* * * * * *

 オニユリは大麻を吸いすぎてバッドに入ってしまった。涙をぼろぼろと流しながら椅子に仰向けになって剃刀で手首を切っている。βエンドルフィンが出てモルヒネなんかよりずっと効く。落ち着いてきた。もっと気持ちよくなりたいので下着ショーツに手を突っ込んで自慰を始めた。血塗れになる事なんて気にもしなかった。するとデイジーがノックもせずに部屋に入ってきた。

「あっ、あっ、あたし、妹が欲しかったのにぃっ。褒めてあげるの撫でてあげるの、デイジーみたいなぁっ小さくてかっ、かわいいっ、いっ、いっ」

デイジーはオニユリを椅子から引き倒して床に叩き付けた。腹を蹴り抜いた。踏み付けた。また蹴り抜いた。

「あたしを! オカズに! オナってんじゃないよ! 誰が! 寝室の! あんたの血を! 後始末すると! 思ってんだよ!」

デイジーは叫びながら頬は紅潮し口元を歪めていたしオニユリもひっ、ひっと震えながら細々と息を吸いつつ(あるいは失禁して)絶頂していた。息だけが荒かった。反響こだましていた。

「痛くない……痛くない……。……もっと……、もっと…………」

顔だけは傷付けないのがデイジーの流儀だった。嫌な客の相手とストレスの発散に疲れたのかどかっとベッドに座り込むと、デイジーは俯いて啜り泣いた。オニユリはオロオロして(セロトニンが分泌されてきた)、隣に座ると血だらけの手で頭を撫ぜようとした。撥ねつけられた。

「慰めは止して」

「ああはああ、ああ、ああは、ははあはあ、はあ、あああ、あは、あは、ああはは」

「なに笑ってんのよ」

「はあはああ、あははあ、ああはああ、はあ、ああ、あは、ははあはあ、ああ、はは、ああは、ははああ、ああ」

「ついにイカれたの?」

「ああはあは、あはあはあ、あはあ、あは、あはああ、ははは、あはあはは、はあははあ」

「血は止まったの?」

「ははあはは、あはは、はああは、あああ、あはあ、あああは、あはあはは、あは、あは」

「あんた、どのくらい生理来てない?」

するとオニユリは面喰らって息をするのも忘れてしまった。デイジーは続けた。

「あたしは三ヶ月。テロが頻発してきてから……あの死体を見てから……。ご飯も、あまり、食べてない。痩せてきたでしょ? 戦争は最高のダイエットよ。肋骨あばらが浮いてるわ。……拒食症のコンロンカの事を思い出すわ……お腹に産毛が生えてきて。それを大事そうに撫ぜるのよ。脂肪を失くすと内臓を冷やさない為にそうするんだってね。身体からだが生きる為に。あんたは、死にたいのか、分からないけど」

こんな弱音吐けるのはよ。強がってるけど……。デイジーはオニユリが何も言えない事をよく分かっていたのでそれに無自覚に依存していた。ねえ、あたしたち、生き残れると思う? とは、言わなかった。水差しからコップに注いで飲むと、落ち着いてきて、それからオニユリの血を洗い流した。古新聞で拭った。片付けなきゃ。今日もまただわ。仕事、仕事、仕事……その逃避行為は現実の辛さを少しだけ麻痺させた。デイジーは、労働中毒ワーカホリックであった。

 ねえ、あたしたち、生きてゆけると思う?

 オニユリは耐え切れずに嘔吐した。


 労働は、人生の辛さや死の現実をしばし忘却させる劇薬です。だから働くのは少しで良い。世界が戦争に飲み込まれているように……人生いのちが労働に飲み込まれてしまわぬように……。左の翼を怪我したハトが、空へ飛び立てずに喘いでいる。“ラヴはアメリカ、リュボーフィはソヴィエト、アムールはフランス”。森はいつものように暗かった。この森は自然林であるから時間というものが本来無いのだ。

 彩芽はオニユリがを隠している事が気になっていた。あの日あの時、オニユリはこの森に……。少女探偵ナンシー・ドルー。そんな小説を隠れて読んでた時期もあったな。見つかって母親あのおんなに燃やされたけど……。子供から全てが始まる。彩芽はふと高い空を見上げた。しまった。完全に迷ったわ。

 銃声が響いた。彩芽は姿勢を低くした。なるほど、音の反対側へと離れれば良いのね。鯨が波を起こし遭難者を岸まで戻すように……。それなら、『お目当て』は、音の方向にあるという事。彩芽はベレッタの二五口径のバレルをチップアップさせ初弾を装填した。近付いていく……安全装置は、外したっけ? 撃鉄は勃起しコックされてる? 銃・棒ロッドなんて使った事が無いから分からないわ。ああ、駄目だ、あたしがこんな事じゃ。皆を守ると息巻いたくせに。でもちゃんとしなくては…………。急に静けさが訪れた。

「動くな」

と、少年の声がする。彩芽は息を飲んだ。

「銃を捨てて、ゆっくりと両手を上げろ」

「動いたら駄目なんでしょ? 矛盾したこと、言わないでくれる」

「黙れ」

彩芽はゆっくりと振り返った。白い髪と肌をした少年。名前を春野華子と言ったが知る由も無かった。

「女?」

その僅かな動揺を彩芽は見逃さなかった。主導権イニシアチブを握るチャンスだ。ニヤリと微笑んで言った。その表情は逆光に翳っている。


 “なぜ 黙ってるの

 二人きりよ

 女が居るのよ ほら触って

 あんた生きてるの?

 鳥の声は聞こえてる?

 耳も悪いし 目も見えないの?


 私は女よ

 ほら

 男を愛したいの

 子供が産みたい

 ねえ

 何をしてもいい

 何でもするわ

 死ねと言えば死ぬわよ”


「…………以前に会った事が?」

「そうは思わないわ。でもあたしはを知っている」

「?」

「先の国共内戦で敗れた国民党軍の残党がこの国に逃れてきて……ベトナム人か、日本人か……あるいはI bet華僑との間に生まれた子供が居た。その子は白子アルビノだった。気味悪がられたのか、もう子供は要らなかったのか……白子は森の奥に捨てられ……しかしその子は当時フランスから援助を受けていたビン・スエン派に拾われ……もともと太陽の光を嫌う彼は地下社会に生き……組織が壊滅し残党に分かれた後も、阿片の密輸や独立戦争時に供与された銃をして……その後は何があったのか、組織をけたか再び追い出されたのか……言わば自分を捨てたへの復讐の為に生きていると……」

華子は彩芽を組み伏せた。拳銃を突き付ける。

「何故それを、知っている」

図星だったのね。痛いじゃない。

「その国民党軍の父親に捨てられたに聞いたのよ。大麻に酔って、機嫌の良いときにね。あの子も華僑の育ちだから話は色々と聞いてるんでしょうよ」

ひょっとしてオニユリはこいつの事を探していた? 腹違いの弟か、親戚か何かで……あの子は自己防衛のために自分の事を語らないから想像ばかりが膨らむわ。カマブラフをかけてみるか。

「あんたの家族を知ってるわ」

「何だと?」

灯台もと暗し。は多分、(親、あるいは組織への復讐の)機会を窺っている。地下社会に生きていたなら、ビン・スエン派の残党が娼館にも一枚噛んでいる事は承知であるはず。死んだポン引きも中国系だった。だのにあたしはとは初対面。つまり遠くからしていたのだわ。あの惨殺死体もの仕業かもしれないし……情報を得る為に……そして軍団を組織し……力を貯え、いる。無線受送器トランシーバーを持っているから。味方ギャングが居るはずだ。

「条件があるわ」

は誰を探しているのか? それは分からないが『朝日楼ライジング・サン』という娼館が関わっているのは確かだ。という情報源もある。あるいは、あたしたちの誰かの中に……も、私が娼婦である事は勘付いているはず。それならば。あなたには余分なものが、私には足りないものが。

「あたしを守って」

それは取引ディールだ。

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