「まず、当カジノには主に二種類のゲームがございます。マシンゲームとテーブルゲームですね。スロットなどコンピュータを相手にするのがマシン、ポーカーやルーレットなど、ディーラーや他のお客様を相手にするのがテーブルゲームにあたります。初めてのお客様だと、やはりマシンから始められる方が多いですね」
「へえ」
「スロットはゲームセンターなどにもございますからね。それに、いきなり人相手というのも緊張するのでしょう。――ですが、個人的には、是非テーブルゲームをお勧め致します。カジノには本来、社交場としての一面がございますから、人対人のやりとりを楽しんで頂くものなのですよ」
「そ、そうなんですか」
青年は慌てたように相づちを打つ。
良い傾向だ。
わざと矢継ぎ早に説明をして、相手に考える隙を与えないことで、不安感を押し上げる。
それに、いきなりハードルの高いテーブルゲームを勧められるとは思っていなかったのだろう。
彼の疑心暗鬼が手に取るように見えた。
だからこそ、ジンはここぞとばかりに耳打ちする。
「ブラックジャックなどはいかがでしょう。ここだけの話ですが、実は初めての方でも勝ちやすいゲームなんです」
秘密ですよ、とジンは人差し指を口に当てる。
青年は、口をポカンと開けて、ただ間抜け面をさらしていた。
(まあ、今の言い方だと少し語弊はあるけどな)
本当にずぶの素人なら、ルーレットやバカラのように、技術や駆け引きより確率に左右されるゲームの方が当てやすい。運さえ良ければ誰でも勝てるからだ。
けれど裏を返せば、それだけディーラーも手加減しにくいゲームということになる。それよりもブラックジャックのようなカードゲームの方が、こちらとしても手を加えやすい。
初心者には小さく勝たせろ。それが、ディーラーの鉄則だ。
ビギナーズラックに酔った者たちが、そのまま勝ったときの興奮を忘れられずに金を落としてくれるからだ。
「えっと、そうですね……その」
だが、いくら勧められたからと言って、いきなりテーブルゲームに挑戦しようとする猛者はそういない。
ルールも駆け引きも知らぬまま、テーブルに向かうのは自殺行為。むしられるのがわかっていて、金を賭ける人間などいないからだ。
「……僕は、ちょっと」
青年の目線が左右に揺れている。警戒心が彼の中で膨らんでいくのが目に見えるようだ。
――ここだ。
ここで方向転換をする。
ジンは微笑んだ。自分で追い詰めておきながら、救いの手をさしのべるかのように。
「ああ、すみません! 私としたことが、お客様に楽しんで頂きたくて、つい気持ちが急いてしまいましたね」
「いえ、そんな」
「――では、本格的にゲームを始められる前に、ちょっと体験してみませんか?」
少々脅しすぎたのか、青年はいぶかしげに問う。
「体験……ですか」
「ええ。単純なゲームですよ」
青年が興味を示したのを確認すると、ジンは近くに歩いていたボーイに頼んで、新品のカードデッキを持ってきてもらう。
青年の目の前で封を切ると、カードを広げ、無作為に一枚引き抜いた。ハートの七だ。
「トランプを伏せて、何色か当てるだけ。この場合は赤ですか――簡単でしょう?」
青年はホッと息をついた。
「ああ、それくらいなら」
――かかった。
その言葉を待っていた。
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