7.こどく、の、ぎしき

 はいはい芝居は終わりです。

 肝腎なのはお金でさ。

 心が無くても投げ入れて。

 僕は僕の人生を切り売りしている。

 僕は僕の人生の道化者である。

 僕は僕の人生をコンテンツとする。

 今は、全体主義者北ベトナムを相手に。

 蛇は男根の象徴でもありエヴァの最初の愛人だったとも言われる。またイエスとはアダムとイヴとに知恵を与えた蛇だとする解釈も存在する。蛇使いのモチーフ。森で出会った北の連中は気の悪い奴らじゃなかった。僕らが敵対するのも結局のところ同じ人間だったんだね、っていう相対主義。絶対悪は存在しないんだってさ。それじゃあ、行き着いた相対主義の先では、誰を糾弾すればいいのかな? なんて。笛を吹いては壺の中の蛇の動きを操って見せる。手品のネタはいくらでもあった。人間ポンプに、ジャグリング、パントマイム、猿回し、バランス芸、操り人形。あいつらに切られた髪の毛も、坊主頭も北の奴らの同情を買った。「可哀想に、ほんの小さな女の子なのに!」。裁ち切られる人形プーペいと検閲ハサミのモチーフ。(はい、カメラはここでズーム・インですよ。強調パンクチュエーションの意図の明示)

 さて史実はどうあれ彼らは着々と南越解放の準備を進めているみたいだった。彼ら彼女らの武装は帽子屋が作るような貧相な銃と違って、ちゃんとした中国謹製のコピー品。或いは露仏のキメラ銃K-50M。ベトミンの頃から戦っていたのだろう旧軍の有坂銃や国民党軍のモーゼル銃を後生大事に使っている奴もいた。僕は彼らに被害者として認められたのだ。やったね、一般名詞のアリスの涙で濡れた服を乾かそう! 共産主義者主催、幹部会競争コーカス・レースの始まりだ!


 さあさ寄っといで、共産党幹部の諸君!

 ヨシフおじさんにフルシチョフ

 毛沢東からホー・チ・ミン

 ポル・ポトそれにフィデルまで!

 さあさ、みんなで輪を作って!

 ぐるぐる廻って堂々巡り

 始めの合図なんてありゃしない

 みんなで回って輪舞ロンドをおどろう

 誰も負けないから誰も勝ちゃしない

 共産主義は平等である!

 搾取なんて存在しないさ

 幹部の腐敗もありゃしない

 みながそれぞれの労働ノルマをこなして!

 だけど誤魔化しトゥフターは許さない

 共産主義には神は居ない

 だって誰もが平等だから

 資本家の労働なき富を粉砕だ!

 働かざる者食うべからず

 さあ大躍進だ! スズメを殺そう

 カミカゼタクシーに自爆営業

 怠け者は生きる価値なし

 負けた奴らは自己責任

 本部職員の踏み台として多少の犠牲は付きものである

 努力をすれば報われるのだから

 貧しい者には精進が足りぬ

 病気も発狂きちがいも存在しない

 過労で死ぬなら粛清も要らぬ

 それはプレス加工で造られた、

 同じ形クローニングした労働機械われはロボット

 (右手を掲げよ 勝利万歳ジーク・ハイル勝利万歳ジーク・ハイル

 人造生命フランケンシュタインの生産、いのちの消費

 大量生産、大量消費、大量廃棄

 <Grandioso>労働を愛するフィロポノス…―――…!

 壊れた部品はただ取り替えればよい

 腕を、手足を、眼球めだまを、脳を、

 思想こころを? (言葉を)

 表現規制、感情統制、理性主義と革命の抑圧

 不埒ふらちな創作物を排除せよ!

 原始のセックスは穏やかな恋愛として

 激情を晒すのはものだから

 他者をモノとして消費する事物は赦されないのだから

 当事者以外は物語を創作する事を赦されないのだから

 傍観者の感情増幅はいつまでも見当はずれなのだから

 僕らはいつまでも理解し合う事は無い

 会議は踊る、されど進まず

 七四年経ったら、もう踊り疲れちゃった

 コーカス・レース! これにておしまい


 例えば、君は、楽しく他人と歓談していて、恋人や家族の話をしていて、こうしていても目の前の人間はいずれ死ぬんだよなとか、皮を剥げばどんな表情をしているのかとか、蠢く内臓の事とかが、頭の片隅から離れないんだって、想像できる?

 僕はそうなんだ。家族連れを見れば、その子供が事故か何かで死んでしまって悲しみに暮れる様子をいつも想像してしまうんだ。あるいは両親が離婚したり、きょうだいが死んでしまう事ばかりを想像してしまう。どんなに幸せそうに見えても。それがいつか引き裂かれる事しか想像できない。そういう話ばかり、眠る前のおとぎ話として聞かされて育ったから。サンタクロースはお前の父親で、そこに幻想なんて無いんだって。子供を何人産んで、何人死んだか、なんて話ばかり。だけど僕は積極的に仮象を現象を、幻想を肯定しようと抵抗するんだ。まあ言ってみれば、家族というのも互いに共有し合う幻想でしかないからね。

 聞いていますか? ■■■■■■さん。貴女が死んでから今年でもう十回忌ですね。貴女が産んだ四人の男の子のうち、長男は受験に失敗して首を吊り(貴女は、その精神状態の不安定さから、自殺だとは聞かされていなかったようですが)、三男は貴女の旦那さんの自転車の後部座席に乗せられていて、転倒して幼いうちに死んでしまった。毎夜毎夜……飽きもせずに……私に言い聞かせていましたね。長男と三男は本当に良い子だったと。街へ婿に行った四男も本当に良い子だと。豚の生姜焼きが大好物なんだと。そして私の父親、すなわち次男ですが、とその嫁は本当に良くないのだと。貴女を苛め、台所を奪い、意地悪く、そしてそんな悪い事をしていれば、きっとお天道様からいずれ罰が当たるのだと。今となっては、きっと貴女は大切な子供を取られた嫉妬心に駆られていたのかもしれませんね。貴女の旦那さんは、すなわち私の祖父ですが、トラックの運転手で、とてもとても優しい人だったと。私たちが住んでいた家の離れ屋はお爺さんが自分で大工をしたのだと誇っていましたね。三男はいたずらっ子で、はしゃぎまわって、離れ屋の囲炉裏に突っ込んでしまった事があると。私はすっかりその話が印象に残っていて、貴女の三男はてっきり焼死したものだと思い込んでおりました。三男がお祭りでリンゴ飴をせがんで、しかし貴女はそれを買いませんと言ってしまった事を、今でも後悔していると。だから仏壇の前には、赤いリンゴの形をした陶器のお酒をお供えしていたんですよね。般若心経を毎夜毎夜唱えながら……。早朝には毎朝お爺さんと長男と三男の墓参りに行って……過去に縋るように……精神病院に入院した時の話を聞かせてくれましたね。結局今では、私は貴女が何の病気だったのか知る由も無いのですが。鎖に繋がれて、ベッドに縛り付けられていたと。鉄格子越しの面会で、四男が涙を流していたと。そうして私の姉が生まれ、兄が生まれ、私の父親は子供の為に煙草を止めて。父さんが大学生の頃に着ていた羽織には、煙草の焦げ痕が残っていて。そう学生の頃、貴女は私の父親に食べきれないくらい沢山の食べ物を送っていて。それを全部食べられずに棄てられてしまった事を、貴女はいつまでも怨んでいた。いずれ私が生まれて、ハッと目が覚めて。それで貴女は救われたと。のだと。そう確信したのだと。そのように言っていましたね。貴女の寝床には貴女と赤ん坊の私の写真がまるで天皇陛下の肖像画のように飾ってあった。自分たちの世代は一番苦労した世代なのだと。戦争の徴発で松ぼっくりから金属製の鍋までみんな持って行かれたと。こんな事をしていて、戦争になんか勝てるわけがないと思ったと。あまり出来のよくない親友には、試験の時にこっそり答えを教えてやっていたのだと。親戚のお爺さんが特攻で死んだのだと。シベリアに何年も抑留されていたのだと。死ぬ時には、私の初恋の同級生のお爺さんのように死にたいと言っていましたね。いつもの落語のテレビ番組を見ながら、イカの刺身を食べていて。喉に詰まって苦しんでいるのを、テレビを見て笑っているのだと誤解されて。そのまま笑って死んでしまったのだと。そう何度も何度も、貴女は死にたいと言っていました。貴女は幼い私の冷たい脚を貴女の脚で温めてくれました。親指を十秒噛めば怖い夢を見なくなると教えてくれました。逆に、仰向けになって胸の上に手を当てていると怖い夢を見るのだと教えてくれました。深くゆっくりと呼吸をしているうちに眠りに落ちるのだと教えてくれました。眠れない時は、しりとりに付き合ってくれたりもしました。枕の下に剥き出しの包丁を入れて、こうすると怖い夢を見なくなるのだと言って。私の母親に怒られていましたね。今考えると、確かに子供の傍に刃物があるのは危険ですが。貴女が医者から処方された向精神薬のうちから、頭の働きが鈍くなるからとおそらく睡眠薬か何かを勝手に飲まないでいて、朝に私が目覚めると、ただじっと無垢で純粋なまなこを私に向けて、馬乗りになって私の首を絞めたりもしましたね。朝に書斎で倒れて、救急車で運ばれたりもしました。小さい癌も見つかって、それは手術ですっかり治りました。貴女が死ぬ前の晩、その頃はもう私たちは別々の部屋で眠るようになっていましたが。貴女はずっと私の名前を呼んでいましたね。■■■■■■、助けてほしいと。■■■■■■、話し相手になってほしいのだと。私はそれを無視しました。何もかもうんざりして、嫌になっていたからです。そして、翌朝、貴女はサツマイモの天ぷらを喉に詰まらせて、死んだ。貴女の死体の唇に触れました。水を引いて濡らしました。私はそれを、植物の葉っぱの裏のようだと思いました。冷たくて、しっとりとして、動かない。私は貴女を救えなかった。■■■■■■さん。私は悪い子です。私は貴女の思い描くような人間ではなかった。裏切り者だ。私は、貴女を、見捨てて、絶望のうちに、殺した。


  愛も救済も無く。

 私が彼女を殺したんです。

 窒息でもそれは変わらない。

 さてはこれで終わりかな?

  要するに、誰もが加害者だって事。

   いつまで彼女の死に囚われている?

  あるいは、誰もが被害者だって事。

 まずはを認める事からさ。

 彼女は生き辛さに窒息した。

 彼女は私を支配したんだ。

  愛では無かった。


 もう罪の無い声で説教を垂れるのはやめにしたんだ。マタイによる福音書第六章第十六節。戒めとしてね。共産主義を倒してハッピーになっているところ悪いけど、その先にあるのは超過労働の地獄なんだよね。一応弁明しておくと僕はフィデルの事は嫌いじゃないよ。表現は始めから木板や石板をナイフで生み出されたものだったのだから。は同じ事である。言葉が、木や石に刻む物から紙の上に薄っぺらくインキを染み込ませる物に変質しやがてそれよりも軽い単なるゼロイチかの情報と化して、その重みを失い、しかしながら、木板や石板から削り出されこそが言葉のの本質である。軽くて、薄っぺらくて、実体を持たない。言葉を愛するPhilologia知識を愛するPhilosophia孤独を愛するPhilomonaxia

 まるでそれが自らに科した罰であるかのように。有栖は左上腕を傷付け泥を擦り込み針突タトゥーを入れた。平和、それに二つのAを組み合わせた蝶のシンボルマーク。


 何の話だっけ? ああ捕虜収容所の話だ。虚構の物語を続けようか。どうせ嘘っぱちなんだ、価値も無いし意味も無いんだろ。だから表現の自由を排除したいんだろ。君たちは本当の話にしか価値も意味も無いっていうんだから。腹の底じゃ、何にも信じちゃいないんだから。僕の話も嘘だって言うんだろ? 嘘って事で良いよ。僕も君の事は信用しちゃいないんだから。現実は虚構と幻想によってのみかたち造られるのだから。さて捕虜救出ものと言えば。『ランボー/怒りの脱出』! だよね。あと『地獄の七人』に、『ディア・ハンター』それに、『地獄のヒーロー』! ことクリストファー・ジルベール・フランツ二等軍曹は着々と収容所解放の準備を進めていた。有栖もそこに居たんだ。緑褐色のバンダナを頭に巻いて(さあ、その色を想像してください。色盲の有栖がそうするように)。刻印なまえの無いコルト・コマンドー短機関銃を提げて、構えて、そして――。

 撃て!<con fuoco> “バンバン君は撃たれて倒れたよ。”

 ナンシー・シナトラの唄う曲そのままさ。

 銃声が響いて、迫撃砲が轟いて、どんどん人が死んでいく。

 僕は胃の中に隠していた蝶のナイフを吐き出すと、慌てふためく兵隊を刺したのさ。

 肉の感触がする。血の霧がひょっとしたら虹を作る。

 うん刃先が骨に当たったな。

 僕もよく背中から腎臓を刺されて死ぬ妄想をしたものさ。

 祖母の枕下の包丁が僕を刺すんだ。

 ホルスターから【素早く一〇発ten shots quick!】のサベージ・ピストルを射って、棄てた。

 暴力なんて大嫌いだ。支配なんて大嫌いだ。

 だけどどうしてそんな妄想を繰り返すんだろう。

 僕らの世界は未開・野蛮サベージだったのだろうか。

 ペキンパー監督の映画のようにスローモーションだ。

 声は遠くて聞こえない。

 言葉なんか届かない。

 僕はここに居ない。

 僕はここに居なくても良いんだ!

 そう思える事が嬉しかった。

 本当は銃声が鼓膜を一時的に破壊したのだろうけど。

 耳鳴りがするし爆発音に酔って吐きそうだ。

 君が僕を助けてくれるの?

 それともそれはお姉ちゃんの為?

 それでも良いよ。ジルベールは僕のヒーローだから。

 僕が幸せになれない代わりに、君だけは幸せになってほしい。

 太陽がいっぱいだ、アラン・ドロンは良い演技するね。

 ジルベールは彼ほどハンサムじゃあないけれど。

 だけど、僕はぴったりのカップルだと思うよ。

 “バンバン君は撃たれて倒れたね。”

 血が流れているし、だけど僕を見て笑顔で手を振った。

 声なんか聞こえなかった。

 言葉なんて要らなかった。

 ジルベールは髪の無い僕でも一目で分かってくれたんだ。

 そうして、彼は僕を背負って、曳光弾の飛び交う中を掻い潜っていく。

 彼の部下が捕虜を解放する。わっと人間どもが飛び出す。

 まるでアクション映画のワンシーンのようだ。

 フィルムの明滅は何度も繰り返されて君のシナプスに記憶する。

 思い出したよ、最初の記憶、お婆ちゃんは病院の帰り、幼い僕をおぶっていたね。

 あれは寒い夜だったのだと思う。温かい背中だった、交差点の信号が明滅していた。

 綺麗だね、と僕か祖母が言った。どちらが言っても同じことだった。

 息が白かった。冬が迫っていた。

 ジルベールは僕を背負っていた。温かな血が抜けるので、その指先は冷えていた。

 息が白かった。星空はやがて明るんできていた。

 <Andante>心臓の鼓動にいつまでも耳を澄ましていた。

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