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 八ミリ口径ロス・ステアー弾は三〇口径カービン弾の薬莢ブラスから作る事が出来ます。直径の近い八ミリ南部弾(そうです、日本軍は一時期インドシナを支配していました)を銃弾たまとして。華子からオズに渡されたステアー拳銃はこの手作りの弾薬アモを使います。また同じ三〇カービン弾を二二四口径にネックダウンした五・七ミリ口径スピットファイア弾(正確には、三〇カービン弾の薬莢に米軍の二二三口径弾をキメラした代物ですが)なども辺りに散らばっています。

 現在、華子の部隊が運用する弾薬はおおよそ九種。ブルーノ、ゾロターン機関銃用の八ミリ口径モーゼル弾。デグチャレフ用の七・六二ミリ口径リムド弾。舟守の双子ダム・ディーが使う『豚』ことM60機関銃用の三〇八口径NATO弾。単発銃用の十二番ゲージ散弾に、先述のスピットファイア弾(その銃身は部分的に破壊され遺棄されたAR15のものを流用していました)。ステン、オーウェン短機関銃と華子のルガー・ピストル用の九ミリ口径パラベラム弾。レイジング短機関銃用の四五口径弾。それからオズ専用に先述の八ミリ口径ロス・ステアー弾と、ブレダ軽機とカルカノに使う六・五ミリ口径カルカノ弾。機械によって大量生産される弾薬も、このようにして手工業で僅かに作られる野良猫弾ワイルドキャット・カートリッジも。基本的には動物を人間を破壊し絶命せしめる為に作られています。

(男根と銃砲の共通点は対象を侵し傷付ける為であり、その相違点とは命を与えるか奪うかという点にある。もちろん銃砲が守り男根が奪うのである。銃砲と男根とは表裏一体の同一存在でもある。概して男性性が暴力die Gewalt好む/似ているlikeのは、それが女性名詞だからである)

「これは、なんだ」

それらツメクサこと蜜たる弾薬を華子の蜜蜂たちが運ぶ。有栖の一言に蜂どもは一瞬、動きを止めた。人間はその内部に鬱屈する火薬エネルギーを抱えながら……雷管の火花によって点火される事を待っている。それ、散れ、散れ。帽子屋が言ったので蜂は動き出した。

 それは『ロー・メンテナンス・ライフル』の試作品だ。大規模なプレス設備を使えないため手作業によって形だけを真似たモックアップに近い代物だが、鋳造で作られたダイヤモンドのように並んだ四つの銃身を持つ『リベレーター・ショットガン』はいくらか実用に耐えそうだった。

 しかし有栖はその(試)作品に価値を認めない。彼女の優先事項は今や戦車。それは供物として捧げられるための……。また自らのクリサリスとしての……。もはや暴力とは自らの殻に閉じ籠る為の手段でしかないのだ。

「せっかく設計図ブループリントがあるのに……」

「あのさ帽子屋、僕は思うんだよね、小説設計図プロットがあって、その為にわざわざ精査リアリティ考証したり材料・資源・素材キャラクター、ストーリーなどの要素やら工場・設備ワープロ・原稿用紙やらを準備してだ。人間しげん時間かけがえのない浪費むだにして創作つくるよりも。死体そこにあるものからパクったほうがずっと速い」

事実、有栖は華子のから働き蜂どもを盗用/登用していた。

「だけどさぁ……」

有栖は『ロー・メンテナンス・ライフル』の試作品を床に叩き付けた。部品はバラバラになって四散している。割れた卵が戻らないように…………。タンパク質が不可逆に熱変するように…………。潰された蛹から過去を反芻する体液が漏れ出すように…………。(人間存在は訂正の必要な間違いに過ぎないのですか)

「いいから、は熔かして、戦車の部品にしろ! に必要なのは楯であり、揺り籠であり、お前の趣味の豆鉄砲なんかじゃあないんだ!」

なぜ有栖は帽子屋に命令できるのか? これは有栖も帽子屋も自覚していない事だが、有栖は他人との境界を認識できず、自分の考えや気持ちというものが、。他人が自分の為に動くのは当然であり、他人は自分の認識の通りの存在であり、また自らの世界の解釈が世界そのものと同一であると誤解したままである。有栖は、儒教的精神に基づいて、年上の人間を敬わなくてはならないという抑圧を抱えていた。

 帽子屋はその被り物の下で眉をすくめてみせた。彼の考えるにはこうだ。――やれやれ、それじゃあの言う事に従いますかね。僕は、どうなっても知らないけどね。どうしてそこまで他人をして、他人は自分の命令に従うと思い込んでいるのやら。技術の価値も知らず、そのの眼では何にも見えていないくせに。

 芸術・人工・被造物アートは常に【今・ここ】を共有できる相互的性行為の代償に過ぎないのですか? 犬は言い付けを守り舌を出しながらをして、猫は日蔭を歩きながら欠伸あくびをした。その野良猫はアナルコサンディカリズムのサボり猫のような……。労働組合概念の再定義。闘争領域が拡大するならば。

 有栖は帽子屋が不満を持っているのは知っていたが彼女は彼の仕事に対する完璧主義を言わば信用していた。有栖はそのような労働へ満足に対価も支払わず、自らへの不信を売り渡す事によって成果を掠め取る事への代償に、余りにも無自覚であった。

 チャールズ・チャップリンは『独裁者』で「愛されなかった者Unloved気障・非人道Unnaturalだけが憎み合うのだ」と説いた。それなら僕は、「愛されなかった者Un-affectedこそが純粋Unaffectedであり気障らないUn-affectedのである」と言おう。これは、お分かりのように、トートロジーです。愛もまた資源であり殺人と競争と戦争の温床です。ならば、愛もまた格差是正のため廃止しなくてはならない。人間は人間である事Humanityを止めなくてはならない。(それは反語でしょうか)

 お前は創作ものづくりが出来ていれば幸せなんだろ? それとも対価を求めるのか。不純な動機だ、金儲けがしたいなら、創作なんてやめてしまえ! 言説がまかり通りついに誰もモノを作らなくなりました。やがて来る飢えと渇きが…………。神の愛も創作物だったのです。

 人間が全てのひとを幸福とする為に社会のシステムや文明や機械を発明したようにまた、愛によって疎外される者が居る。教会は苦しむ事は美しいと言います、神により救済を得られると言います。ニーチェは神というシステムを殺し、置き換えられた近代のシステムは、終ぞ改良される事なく既得権益を守るように作動します。免罪符を売り付けるように、愛も健康も友人も未来も金で買える。

 それは黒い水だ。渇きを癒すオアシスは、既に独占されており、降り注ぐ雨は枯葉剤にじいろに汚染されている。東西冷戦の代理戦争が第三世界で行われ、奴隷は、植民地は、紛争は、貧困は、一部の人間たちの搾取と潤いの為に。

 それを良しとしなければ。真社会性と人間の群体、超個体の為に。それは当たり前の話。人間はその初期位置の環境と遺伝配列に人生を上下左右され、自由意志と自由選択は存在せず、ただ自己の決断による自己責任という名目で操られるのみである。生まれた時代が悪かっただけ。育った環境が悪かっただけ。この身体に流れる血が、空っぽの脳味噌に反響こだまする言葉が悪かっただけ。暴力と、権力と、知力と、魅力を持った人間たちの力によって弱者、薄弱者、障碍者、不能者、不細工の遺伝子は断種され淘汰され、人間はよりよい方向に進歩するはずである。と信仰しなければ。

 その優生思想は、今の経済・学問・恋愛・生殖・自然・生存・競争・社会に加担する全ての者の総意です。誰が素晴らしき民主主義を、多数決の原理を、全生物の生存競争を否定できる?


人間Humanityだ)

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