第8話 熱唱したラブソングとコモ湖での遭遇(僕 中学3年生)『希薄な赤い糸・男子編』
学校のコーラス祭で市民ホールの広いステージにクラスの皆(みんな)と立ち僕は合唱曲を歌っている。
観客席には、僕のクラスと次の合唱を行うクラス以外の全生徒がオーディエンスとして座(すわ)り、合唱に聴(き)き入っている。
その中にいるはずの彼女を僕は目で探(さが)し続けているけれど、まだ見付けられていない。
『♪ 今も想うよぉ……』、フレーズが僕の想(おも)いと重なって、胸が熱くときめいた。
君から遠く離(はな)れたと思っていたイタリアでも、そして今も、僕はいつも君だけを想って探している。
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首元に綺麗(きれい)な淡(あわ)い色合いのスカーフを巻(ま)いた被写体(ひしゃたい)の横顔が動いて、再(ふたた)びカメラのモニター画面全体が暈(ぼ)やけた。
フォーカスポイントの四角い枠(わく)が、グリーンからレッドに変わり、そして、コンマ数秒でフォーカスロックを示(しめ)すグリーン枠になる。
一瞬(いっしゅん)のグリーン枠へ重(かさ)なるように瞳(ひとみ)へ映(うつ)る反対色の淡い残像枠が、彼女と繋(つな)がる希薄(きはく)で危(あや)うい運命の赤い糸のように思えた。
(幻(まぼろし)でも、見間違(みまちが)いでもなければ、ここ冬の北イタリアの地に、僕の女神様が、降臨(こうりん)だ!)
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『♪ あなたといたい……』、中盤(ちゅうばん)のソロのフレーズが、心に沁(し)み入る。
あの時も、僕はそう思っていた。たった一人(ひとり)で湖畔(こはん)に立ち、ヨーロッパアルプスの何処(どこ)かに在る架空(かくう)の公国を舞台(ぶたい)にしたアニメに登場していた、伯爵城(はくしゃくじょう)の蒸気船(じょうきせん)みたいな白い遊覧船(ゆうらんせん)を見ている彼女の傍(そば)へ駆(か)け寄って、マジマジと本人確認をして遣(や)りたかった。
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ツアーに付き物の名産品のアウトレットへ、親父は行っている。
ここの名産は、コモシルクと呼(よ)ばれる絹(きぬ)の染物(そめもの)で、繊細(せんさい)な色合いの模様の緻密(ちみつ)さが有名らしい。
親父は、染色(せんしょく)工場の見学を兼(か)ねたアウトレットで、妹とお袋(ふくろ)に頼(たの)まれたスカーフを買うと言っていた。
コモシルクに興味の無い僕は、行かなかった人達とパーキングに隣接(りんせつ)する土産物屋(みやげものや)が並ぶ、石畳(いしだたみ)の広場や通りをぶらつきながら写真を撮って、親父の帰りを待っていた。
(一人…… なのか? ふっ、そんなわけないか)
最初、なぜ、彼女が一人でいるのか分らなかったけれど、親父が向かったアウトレットへ、彼女の家族達も行っているのだと、直ぐに知った。でも、なぜ、彼女はアウトレットや広場のショップへも行かずに、湖畔に一人だったのだろう? と、不思議(ふしぎ)に思う。
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『♪ 叫(さけ)び続けて……』、彼女の傍へ駆け寄れたなら僕は、そう、叫んで遣りたかった。
『好きだー! 君が、大好きだー!』と、風上に立つ僕は、追い風に乗せて叫ぶ……。
……そうして遣りたかった。
結局、駆け寄る事はできず、叫べなかった想いは、燻ぶるだけに終わった。だけど、叫びたい想いは、今も変わらない。
イタリアで僕を驚愕(きょうがく)させてくれた彼女は、客席のどこかで僕を見ているはずだ。
『♪ 求め続けて……』、僕は、いつも彼女を探し求めている。
同じクラスだった時も、教室で、廊下で、校内で、通学路で、隣の席の彼女を僕の瞳(ひとみ)は常(つね)に探していた。
それは、違うクラスになった今学年でも同じだ。
そして今、ステージでソロパートを歌いながら、観客席に彼女を探している。
その、常に探し求めていた彼女が、イタリア旅行で最初に訪(おとず)れた観光地のコモ湖に……、探しても彼女を求められない場所に……、奥に見える高い山並みが雪を頂(いただ)いたスイスのアルプスというロケーション、ずっと緯度(いど)が北寄りなのに金沢(かなざわ)よりも寒さの薄(うす)い、そんな山狭(さんきょう)の湖の畔(ほとり)に彼女はいた。
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冬の季節の時差は、8時間。
こっちの今の時刻だと、日本は宵(よい)の口で、今頃、晩御飯(ばんごはん)を済ませた彼女は自室で勉強中のはずだ。そして、こっちが真夜中になると、彼女は向こうで学校へ行く……、はずだろう?
僕は目の前の、彼女がいる情景を信じられなかった。
(まさか……、もしかして……、僕の旅行に合わせて彼女も……。うんにゃ、ない、ない。有り得ない! そんな事は、絶対ない!)
大体、こんな、費用と日数が掛かる事に、家族の中で、僕や妹がそうなのと同じで、彼女にも決定権は無いだろう。
有るとしたら、『家族で、旅行へ行こうよ』と、提案して、『ここへ行きたい』と、希望案を言うくらいだ。
友人達には、親父と海外旅行へ行くとしか言っていないし、先生には、全然、別の理由で一週間休むと、親が伝(つた)えている。
だから、僕がイタリアに来ている事は、彼女に知られていないはずだ。
僕は、彼女に許(ゆる)された唯一(ゆいいつ)のコミュニケーション手段の携帯電話のメールでも、臭わせても、知らせてもいない。
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接眼のELモニターを通してなんかじゃなくて、間近で彼女の顔を見れば良かった。
彼女が、突風に攫(さら)われないように、その両肩をしっかりと両手で掴(つか)んで、じっと、彼女の顔を見詰めたかった。
『♪ 幻なんかじゃない……』
中盤のソロも綺麗に歌い切り、続いた合唱の終わりが伸びて、次は僕のソロだと告(つ)げている。
小(こ)刻(きざ)みに震える膝(ひざ)から下が、サワサワと冷たく感じて落ち着かない。まるで、高い場所の縁(ふち)に立ったみたいに足裏が、ブクブクと泡(あわ)だってムズムズしている。
なのに、擽(くすぐ)ったいとは思わない。
次のパートの為に、何10回も練習した。
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コーラス部の女子が、発声と呼吸を指導してくれて、クラスのみんなと通しを揃え、何度も一人だけでピアノの伴奏に合わせて歌わせて貰(もら)った。
『君ねぇ、ただ、声を出して歌えば、いいってもんじゃないのよ』
彼女達の指導は厳(きび)しく、パワハラの虐めのような、ねちねちと細かい注意のしつこさが、卓袱台(ちゃぶだい)返(がえ)しをしたいほど煩(わずら)わしい。
『ちゃんと、リスナーへ歌詞と、その意味に込めた思いが、聴き取れて、伝わるように歌わないと、ダメじゃん! ああん、わかってんの?』
ブラスバンドのクラスメイトが、楽譜の読み方を教えてくれた。
『おまえ、自分が歌う曲の楽譜に有る記号や音符を、ろくすっぽ、わかっちゃいねぇだろう』
軽音部の男子と女子が、口を揃えて言ってくれる。
『喚(わめ)いているようにしか、聞こえていないよ! でも、リズムのノリは、良くなって来てるね』
自信と責任を持って、しっかり自分の想いを彼女へ伝える為に、僕は音痴(おんち)で鈍臭(どんくさ)いセンスの自分自身と戦う。
全生徒下校時間になるまで屋上の片隅(かたすみ)で空に向かい、一人だけのアカペラをして、その後も一人カラオケで繰り返し歌い、リズムと歌詞を身体に覚(おぼ)えさせた。
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このタイミングで、3歩前に出て歌わなければならない。
足裏の感覚が無くなり、プルプルと小刻みに震える足を、膝ごと引き摺(ず)るように前に出す。
その時、客席に彼女を見付けた。
彼女は真(ま)顔(がお)で食い入るように僕を見ていて、その真剣で美しい瞳に励(はげ)ましてくれていると思う。
僕も彼女を見据(みす)えて、目を逸(そ)らさない。
瞬間、ピタリと震えが止まり、感覚が戻った足で一歩(いっぽ)を踏んだ。
顔を上げ、息を吸いながら大きく口を形作る。
そして、一瞬、溜(た)めを持たせてからコーラス部で習った複式呼吸の声を出す。
濁(にご)らない大きな通る声で、深く伸びやかに。
足は肩幅に開いてリズムを取り、両手を大きく使い、歌に合わせてフリを付ける。
歌詞が、はっきりと聞き取れるように、発音に合わせて口を大きく開いて形を作り、声を放つ。
耳はしっかりと、伴奏のリズムと音色を聴く。
繰り返した歌い込みで、声も、口も、姿勢も、手振りも、身振りも、そして、リズムとタイミングを身体がしっかりと憶(おぼ)えていて、僕は、曲に合わせて上手く唄えていた。
(飛べ、僕の声! この広い会場の隅々(すみずみ)まで、響け! 響いて、彼女の心を打ち振るわせろ!)
彼女の目は、大きく見開かれ、瞬(まばた)きもしないで僕を見続けている。
小学校6年生での赤っ恥(あかっぱじ)の屈辱を、彼女の前で繰り返したくなかった。
彼女は、ちゃんと歌っている僕に驚いているみたいだ。
(あの、梅雨の日の雪辱が、……できているのだろうか?)
彼女の驚きの顔は、きっと、彼女のピアノを聴いた、あの時の僕と同じだと歌いながら思う。
僕が歌うこの歌を、君に捧げたい。
彼女の心に、聞こえて欲(ほ)しい。
『♪ あなたの声で……』、君と、話したい……、君の声で、僕を呼んで……。
君の声を、聞いていたい。
『♪ あなたと手を……』、君と、手を繋いで歩きたい。
想いもいっしょに……、ずっと、二人(ふたり)、いっしょに……。
真っ直ぐ、彼女を見て僕は歌う。
胸に手を当て、両手に拳(こぶし)を握り締め、僕は彼女への想いを唄う。
クラスの合唱が、僕の声に重なって。
『♪ あなたとの瞬間(とき)が……』、想いを強く込めて、彼女の魂(たましい)に響くように……、両手を広げて。僕は声を振り絞(しぼ)り、叫ぶように歌う。
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湖畔での出逢いは、僅か20分ほどで、カメラのモニター越しに希薄な赤い糸で真っ直ぐに結ばれていたのは、3分にも満たない。
あれから直ぐに、タイムスケジュールを合わせる為に慌(あわ)ただしくアウトレットから戻って来た親父達は、広場に残っていた僕や同じツアーグループの人達と合流してバスに乗り込み、急ぎ、彼女達のグループより後に来たのに、彼女達よりも先に、次の観光スポットへと向かった。
彼女をアウトレットから戻って来た人達の中に見失ってしまった僕は、バスにシートに着いてからも車窓から彼女の姿を探す。
動き出したバスがパーキングから湖畔道路へと折(お)れる頃に、やっと、僕の凝(こ)らした瞳は、ツアーの人達の前を歩く空色の彼女を見付け出した。
離れて小さくなって行く彼女が、石造りの町並みの向こうへ隠れ切ってしまうまで、車窓のガラスに睫毛(まつげ)が触(ふ)れるくらい眼を近付けて、僕は見続けていた。
サイコロを振り上げた瞬間に、回転しながら落下して跳ね転(ころ)がった挙句(あげく)に静止したサイコロの、その出る目を知る事ができるという超能力的な、加わる諸々(もろもろ)の要因の集大成説と偶然の必然性要因説を、今は信じられそうだ。
その日の晩にミラノ郊外のシックなホテルの部屋で、お袋と妹へ、今日のツアースポットの感想メールと写真をインターネットに接続した親父のミニパソコンで送り、それから、親父と明日のツアー予定の確認を済ませて、湯を張った大きなバスタブに、ゆっくり沈(しず)んでいたら、『着信してるぞ』と、親父がバスタオルといっしょに僕のスマートフォンを持って来た。
丁度(ちょうど)、熱めの湯に浸(つか)かり、コモ湖やミラノ市内の観光とショッピングや食事で出歩いて冷えた身体を温めながら、今日一日の出来事を思い返していたところだった。
思い出しても、体中がゾワゾワするような、信じられない出逢いが、観光に行った北イタリアの山狭の湖畔で有った。
その時刻なら、金沢の自宅でいつものように過ごしているはずの彼女が、まさか、同じ日に学校を休み、同じ時差時間、同じ異国の地にいるとは、全く思っていなかった。
既(すで)に、彼女を写した一眼レフカメラの画像データは、先に親父がシャワーを浴びている間に、こっそりとミニパソコンを通して抜き出し、僕のメモリーへ移している。
気持ち良く湯気を吸い込みながら、チェックした彼女の画像を思い浮かべていた時に、聞き慣(な)れた着信音を奏(かな)でるスマートフォンを、親父は持って来てくれた。
メイン画面には、『僕を見ている瞳』の画像、送信者は、『Ying Hua』、これは、中国語のピンインという、日本語のローマ字に該当する発音表記だ。
その『インファ』と発音する意味は、『桜の花』だ。
(こんな時間に……、まだ、起きているのか? んっ、これって、国際回線を使う事になるんだよな……)
イタリア時間の午前零時近くに、彼女から国際送信されて来たメールに、『時差で、眠れないにしても……』と、不思議に思いつつ、ふやけた手から滴(したた)り落ちる湯の雫(しずく)を、親父から受け取ったタオルで拭き取り、神妙に画面を開いてみた。
【おはよう。今、どの辺(へん)?】
(おっ、これは……、日本に居ると思われている、僕宛(あて)へのメールだ!)
幸(さいわ)いなのか、残念なのか、コモ湖では気付かれていなかった。
この状況に、同じイタリアのミラノの地に居る希少な現実を、彼女へ知らせれば、現時点で、同じミラノに居るのか、又は、高速道路の太陽の道をベネチアまで移動したのか、それとも、ユーロスターの列車に乗ってフェレンツェへ行ってしまっているのかも知れない彼女と、互いの旅行行程を照らし合わせれば、再び、どこかの観光地で、計画的に会えるのではないかと、考えが頭を過(よ)ぎる。だけど、一方通行な想いを自覚している僕からは、そんな大胆な提案はできない。
例え、提案できたとしても、素っ気(そっけ)無い彼女は賛同しないに決まっている。
直ぐに、インターネットで金沢市小立野(こだつの)台地の天候と気温を調べた。
金沢市は昨夜から降雪が続き、現在の気温はマイナス1度。
この天気だと、新たに積もった新雪は、軽くてサラサラだけど、路面や路肩に残っていた雪は、バリバリに硬(かた)く凍っている。それに、通学路の大半を占(し)める幹線道路の融雪装置から地下水が流れ出て、マイナスに下がった凍(こご)える朝の時間なら、まだ、雪をシャーベット状に融(と)かしたぐらいだろう。
昨日から夜通しで融雪装置の水が出されているなら、路面は雨で濡れるようだし、路肩は融雪の水に浸かる半融けの雪で、グチャグチャになっている状態だろう。きっと道路は、カチカチとツルツルとグチャグチャのスリーパターンが入り混(ま)じる斑(まだら)模様だ。
【上野本町(うえのほんまち)の通り、鶯坂(うぐいすざか)と亀坂(がめざか)の中間ぐらい。雪で滑るし、歩き難(にく)いな】
これまで、朝の登校時に、彼女から先にメールを送って来た事はなかった。
……彼女らしくない。
1分を待たずに、ツッコミのような返しが来た。
別に、ボケていたつもりはないのだれど、突っ込まれてしまった。
【そう? 歩き難いかしら?】
上手(うま)く解釈できない『かしら?』に、頭を傾けて、ちょっと訝(いぶか)しむ。
このニュアンスは、雪の無い場所にいるのを前提としているのじゃないかと、疑ってしまう。
ひょっとして、コモ湖で僕は、彼女に見られているのかも知れないと思った。
ならば、意図を訊き出して遣ろう。
【近く? どこにいんの?】
メールを送ってから、もしも彼女がイタリアに来ている事を知らせて来て、それもミラノにいて、しかも宿泊しているホテル名まで打ち込まれて返されたら、どうしょうかと悩んでしまう。
先(ま)ずは親父のミニパソコンからルームのネット回線で、このホテルと彼女が居るホテルの所在地を調べ、イタリア語と英語でタクシーの手配と往復の指示会話を書き出したのと、スマートフォンの翻訳機能だけで、この泥棒(どろぼう)と誘拐(ゆうかい)が多いと聞かされているイタリアの未知の場所に居る彼女へ、こんな夜中に会いに行ける行動を取れるのかと、マジに悩んだ。
泊まっているホテル名まで書かれているなら、それは、会いに来いという意味になるだろう。
その返信は、エキゾチックな気持ちへ傾かせた東洋人の女の子に抱(いだ)いたのと同じ衝動を、僕に湧かせてくれるのだろうか?
結局、翌朝になっても、彼女からの返信は着信しなかった。
イタリア旅行が終わって帰国してからも、彼女からのメールは無く、何かと気不味(きまず)さを感じている僕も、メールを送るのを躊躇(ためら)って、メール交換は終業式の日まで途絶(とだ)えてしまう。
しかし偶然にも、再び、彼女をローマのスペイン広場で見付けた。
広場の通りからショーウインドー越しに店内の彼女を見ていたは、僅か3分ぐらいの短時間だったが、僕はしっかりと彼女の行いを観察していた。
買おうかと悩んでいたレリーフを諦め、ベネチアングラスのペーパーウエイトだけの支払いを済ませて姉と店から出て来る彼女を、素早く隠れた脇の狭(せま)い小路の角(かど)で遣り過ごしてから僕は店に入り、それから、彼女が諦めたレリーフと『再びの出逢いのメモリアル』として、同じレリーフを買い求めた。
その所要時間は、通りから店内の彼女の様子を見て、小路に隠れ、そして、購入した二(ふた)つのレリーフの代金が支払い終わるまでに、10分と経(た)っていなかった。
本当に、一瞬の出逢いで、刹那(せつな)の発見だった。
僅か数秒でも、数メートルでも、ポイントがズレていたならば、彼女を識別する事もなくて、2度の出逢いは無かっただろう。
ミラクルが2度も起これば、必然なのに、僕は彼女へ声を掛けようとも思わなくて、2度ともピーピングするだけの遭遇になってしまった。
一方通行になる因果の空(むな)しさに、悲しみと寂(さび)しさばかりを感じてしまう。
それでも、ただの遭遇のみの因果で終わって欲しくない。
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いつもと違う新たな時空で君と出逢う信じられない偶然に、2度も驚愕させられた。
それに不思議が加われば、奇跡(きせき)だ!
ファーストミラクルのコモで、髪を舞い上げながら風に顔を立てる君の横顔と、首にコモシルクのスカーフを巻かれて嬉しそうな君の写真は、今も、ポケットに持っている。
(いつの日か、いっしょに僕らの奇蹟の場所へ行って、手を繋いで歩こう。湖畔や広場の階段を、二人でジェラードを食べながら歩くんだ。桟橋(さんばし)のアニメチックな遊覧船にも乗って、風が吹き抜けた湖の奥へも行ってみたいな)
僕は今、君との奇蹟の出逢いに、感慨と感動を込めて唄う。
合唱をバックコーラスに、僕は歌い上げて行く。そして、ラストのソロで歌うワンフレーズ。
(澄(す)み切って、晴(は)れ晴(ば)れと、彼女に届け、僕の熱い想い!)
『♪ あなたと……』
フリに託(かこつ)けて、伸ばした右手の指は、彼女を指し示して曲は静かに終わった。
曲が終わっても、合唱の余韻(よいん)が沁み入り、会場はシンと静まり返っている。
客席やステージから咳払(せきばら)いや衣擦(きぬず)れの物音一(ひと)つしない、まるで、時が止まったかのような不思議な静寂の中、僕はまだ、右手を上げて伸ばした人差し指を彼女へ向けたままだ。
(終わった……。後は、コンダクターの号令に、みんなで礼をしてステージから退場するだけだ)
ゆっくりと腕を下(お)ろして、両足を揃えようかと思いはじめた時、拍手が聞こえた。
会場に響く拍手は単独に客席全体が一瞬ざわついて、全校生徒の視線が集(あつ)まって行く。
視線の先には一人、すーっと立ち上がった彼女がいて、スタンディングオベーションをしてくれていた。
あの彼女が立ち上がって、大勢の視線を浴びている事も、気付かないほどに、夢中で拍手してくれている。
(嬉しい……。彼女に、感動を届けれたことが…… 嬉しい)
僕は涙が出そうだった。
いや、僕は泣いていて、彼女の姿が滲(にじ)み、頬(ほほ)に涙(なみだ)の熱さを感じている。
僕を見て一人だけで一生懸命に拍手をくれる彼女の姿に、僕は感動していた。
会場のざわつきと客席のみんなの姿が消えて、立ち上がって拍手をする彼女と、その拍手の音だけが、僕の目に映り、僕の耳に聞こえる。
彼女を指差して歌い終わった僕を見ていた全生徒の目が、パチパチと聞こえて来た拍手の音に顔を巡らせて、立ち上がり、拍手をし続ける彼女に注(そそ)がれていた。
(『ねぇ……』、! 彼女の声が聞こえた……)
僕に呼び掛ける彼女の声が、頭の中で聞こえた気がした。
その一瞬に間違いなく、僕と彼女は、ヒーローとヒロインだった。
ステージを飛び降りて、彼女の下(もと)へ駆け寄りたい。
彼女に気付かされて、大勢のオーディエンスが、次々と立ち上がって拍手をし始める。そして、僅かな間を置いて、会場は一斉(いっせい)の拍手と歓声で、沸(わ)き返った。
アンコールの声に口笛も鳴り、大きな拍手と冷やかしも混ざる歓声の中、僕のクラスは、ビシッと全員が揃った一礼をしてステージを降りた。
こうして、僕の心にときめきを掻き立てて、コーラス祭は終了した。
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コーラス祭の結果は、声を、みんなと揃えなければならないソロ間のパートも勢いで、僕は声を飛ばして響かせ続け、コーラスをリードしたので、最が付かない優秀賞になってしまう。
「コーラス祭に参加された、クラスの皆様、ごめんなさい。あんなに練習して来て、本番も、きっちり熟していたのに、最後に……、僕が潰(つぶ)して仕舞いました……」
終礼前のホームルームに行われた反省会で、僕は一人、前に出て、教壇で向き直ると、深々と頭を下げ、クラスのみんなに謝(あやま)った。
「楽しかったよ。君は暴走しちゃったけど、みんな、一生懸命で揃っていたし、まあ、良かったんじゃない」
クラスの女子達のリーダー格が、遠回しに僕を責(せ)める。
「はっきり言って、お前の暴走さえなければ、グロリアで、ローレルだったよなぁ。たぶん……」
近しくしている男子が、プラス責め的に、僕への責めをカバーしてくれた。でも、普通に『栄光の月桂冠』とか、『最優秀賞』と、言って欲しい。
僕の『暴走』に、『グロリア』の可能性、これで、僕への非難は揃い踏みだ。
(全く、その通りで、申し訳有りませんです)
「やっぱり、あの子が、君の彼女だったんだね。ねぇ、あの子と、どこまで行ってるの?」
クラス委員の女子までが、囃(はや)し掛けるように、彼女との関係進展を詮索してくるけれど、ここは笑って誤魔化すしかない。
(それ、ホームルームでは、訊かないで欲しいです)
「君のパートから、完全に、二人だけのラブソングになっちゃったよねー。私達のコーラスは、そのバックコーラスだったねー」
普段も、コーラス祭の時のように、ラブラブだったら良いのだけど、現実は、彼女と手を繋ぐどころか、並んで歩いた事も無い。
何より、話す事は禁じられているし、挨拶も交(か)わせ無いから、声を聞く事もできないなんて、悲し過ぎるリアルは、恥ずかしくて言いたくない。
「なに、勝手な事してんだよ! って言って遣りたいけど、自分の彼女へは、あれくらいのパフォーマンスをしないと、男じゃないさ。あれは絶対、伝説になるぞ! 賞よりも、レジェンド作りだな!」
幻想に飢(う)えている男子共は、僕の身勝手な暴走に肯定的だ。
好きだけれど、彼女に成っていないし、僕も、彼氏に成れていない。
3年生への進級に伴(ともな)うクラス分けで、別々になった友人達は、御祝いの言葉を掛けに来てくれた。
「無愛想(ぶあいそ)なあいつが、一人立ち上がって、お前に拍手したのには、驚きの感動もんだったな。あいつ、涙まで流していたってさ。あいつのクラスの女子達が言ってたぞ。お前も、あいつも、恥ずかし過ぎだっちゅうの! ほんと、マジすっげーよ。大(たい)した奴だぜ、お前は!」
まさか、彼女が真っ先にスタンディングオベーションをするなんて、信じられなくて、僕の方こそ、眼が潤(うる)んで泣きそうになるくらい、彼女に感動させられていた。
(彼女は、泣いていたのか……?)
あの時は、距離と暗さで、彼女の表情が良く分からなくて気付けなかった。
「こらぁ、ラブソングにしてんじゃねーぞ! ―たく、知らない内に彼女と、よろしく遣りやがって、羨ましいぜ」
僕は、ブンブンと顔を横に振り否定する。
あの場の勢いで、ラブソングになってしまったのは反省してます。
最近のメールから、彼女の気持ちに多少の変化が起きているらしいのは、読み取れていた。だけど、態度や表情に親しげさは無くて、僕を無視するような素っ気無さは変わっていなかった。
表面的に、そう見えても、実際は、少しもラブリーになっていない。
「もう、お前ら二人はできているって、全校に認知されちゃったぞ。良かったじゃん。これで、あいつに告(こく)る奴は、誰もいないさ」
みんなに僕らの関係を知られたのは、彼女が望んでしたのかも知れないから、別に構わない。でも、きっと、これからも、僕へのつれなさは変わらないと思う。
「そうそう、俺には見えたぞ! あいつ、お前のパフォーマンスに泣きながら拍手しててさあ、めっちゃ、感動してたよな。これから二人は、急速接近してくんですかぁ?」
相槌(あいづち)を打って茶化(ちゃか)す友達の言う通り、確かに、彼女はしっかりと、僕の歌を受け止めて感動してくれていた。
(本当に、彼女は泣いていたんだ! 僕は、これからも、……彼女に、感動を与え続けていけるのだろうか?)
僕の暴走が与えたに過ぎない、彼女の感動を不安に感じながら、それでも僕は、彼女と急速接近する新(あら)たな展開を願いたい。
つづく
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