* * * * * *
「あー、えらい事んなった」
ローズは
「全身に鞭の痕と切創、腿には銃創、肛門に裂傷。陰茎と睾丸は切り取られていて行方不明。自身の性器を咥えさせられたのか、歯は一本残らず抜かれている。その他、指の爪も剥がされており、失禁や嘔吐の形跡も……」
おええ、とオニユリが胃をひっくり返す。ローズが腕を組んだまま
「あんた、昨晩は一体全体どこ行ってたんだい。何も知らないのかい? この事について……」
オニユリはローズの詰問に脂汗をだらだら垂らす。多汗症なのかもしれない。閉じられた窓口にローズは質問を諦める。
「まあ、あんたが何を知ってようが関係ない。問題はこれがあたしたち娼婦による報復と
「アヤメを守る為の?」
デイジーが訊いた。ローズは答えた。
「ひいては、あたしたち自身もね。あの子は?」
「頭が痛い、って言って寝てる」
「良い気なもんだね」
ローズは煙管を叩いてその灰を落とした。
「それで、この娼館はどうなるわけ、ローズ?」
「ポン引きだって末端さ。あたしたちは『人間』の枠組みにすら入れられてないわよ。暴力で黙らせられる
「また上から新しいポン引きが送られてくるってのね」
「自由と資本主義の結果よ。韓国の民間企業も戦争難民の子を攫って娼婦に仕立てている。
「そりゃまったく、可哀想なお話ね」
デイジーは全く感情移入せずにそう答えた。
「構造が変わらなけりゃ、何にも変わらないわ。これは
ストライキでもするわけ?
代わりの女の子を連れて来られるだけだわ。
それとも逃げ出す?
足抜けした子たちがどんな目に会うか知ってる?
あたしは立ち回りが上手いからこの年まで生きられたのよ。
幸運な事ね。
幸福なものか。
(私たちの人生はあまりにも多くの犠牲の上に成り立っている)
(それでも生き残っているのなら、それはきっと幸せな事なのよ)
(そうかしら。ときどき自由と競争とは人間の苦痛を養分に成長する生き物と感じる事があるわ)
được. Alors, それじゃあ一体「どうするつもり」?
「
アヤメが散弾銃を携え、どこからともなく現れた。葉を詰め直しローズが煙管に火を灯した。マッチを振りひとすじの煙を立ち上げると棄てた。
「勇ましい事ね。あたしたちが銃を扱えるとでも?」
「独立と自由は暴力によって得られるもの。
(いつから共産主義革命論者に鞍替えした?)
(あたしはただ、人間らしく生きてみたいだけよ)
(……人間らしく? あんた、人間じゃない超常存在のつもり? あたしたち
(そんなお題目。人間扱いされてないって、あんたの言った事じゃない。偽物の人生。本当の私は、こんなじゃない)
(そうやって誤魔化しながら生きていくのさ。二本の足で地べたに釘付けにされ、空はあまりにも高すぎる)
(でも人間は空を攻略した。三年前には月にだって着陸した。人間が人間らしく……生きるために、文明や人間活動が存在してはいけないのか)
月の石……。アポロ十一号。ロケットエンジン開発と核抑止。
「現実問題、娼婦が豆鉄砲を持ったところで、何の効果も期待できない。
「それなら……あたしたちの稼いだ金で、用心棒を雇えばいい。そいつらに直接、身体を売ったっていい」
この苦しみはいつまで続く? この戦争は?
「あんたの懇意にしてる、あの軍曹かい?」
「それだけじゃない。米軍に育てられた現地民兵に、南ベトナム軍、金で雇われた韓国軍部隊、傭兵連中……金と
どうだろうか。そいつらがいつまでも此処に居座る保証はない。今だって華僑や韓国企業、ヤクザに匪賊その他その他が周辺の市場競争を繰り広げている。戦争が終わるまで? 均衡が崩壊すれば、北の連中が攻めてくるだろう。豚どもも尻尾を巻いて逃げ出す事だろう。その時、あたしたちは? アヤメはそこまで考えて提案しているのか?
「危険な提案だね。他のとこじゃ、痴情のもつれで無法者に顔を切られた子も居る。デライラだったか?」
「男なんて、あたしたちが居なければ生きてゆけないのだわ。ポン引きだって商品が無くなれば困るでしょう?」
機械論的だ。この子の物言いは好きじゃない。あたしたちは
「アカの連中にも媚びを売るのかい? それとも銃口を向ける?」
「何を今更。分からせてやるのよ。
銃を取れば、いずれ殺し合いのゲームに参加することとなる。この子は娼婦たちを組織から
その為の
「あたしはアヤメに賛成だわ。殺されたり棄てられるくらいなら足掻いたほうがマシ」
デイジーが言った。言葉の裏側には大した興味は無さそうだった。
「珍しいのね?」
アヤメが意外そうに言った。
「二対一か」
オニユリは視線を集められ怯えている。ローズはちらと覗いて(その茎を)しかし折れずに言った。
「大麻狂いのヒッピーが銃を扱える訳もないから、二対二」
アヤメは眉を
「長期的には良い提案かもしれない。とにかく。死体を始末しよう。デイジー、人手を集めといで」
「紫陽花と竜胆を呼んでくるわ。あの二人なら口も固いし」
「任せたわ。【あたしたちは何も知らなかった】。それとアヤメ、」
ローズはスミレの事を知っている。アヤメのオシメを取り替えてやった事もある――『事もある』? いいや、スミレは育児なんかした事は無かったな。子供の出来ないあたしにとって…………危なっかしくて、見ていられない。
「その銃は私が預かる。代わりのポン引きが来るまで、あたしが年長者だ。代理の女主人として此処を管理する」
アヤメはしぶしぶ散弾を抜くと、荒っぽく尾栓を閉じてそれを手渡した。受け取ったローズは思わず呟いた。
「銃は、重いのね」
スミレの
アヤメは自室に戻ると隠し持っていたベレッタ二五口径のチップアップ・バレルを分解し整備する。それからフルール・ド・リスの紋章の付いたユーゲントナイフを(或いはその反射に映る自らの顔を)眺め、指先の指紋に研がれた刃をなぞらせ、呼気で曇らせ拭き取ると鞘にしまう。
有栖はすうすうと寝息を立てている。その頬を撫ぜる。煙草と香水の匂いでアヤメは血と硝煙の臭いに気付かなかった。或いは気付かないフリをした。
危ない事はお姉ちゃんだけでいいのよ。
と、日向彩芽は目の前の子どもに対して呟いた。
いずれ夜が明ける、それは希望の
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