第6話 優し気で可愛い彼女は男子達にモテていた(僕 中学2年生)『希薄な赤い糸・男子編』

 パタパタと、数人の女子が背後に来て、窓際の席に座(すわ)る彼女に話し掛けている。

 積極的に女子達が彼女の傍(そば)に来て話すのも、彼女が複数の女子と話すのも、僕は初めて見た。

 他クラスの僕が知らない女子達だけど、わざわざ、彼女の居場所(いばしょ)に来てくれる友達ができたのは、彼女にとって喜(よろこ)ばしい事だと思う。

 だが、何やら背中の後ろが騒(さわ)がしくて、どうも、友達って雰囲気(ふんいき)じゃない。

 断片的(だんぺんてき)に耳に入る彼女達の言葉は、少し不穏(ふおん)な感じの様子で、女子達は彼女に何かを詰問(きつもん)しているみたいだ。

 声の違いと気配から、彼女に会いに来た女子は三人だろう。

 僕はダチ達と駄弁(だべ)りながら、背後の会話に聞き耳を立てた。

「あなた今、付き合っている男子は、いるの?」

 女子の誰かが訊(き)いた、僕にとって、由々(ゆゆ)しき質問調の語尾(ごび)が聞こる。

「……いない」

 やや間を置いて、彼女が答える。

 僕が許(ゆる)されているメル友ぐらいじゃ、彼氏(かれし)の代用にもさせて貰(もら)えない。

 彼女が『いる』って答えていたら、それはもう、僕かも知れない期待と、何処(どこ)の誰(だれ)かへのジェラシーで眠れなくなってしまうと思う。

「だったら、あなた、どうして、告白を断(ことわ)ったのよ?」

(ああ、そういう流れで、女子達が来たわけね。……そうだ、どこのどんな奴か知らないけれど、どうして、フッたんだ?)

 断った理由(わけ)を訊きに女子達が、彼女に詰め寄るくらいだから、さぞや格好良くて素晴らしい男子なのだろう?

「……付き合ってあげれば、いいじゃないの?」

(ぎょっ、彼女に、何て事を言うんだ。そっ、それだけはダメだ! 僕が許さない!)

「……凄(すご)く、かっこ良いんだから……」

(どんなに良い男でもだ! 僕は許さない!)

 でも、彼女がどうしても、付き合いたいと言うならば、彼女の幸(しあわ)せを願って、片想(かたおも)いする僕は応援すべきなのだろうか?

「……あの人の告白を、断るなんて、信じられない……」

(くっ、彼女の幸せを願いたい。でも、断ってくれてありがとう。これからも、告って来る男子を、悉く振って遣って下さいませ)

「付き合って、あげなさいよ!」

 女子達の誰かが、彼女を諭(さと)すように、喰(く)って掛かる。

「あなたに告白した人は、サッカー部のレギュラーで、ポジションはフォワードよ。しかも、センターなの。プレーする彼は、とにかく凄くかっこいいの! あなた、彼のプレーを見た事有るかしら?」

(なんか、カッコ良さ気(げ)じゃん。でも、そんなモテ系が、サッカーにいたっけか?)

「それに、優しくて人望(じんぼう)が有って、成績も良いのよ。それなのにあなた、彼の告白を断るなんて、信じられない。そうよ、あなたには勿体無(もったいな)くて、彼とは釣り合わないのに……、なんで……」

 成績が良いのが重要なモテ要素なら、僕は敵(かな)わない。

 そんな文武両道のイケメンを、彼女は無碍にしてしまっている。

「付き合って、あげなさいよ!」

 強い口調の、ゴリ押しが聞こえた。

「いやよ!」

 妥協(だきょう)しない彼女は、即答する。

 全く以って、再検討の余地は全く無いらしい。

 背後の事態は、佳境(かきょう)で切迫している。

(早く助けないと、やばい!)

 耳に聞こえて来る彼女の声で、駄弁りに集中力を欠いた僕の上(うわ)の空(そら)の受け応(こた)えと、背後の騒がしさにダチ達も気が付いて、顎(あご)を杓(しゃく)って上目(うわめ)で僕に『どうするんだ?』と、ダチ達は僕に行動を促して来る。

 『知っている』と正面のダチに頷(うなず)き、『分かっている』と僕は横のダチへ頷き直して、机の上のレポート用紙に素早(すばや)く走り書きをしてダチ達に見せた。

 『机を叩いて立ち上がる。そして、彼女達を見る。おまえらも、そのまま黙って、女子達を睨んで遣ってくれ』

 同意の親指を立てて頷くダチ達を見ながら、僕は小さく口を開いて、『GO!』と、机を叩こうと手を上げ掛けた正(まさ)に、その時、『バン! ガタッ、ガタン!』背後で、彼女が立ち上がったような音と気配がした。

(何か、やばい!)

 大事になりそうなムードに、僕は、慌てて行動に出る。

(間に合え! 彼女を、被害者にも、加害者にもさせるな!)

 『バン!』、両手の掌を机に強く叩き付けて、僕は立ち上がった。

 立ち上がりながら友人達から彼女へと向き直り、そして、眉根(まゆね)を寄せて彼女を無言で見詰める。

「なによ! あなた? あぶないじゃないの!」

 彼女を責(せ)めていた手前の女子が、一瞬、飛び上がって驚(おどろ)き、直ぐに、足許(あしもと)を見ながら振り向いて僕を見た顔は、目を見開いて強張(こわば)っていた。

 恐れ混(ま)じりで驚く其の表情は、瞬(またた)く間に怒(いか)りを孕(はら)ませた顰(しか)めっ面(つら)に変り、僕を睨み付ける。

 そして、ヒステリックな大きな声で言った。

 余程、ショックだったのか、眉間に皺(しわ)を寄せる険しい顔の目は涙目だ。

「外野は、黙っていて!」

 更に鋭い威圧感(いあつかん)一杯の、大きな声で抑(おさ)え込まれた。

 端(はな)っから無言で通すつもりなのに、余計な事を言いそうに見えたのか、予想以上の女子の拒否反応に驚いてしまう。

 異様なムードで周囲の関心を集めたいただけなのが、女子の叫(さけ)ぶように放った大声の所為(せい)で、対戦モードで構え立つ三人は教室中に注目されてしまった。

 立ち上がるタイミングをミスって後手になった僕は、彼女を助けようと憤(いきどお)った気持ちが目の前の女子の大声で怯(ひる)んでしまって恥ずかしい。

 それに、いつも冷静で無関心を装う彼女の『今、ここに在る危機』を、僕がクラス中に知らせたみたいになって、すまないと思う。

 正面で眉を吊り上げ、ちょっと涙ぐんだ険(けわ)しい目付きで睨む女子の顔は、端正な目鼻立ちで美しく、優しげに見える彼女とは対照的な美人だった。

 怒りで歪(ゆが)む女子の綺麗な顔が、絵に描きたいと僕の作画意欲を唆(そそ)る。

 僕と対峙した姿を見る限り、スタイルも良くて魅力的に思えた。

 でも、話した事の無い知らない女子だ。

 釣(つ)られて見た女子の足元には、僕が倒したイスが爪先(つまさき)近くのギリギリに転(ころ)がっていて、際疾(きわど)く倒れた椅子に、女子が本当に怪我(けが)をしなくて良かったと思う。

(おおっ! 怒ってるぅ!)

 机を叩いて立ち上がったと思われる彼女にビクつき、更に、僕が倒した机や椅子に驚かされ、その椅子は脚(あし)に当たりそうになってしまった。

 だから女子達的には、自分達の目的には何の関係も無かったけれど、たった今、物理的な危害を与えそうになった僕を、先に排除(はいじょ)すべきゴミの如(ごと)く睨み付けている。

(彼女を庇(かば)う仲間…… だと、思われているようだが、彼女の彼氏だとは、此処に来ている目的からも、思われていないだろうなあ……)

 正面の綺麗な女子は彼女へ相談と御願いに来ていて、左右には其の仲間の女子、対戦モードで振り向いた三人の正面には憤慨(ふんがい)を与えられた知らない男子、そりゃあ、このリーダー格らしい女子の憤りは当然、僕に向けて来るだろう。

(ビビリを怒りで誤魔化(ごまか)すか……。それでいい。狙(ねら)い通りだ)

「なによ!」

 いつ頬(ほお)を打つ平手や鼻頭(はなばしら)を折るパンチが飛んで来てもおかしくないリーチレンジで、険悪(けんあく)なオーラを放ちながらリーダー格が僕に噛み付く。

(うおっ、綺麗だけど、気が強そうな女子だ。こんな近距離で打(ぶ)たれたら、僕には避(さ)けようが無いし、衝撃(しょうげき)で床に転(ころ)がっちゃうぞ!)

 右側の女子が僕に迫り、ピシャリと強い語気を孕ませて言う。

「何か、文句が有るの? あなたには、関係無いでしょう。私達は、この子だけに用が有るのよ」

 他クラスの女子達は、僕と僕の後ろで黙って睨んでいるダチ達を交互に見て言って来る。

 左側の女子は嫌悪のイラ顔も露(あらわ)に、ダチ達へ怒り口調で警告する。

「あなた達も、邪魔しないでよ」

(なにを言うか! 僕の大事な彼女が、ピンチなんだから、邪魔するに決まってるじゃんか!)

 僕には、大いに関係有る大問題だ!

 もちろん、僕が、女子達へ言いたい文句は、『誰に告くられ、誰を断り、誰と付き合おうが、彼女の自由だ! 強要するな! 彼女を虐(いじ)めるな!』だ。

 そう言って遣りたいけれど、言ってしまうと盗み聞きしていたのがバレバレになってしまうから、ダチ達といっしょに、黙って無言の圧力を掛け続ける。

「私が、何したっていうのよ? ちょっと、おかしいんじゃないの、このクラス?」

 暫しの無言の対峙(たいじ)は、リーダー格が告げた逃げ口上(こうじょう)で終わりそうだ。

 加え続けられる視線と無言の圧力に耐え切れず、女子達は、そわそわし出して落ち着かなくなって行く。

 僕は、そんな他クラスの女子達を視野の脇に捕(と)らえながら、睨むように僕を見ている彼女を、見詰め続けた。

(……見られている……!)

 僕は、僕に驚いていた。

 彼女は僕に顔を向け、その目は……、瞳が僕を見ているのに、僕は顔も、目も逸らさずに、彼女を見る事ができている。

(やはり彼女は、プリティでチャーミングだ!)

「もう、いいじゃない。行こう!」

 脇の女子が、これ以上、ここに居るのは分(ぶ)が悪いと判断したのか、リーダー格に諦めと脱出を進言して、三人は逃げるように教室から出て行った。

『ははっ、出て行ったぞ! あれは、逃げたんだな』

 女子達が速(すみ)やかにいなくなると、僕の周りに集った友人達や仲の良い女の子達から、大きな歓声が上がり、好き勝手に得意な思いを口々に言っていた。

『ざまあみろ! 追い出して遣ったぞ!』

(この罵りはないな。ちょっと、言い過ぎだろう)

 そう思いながら、聞き流す。

 少なくとも三人には、彼女を騙そうとか、辱めようとか、そんな、危害を加えるような悪気は無かったと思う。

 三人は自(みずか)らの想いを退けてまで、憧れの男子に良かれと思い、彼女に、彼氏として再考を奨(すす)めていただけで、彼女を追い詰めて、虐めているような自覚はなかった。

 それでも僕は彼女への脅威だと思い、その元凶(げんきょう)が逃げ去った事に安心していた。

『あははっ、俺達の勝ちだ!』

 連れの勝利宣言に、別に、三人の女子達は敵じゃないと思う。

 睨み負かして追い出したって言うなら、そうだろうけれど、勝ち負けの問題じゃなくて、彼女を救って守るのが目的の行為だった。

『やったな!』

(うん、効果的だったな……)

 女子達の矛先(ほこさき)を僕に向け、喰って掛かって来た態度と、急いで教室から出て行く三人の姿に、そう思う。だけど、今も、不機嫌そうに眉間に縦筋を刻み、僕を睨む彼女は、唇を噛んで怒っているようにも見える。

 そんな、顔の瞳を見詰めながら、これで、彼女を救えたのか、プチ・トラブルに巻き込まれていただけの彼女を、教室の、みんなへ晒し者にしただけなのか、僕は心配になった。

 彼女には、有り難(ありがた)迷惑だったのかも知れないと、不安な気持ちで、僕は彼女を見詰め続ける。

『もう、大丈夫(だいじょうぶ)だから』

 脇から、女子の声も聞こえて、幾人かのクラスの女子も、応援に近くへ来ていたのを知った。

 応援の女子の声に、彼女の眉間に寄せた縦皺(たてしわ)が消え、瞳は泳いだ。

 そんな彼女の表情が嬉しくも可笑しくて、僕の口許(くちもと)と目許(めもと)が緩んでしまう。

 暫し彼女は、チラチラと視線を上下左右に流して、連れ達や応援に来た女子達を見ていたけれど、また、僕を睨むように見詰めて来た。

 きちんと僕に向き直って姿勢を正(ただ)した彼女が、驚きの言葉を口にする。

「……ありがとう」

 小さな声で、でも、よく通る澄んだ声で、はっきりと聞こえた。

 戸惑(とまど)いで強張る顔の瞳は、応援してくれたみんなを、しっかり見回してから、彼女は、僕が彼女から初めて聞く、感謝の言葉を言った。

 それから、これまた初めて彼女が見せる仰天(ぎょうてん)の態度、……両手を自分の前で重(かさ)ね合わせての素直な御辞儀(おじぎ)……。

 それを笑わない顔で行なった。

 そして再び僕を見る。

 信じられない言葉と態度でビックリだったけれど、やはり、壁を造らない彼女は素直で優しい。

 それは僕の取った行動を肯定してくれたようで、僕に温もりを感じさせた。

(良かったぁ、彼女を救えて、良かったじゃん、自分! ふぅーっ)

 立ち上がらなければ、きっと、彼女は実力行使を行っていて、酷いトラブルになっていただろう。

 そうなってしまうと、僕は、隣にいて絶対に騒動が聞こえているはずなのに、背を向けたまま何もできなくて、『好きだ』と、想いを告白した相手を守る行動の一つも起こせないような、頼(たよ)りにならない情(なさ)け無い男になるところだった。

 彼女を守る為に、思い切った行動が取れた事と、彼女を無事に守り切れた事、そして、目を逸らして逃げずに彼女と見詰め合えた事を、僕は宛(あ)て名の知らないサッカー部の何者かへ、今日の彼女のトラブルとの巡(めぐ)り合わせを感謝した。

 僕を見ていたのは、僅か10秒ほどの事で、直ぐに彼女は真っ赤になった顔を逸らして席に座り、いつものように僕に背を向けた頬杖姿で窓の外を眺め出す。

 窓の外へ向けた彼女の表情は、見えなくて分からない。

 僕は思う。

 互いに目を逸らさずに相手を見詰め合えた事で、たぶん彼女も、『……これからは、より僕を意識してくれるかな?』って、ちょっと驕(おご)ってしまう。

 協力と応援してくれたダチ達と女子達が、『おおーっ、感謝されたぞ!』、『ありがとうって、言ってくれたよ。良かったわね』、『ちょっとぉ、あんた、ヒーローになっちゃったよぉ!』、『これから、上手く行きそうだな』などの、騒々しい歓声と御祝いの言葉を聞きながら、気分は、ちょっとどころか、勇敢な白馬の王子様になっていた。

     *

 その彼女へ、僕は小学6年生の時の雪辱(せつじょく)を果たすべく、音楽の勉強をしている。

 そうは言っても、楽譜が読めて楽器の一つでも扱いを憶えて奏者になったり、詩を綴って楽譜を描けるようなクリエーターを目指すみたいな大層(たいそう)な事じゃない。

 家に帰るとイヤホンを耳に挿(さ)し、メディアプレーヤーでJPOPを聴きながらステップを踏(ふ)む。

 時々友人達とカラオケに行って、歌謡曲を唄い練習している。

 そう、僕は音痴(おんち)を克服(こくふく)して、想いを込めて歌う楽曲を聴かせて、感動で彼女を見返して遣りたかった。

 僕は何度も繰り返して、リズム感と歌の音程と強弱を身体に憶えさせた。

 身体能力が必要な事を上達するには、『見て』『聞いて』『言って』を繰り返して脳と身体に沁(し)み込ませるしかない。

 彼女の前で、2度と音楽に由(よ)って、恥を掻きたくなかった。

 体育祭のフォークダンスや文化祭のイベントで、曲に合わせて軽(かろ)やかにダンスを踊(おど)る僕を、彼女に見て欲しい。

 以前とは違う、人前で上がってしまい何もできなくなる鈍臭(どんくさ)い音痴の僕じゃなくて、格好良い僕を彼女に見て貰いたかった。

 『ありがとう』の、感謝の言葉以降も、僕は彼女との約束を守り、メール以外の積極的な態度を慎(つつし)んでいた。

 彼女に意識されて嫌われてはいないと、自信が有ったけれど、不用意な僕のアプローチへの彼女の反応が、その自信を、大きな勘違いだと思い知らされるのを恐れていた。

 初秋の文化祭では、ダチ達とグループで講堂のステージに上がり、歌いながら踊った。なのに、彼女は現(あらわ)れず、観客(オーディエンス)の中に、彼女を見付け出す事は無かった。

 中秋(ちゅうしゅう)の体育祭での、彼女に触れたフォークダンスは、互いに交わした視線からは、ちゃんと意思を読み取れないまま、一瞬で終わってしまう。

 しっかりと掌を制汗パウダーで乾燥させて挑(いど)んだ念願(ねんがん)の手を繋いでのステップは、ミスも無く、上手く踏む事ができたのに、互いの周りを1周するだけの、ほんの短いダンスの時間だけからは、彼女の反応を読み取る事ができなかった。

 彼女を見詰め、彼女に見詰め返されていたのに、その表情から、彼女の喜怒哀楽(きどあいらく)が良く分からない。

 努力した割に成果を得られなかった僕は、別に彼女への歌唱アピールは体育祭や文化祭でなくてもチャンスが有るだろうし、無くてもチャンスを作れば良いと考え直した。

     *

 クリスマスの前日の朝、隣の席の彼女へ、在り来りな既成(きせい)メールを打つ。

【メリークリスマス!】

 スィートな、クリスマスイブを期待した。

 テレビやインターネットでも、街のストリートでも、1ヶ月以上も前から、ラブリーでスィートなクリスマスムードを盛り上げている。そして、今夜はクリスマスイブだ。

 親しい異性の友人や恋人と美味(おい)しい料理を食べ、感動の映画を観たり、楽しくゲームセンターで遊んだり、それから、プレゼントを贈(おく)り合う、シックな嬉しさで満ち足りたデートをして過ごせる事を、神様に感謝しまくる特別な夜だと思っていた。

 まだ、僕たちは中学生だから、大人達のするようなセッテングはできないけれど、映画を観てからティールームで軽い食事をして、食後はコーラかジュースを飲みながらオーダーしたケーキを食べるつもりだけれど、ケーキがフルーツに替わっても良くて、どちらでも彼女は喜んでくれると思う。

 クライマックスに、ショッピングモールのオシャレな雑貨屋で選んだ、細(ささ)やでも素敵なプレゼントを贈呈(ぞうてい)するぐらいは許されるだろう。

 それがダメでも、カラオケぐらいは行ってくれるだろう。

 練習した歌を聞かせたいし、聴いて欲しい。

 彼女とデュエットで歌うのを、希望したい。

 終礼後の下校は、バスに乗って急いで帰宅すれば、着替えてから出掛けられるし、家に戻るのも遅くならないだろう。

 それらは何もかも、僕にとって初めての試みで、叶うのなら、きっと、幸せな気持ちになれる。

 そんな、幸せに満ち足りたクリスマスイブを、僕は彼女と、いっしょに……、2人だけで過ごしたいと思う。

 二人の関係を、一気に進展できるかも知れない試みのプランは、直ぐに届くだろう彼女の返信メールが、楽しい言葉が綴(つづ)られた文面だったら、即座に知らせてやろうと考えていた。

【メリークリスマス!】

 夕方遅くに、彼女から返信が届いた。

 夜の帳が下り始めて、外は暗くなって来ている。

(遅いよ。今から間に合うかな? 中学生が出掛けるのには、暗過ぎるかな……?)

 既に、出掛ける用意はできて、腕時計の時刻を確認しながら、弾む気持ちでメールを急いで開く。だけど、メールの冒頭(ぼうとう)に表示された、メールのテーマっぽいジーザスの犠牲や誕生を楽しく祝う言葉とは裏腹(うらはら)に、本文は始まりから、昂揚(こうよう)したテンションを一気にダイブさせてくれる、全く愉快(ゆかい)じゃない文字が続いていた。

【取り敢えず、メリークリスマス! 私、あんた関係のクリスマスと、全然関係したくないから。冬休みも、正月も、同じよ。それに、どうせ知らないでしょうが、誕生日もよ。『ハッピー、バースディ!』なんて、有り得ないから。あんたとは全然、関係無いよね。無関係だから! それと、『明けましておめでとう』のメールは、寄越さなくていいからね】

 毎日、ラブリーな期待とスィーツな気分を積み重ねて来た高揚感が、瞬間で瓦解(がかい)して、裂(さ)け広がる奈落の奥深くに落ちて行く。

 思い描いていた、フェスタ・クリスマスのハッピーピンク色が、奈落の縁のダークブルー色へ塗(ぬ)り込められてしまう。

【それに、バレンタインディーのチョコは、渡さないからね。義理(ぎり)チョコでもよ。私、今までにお父(とう)さんと、お爺(じい)ちゃん以外に、贈った男の人はいないから】

 来年の、まだ1ヵ月半以上も先のバレンタインディーまで、拒否を寄越して来る。

 どうも、兄弟姉妹は、姉はいるが、兄と弟はいないらしく、そして妹の存在は不明だ。

 お返しの想いを込めた、クッキーなどのホワイトディーのプレゼントは、これで、渡せなくなってしまった。

 それでも家族以外の男の人へあげていないのは、救いで希望だった。

(これって、デレなんだよな? 本当に、チョコを贈った事が無いのだろうか? デレであってくれーっ!)

 彼女は、僕の想いを知っているはずなのに、ワザと弄んでいるのだろうか? もっと、他の書きようには思い至らなかったのだろうか?

(確かに、関係無いかも知れないけれど、これじゃあ、楽しげなメールに繋げる事ができない)

 これでは、初詣(はつもうで)に誘い、御参(おまい)りをして御神籤(おみくじ)を引き、御守(おまも)りを交換しあうことは、ずっと、夢のまた夢だ。

 いつまでも、全然、夢から出られない。

 遣る瀬の無い気分のまま迎えた、冬休み明けの初日、彼女とは、教室の中で擦れ違っても、新年の挨拶や朝の挨拶も、交わせなくて、目も合わせてくれない。

 ダークブルーの気分にブラックが混ざり、限り無く暗黒色になって行く。

 1限目が始まる直前に、机の中の携帯電話が震えて、メールの着信を告げた。

【迎春(げいしゅん)。今年は、貴方(あなた)にとって、最良の年でありますように。―私にとっても―。お互い、高校受験に向けて、頑張ろう! 必ず、合格できますように。同じ高校へ、いっしょに行けるといいね】

(わからない……。彼女が分からない。こんなに好きなのに、僕は、彼女が解からない)

 不可解な彼女だけど、届いた彼女のメールは、僕のディープブルーにまで、深く沈んで、淀んでいた暗い気分を、深みの底から浮き上がらせて、希望に満ちたスカイブルーに変えてくれた。

     *

 終業式の朝、いつもよりも早く、彼女よりも先に教室に着く。

(良かった。彼女は……、まだ来ていない)

 速やかにバックから、小さな紙包(かみづつ)みを取り出して、急ぎ、それを、彼女の机の奥深くへ入れた。

 授業の無い今日は、下校の帰りまで、机の中を見る事は無いと思うし、早くに気付かれても、彼女が教室で大っぴらに包みを開く事も、無いと思う。

 僅かに、横文字の店名みのが、小さくプリントされただけの素っ気(そっけ)無い包みの中には、彼女に使って貰いたい、絹(きぬ)のスカーフで包んだ白い小箱が入っている。

 箱の中身とスカーフは、先々週、親父と旅行に行った時に、現地で買った彼女への御土産(おみやげ)だ。

 それは、掌に乗るくらいのサイズの、街並(まちな)みをレリーフした写真立てで、前後のレリーフの間のスリットへ、写真を挟(はさ)むようになっている。

 それにしても、少しスリットの幅が広い気がして、別の用途で使うのかも知れないけれど、僕は敢(あ)えてフォトスタンドだと思い込んで使っている。

 同じフォトスタンドを、二つ買った。

 一つは、彼女が手に取った品で、クリスタルガラスのオブジェと比(くら)べて迷った挙句、彼女は買うのを止めてしまった。

 その様子の一部始終を、僕はショーウインドゥ越しに見ていて、彼女が立ち去ると直ぐに、そのレリーフを買い求めた。

 その彼女が手に取った品を今、彼女の机の中にこっそりと入れた。

 もう一つは彼女が触れたオブジェの隣に有った物で、それは僕の部屋の机の上に、その時のショーウインドゥ越しに撮った彼女の写真を挿(さ)して置かれている。

 終業式を終え、教室での終礼の後、持ち帰り忘れ品の有無(うむ)を最終確認していた彼女が、空(から)っぽのはずの机の奥へ潜(ひそ)ませた包みに気付いた様子を見せた。

(気付いてくれた……)

 それを見て直ぐに、僕は友人達と連れ立って下校した。

 包みや箱に送り主(ぬし)の名前など全く書かれていなくて、誰が置いたのか分らないだろうけれど、中のレリーフを見れば、いつどこに有った物か思い出すはずだ。

 そして誰が置いた物なのか知ると思う。

 あの時、僕は、彼女がそれを買うのを諦めるのを見て、このサプライズを思い付いた。

 直接、彼女へ渡すのは、非常に気不味くなりそうなので止めていた。というか、手渡しする勇気など、全然無かった。

 明日(あす)からの春休みになれば、顔を合わせる事が無くなり、サプライズの品を受け取らないにしても、直ぐには返品できないだろうと、僕は思う。

 だから贈る日を、僕と接点を持ちたくなくて、拒否しようとする彼女の気持ちを冷静にし、受け取る気持ちへと、変えられるかも知れない期間になりそうな春休みの前日、今日の終業式の日を選んだ。

 内心(ないしん)、帰り掛けに、彼女が机の中を調べなかったり、気付かなかったりしたらと心配して、教室の戸口近くで、友達の姿越しに見張っていた。

 気付かなければ、彼女が教室を出た瞬間、包みを掴んで彼女よりも速く玄関へ行き、彼女の靴箱に包みを入れなければと考えていた。

 そして、その心配が杞憂(きゆう)に済んで良かったと、帰り道、友人達と春休み中の連みを計画しながら、ホッと安堵していた。

(取り敢えず、サプライズは成功だ! どう受け止めるかは、彼女次第だけれど……)

 僕はサプライズが、より良い結果、より良い方向へ導(みちび)くようになって欲しいと、切に願う。

 --------------------

【ありがとう! 貰って良いの? 世界って、意外と、狭いよね】

 下校途中に彼女から届いたメールは、拒否される心配を余所(よそ)に、あっさりと包みを受け取ってくれる内容だった。

 間(ま)を開けて明日以降だと予想していた喧嘩腰(けんかごし)に返品される拒否文とは違って、御礼の言葉は速やかに送られて来た、彼女の素直な御礼の言葉だ。

(おおっ、意外と素直だ! ……これは、喜んでいいんだよな?)

 このメールが彼女から送信されて来ただけでも、レリーフを買って良かったと、心から思う。

 雨上がりの青空のように、気持ちは晴々(はればれ)して、身体が清々(すがすが)しい透明な大気を照らす暖かな陽差しを浴びたみたいに、ポカポカして軽い。

 彼女からの感謝の文字に、気持ちが嬉しく弾みながらも、テレ臭くなって来る。

【そうかも。でも、けっこう、遠い場所だったよな】

 彼女の感謝に僕は思い上がったり、馴(な)れ馴れしくなったりした返信はしない。

 ワザと素っ気無くして、テーマも逸らす。

 彼女のメールにシンクロさせた文で送っても、どうせ碌(ろく)な結果にならない。きっと、返信メールは来ないだろう。

 本当に、めちゃめちゃ凄い出逢いだった。

 初めて行った海外旅行の知りもしなかった観光地で、全くの偶然に彼女を見掛けた。

 しかも、その異国で二度も! 違う二つの場所で、僕は彼女と出逢った!

 いずれも、直接の接触こそしなかったけれど、運命だとか、前世(ぜんせ)からの因果(いんが)とか、逆らえない強制力だとか、決して奇跡(きせき)じゃないとか、驚愕(きょうがく)している彼女の真ん前に立ち、強く言って遣りたかった。

 でも僕は、それを敢えてしない。

 いや、しないのではなくて、彼女の前に立つ勇気や、言って放って遣る勇気が無いだけだ。

(まあ、例え、僕に勇気が有って、それができたとしても、彼女は納得しないだろうし、説得されるはずも無いさ)

 そして、デスクトップのオブジェを扱うスペイン広場の店で、彼女が手に取り、迷い悩んだ末(すえ)に諦めていたレリーフを購入して彼女に渡せただけで、僕の想いは十分(じゅうぶん)に満たされている。

 春休みの間、彼女とはメールを遣り取りする以外に何も無さそうだけど、今と変わらないまま彼女に拒(こば)み続けられても、新学年でクラスが別々になっても、必ず強く自分をアピールするチャンスを僕は何処かでクロスさせて、彼女と親しくなって遣ろうと僕は考えていた。

 彼女と交(か)わす二、三度くらいの挨拶や短い会話などでは、クールな性格と言葉遣いを知る事は出来ないし、現(あらわ)さない。

 優し気で丁寧な話し方と薄く微笑んでいるような整った顔立ちに、スレンダーではない温かそうな容姿と仕種(しぐさ)から、魅了(みりょう)されて告白して来る男子の多いのは知っている。

 今は悉く断っていて、男子の友人はメル友の僕だけのようだが……、それが友人と呼べるのか甚(はなは)だ疑問だ。

 だが、いつ彼女の思春期の乙女心に火が点(つ)いて、ただのメル友の僕など、あっさりと御役目(おやくめ)御免(ごめん)の御払い箱(おはらいばこ)になってしまうか分からない。

 故に僕の想いは1秒でも早く、彼女を確実に僕の彼女にしなくてはならないと焦っている。

(他の男の女になる前に、僕だけの、彼女にしたい!)

 今のままでは彼女に一定距離に留(とど)め置かれているだけの、わざと近付けないようにされたまま終わる僕になってしまうだろう。

 だから、もっと僕の想いを強く彼女へ響かせて、親密な接近になる為に直接ではない、直接っぽい何かをしなければならないと思う。


 つづく

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