悪意を奪われた男
福北太郎
第1話
悪意は、感染する。
「いけ! 頼む、そこだいけ!」
「あと十枚追加だ」
トランプカードの切られる音、スロットマシンの電子音、ルーレットが回転する音、カジノには金と欲望の音があふれている。
東京某所にある違法カジノ店「トリックスター」――
ポーカー台につきながら、ジンは客へ営業スマイルを浮かべた。
「さあ、賭けますか、それとも降りますか?」
テーブル越しの相手は、見るからに運のなさそうな男だった。
ぼさぼさの髪、しわだらけのシャツ、そり残しのあるひげ面、人生の落伍者の見本のようだ。
男は手の中でチップを弄びながら、自分の手札と賭けられたチップの額を交互に見つめている。
迷っている演技でもしているつもりなのだろうが、無駄なことだ。
(お前の手札がエースのスリーカードなんてことはわかってんだよ。オレが配ったんだからな)
ジンは時計を確認する。もうすぐ昼休憩の時間だ。貧相な客の顔など見飽きたジンは、心の中で男を叱咤した。
(ほら、さっさとコールしろよ。いい手札だと思ってんだろう? 強気に出ろって)
ジンが視線をぶつけると、それまで俯いていた男が顔を上げる。
しばし、男と目線が絡み合った。
一瞬の沈黙に、心の内を読まれたのかとあせったが、男はこうつぶやいた。
「……レイズ」
コール《一枚賭け》ではなく、レイズ《倍賭け》。
ジンは驚いた。この男は愚かにも、倍額のチップを賭けてきたのだ。
たかだか、エースのスリーカードごときで。
慈愛にも似た感情が生まれるのをジンは感じていた。まるで処女受胎した聖母のように。
(オレは好きだよ、あんたみたいな男。――だからせめて、とどめは一気に刺してやる)
ただし孕んだのは、絶望的な悪意だった。
「ショーダウン!」
コールを告げ、場を閉じる。
ここから先は、逃げることも許されない、勝負の時間。
ジンは惜しげもなく手札をテーブルに広げた。
ワンペアとスリーカードの組み合わせ。
英語で満員を意味する、無駄のないその手の名は――。
「フルハウスです」
男の顔が一気に青ざめた。
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