4.春過ぎて衣干す蝶

 腕の無い子が脚の無い子を肩車している。二人は落下しないよう互いを縄で縛り付けボンデージていた。キノコや植物を採集している。ボートは泊まって退屈そうに見張りを続けている。

「見世物小屋で働いた方がマシだったかもしんないな」

ぼさぼさ頭のダムが言った。結合双生児の二人は『豚』という名前の機関銃ミトレユーズを船のへりに据えて、空を眺めてみた。

「華子の話じゃ、昔はこの辺でも伽羅がよく採れたんだってさ」

おかっぱ頭のディーが言った。ダムは衣嚢を探りながら訊いた。

伽羅きゃら?」

「香木、沈香じんこうってやつ。ジンチョウゲ科の木が傷付いた時に、自ら樹脂ヤニを分泌して治すんだ。その樹脂のお陰で比重が重くなって、軽いはずの樹木が水に沈む……だから沈水、沈香などと呼ばれる」

「それがそうなると、何が良いんだ?」

ダムは読めない聖書を破った紙に刻み煙草を巻きながら訊いた。

「高く売れる。日本じゃ香道っていう文化があって、伽羅や香木を間接的に燻して香りを楽しむんだそうだ。それは香りを『嗅ぐ』のではなく、むしろ『聞く』と表現するのが正しくて……」

ダムは話半分に煙草へ火を付けた。「ちょっと!」とディーがそれを取り上げた。

「いい加減、煙草やめてよね。脳は別でも内臓オルガンは一部共有なんだから」

「肺と心臓はそれぞれ自前のがあるだろ。それから胃腸も」

「血はガッツリ共有してますけど? ヤニで死ぬなら一人でしてよね」

「かはは、そりゃ無理な相談だ」

つる植物が樹木に巻き付いて依存している。ノバラやフジ属、サルカケミカンなど……。その実を採ろうと腕の無い子と脚の無い子が奮闘していた。華子が川底から上がる。魚取り籠を船に投げる。

「永遠に上がってこないかと思ったぜ」

ダムが言った。吸いかけの煙草を渡し、華子がそれを吸った。

「ルカ十五章か」

「は?」

「巻紙の話だ」

「吸っただけで分かんのか?」

「馬鹿、読んだんだよ」

ニクソン訪中から北ベトナムの攻勢が始まり、各拠点の市街が解放軍に占領され、町の方にも緊張が走った。ポン引きの死体の件もそのお陰でうやむやになり、ローズがそのまま女主人マダムとしての地位を得た。要は、いつでも使い捨てに出来る駒としてだが。

「ガキどもは?」

「植物や薬草を採集してる」

「ビタミンは大事だ。怪我の薬も。オズのところで畑も耕してる」

「ねえ華子、」

いつまで続けるつもり? という言葉を飲み込んだ。華子はそれに答えた。

「ビン=スエン派は解体されたんだ。繁華街で娼婦のポン引きをやってんのも、あの残党だ。とにかく、俺とはもう関係が無い」

「『俺たちに帰る場所はない』?」

アジア的生産様式。原始共同体と異なるのは血縁関係が比較的薄い事だ。共同体が土地と生産物を所有し、個人はそれらを分配されるのみである。ゆえに共同体から脱することは出来ない。もちろん同族――同じ民族や『黄色人種』という枠組みで見れば、広く我々は『アジア人』であるわけだが。春野華子はその剰余労働を搾取する専制君主である。しかし彼自身も狩猟・採集、そして戦闘といった原始的な労働に参加することでその立場を偽装していた。

 我々は何も所有していない。仮初の家屋に住み、日々の労働で糊口を凌ぐ。狩猟・採集社会から農業・牧畜への移行は、剰余労働を産み出し、それら生産物はその土地所有者へと還元される。それを或いは搾取と呼ぶ。女性は生産用具であり、男女共同参画と家外奴隷としての女性の地位は、安価な労働力としての意味を持つ点で共通している。しかしながら資本主義社会・自由主義社会においては、それらが自己責任の下、個人の判断や決断によって選択されていると信仰されている。

 マングローブを抜け川の干潟に近いところへ出ると、いくつか泥を掘ってできた穴に竹筒を配置しており、その穴を通り落ち込んだ魚や蟹などを囚えている。華子はそれも回収していった。何匹か頭の二つ生えた奇形の魚が居て、ディーは「僕らと同じだ」と呟いた。蠅がわんわんと唸っている。蚊ではないのが救いだ。虫は得てして疫病を運ぶ。或いは思想や主義を。籠いっぱいに魚を獲ると罠を再配置し糧食をすぐに食べるものと乾かして保存食にするものとに分けた。「一匹で二食分だ」と、華子は嘯いた。それは奇形の魚が、それとも僕たちが? ダムとディーは黙って船の警備に戻った。


 “ハンス坊や 世界の旅へ

  杖と帽子を 自慢げに

 だけど母さん 涙を流し

  無事を祈ると 見送った


 七年しちねんかけて ずいぶん遠く

  つらい旅路の 帰途につく

 だけどハンスは 大人になって

  日焼けた肌に 見違えた”


 “軽ろく 漕げや しづかな波に

  軽ろく すべれ この潮に

 寄せ来る波と 吹き来る風と

  共に 歌へ この船に”


 “蜂がブンブン みんな働く

  あっちへこちらへ 楽しげに

 花にかまけて 怠けていると

  冬を越せない 働くぞ!”


“(誰もかれも ハンスを知らず

  いもとも兄と 分からずに

 だけど母さん 一目ですぐに

  息子と分かり 「おかえり」と)


(ただいま母さん いとしき母よ

  ずうっと此処から 離れません

 母は喜び 母の御許が

  いちばんよいと 分かるでしょう?)”


 “蝶々 蝶々 菜の葉に止まれ

  菜の葉に飽いたら 桜に遊べ

 桜の花の 栄ゆる御代に

  止まれや遊べ 遊べや止まれ”


「華子!」

 蚕小屋に戻るとオズが三つ編みを揺らしながら駆け寄ってくる。息を切らして、頬は少し赤らんでいる。そのままひしと抱きついて、離れない。胸と腹筋の間あたりにその顔をうずめる。

「オズ、何か問題は?」

「……心臓が動いてる……」

一心にその鼓動が脈打つのを聞いていた。華子はもう一度訊いた。

「何か問題は?」

オズは体勢を変えないまま目を伏せるようにして開いた。まるで灰かぶり姫が舞踏会で踊るのを十二時の鐘に邪魔されたようだ。

「……あのね。華子に貰った銃、動かなくなっちゃった……」

「壊したのか? 手入れしてなかったのか?」

オズは華子から見えない角度で一瞬顔を引き攣らせた。それから小さく震えて鼻を啜ってみせた。華子はやや困惑しながらその頭を撫ぜながら言った。

「オズ。お前は小さいのによくやっている。狙撃の腕も、ここのまとめ役もな。だから泣くのは俺の前だけにしろ」

うん、とオズは小さく答えた。目をこすってみせて華子に向き直る。華子はオーストリア製のステアー自動拳銃を手渡した。

「しばらくこれを腰に吊っていると良い。分解と整備を忘れるな」

うん、とオズは頷いた。まだ私の事を子供としか思っていないのね。

 どうしたらもっと綺麗に、美人になれるのだろう。あの忌々しい道化のように。三つ編みは髪が跳ねて濡れ鴉には程遠かった。北から下ってきた時のままの人民服は汗を吸って泥に汚れていた。拳銃はずしりとして油臭かったが華子からの贈り物であるから大事に思えた。(だけど銃に手入れが必要だなんて、聞いてないし!)

 自転車の転がる音。郵便配達は二度ベルを鳴らす。帽子屋は器用に片足が義足でペダルを漕いでみせた。

「やあ、春野華子。これは奇遇だね」

「帽子屋か。ちょうどいい、オズのライフルを見てやってくれ」

「うん。でもまずこっちを見てくれ」

帽子屋は乗ってきた自転車のフレームをてきぱきと解体すると、そのパイプなどを組み合わせて一挺の短機関銃ステンガンに仕立ててみせた。

「どう、これ?」

華子は返答に困って、呆れたように訊いた。

「フレームをバラして、帰りはどうする?」

「それは考えてなかった」

竹か何かない? それで組み立て直すから。と言った。男の子たちはいつでもこんな玩具人を殺す為の機械が好きだ。

「華子、あのね……」

と、オズが耳打ちした。

 蚕? それで絹を?

 好きにさせたらいい。取り分があれば頂く。んだからな。

(やっぱり華子はあいつアリスの事なんて気にしてない。あいつは所詮、部外者だ。……それなら、私にも……)

小銃カルカノを見せて? と、帽子屋が思考に割って入った。オズは無愛想に手渡した。どうやら少し錆が出て槓桿ボルトの動作が固着した程度のようだ。錆を落として潤滑油を塗るとそれはすぐに直った。

「後で簡単な分解方法と手入れの仕方を教えるよ。その拳銃もね。ああそれと華子、」

帽子屋に向き直るその横顔はやはり凛々しかった。私と違って。

「銃はとりあえず揃ったよ。今持ってきた短機関銃と、単発式のライフルに、散弾銃。それを伝えに来たんだ」

フィリピンから流れてきたトラップドア・カービンの部品を流用した。あとは、鹵獲したボルトアクションのものを使ったり、ローリングブロック・アクションを自作したり、まちまちだけど。銃床に予備弾を収納するポーチやホルダーもね。

「問題は、数が数だから。どうやって運ぶ?」

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