2.平成の大飢饉予告篇

“鳥は言葉。それは誰もが知っている。波に乗る鳥サーフィン・バード。パパ、ママ。みんな鳥について話している。そう、鳥について…………”

 ポールダンスする娼婦たち。それは媚態コケットリーだ。日向有栖は媚態オンドリを知らない。それは実質的には見世物小屋だ。戦線離脱して街へ逃げ込んだ脱走兵、何も知らない新兵などが笑っている。マリファナを吸ったり、ヘロインやコカインを回し射ちしながら。戦争は終わる。みな何を守って戦っているかすら不明であるという点において。

 共産主義は障害者を好まない。労働力として不完全だからだ。働かざる者食うべからず。資本家の不労所得を批判したこの言葉は、やがて自分の好まない人間を排斥するためだけの言葉になるだろう。だが言葉なんて所詮その程度の強度しか持たない。聖書もコーランも紙切れだ。自らは正しいという前提を常に置く限り、どの神に仕えても、そこには何の違いも無い。

 青い空。日向有栖は道化である。白粉を塗りたくった顔に、ふしあわせという名前の口紅でグラスゴー・スマイルさせ、アイラインから涙を垂らした。額にピースマーク。愛と平和。人気演目は『アンクル・サムの甥とホー・チ・ミンの姪』。それに手品魔術や曲芸射などが挿入される。アニーよ銃をとれ。

 壁に六つの皿が掛かっており、有栖は旧いフランス製のシャメロー・デルヴィン拳銃を構える。帽子屋のスネアドラムが場を引き立てる。立て続けに六回引き金を絞る。皿は全て割れる。それはトリックだ。壁はそれとは分からない鉄板であり、鉄板を撃つと鉛の銃弾は跳弾して砕け散り皿を割る。隣の皿も割って魔法の効果が消えてしまわないよう、それぞれの皿はしきいで分けられている。

 有栖が葉巻を咥える。帽子屋はレバーアクション小銃を構えると、それを彼女に向ける――そして撃つ。葉巻の先端が取れて無くなる。それもまたトリックだ。葉巻の中にはワイヤーが通してあり、歯でそれを取り出すと、相手の空包に合わせて舌で引く。すると先端が落ち、撃たれたように

 観客の一人を連れてくる。毛も生えていないような新兵だ。酒かハッパか、いずれにしろ薬物が回っている。

「GI、名前は?」

「リチャード。リチャード・エドワード・マーチン」

「ありゃ、大統領と同じ名前? 『名誉ある撤退』だよね、ミスター・ニクソン。次も再選されるといいね。どこから来たの?」

「オキナワさ」

「あそこって、まだアメリカだっけ? それとも、?」

観客は皮肉めいて笑う。他人は嗤っていい。それがエスプリespritだ。

「ベトナムは楽しい?」

「もちろん! (薬物中毒者の笑顔で彼は答えた)共産主義者ベトコン黄色猿グックは大嫌いさ! 撤退するのが残念なくらいだ。僕たちが居なくなっても、ベトナムには頑張ってほしいよ」

戦争のベトナム化は進んでいる。もともとアメリカは軍事顧問であり、これはアメリカの戦争ではない。ただ、軍事援助は途絶えていない。それらが横流しされ鹵獲され敵の装備を潤沢にしてもいるが。

「全くだよね(道化の有栖は他人行儀にそう答えた)。ああ、もちろん、ロン・ノルの奴にもね(ここで観客は再び笑った)。……はい、それじゃあディック、この銃を持って」

有栖は米兵に古いフリントロック・ピストルを手渡した。不正は無いね? と確認する。そして銃口から火薬と弾丸とを詰めさせる。

「さあ、いいね? 僕の頭を狙って……そう、そして……撃てファイア!」

米兵は歯をむき出しにして無邪気に引き金を絞る。黒色火薬の煙がぶわっと噴き出す。そして煙が消えると、有栖は仰向けになって倒れている。そしてムクリと起き上がると、発射された鉛玉を噛みながら、ニカッと笑う。銃弾受け止めのトリック。

 実際には米兵の装填した火薬と弾丸は発射されていない。火打石の火花は銃身の下に並列した槊杖受けに偽装された第二の銃身の火薬に点火した。道化は死ぬのを演じている。それは死と再生。キリストの復活。西洋人好みのモチーフだ。グラスの割れる音。

――ああ、やめろ、やめろ! 音楽を止めるんだStop the goddamned music

 誰かがそう叫んだ。皆が注目する中、彼は続けて叫んだ。

――は、みんな嘘っぱちだ! この戦争も、道化の手品も、下手なジョークも、この退廃した停滞した状況すべてが! みな欺瞞しているに過ぎない! こんな事は起きていないThis isn't happening here

「嘘っぱちだと?」

と、道化が言った。ヒールの踵をツカツカと鳴らしながら近付き、フランス製の回転式を取り出す。弾倉に一発装填すると、無作為に弾倉を回転させ、彼にそれを握らせる。

「銃口を咥えるんだ、GI」

彼は目を白黒させた。薬物が回っていたのかもしれない。周囲の半笑いの同僚たちに取り押さえられ銃を咥えさせられる。

これが嘘だと思うならthink this ain't freakin' real引金を絞ってみろtry this to check your sanity

誰かが撃鉄を起こす。あとは羽毛のように軽いフェザー・ライトの引金に触れるだけだ。周囲の湿度に脂汗と涎とが垂れて落ちる。床に染みを作る。

「――さあ、撃てよ、何を躊躇ってる? ! !」

ピアニストを撃て! 撃鉄の落ちる音。汗と涎に混じって涙が落ちた。周囲の男たちはげらげらと下品に笑っていた。男は急に脱力して崩れ落ち、やがて引きずられるように連れ出されて姿を消した。

 道化はちょっとしたトラブルに喝采を浴びながら場を総括した。

「僕らは不死身だ! なぜなら神(想像上の他者、ゆえに自分)に愛されている。共産主義者どもは神を持たないのさ、ゆえに、spiritを持たない。チャーリーどもは滅びるが、我々は不滅だ! 全てのアメリカ人とついでにプエルトリコ人に神の御加護を、アーメン」

そんな事は嘘っぱちであると誰もが分かっていた。米兵も、有栖自身も。だから皆は二重思考し(有栖は自分を黄色人種と認識しながら白色人種に迎合し、米兵もまた北ベトナム人と南ベトナム人とを区分してベトコンやグックと呼んだ)笑うほかなかった。外で爆竹らしい音が篭って聞こえた。

 社会に戻っても、帰還兵は受け入れられない。我々は誰にも理解されない。理解してくれるのは自分の中の想像上の他者のみ、すなわち神だ。神とは、ゆえに自己愛のことだ。脱走兵たちは国よりも仲間よりも自分を愛す事が出来たからこそ、今ここで生きている。

 僕らは汚染されている。精神的にも、肉体的にも。徴兵された彼らは、正常な者から死んでいく。社会病質者ソシオパスだけが生き残り、その自我は肥大化しており、個人の欲求が優先する。自分は裏切り者であると。利己主義者であると。そうして結局のところ、麻薬とセックスに逃げている。この妖しい娼館で。我々にとって、この戦争は。問題は個人の尊厳と暴力の所有権の所在だ。

 日向有栖は媚態を知らない。また同様に、銃の扱いも遊戯ゲームや見世物のためである。我々は、連帯solidarity不可能の分断と離散を生きており、原理的に人間は孤独solitaryである。この肉体がリーメンであり、性器によって他者との境界を破る瞬間のみ交流が生じる。(実際の殺人体験はテニス・フォー・ツーのような疑似体験のビデオゲームと異なる)だから去勢児の有栖は言葉を操る道化クラウンに転じた。それは、なぜならば、

 僕らは、他に交流する、手段を持たない。【太陽はひとりぼっち】


 “雲と月とが

  恋人どもを狂わす

 ええ、それは大いに

  あたしも含めて

 天然由来è biologicoの成分です。

  これが真実の愛

 ケモノみたいè zoologicoに求め合い

  身体の奥まで響くわ

 それは放射能La radioattivitàのように――

  スリルがあるわ

 ああ、でも、あなた、あなたを

  もっと、もっと欲しいの”


 娼館の奥からは嬌声が聞こえている。名前のない男が名前のない女を抱きながら世界は終わっていく。鳥は媚態で、麻薬に溺れ、人種は差別されながら、そこでは金銭が動いている。それは共産主義への対抗。拝金主義と自由主義の勝利だ。前途有望な若者が命を落としても、制限されない色欲フリーセックス愛と平和ラヴ・アンド・ピースが受精卵を着床させれば何の問題もない。【種を蒔くパウロ、水を注ぐアポロ】…………僕らは、資本主義の奴隷は、指マンフィンガリングで愛液に塗れた手でVサインを作ってみせる。勝利のピースサイン。そこにあるのは退廃と堕落。人は生まれてからやがて一生をかけて緩やかに死んでいく。

 共産主義はあくまで理想である。上部構造が土台を規定し返す。下部構造から疎外された共産主義の炎が、やがて構造を焼き尽くす。それは、世界革命の狼煙のろしだ。

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