第11話 恋の呪詛と言霊の高校受験(僕 中学3年生)『希薄な赤い糸・男子編』
受験する高校が工業高校で、大学への進学は考えていないし、美大を目指さないのは自分の好きな事を嫌(きら)いにならない為(ため)だと伝えたタイミングで僕は、彼女の夢への努力が挫折(ざせつ)していたのをスマートフォンに着信した彼女からのメールで知らされた。
【そう、そうかも知れないね。私もピアノで、それを、痛(いた)いほど知らされたよ……。それで、嫌(いや)になりそう】
(痛いほど知る……。それは、スランプや壁(かべ)じゃ無い! 彼女は、自分の限界を知ったんだ……)
彼女が、打ち込んだ文字が僕に、そう悟(さと)らせた。それでも僕は、彼女が自分の夢に向かって、努力し続けていると思いたい。
【好きなピアノが、嫌になりそうなくらい、とても、君は頑張(がんば)ってるんだな。大学の音楽学部を目指すんだろ? 君の夢が叶(かな)えられるように、応援(おうえん)してるよ】
彼女に、僕が恐(おそ)れているような、好きな事にプレッシャーや限界を感じて、避(さ)けるようになって欲(ほ)しくなかった。
いつもツンとした、……僕だけにかも知れないが、自信と余裕に満ちた……、僕には、そう見えて、そう思えていた……。
そんな彼女で、いて欲しい。
(……僕と、同じにならないでくれ!)
【ううん、残念。もう、応援しなくてもいいよ。本当はね、嫌になりそうじゃなくて、嫌になったんだ。ピアノは八月で止(や)めたの。自分の限界を知ったし。駄目(だめ)だったの…… 私。そんなに真剣(しんけん)じゃなかったんだ。……もう、決めちゃって、済(す)んだ事だから、何も訊(き)かないで!】
この夏で、彼女はピアノを止めていた。
今までピアノの事には触(ふ)れて来なかったのに、振(ふ)って来たから触れてみると、『残念』、『嫌になった』、『限界』、『駄目』、『真剣じゃ無い』、『済んだ事』とか、吐露(とろ)して、既(すで)に挫折(ざせつ)して已(や)めているくせに、理由は訊くなと来た。
(どうしたんだ? それは、君の夢じゃなかったのか? ピアニストになりたいと、小学校の卒業アルバムにも、書いていたじゃないか! 痛いとは、そういう事なのか? 君は、もう夢を諦(あきら)めるのか?)
世界を駆(か)けるピアニストになれなくても、自宅でピアノ教室の先生をする彼女を思い描(えが)いていた。
ピアノ教室で、彼女の生徒達へ教(おし)える明るく優(やさ)しい声と、子供達の弾(ひ)くピアノの、たどたどしい音色(ねいろ)や楽しそうな声が聞こえる。
そんな日常の幸(しあわ)せを彼女に望(のぞ)んでいた僕の夢も消えてしまう。
自宅のレッスンルームの遮音床(しゃおんゆか)に置かれたグランドピアノを弾く彼女の傍(かたわ)らに、寄り添(そ)うように立つ僕は、彼女の奏(かな)でる音色に聴(き)き入っている。
僕の憧(あこが)れていた、近未来の二人の姿が消えてしまった。
彼女の夢は、僕の夢でもあったのに。
【そうなんだ……。既に、やめていたのか。……もう1度、君のピアノを聴(き)きたかったのにな。小学六年生の雨の日、君が弾くピアノに、凄(すご)く感動してたんだ。あのアンコールで弾(ひ)こうとしていた曲を、いつか、聴けるチャンスが有るかな?】
事象(じしょう)に敏感(びんかん)な彼女は、強い感受性を持っていると思う。
あの春の光と風が身体(からだ)を透過(とうか)して行くような透明(とうめい)さで、彼女は、曲を繊細(せんさい)にイメージしてグランドピアノを弾いていた。
気持ちを込めて一音(いちおん)、一音、丁寧(ていねい)にキーを押さえた。
だから、1度しか聴いていない、彼女が弾いた音色(ねいろ)を、今でも、はっきりと耳の奥に聴くことができる。
それほど、初めて聴いた彼女のピアノの音(ね)は、僕の心に深く染(し)み込んでいた。
あの時、音楽教室にいたクラス全員が、彼女のメロディを記憶していて、ピアノを連想する何かの切っ掛けで、彼女の音色を思い出しているだろう。
【今の私じゃ、無理! いつの日か、自分が変われて、ピアノを弾きたい気持ちに駆られたら、機会(きかい)が有るかもね】
画面の文字が、諦めと寂(さび)しさと悲しさの呟(つぶや)きに聞こえた。
【自分が変わる……? どういう意味?】
何が有って、どれほど悩(なや)んだのか、彼女は、僕に弱(よわ)みを見せない。
(夢を諦めるなんて……。彼女のことだから、きっと、悔(くや)しい思いをしたのに決まっている)
【さあね。それなら、美大じゃない大学へも、行かないつもり?】
僕が知りたい肝心(かんじん)なところは相変(あいか)わらずはぐらかしてくる。しかも切り返して僕の進路へ突っ込みを入れて来た。
(まだ、メールを、尻切れトンボで終わらせないだけましか……)
彼女の悩みが分かれば微力な僕でも役に立てるかも知れないのにと思う。
【ああ、今のところは大学へ行く気が無いんだ。受験は、今だけでいいよ。3年後も、受験で苦しみたくないね。勉強は嫌いだから……。それに僕はモノ造りがしたいんだ】
小学生の頃からの僕は緻密で精密な造形を見るのが好きで、作る模型や粘土細工(ねんどざいく)も工夫(くふう)して実際での使い勝手や必要性を想像して生活感や使用感に拘(こだわ)って仕上げている。
描く絵にしても光と影の光沢と暈(ぼか)しと色彩、それにポーズとバランスのマッチに注意している。
【ん? ものづくり……?】
彼女の返信文は疑問形だった。
やはり中学3年生の時点では、実社会への参加は近い将来の事なのに、高校、大学、人によっては大学院と学んだ後に就職となるから、まだまだ漠然(ばくぜん)としていて両親の仕事についても具体的に知ろうとしていないだろう。
(確かに今の僕達にとって、これからの人生は果てしなく茫漠(ぼうばく)としている。まるで果てしなく続く砂漠の砂丘や海原の波頭のようで、自分で関(かか)わらない限り、空模様(そらもよう)みたいな学校の授業内容も、先生の言葉も、メディアの映像も、両親や年輩者の言う事も、漠然としていて実際的に感じていない。将来や世界を考えると不安で堪(たま)らなくなるが、考えないと毎日は楽しく過ごせている)
【実は、去年から親父の仕事の手伝いをしているんだ。親父は小さな工場を経営してるからね。受注 が多くて忙(いそが)しくなると手伝っているんだ】
手伝うようになって気付いたのは。加工依頼されている品物は決して簡単に出来るモノではないって事だ!
手伝う僕が任(まか)されてのは、加工の基本形状になる六面体の製作だが、それはミクロン単位の寸法精度、正確な角度、そして表面の仕上がりで、傷や打痕の無い細かく滑らかな平面にしなければならない。
この加工と仕上げは親父の厳しい指導でアルバイトを始めてから1ヶ月未満で出来るようになった。
最初の頃は、親父が次々と指摘(してき)して来るNG箇所と状態が全く見えなくて理解できず、何に注意不足なのかも解っていなかった。
加工速度も可成り速くなって、丁寧(ていねい)さと共に親父のOKを貰っている。
【そう。でもそれって働いているって事でしょう。まだ14歳の時から働いていたの?】
(おっ、彼女は知っているんだ)
社員や店員として登録されて社会保障の有る就労可能な最低年齢は15歳で、14歳以下ならば『働き』と其の『対価の報酬』での雇いはできない。
【まあ、就労(しゅうろう)できる最低年齢は15歳だから、そうなるね。だから、お手伝いなんだよ。対価の報酬(ほうしゅう)も手取り分は御小遣(おこづか)い程度の額(がく)さ。でも、今は15歳になっているからアルバイトの臨時社員で登録(とうろく)されて、それなりの給与(きゅうよ)が銀行口座に振り込まれているね】
義務教育の学業主体の生活でのアルバイトだから、週の就労時間は正規の時間に全然及(およ)ばないけれど、親父が認めた仕事の成果への対価なので、15歳になってからは所得税、社会保険、住民税を支払った後の手取り金額になっているが、その八割をお袋が管理している銀行口座に振り込まれてプールしている。
なので、もしも彼女が何かを欲しがるなら、多少は援助できると思う。
【でも、アルバイトしながらの体育系の部活ってできるの?】
確かに……、放課後の体育会系の部活は身体を酷使(こくし)して疲れると思う。
まして今まで体育の授業以外にスポーツに熱中した事が無いから、身体が慣(な)れるまで疲れが残ってしまって、朝寝坊(あさねぼう)や授業中の居眠(いねむ)りをするに決まっている。
これは成長期の身体の必然的反応で避けられない事だが、部活後のアルバイトでの散漫になる集中力からの注意力の欠如は加工の失敗、それよりも人身事故の発生になってしまう。
だから考えた、入学後は午後10時から11時の間に就寝(しゅうしん)、起床は取り敢えず午前7時、身支度(みじたく)をして朝御飯を食べ、夢遊病(むゆうびょう)の如(ごと)くバス登校をする。
それから午前中の授業は可能な限り寝て過ごすか、体力の消耗(しょうもう)はさけて微睡(まどろ)むように身体を休める事に努(つと)める。
(そう決めたからには、必ず実行するんだ!)
【そこなんだよ! 完全下校時間が有るから学校行事の準備は別として、遅くまで部活はしないと思うんだ。それで団体競技が無くて個人戦のみのスポーツの部活を探しているかど、そのスポーツの部活が、進学したい高校に有るのかどうかも分からない。兎に角、上手く入学できたらの話だけどな】
チームプレーのスポーツは却下(きゃっか)、団体戦が有っても個人の力量が評価され、競技は他のメンバーから優劣の影響を受けないスポーツであれば良いのだけれど、今直(います)ぐには思い浮かばない。
【そっか、まあ取り敢えず、目先の試練は高校入試だから、上手く越えれるようにお互い頑張りましょう。だから、これから合格発表が出るまで、スマートフォンへのメールは無しにしてね。よろしく】
11月の下旬の今から合格発表が過ぎる来年の3月20過ぎまでの4ヶ月間も心の声を交換する事ができなくなった。
別に悪気(わるぎ)は無いのだろうけれど、こういう断絶(だんぜつ)は、いつも彼女から一方的に裁定(さいてい)が下される。
例(たと)え一時的であろうとも一方的な断絶に納得出来ない僕は、少しでもメール交換を長引かせようと彼女へのアピールを具体化した。
【アルバイトをして分かったよ。僕は、仕事をする事が好きじゃないんだ。働く事が嫌なんだ。でも遣りたい事や欲しい物を買う為の稼ぎになるからしてるんだよ。それに、どうせ働くなら自分の性格や趣向に合った自分に役立つ仕事をしたいよね】
親父は言っていた。
『依頼されて受注した仕事への責任も有るけれど、客先の為ばかりじゃない。家族の幸せと俺の趣味が生き甲斐なんだ。その為に俺は、自分が出来る仕事に励んで稼いでいるんだぞ!』
【作業前は如何(いか)に熟(こな)して行くかを試行錯誤(しこうさくご)して、そして、今の僕の技能で出来る限りに工程を単純化して、より早く完成させる事をイメージしてから作るんだ。自分の作業位置や行動の道筋の無駄(むだ)を省(はぶ)く工夫、手作業の動きと作業のし易さもだけど、その試行錯誤が楽しいのと、想定通りに出来た時が嬉しいのさ。もちろん正確に出来た事もね。でもぉ、試行錯誤が多くて面倒臭いのは、頭がプスプスしてメンタルが疲(つか)れてしまうよ】
送信後に言っても理解されないような内容と馴(な)れ馴れしい文に、僕は遣り過ぎたと後悔した。
【そうなんだぁ。遣り甲斐が有りそうな感じで、なんか楽しそうだね。でも、疲(つか)れや慣(な)れで機械の操作や手順を間違えたりして、怪我(けが)しないでよ。気を付けてね】
不機嫌メールで返されない事を意外(いがい)だと思いながら、安全・安心を心配してくれたのが嬉しかった。
【ああ、気を付けるよ。計算や作図が必要な場合も有るけれど、そこで出来ないや分からないで済ませたくないんだ。諦めるのはイヤだね。0.001%でも可能性が有るなら、そこから模索して成功につなげたいと考えるんだ】
不機嫌にならない彼女に気を良くした僕は、更に仕事の内容を細かく伝えてながら、彼女への想いに引っ掛けた『諦めるのはイヤだ』を書き込んでみた。
【あんたは、もう生涯を貫(つらぬ)く仕事を見付けているんだね。その職業で経験を積んで達人(たつじん)になると、豊(ゆた)かなキャリアの持ち主(ぬし)って事になるんでしょうね。そう言うからには途中(とちゅう)で投げ出さないで、頑張りなさいよ】
『熱中し過ぎで私にはキモイかも』ってのを覚悟していたが、なんと『途中で投げ出さないで、頑張りなさい』と返された。
これは『私の事も諦めないで、私が好きになるような男になりなさい』という御告(おつ)げなのだろうか。
僕には『私達が幸せ豊かで潤(うるお)うように』と、励(はげ)まされている気がして、顔が火照(ほて)って熱くなるのを感じてしまう。
(勿論(もちろん)、君を諦める気はないよ。必ず振り向かせてみせるさ)
【頑張ります。行き詰(づま)ったり、躓(つまづ)くたびにバンザイして降参していたら全然輝けないし、そこで終わりだよ。そんなのはイヤなんだよ!】
(そうだ! もっと理解力を付けて、もっと探求力を深めるように頑張らないと、このモノ造りの業界では職人や親方や特級技能士と敬(うやま)われて、キャリア持ちとは言われないだろうなあ)
【ふう~ん、もう、あんたは遣(や)りたい事を見付けて実行しているんだ。それじゃあ、仕様が無いわね】
(何が仕方が無いのだろう? 美大への進学を考えていないからなのか? 察(さっ)する事が出来ないけれど、彼女なりの何か思惑が有ったのだろうなあ)
遣りたかった事を今は実行しているけれど、まだまだ志としては達成されていないから、これからも求め続けて行くだろう。
【だなあ。金儲(かねもう)けの為に人を社畜(しゃちく)にして使う経営者ではなくて、親父みたいな社会に必要とされる個人事業家に成りたいんだ】
と、いろいろ格好(かっこう)を付けてみたが、単純に好きだと思う事をしてみたかっただけだ。
デートに誘(さそ)えないまま彼女にフラれてしまっている僕は、説得力やアピールに長(たけ)けた話術も、性格的な魅力も乏(とぼ)しいのを分かっているから、性格的に営業の仕事に向いていなくて、活躍できている自分を想像できなかった。
それにイレギュラーは多いだろうけど実直に生きていきたい。
僕の処世術(しょせいじゅつ)は柔和(にゅうわ)であり、相手を理解するように努めて、褒(ほ)めて、煽(おだ)てて、その気にさせて、波風を立てず事を穏便に済ませ、結果、『思い通りの道を開かせていた』を目標としている。
拗(こじ)れて反目(はんもく)し付けた果ての破壊的イザコザは最終手段であり、其の後の関係は縁切りしか無いと考えていた。
厭(いや)らしい思考と下劣(げれつ)な行いの生き方は、例(たと)え大金を掴(つか)めるとしてもしたくはない。
(法外な大金を得るのと、納得できての遣り遂(と)げるのでは、どちらが自分らしい成功なのだろうか?)
【もう寝るわ。おやすみなさい】
(ん! ええ? もう寝ちゃうのか! 明日から4ヶ月も音沙汰(おとさた)無しになるのに、これは寂(さみ)しいだろう。彼女に恋人が出来た兆候(ちょうこう)も分からないじゃないか! 外が白(しら)むまで思いの交換をして、もっと彼女を知り、僕も知って貰いたかったのに……、残念至極(ざんねんしごく)……)
【ありがとう。おやすみ】
僕が、まだ起きているのを確信しているかのように彼女からの詰問(きつもん)メールが始まった。
そして、彼女の理解?と応援?を得て、深夜のメールの遣り取りは突然の『寝る』で終了する。
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中学生レベルの学力が、ちゃんと有れば、社会人として優(すぐ)れている方だと、親父は知人の会社や大学の研究施設などへ見学に行く途中の自動車の中で言っていた。
「加工や設計は、数学の微分や積分が少し解るくらいで上等だ。それ以上は、実務から学べば良い。科学や物理は、化学記号や物性の意味が読めて、力関係が理解できれば、問題無いぞ。国語や文法は、5W1Hで書けば、レポートやメールはバッチリで、恥を掻く事は無いだろう。要は、読む相手の立場になって、伝えたい事を、解かり易(やす)いようにレイアウトして、文を作成する事だな。そうした方が自分でも書き易いんだ。英語などの外国語は、最初はブロークンで良いさ。耳が慣(な)れるまで辛(つら)いけど、相手の意思を聞きとろう、汲(く)み取ろうと、身振りや表情も良く見るんだ。そして、自分の思考を伝えようと努力する事が肝心で、いろんな言い回しを、考えて使うように心掛ける事だ。最低限の単語は覚えるしかないな。まっ、必要に迫(せま)られれば、否応(いやおう)でも覚えるしかないんだから」
家では、空気読めない系とか、妹やお袋に言われて、揶揄(やゆ)されている親父だけど、なかなかどうして、一人(ひとり)で事業を起こし、今も、順調な経営を維持しているだけあって、その、実践経験に起因する言葉は、流石(さすが)に解り易くて、納得できた。
「お前は、真心の意思を、真心の言葉で語る。そして、真心で相手の声を聞き、真心で事物を見て、真心で相手に触れる。そうして、お前の真心を感じさせるんだ。然(さ)すれば大概(たいがい)、互いの思いは伝わって行くものさ」
いつも、彼女に僕は、真心で想いを伝えたいと思う。でも、それは、駆け引きや利害や欲望の絡(から)む企(たくら)みであって、真心とは呼べない、真心には程遠い、僕の勘違いな思いなのかも知れない。
「社会や歴史は、一般常識程度は覚えておけよ。社会人に成(な)ると、テレビ番組は知らなくても、時事に疎(うと)いと困るぞ」
あまり、テレビを観なくて、ドラマやバラエティーは良く知らないけれど、ニュースやドキュメンタリーも、全然観ていない。
(これからは、観るように心掛けて、学ぶように努力したいです)
「高校卒は、大学受験の資格に必要だし、普通高校は、大学への階段やゲートみたいなもんだ。普通高校に進学するなら、更に、大学や専門学校に行くべきだな。高校で将来の目的意識が湧(わ)かなくても、大学で見出せれば良いし、個人差は有るけれど、大学の4年間は、それ成りに有意義なものになると思うぞ。高校卒業で社会人に成っての4年間と、大学での4年間も、然(さ)程(ほど)代わりはしない。個人個人の意識や認識の問題さ。目的意識が持てなけりゃ、何歳になっても輝く事はできないぞ! それと、大学へ行けば、大卒の肩書きは付くな。世間で一流とされる大学を卒業するのならば、大企業や有名企業に就職して、出世もし易いかもな。日本だけじゃなくて外資系の企業や海外での就職も有りだ。官公庁の国家公務員になって、エリートコースに就(つ)けるかもだぞぉ。……もし、そうなったら、いいだろう。……う~ん、……いいのかなぁ?」
大学のレベルは、ピンからキリまで有って、特に、キリは学ぶべき事も、求めるモノも、見付からないまま、自動的に卒業させる大学が多いと聞く。
高校卒レベルの学力も、まともに無くて、就職率は低いらしい。
20年後、30年後に、大学卒の肩書きが必要だったと、イフやスターティングオーバーを求めて嘆くのか、必要なかったと肯定的に生き様を振り返れるのか、自分の性格や趣向を良く考えて、受験する高校を選びたいと、親父の話で思った。
「学歴重視の社会だから、一般的に、会社や役所の初任給は、高校卒より高額で、より、重要な仕事のポストに付いて昇進も速い。まあ、大学卒なら理解力や応用力が高校卒よりも有り、人間関係に揉(も)まれての経験値に対応力や即応性も有るとイメージされているな。そんな感じで、一番の違いは就職してからの生涯(しょうがい)収入に大きな差が有るという事だ」
確かに志を持って遣りたい事が有っても、卒業後の受け入れ先と仕事は自分で作らない限り、事業所への就職は必須(ひっす)で、学歴格差社会に組み込まれて行くのを避ける事ができない。
「だけど、大学は選ばなくていけないし、文系か、理系かの選択で、社会の受け入れも違ってくる。大学卒業時に、それに捕(と)らわれない選択先も有るが、まあ、大学在籍中は社会に選ばれる側だろう。まぁ、俺のアドバイスは、こんな感じだな。そして、最後に、俺の経験から一言(ひとこと)、どんな進路でも、決めるのはお前で、お前自身の未来だからな」
話の途中に2度ばかり着信した、スマートフォンからの仕事の応対で遮(さえぎ)られた親父の言っている事の、大体の意味と、言いたい事は解った。
だがしかし、僕は、そんな、社会に選ばれるシステムに巻き込まれる為の、勉強はしたくなかった。
*
12月末に定番の、『メリークリスマス!・君の幸せを祈ります』を送り、元旦は、寒空に響く除夜の鐘の音の中、『迎春・二人にとって、喜びに満ちた年でありますように』と送っただけで、11月後半からの受験勉強の佳境時期は、彼女へのメールを控(ひか)えていた。
なにより、受験勉強の『邪魔だ』とか、『煩(うるさ)い』、『ウザイ』とか、邪険にされそうで、僕は、彼女の怒(いか)りを怖(おそ)れた。
だから今夜、この時刻に彼女から送られて来たメールは、嬉しくて励みになった。
【ラジャー! お互い、受験勉強に集中して、頑張ろう! おやすみ】
スマートフォンを閉じて淹れた熱いココアを飲みながら、今のメールの遣り取りを反芻(はんすう)する。
僕の美術と彼女のピアノが、テーマになった。
僕の進路を、確かめたかっただけかも知れないけれど、心配してくれて、自分の夢の挫折まで書き綴(つづ)ってくれた。
これで彼女への連絡は、入試の合否判定まで御預(おあず)けだ。
僕は思う、入試に合格していれば良いけれど、不合格ならば、彼女と同じ土俵に立てず、自然と僕は身を退(しりぞ)くしかない。
身を退(ひ)くも、何も、元々、友人程度にも相手にされていない、せいぜい、お知り合いみたいなくせにと……、だが、そのお知り合いとしての意識も持たれていないかも知れないのに……、僕は自分に都合良く考えてしまう。
不安で後が無く、気持ちが焦り捲(ま)くりの僕だけど、不思議と彼女の不合格は思わなかっていなかった。
(僕の彼女が、合格しないはずがない!)
彼女への決め付けを肯定した時に、再びスマートホンが震えて、既に寝付いているはずだと思っていた彼女のメロディーを奏でた。
【まだ、起きている? 伝え忘れがあったわ。言霊(ことだま)に気を付けてね。】
言霊? アニメや漫画で描かれているのは、樹木に宿る精霊の『木霊(こだま)』で、墓場に青白く漂い飛ぶのは、『人魂(ひとだま)』だ。
言霊は、何かの本で読んだ気がするけれど分からない。
【言霊?】
背中が、ひんやりとしてゾクゾクする。そして、腕に寒疣(さぶいぼ)が立ち始めた。
彼女は、何か、不吉な事を僕に伝えようとしていると思った。
僕は振り返り、部屋の中を隅々(すみずみ)まで見回す。
床も、天井も、壁も、見るけれど、何もいない。
【知らないの? 言った事が、本当に起きるという、呪詛(じゅそ)のアレ】
言霊ではないと思うけれど、神社での御参(おまい)り……、賽銭箱(さいせんばこ)前での祈願は、音を立てるんだと、親父とお袋は言っていて、僕は、両親から教わった通りに実践している。
親父が言うには、神様は、とても人間臭くて、何かをしていたり、隠れていたり、寝ていたり、離れていたりしているだろうから、神様に御願い事をしているのを、気付かせる必要があるのだそうだ。
だから、鈴はガランガランと、大きな音で鳴らし、拍手(かしわで)はパンパンと、辺(あた)りに聞こえるように打ち、願い事は黙って心で唱(とな)えるのじゃなく、呟くような小声でも良いから、はっきりと聞き取り易いように言わなければならないそうだ。
【アレ? 呪詛?】
言霊は呪詛で、呪(のろ)いなのか?
吉兆や凶兆の願いではないのだろうか?
【受験で、自分や周りの人が、言ってはいけない言葉が有るでしょ。ソレよ。自分で言わないでね。現実になっちゃうわよ!】
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僕は、思い出していた。
本で読んだのじゃない。
言霊は、親父や妹といっしょに体験している。
あれは、夏の始まり頃に、金沢市(かなざわし)の南側の丘陵地帯に在る、金沢の地で1番多く瘴気(しょうき)が集まる黒壁山(くろかべやま)を探険した時の事だ。
いや、探険ではなかった。
岩の崖壁に穿(うが)った奥ノ院(おくのいん)の祠(ほこら)までの沢沿いの道筋に、靄(もや)が立ち込めて、何かが纏わり付いたようにゾクゾクするリアルな探険みたいだったけれど、僕は親父と妹と、真面目な御参りに行って来た。
黒壁山の奥の院へ来るには、山峡に在るお寺の境内を通らなければならない。
通るには、代表者の名と人数を、社務所に有る参拝帳に記入してから、御供(おそな)えの生卵(なまたまご)と御神酒(おみき)を携(たずさ)えて向かう。
「ここのお寺は、普通とちょっと違うから、御参りの仕方を訊いて来る。この寺の紋は、羽団扇(はねうちわ)、神格は行者の守護神の天狗(てんぐ)だからな。高い木立の中や上空から、見張られているぞ!」
親父は、そう言って、御参り作法を住職に尋ねていた。
祠の賽銭箱に紙幣を入れて、二拝三拍手一拝(にはいみはくしゅいっぱい)する。
親父の言った通り住職に教えられたのは、一般的な二拍手(ふたはくしゅ)じゃなくて、3回の『かしわで』を打つ。
他所(よそ)の社(やしろ)よりも、一拍(いっぱく)多く打つ三拍目(みはくめ)の拍手に、妖艶(ようえん)な自己主張の強さと気配を感じる。
拍手を打った次は、声を出して親父は御願い事をした。
「家族健康で長生き、家内安全で、世界平和、無事故、無事件、商売繁盛で安定高収入」
僕は、親父に倣(なら)いながら、彼女との恋の成就と入試の合格を願う。
「願いが、叶えられますように、よろしく御願い致(いた)します」
終わりの一拝(いっぱい)をして……、垂(た)れた頭(こうべ)を起こしていると、隣から親父の呟(つぶや)き声が聞こえた。
「願いを叶える力が有るのなら、証拠を見せて下さい」
親父が、余計な事を言ってしまった。
「御祓(おはら)いもせずに、ここに立ち入ったから、祟(たた)りが有るかもな。帰りは事故らないように気を付けようぜ。家に入る前に清めの塩を掛けてもらおうな」
辺りの不気味に静まり返る黒壁山の雰囲気を怖れながらも、笑いながら言う親父の単なる脅(おど)かしだと思って、僕は言い返す。
「冗談でしょう。御願いしたのに、そんな訳ないじゃん。脅かさないでよ」
それに住職は、御祓いが必要なんて言っていなかった。
せっかく、三拍手をして言霊の御願いをしたのだから、親父も冗談で言っているはずだ。
僕は息を潜(ひそ)め、ゴクリと生唾(なまつば)を飲み込んだ。
それに気付いたのか、手を繋ぐ妹の握(にぎ)る力が強くなり、もう一方の手で僕の腕にしがみ付く。
「アニキ、恐(こわ)いかも……」
妹が心配した途端に、フルチューンした親父のスポーツカーが、帰り道の上り坂で突然止(と)まってしまった。
何度もスターターを掛けてみるけれど、エンジンは回る気配の微動もしなくて、メカに強い親父がトラブルの原因を探しても、見付からないし、見当も付かず、全く分からない。
問題個所は分からず、電気系統でも、燃料系統でも、機械的でもなくて、親父の自動車(くるま)はマジに壊(こわ)れてしまった。
挙句に、とうとうデーラーから小型のカーキャリアを呼ぶ始末になり、親父と僕と妹は、祟りを経験したとビビってしまう。
親父の愛車のコスモを運ぶカーキャリアが到着する頃に、お袋のSUV車が迎(むか)えに来て、コスモが引き取られて行く様を家族全員で見ていた。
帰りのワンボックス車の中で、親父がぼそりと言った。
「言霊だ! 俺が、あんな魔所で余計な事を言ったばかりに、この様(ざま)だぁ……」
横に座る妹が僕の手を、ぎゅっと握り、話す声が驚きと畏(おそ)れを含(ふく)んでいた。
「祟られちゃったのかなぁ。……神様って、本当にいて力が有るんだ……!」
妹のビビリ声に悪乗りする親父が、更に、ビビる事を言う。
「さっきのお寺から、犀川(さいかわ)の支流の内川(うちかわ)へ行く途中に、瀬織津姫(せおりつひめ)という早瀬に住まいて穢(けが)れを流す、魂(たましい)を黄泉(よみ)の国へと送る死神のような、日本神話には登場せずに神々を祝う、大晦日の大祓詞(だいはらえのことば)だけで読み上げられるという、そんな、不思議な女神が祭られる神社が在るんだ。きっと犀川ダムや内川ダムが無かった頃、水量豊かな犀川と激流の内川が合流する地には古(いにしえ)から深く渦巻く淵(ふち)が有って、渦に引き込まれた物は殆(ほとん)ど浮き上がらないまま見付かる事も無く、海まで流されていたのを黄泉の国へ運ぶ浄化(じょうか)と思われて、行方不明者の鎮魂(ちんこん)を兼(か)ねて建立(こんりゅう)されたのだろうなぁ。瀬織津姫の名の社(やしろ)は全国に三(みっ)つしかない、その一(ひと)つの社が、金沢のこの近くに在るんだな。寄ってみたくないかぁ? それに、浅野川(あさのがわ)の源(みなもと)の医王山(いおうぜん)山地が古代から地質的、水質的、植物的に薬効の有る事を知られていて、浅野川上流の湯涌(ゆわく)温泉の近くにも、神代(かみよ)の頃に医薬と農耕の神とされた少彦名命(すくなひこなのみこと)を祭る大杉少彦名(おおすぎすくなひこな)神社と少彦名神社の二つの社が在り、昭和天皇が大杉少彦名神社の境内(けいだい)に植樹をしている、16弁の菊の紋の社が在って、、そこの石の鳥居(とりい)には、立派な注連縄(しめなわ)が結(むす)ばれて俗界と隔(へだ)てられているから、金沢の山手の郊外というよりも、北陸(ほくりく)地方は出雲(いずも)と同じように、神世(かみよ)の代(だい)は、大陸と因縁(いんねん)浅(あさ)からずの関係だったのだろうなぁ。3ヵ所の神社へ今から行ってみるぅ?」
(親父ぃ! 何が、古代は、大陸と因縁浅からずだぁ!)
いつも、超能力と魔法やに憧れていて、パワースポットなどは流石に詳(くわ)しいけれど、本当に空気の読めない親父で困る。
今し方、因果関係は解らないけれど、不用意な言霊で自分のスポーツカーを壊したばかりなのに、全く、反省の色の無さ過ぎには、親父を除く家族全員が呆(あき)れてしまう。
「行かない!」
ハモるほど強く、僕と妹は、親父の提案を拒否した。
運転するお袋は一言、親父を嗜(たしな)める。
「バーカ!」
本当に神様の力なのか分らないけれど、発した言葉通りの結果をもたらすという、古(いにしえ)から言葉に宿ると信じられている、言霊という不思議な力。
不吉な言霊にフルネームを添えると、呪いになってしまう。
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【ソレって、迷信じゃ?】
僕は、文字を打ち込みながら、迷信じゃないと思っていた。
神社の本殿で祈願や厄除(やくよ)けの御祓(おはら)いを、家族一同でした事が有る。
先(ま)ず、神主(かんぬし)さんの振る祓串(はらえぐし)の清めを、家族四人(よにん)が頭(こうべ)を垂(た)れて受けてから、神主さんが祈願の祓詞を読み上げる。
それから、家族代表の親父が、神前に榊(さかき)の玉串(たまぐし)を捧(ささ)げた。
巫女(みこ)さん達が、神様に供(そな)える神楽(かぐら)を太鼓や笛や笙(しょう)の音に合わせて、鈴を振り鳴らしながら舞う。
舞が終わると、巫女さんは再び、頭を垂れさせた僕らの頭上で鈴を振り鳴らす。
最後に、御供えした御神酒の残りを唇を湿(しめ)らせる程度に飲んで、神事は済まされた。
神主さんが読み上げる祓詞は、言霊と似ているかも知れない。
【そうかもね。でも、私は信じて、気を付けてるよ。それじゃ、おやすみなさい。かしこ】
改(あらた)まるかように、文の終わりに彼女は、『かしこ』を付けてきた。
初めて付けられてきた『かしこ』は、手紙の文末だと様になるけれど、電子メールには似合わない。
かなり、違和感が有る。
彼女は、いったい何に畏(かしこ)まり、何を恐れているのだろう。
確かに、人は人の言葉を……、特に自分に向けられた言葉を信じ込み易い。でも、自分が発した何気無い呟きまでが言霊になって、自分自身が呪詛されるなんて知らなかった。
【ありがとう。僕も、言霊には気を付けるよ。では、合格発表が出るまで。恐惶敬白(きょうこうけいはく)】
(僕を心配してくれる君に、敬意を表して、恐惶敬白……)
彼女のメール自体が、呪いの言霊だった。
『私に、ここまで気を使わせて、もし、合格しなかったら、それまでよ!』と、言われた気がした。
例(たと)え、彼女の呪詛でも、僕は凄く嬉しい。
それも受験が迫った余裕の無い時に、彼女は、僕が不用意に不幸を呼び込むのを心配して、メールで励ましてくれた。
しかも、追伸(ついしん)で僕の合否(ごうひ)の心配までしている。
それは、まるで教室の席が真横だった時のように、彼女を凄く身近に感じさせた。
空気も、匂いも、時間も、感覚も、心も共有している気がした。
もう、入試を落とす事はできない……。
*
黒壁山でレッカーに運ばれて行ったスポーツカーは、2週間後に動くようになってディーラーから戻って来た。
しっかりとエンジンが掛かり、高回転域まで勢い良く噴け上がって、ちゃんと高速クルージングの走れるように成されていたのに、『故障の原因は不明でした』と、納車に来たサービスの人が申し訳無さそうに言っていた。
当初、ディーラーの整備工場で故障原因が分らず、故障がリコールに至(いた)るかも知れない、市場クレームに為(な)り兼(か)ねないと懸念したメーカーが、本社工場の開発研究部門へ持ち込み、エンジンや電装品まで降ろして徹底的に分解・点検・調査をした。
それでも突然エンジンが止まるような重大欠陥は、全く見付からなくて、故障の原因は掴めなかった。
ところが故障に至る問題を発見できないまま、再び組み立てられた車は、あっさりエンジンが掛かってしまい、不可解この上ない不可思議にメーカーの関係者は首を傾(かし)げていたそうだ。
結局、数日の試験走行でも何も問題の無かったスポーツカーは、整備・修理代無料で帰って来た。
そんな、愛車が無償修理で戻って来た経緯をディーラーで直接、メーカーのメカニック担当者から説明を聞いた親父が言っていた。
以来、親父のスポーツカーは、突然のエンジン停止で動かなくなる事は1度も無く、親父は神域や乗車中に祟られるような軽口(かるくち)を言わなくなった。
つづく
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