* * * * * *
自由を剥奪された結果としてのユダヤ人強制収容所やシベリア抑留の強制労働と、自由の結果としての過労死、企業の不正、貧困や格差の問題が似ているのは何故だろう? どちらも人の為す事だからか。アドルフに忠誠を誓ったり、企業に忠誠を誓ったり。或いは資本主義に、マルクスに。それとも春野華子に? そんな
森の中で遠くから銃撃が響いている。とうとう北の連中が攻めてきたのだろう。子供たちは貧相な手作りのライフル銃やクロスボウを握りしめている。船はいつでも脱出可能だった。『豚』という名前の
川は流れている。時間が経っているからだ。華子も壕の中でレイジング短機関銃を構えて、迎え撃つつもりか? まさか。日向有栖が追放されてから部隊の結束は強まっていた。華子への信頼が増したとも言える。あの女……いや男か。あいつはまだ生きているかな? 孤独で、見捨てられ、打ち捨てられて。どちらでも同じ事だ。地面が震えている? 指が震えている。自分が揺れているのか、大地が動いているのか。それすらも曖昧になった。ディーがヨハネ二〇章で煙草を巻いてダムがそれを吸う。
華子もそれを吸う。そうして子供たちも。まるで赤ん坊が母親の乳房に吸い付いて離れないようだ。華子はいつだってスジを通した。ヤクザがそうするのは社会のルールにコミットメントしない代わりなのかもしれない。要するに、誰もが指針や舵を失っては生きていけないと言う事。遅滞している。お前だけでも逃げろとは誰も言わない。誰もが口火の会話文を待っている。挿絵や会話文の無い本なんて何の役にも立たないのだから。読者も、そして作者も。
地の文が進行している。話の軸がぶれている。あちらに行ったり、こちらに飛んだり。揺れていたのは、地震でも恐怖のせいでもまして、この物語の主軸でも無かった。それは豹だ。V号戦車パンターは
充分な対戦車兵器は持ち合わせていない。
ロケット弾は外れたけれど戦車はそれ自体が意志を持っているかのようにのっそりと後退していった。主目標では無かったのかも、戦っているのが子供だと分かったのかも、あるいはただ道に迷っていただけなのかもしれない。
一帯は急に静かになった。煙が立ち込めている。誰もが華子の指示を待った。誰もが神の命令を待っている。モノリスの閃きを。超常存在の加護を。私だけが世界の真実を知っている。などと嘯いて精神病棟に縛り付けにされた。
「娼婦の連中は無事だろうか」
「奴ら、街まで攻めてきてると思うか?」
「恐らくな」
「助けに行くのか?」
逃げるのか? とは言わなかった。華子は義理立てするタイプの人間だ。船は壊れている。修理するにしたって、どこから奪ってくるにしたって、時間はかかるだろう。背水の陣だ。生き残った娼婦を一人や二人、助けたところでどうなる? 僕らはどうやって生き延びる? 僕らは受肉された物理的実存の稼働限界時間を、いったい何に役立てる?
「行ってやれよ」
と、ダムが言った。ディーも頷いた。僕らは僕らの強迫観念に従ってしか行動できないのだから。華子はすぐに戻る、と自動二輪に跨った。音が遠のいて、やがて見えなくなった。
きっと世間の自由競争と戦争の原理に対して、僕らは
たぶんそれも驕りだ。僕らは誰も助ける事は出来ないし誰からも愛される事のない。つい淋しくなって泣いてしまった。泣くなよ、とどちらかが言った。どちらが言っても同じことだった。
“心の中に咲く花がある
ひなぎく、ひなぎく
たった一目で植え付けられた
デイジー・ベルの植えた花
彼女が僕を愛しているのか
ときどき分からなくなる
それでも僕はデイジー・ベルと多くの事を
分かち合いたいと恋焦がれてる
ひなぎく、ひなぎく
ねえ、答えておくれ
まるで全ては君への愛で
半分狂ってしまったようだ
素敵な結婚式は挙げられないし
二人乗りの自転車に跨る君は
きっと素敵に見えるはず”
蝶が可愛い花をお嫁さんに貰おうと考えました。そこで
迫撃砲が
吹き飛ばされて、どうにか立ち上がると。身体の半分が無くなっているのが、よく分かった。
「……あは、あはは! ……はあ、ああ……――」
どちらかが天高く笑った。息も絶え絶えに。どちらであっても同じことだった。
「――あっはは! やっと、やっと初めて、一人になれたのに――……ああ、なんてことだ! なんて、どうして! こんなにも、…………
双子の片割れはそう叫びながら意識を失い永遠の孤独に臥した。
* * * * * *
有栖を背負ったクリストファーは深い河を渡り終える。疲れからか座り込む。固く握った手が痛かった。我が悩み知り給う。人類すべての原罪を背負った主は何よりも重かったという。開けた場所は緑の
「ジルベール、もういいよ。もう自分で歩ける」
だけどジルベールは離してくれなかった。耳が遠いのかもしれない。握りこぶしの中爪が突き刺さる。有栖が彼の手を開いて背から降りると、そのままこてんと倒れこんでしまう。
「ジルベール?」
もう息をしていなかった。眼は虚ろにどこも見ていなかった。それはすぐに分かったのにただどうしようもなく言葉にしてしまった。
「死んだの?」
死んだ、死んだんだ。僕の為に。お姉ちゃんと結婚して、きっと子供も生まれて、アメリカに帰って幸せになるはずだったジルベールが。僕の為に。死んだんだ。
涙が出れば救われたのにな。DMがすぐに気付いて蘇生を試みるが、駄目だった。失血死らしかった。戦争で何人も殺してきたし何人も死んできたっていうのに世界は静寂に満ちてぽっかり穴の開いてしまったようだ。
生きている意味なんてあったんだろうか。
そんな気がした。
彼の代わりに僕が死ねば良かったのにな。
素直にそう感じた。
「どうしますか、DM?」
グエンが気まずそうに言った。DMは「どうもこうも」と言って止血帯を地面に打ち捨てた。
「おれの任務は終了だ。救援のヘリを要請しろ。こっちにゃ救出した捕虜も居る。そう伝えろ。彼も載せて帰る。死体袋に詰められてな。LZの座標は……」
無線機が働いてしばらくすればヘリが来るらしかった。僕もそれに乗れば良かった。グエンが交信を終えると言った。
「あんたの任務?」
「そう、おれの任務。あんたらには言ってなかったな」
フランツ軍曹の監視。目的を逸脱しないか、自分だけの王国を作り上げてしまわないかどうか。二年前にトニー・ポーの任務を解いてから俺たちがその後釜だった。
何の話をしてるんだろう。ジルベールは死んでしまったままなのに。陰謀論には興味が無いよ。この世界は嘘っぱちで出来てるんだから。グエンが銃を構えた。アメリカ製の旧いカービン銃。
「メリル曹長!」
ドミニク・メリル曹長も応えるように銃を構えた。相互確証破壊。そのイスラエル製の短機関銃を一薙ぎすればお互いが無事では済まないだろう。
「あんたは、人の命なんて、どうでもいいんだな」
「こう見えても
「俺たちは数字の一つに過ぎないと?」
「そうだな。そしてお前も一人の市民に戻るときさ」
「市民だって? その国が無くなろうとしているのに!」
「おいおい、国だって言っても、うわべの傀儡国家だろう? そんなのを守ってどうなるってんだ。おれはおれの持つ技術を食い扶持にするだけの事さ」
「幻想や虚構だって構わない。国だって幻想だ。俺たちはそこで生まれたしそれで育った。それなのに、
なぜ僕たちは僕たちに自信を持つ事が出来ないのだろう。なぜ敵ばかりを求めるのだろう。なぜプロパガンダや言説に寄り添う事に安心するのだろう。なぜ世界は様々な色に満ちているのだろう。
みんながぜんぶ同じ色だったら、世界は平和だった?
みんなをぜんぶ同じ色に染める為なら、暴力は必要だった?
「だったら、
右も左も互いを馬鹿にするだけ。公民権運動と武装闘争。【仲間】だったものの手が銃に伸びて、メリル曹長は短機関銃を薙いだ。
僕はここに居ない。
姿は草むらによく溶けた。
始めから場所なんて無かったんだ。
エシャッペ、エシャッペ、エシャッペ。
ヨルダン川の向こうで待ってる。約束の地で。
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