悪意を奪われた男

福北太郎

第1話

 悪意は、感染する。


「いけ! 頼む、そこだいけ!」

「あと十枚追加だ」

 トランプカードの切られる音、スロットマシンの電子音、ルーレットが回転する音、カジノには金と欲望の音があふれている。

 東京某所にある違法カジノ店「トリックスター」――鳴神なるかみジンがディーラーとして働き始めたのは四年前のことだ。

 ポーカー台につきながら、ジンは客へ営業スマイルを浮かべた。

「さあ、賭けますか、それとも降りますか?」

 テーブル越しの相手は、見るからに運のなさそうな男だった。

 ぼさぼさの髪、しわだらけのシャツ、そり残しのあるひげ面、人生の落伍者の見本のようだ。

 男は手の中でチップを弄びながら、自分の手札と賭けられたチップの額を交互に見つめている。

 迷っている演技でもしているつもりなのだろうが、無駄なことだ。

(お前の手札がエースのスリーカードなんてことはわかってんだよ。オレが配ったんだからな)

 ジンは時計を確認する。もうすぐ昼休憩の時間だ。貧相な客の顔など見飽きたジンは、心の中で男を叱咤した。

(ほら、さっさとコールしろよ。いい手札だと思ってんだろう? 強気に出ろって)

 ジンが視線をぶつけると、それまで俯いていた男が顔を上げる。

 しばし、男と目線が絡み合った。

 一瞬の沈黙に、心の内を読まれたのかとあせったが、男はこうつぶやいた。

「……レイズ」

 コール《一枚賭け》ではなく、レイズ《倍賭け》。

 ジンは驚いた。この男は愚かにも、倍額のチップを賭けてきたのだ。

 たかだか、エースのスリーカードごときで。

 慈愛にも似た感情が生まれるのをジンは感じていた。まるで処女受胎した聖母のように。

(オレは好きだよ、あんたみたいな男。――だからせめて、とどめは一気に刺してやる)

 ただし孕んだのは、絶望的な悪意だった。

「ショーダウン!」

 コールを告げ、場を閉じる。

 ここから先は、逃げることも許されない、勝負の時間。

 ジンは惜しげもなく手札をテーブルに広げた。

 ワンペアとスリーカードの組み合わせ。

 英語で満員を意味する、無駄のないその手の名は――。

「フルハウスです」

 男の顔が一気に青ざめた。

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