第4話 彼女を騙した僕は潔さも誠実さも無かった(僕 中学2年生)『希薄な赤い糸・男子編』
【突然メールを送って、ごめんなさい。麗(うらら)らかな春の光りや、風や、匂いと桜が、貴女(あなた)に溶け込むように似合っていました。それは、いつも、僕が、貴女を慕(した)う時に想(おも)うイメージです。優(やさ)しい貴女が、大好きです】
彼女の機嫌(きげん)をこれ以上、損(そこ)なわないようにと気遣(きづか)っていたら、言い訳じみたのになってしまった。
だが、それは本当に思っていた事だった。
僕は緊張すると、話が閊(つか)えて、ぶっきらぼうに言ってしまう。
声は細くなり、言葉を選(えら)べないし、探(さが)せない。
言葉を省(はぶ)くのも多くなって、相手に思いや考えを上手(じょうず)に伝えられない。
だけど、メールは違う。
想いを文字として打ち込むのは面倒だけど、言葉を繋げられるし、優しい気持ちを綴れる。
メール文は綴る本人の人格を、厳格にも、朗らかで優しくも、賢くも、白雉にも変えて、読み取る相手へイメージさせてくれる。
【なぜ、私を好きなわけ? 優しいから? 眠そうだから? 匂うほど、春眠が似合っているから?】
小学6年生の春の日、窓際の席の彼女は、桜香る春風を微睡(まどろ)みながら楽しんでいた。
彼女の不思議な『四角い爪』を訊いた時、今でも、意味不明な『ピアノ習っているの』と、優しく響く声で答えてくれて、その眠そうな姿と、素直な物言いと、少し鼻に掛かった声が、彼女の優しさを僕に感じさせてくれた。
【春眠が、似合うのも、眠そうなのも、可愛いと思います】
春の日の優しげな声が、例(たと)え偽(いつわ)りだったとしても、僕は、彼女の優しさと可愛さを分かっている。
【どうして、私が、優しいと知っているの? 優しくなかったら、嫌いなわけなの?】
僕は知っている、……と思う。
『優しいと思うだけで、彼女が好きなのか?』と、問われたら、『彼女は、優しさだけじゃない』って、答えたい。
【貴女は優しいと、僕は信じています。でも、優しくなくても、僕は貴女が大好きです。何か理由がないと、好きになってはいけないのですか? 好きなるのに、理由が必要なのでしょうか? なら……、貴女だから、好きです】
僕はもう、彼女の全てが大好きで、嫌いなところは何一つ無い。
そして、彼女も僕を好きであって欲しいと願っている。
【それで、好きだから、どうなの?】
答えにくい事を訊(き)いてくる。
それは相思相愛(そうしそうあい)になれば、自然と発展していくものだろう。
【貴女を見かける度に、心がときめきます。そして、胸が苦しくなって、切ない気持ちになります。僕は、貴女が好きなのです。だから、告白しました。本当に大好きです】
僕は、答えを暈(ぼ)かす。
【好きだけで終わり? 続きは? 何がしたいの?】
彼女は、しつこく突っ込んで来る。
(続きって……、それは、相思相愛になったらって事なのか? それとも今、僕が、彼女にしたい事なのか? ……スケベな下心も、吐露(とろ)しなくちゃいけないのか? 普通、分かるだろう)
【貴女と並んで歩きたい。笑顔の貴女といっしょに、楽しく話しながら通学したいです】
これまた、小学生が、お願いするみたいになってしまった。
【いっしょに並んで歩くの? 話しをして楽しいの? それで何?】
安らぎが欲しかった。
大好きな仲良しの彼女が傍(かたわら)にいて、いつも、笑って幸せを感じていたいと思う。
【もちろん! 凄く楽しいと思います。貴女と手を繋(つな)いで歩きます】
仲良しゴッコみたいだけれど、僕はずっと、彼女の温(ぬく)もりを感じていたくて、きっと、繋いだ手を離したがらない。
【手を繋いで、それから?】
(それからって……)
このメールの遣り取りが、断(こと)わる為の落とし所を彼女が探しているだけだと思えてきた
返答は、あからさまに下心丸出しのスキンシップ展開になるけれど、かまわない。
半(なか)ば自暴自棄(じぼうじき)の当たって砕ける思いで、送信キーを押した。
【優しく抱き締めたい。そして、ギュッと、息が詰まるほど、強く抱き締めて上げたい】
送信してから、めちゃめちゃ恥ずかしくなった。だがこれで、確実に振られるだろう。
【抱き締めてから?】
まだ来る!
彼女は、ケリを付けてくれない。
(くっそう! 言葉で僕は弄(もてあそ)ばれている。ラストは、僕のスケベさを罵(ののし)って、一方的に振るつもりなんだ)
【君と、キスがしたい】
キーを押して画面に表示された文字に、二人で微笑みながら優しく、そっと、キスをする場面が想い浮かぶ。
(君への想いは、これで全てだ。もう、スケベ心いっぱいの僕を、振っちゃってください)
【ふーん。私と、キスがしたいの? そして?】
キスの文字に躊躇(ためら)いも無く、彼女は、僕に尋問(じんもん)を続ける。
僕をバカにしているのか、見下(みくだ)しているのか、……その両方だろうと思う。
(僕が、好きになった女の子は、こんな、性格なのだろうか?)
それ以上は、キスをしてみないと分からないけれど、普通に発展させて、『エッチしたい』と、結末へ急(いそ)ぎ行き着くと、返られる文字の羅列(られつ)に、悲惨(ひさん)な思いに落ちになりそうな気がする。
例えば、僕の送ったメールがオープンにされて、『大好きです』、『並んで歩きたい』、『手を繋いで歩きたい』、『抱き締めたい』、『キスがしたい』、『イチャイチャしたい』、『エッチがしたい』と、告白メールの全てが、彼女の登録している全メアドに転送されて、残りの僕の中学校ライフが決定的な酷(ひど)い状態や結果になってしまうかも知れない。だから、ここは焦って直(す)ぐに返信する事はせずに、寧ろ、警戒すべきだと判断した。
彼女のシンクロを装(よそお)うフレンドリーな問い掛けは誘導で、僕を辱(はずかし)めようとする罠(わな)だ!
(ここで、曝(さら)し者になるのは、真っ平(まっぴら)御免だ! 僕はまだ、何もしていない!)
まるで、水面下や暗闇の中での怪(あや)しい交渉みたいなメールの遣り取りだけで、納得できる成果の無いまま、理不尽に白日(はくじつ)の下(もと)に晒(さら)されそうだからといって、退(しりぞ)き下がる訳にはいかない。
僕は考え倦(あぐ)ねて、返信が夜になってしまった。
【君は、何をして欲しいの?】
質問を、遣り返してやった。
彼女が、屈折(くっせつ)した性格だと思いたくない。
満開の桜の春を静かに楽しむ姿や、人を惹(ひ)き付けるピアノの響きは、彼女の感受性が高いからなのだと思う。きっと、多くの事が煩(わずら)わしく感じて、反撥(はんぱつ)しているだけなのかも知れない。
返信が来ても、これ以上は答えられない。
その先の事は、知らない。
キスまでしか、想像していなかった。
何かをすべきなのか、何をどうすれば良いのか、僕にはわからない。
君にキスができれば、それで十分だ。
僕は、メールを打ち込むのを止めて、画面を閉じた。
(彼女は、僕に、どんな回答を求めたのだろう?)
告白して、時期尚早(しょうそう)の想いも伝えたのに……、もう、居直るしかない。
成績が悪い通知簿を親に見せた後のように、すっきりした。
……すっきりしたと思った。
僕は、彼女の連(つら)なる質問攻めのメールに、寂しさと強がりを感じていた。
最後のメールを送った後に、何か空洞(くうどう)のような穴が開いている感じがした。
それが、僕の中からなのか、彼女から感じたのか、分からない。
彼女の機嫌を損ねたか、僕との遣り取りが馬鹿馬鹿しくなったのか、それっきり、彼女からメールは来なくなった。きっと、僕の想いに呆れて、好き嫌いの対象以前の相手になってしまったのだろう。
僕は、彼女から完全に嫌われて、きっぱりと振られてしまった。
(もう、どうしょうもない……。でも……)
それでも、僕は、そんな彼女を好きだ!
片想いでもかまわない!
僕は、彼女が大好きだ!
*
新学年初日からの席位置は、新学期初日の席替え抽選まで変化はない。
席位置は身長順で、背の低い子は前になっている。
それは、身長の高い子が前に座ると、黒板に書かれた文字が見えなくなるからだ。
教壇に立つ先生からも死角(しかく)になり、生徒が見え難くなるし、生徒が黒板の見辛(みづら)い座席や環境の位置になると、成績は下がると良く言われているが、実際、科学的検証で証明されているらしい。
『おまえ、そんな場所で、黒板が見えるのか? 先生からも、おまえが見えないぞ』なんて、先生に言われて、席割りで後方の席位置になった背の低い生徒は、少なくとも、中程までの座席へ否応(いやおう)無しに移動させられる。
他にも、視力が弱かったり、乱視や色弱な問題が有ったりすると、不具合を矯正するメガネやコンタクト・レンズをしていない限り、前列の席にさせられてしまう。
勉学意欲の有る生徒は、自主的に前方の席を要求して移動していた。
確かに、学力向上を目指す学校側としては問題だろう。
中学1年生の終わりに少し背が伸びて、今、僕は彼女の隣の席になっている。
以前から背の低かった僕は、それでもまだ、彼女よりほんの少しだけ背が低い、……と、ちゃんと比(くら)べた事は無いけれど、体型も細めな僕は、そう感じて思う。
僕は、彼女が、隣の席にいるだけで緊張して、まだ、話をしていない。
……彼女は、まだ、知らないだろうけれど、振られた所為も有って……、更に……、『最初は、挨拶から』の為に掻き集める勇気は、振られる以前より、遥かに集まり難く、霧散し易くなってしまい、そして、彼女に声を掛け難くなった、というよりも、全然、声を掛けられる気がしなかった。だが、しかし、告白メールを送り、彼女の質問攻(ぜ)めメールに答えた翌日、隣の席の彼女は、いつも通りだった。
昨日は告白されて、その告白して来た相手へ、続けさまに質問メールを送った素振(そぶ)りは微塵(みじん)にも感じさせず、無記名で告白メールを送った相手を捜しているようすもなかった。
全く、いつも通りの、声を掛けさせない結界(けっかい)オーラを放つ彼女だ。
告白メールを送ってから1週間目の朝、教室に入ると、既に、彼女は登校していて席に座っていた。
近付くと、机の上でスマートフォンを操作しているのが見える。
『ガサッ、コトン!』、僕が、バックを机の上に置くのと、彼女のスマートフォンを操作していた指の動きが、『タタタ……!』っと、止まるのと同時だった。
ゆっくりと顔を向けて、彼女は僕を見た。すると、ズボンのポケットのスマートフォンが震え、着信を僕の肌に教えて来た。
まだ、少人数しか登校していない静かな教室に、僕のスマートフォンの振動リズムが響く。
僕は、着信の震えをそのままに、先に彼女を見た。
「お早う!」
初めて、彼女が朝の挨拶を言ってくれる。
微笑まず、真顔(まがお)で僕を見て言った。
いつも、頬杖(ほおづえ)をして窓の外を眺めていて、誰にも挨拶をしない彼女が、『お早う!』と、僕に言ってくれた。
「おっ、おう、おはよう……」
少しテレながら、僕は挨拶を返す。
この僅(わず)か平仮名(ひらかな)四文字(よんもじ)が、今まで彼女に言えなかった。
初めて彼女と挨拶を交わした。でも、上擦(うえず)った声は閊(つ)かえてしまい、嬉しさで笑ってしまう照れ顔を見られまいと、僕は慌(あわ)てて俯(うつむ)いた。
俯いて腿(もも)に触れたポケットの振るえに、ハッと気付いてスマートフォンを取り出して着信したばかりのメールを開いた。
開いて見たメールに僕は愕然としてしまう。
両足の膝下が、細かく震えて来て、足裏が崖縁(がけっぷち)にたったように泡立ってムズ痒(がゆ)い。
メールは、彼女からだった。
メール画面から目を上げると、彼女と視線が合う。
(このタイミングで、来るか?)
慌てて教室を出て、廊下の隅でメールを読んだ。
【あんたが、誰だか、わからないけれど、キスされるのは嫌よ! 抱き締められるのもいや! 手を繋いで、並んで歩くのもダメ! いやよ! それと、電話は絶対ダメよ! 絶対しないで! 声は聞きたくないわ。誰とも、話したくないの。話すのは、鬱陶(うっとう)しいし、面倒臭いから……。ときどきなら、メールだけは、我慢してあげる】
(ときどきなら、メールしていいのか。つまり、メール以上の発展は、今は、無いってことだな……。ゲゲッ、僕だと……、ばれてしまったのか……?)
恐る恐る教室に戻ると、机に頬杖をして窓の外に顔を向けた、いつも通りの姿勢で、僕が席についても姿勢を変えなかった。
その後、彼女からメールは来なかった。たぶん、僕からメールを送らないと、送られて来る事はないのだろう。
挨拶は、それっきり、交わす事はなかった。
(朝と帰りの挨拶ぐらいは、してくれればいいのに……。『お早う』に、『あした、またね』とかさ……)
そう彼女に思うけれど、その挨拶を僕は、先に彼女へする勇気がなくて、……できていない。
少し顔を傾(かたむ)けるげるだけで、視界の隅に入る彼女の横顔!
何も話さなくても、隣に彼女がいて、横顔を見るだけで僕は満ち足りている。
探し求めた異世界の天空人を、近くに感じるだけで、僕は幸せだ。
窓際の席の横顔は、外の明るさでシルエットになり、まるで御光(おひかり)がさしているように神秘的に見えた。
(スケッチして良いですか? 僕の女神さま)
翌日、デジタルカメラで、シルエットになった彼女の横顔を盗撮した。
フラッシュを止めて、シャッター音を消し、机の上でカメラを両手で包(つつ)むように持って、オートフォーカスで撮った。
スマートフォンのカメラは、シャッター音が消せなくて、相手に気付かれてしまうので使えない。
終礼が鳴ると一目散(いちもくさん)で帰宅して、パソコンでデジタルカメラの画像を、スマートフォンの待ち受け画面に使う為に編集する。
シルエットになった暗い顔を、明るくして、曙光(しょこう)に照らされたようにした。
物憂(ものう)げな彼女の表情が、黄色がかった淡い紅色(べにいろ)に、明るく浮かび上がる。
その、眠たげな瞳は……!
(ぎょっ! こっちを、カメラを…… 見ている……)
マウスを操作する手が固まり、背筋(せすじ)が凍(こお)り付いた。
……気付かれている!
……でも、その時に彼女は何も言わなかった。
カメラで撮られているのを、気付いていなかったのかも知れない。
きっと、そうなのだろう。
そうだ、きっと、彼女は気付いていない。
僕の手の動きが、不思議に思っただけなのだ。それか、眠い眼(まなこ)で何気なく、僕を見ていただけなのだろう。
編集して転送した、曙光色の顔の画像は、彼女からのメールの着信画面にする。更に、トリミングした神秘的な瞳は、待ち受け画面に設定した。
(ちょっと、マニアックだな)
待ち受け画面にした瞳は、彼女への畏(おそ)れだった。
2年前に感じた畏敬(いけい)を、今も引き摺(ず)っている。
僕の考えや思いを逸脱(いつだつ)凌駕(りょうが)した彼女の言動と態度は、僕を畏れさせた。
でも僕に抱(いだ)かす彼女の畏れは、とても魅力的で、今では、そんな畏れる彼女の虜(とりこ)に、僕はなっていた。
(僕は、君に恋をしている。君が好きです。君に恋する僕を、許してくれますか?)
待ち受け画面を見る度に、心の中で呟く。
時々、自分でも気付かずに声を出して呟き、その小さな声は、まるで誓(ちか)いの言葉のように僕の中に沁(し)み込んだ。
*
今日の美術のテーマは、デッサンだ。
題材は自由で、僕は、授業中に隠れながら画いたスケッチを基(もと)に、窓際の席で頬杖を突き、外を眺める彼女を描いた。
顔は、誰だか分からないように反対側へ向かせて、窓の外の明るさで彼女が包まれるように、輪郭を淡く光らせて明暗の境目(さかいめ)を暈す。
淡い影域の髪の毛の1本、1本、制服のシームや皺(しわ)も緻密(ちみつ)に描く。
廊下に、『優』の評価コメントを添(そ)えて、張り出された絵を見て思った。
(リアルに、描き過ぎたかも)
彼女はじっと、僕が描いた絵を見ていた。
クラスのみんなも、彼女も、そのモノクロ写真のような絵に描かれた、後ろ姿の女子生徒が誰か気付いたようで、暫くの間、僕が、彼女に気が有ると噂(うわさ)になった。
いつも、連(つ)るんでいる男子達は半分呆(あき)れ顔だ。
『なにあれ! ちょっとぉ、誰を描いているんだか?』
分かっている癖(くせ)に、ワザとからかいの言葉を投げて来る。
『呆れた奴だぜ! バレバレじゃねぇかよ』
更に、彼女が近くにいても構わずに言いながら、僕の肩をド突(つ)いて来る。
『しょうがない奴だなぁ!』
別の親しい男子に、背中をバンバン叩(たた)き捲くられて痛い。
男の重みの有る叩きやドツキの衝撃で、肩や背中がヒリヒリと痛いけれど、ここで反撃して騒(さわ)いだりすると、彼女から、『ふん!』と、鼻で笑われ、『煩(うるさ)いな、バーカ』などと、小声で聞こえて着そうなのでしない。
敢(あ)えて痛みに耐える、我慢の笑顔だ。
『あいつに、モデルになって貰ったのか?』
友人達は、今更な事を茶化(ちゃか)す。
『ちゃんと、本人の許可を得ているんだろうな?』
なんて、確かに無断描写だけど、僕に不利な事ばかりを、彼女に聞こえるようにワザと大声で言ってくれる。
(うっせーっ、ほっとけちゅーの! ちゃんと評価されているじゃんか! ……でも、本人許可を得ていません。勝手に描いちゃったです。……ごめんなさい)
その、ちゃんと評価された所為で、僕の無許可で描いた絵は廊下に張り出されてしまい、御陰(おかげ)で、こっそりと彼女を描いていた事が、みんなに知られた挙句(あげく)、横の席に彼女がいても、全く、お構いなしに散々冷(ひ)やかされた。
断り無しに勝手に描いた事実と、しつこいくらいの冷やかしは、相変(あいか)わらず頬杖を突き、窓の外へそっぽを向く彼女の間に、恥ずかしくも、気不味(きまず)いムードを漂(ただよ)わせた。
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マナーモードにしたスマートフォンが、机の中で震えている。
繰り返す短い振動は、メールの着信だ。
取り出して見ると、彼女からのメールで、開くと、それはタイトルの無い空(から)メールだった。
画面を閉じて横目で見ると、彼女は俯いて、机の陰でスマートフォンを弄(いじ)っている。
彼女が顔を上げたので、慌てて視線を戻した。
戻すのと同時に、着信を告げるパイロットランプが点滅して、掌(てのひら)のスマートフォンが震えた。
またしても、彼女からで、それも、空メールでノーメッセージだった。
マナーモードのバイブレーションは、授業中の教室で意外と良く響く。
僕は、僕に着信しているのを悟(さと)られないように、バイブレーションを切って、無音無振動のマナーモード設定に変更した。
(操作ミスなのだろうか? それとも、スマートフォンの故障(こしょう)?)
更に、もう1度、空メールが来る。
彼女から立て続けに3度も、空メールが来た。
(空メールは、意図的に送られて来ている……?)
そして4度目が来た。
それには、タイトルが有った。
『わかった』と、表示されている。
【あんたが、誰か、わかったわ】
(ぎくり!)
僕の目は、表示されたメールのメッセージに釘付けになった。
何度も、読み返して確認する。
(これは……! 気付かれた? はっ! やっ、やばい! 今…… 彼女は、僕を見ている?)
また、手の中のスマートフォンが震えた。
彼女から、五(いつ)つ目のメールが来た。
【そう、名無しは、やっぱり、あんたなんだ】
決定的な短い内容だった。
僕の反応を確認しながら、彼女はメールを打っているのだ。
間違い無い!
この五つのメールは、今、隣の席の彼女が送って来ている。
メール画面を閉じ、待ち受け画面を鏡代わりに使い、彼女を映(うつ)す。
携帯電話の待ち受け画面にした瞳に、机に頬杖をして、僕を見ている彼女が映った。
(やっ、やばい! 見張られている……)
もう僕は、顔と視線を向けて彼女を見ることができない。
彼女を見る勇気がない。
肩や膝(ひざ)が震え、寒気がする。
手足に力が入らず、指先の感覚が消えていく。
音は聞こえず、温度も感じない。
極度の緊張で、吐(は)き気もする。
(バレた! どうしょう……。くそ! こうなっては、潔(いさぎよ)く、名告(なの)ろう!)
今……、名告るしかない。
今は授業中で、とても、恥ずかしいけれど、ケジメを付ける為には仕方が無い。
僕は立ち上がって、彼女の方を向いて、彼女を見て……、彼女の瞳を見詰めて、はっきりと認める言葉と、謝りの言葉を言うべきだ……。
『ごめんなさい。そうです。そのメアドは、僕です。今まで名前を明かさず、ごめんなさい。今まで、ずっと、君を探していて、やっと、見付けました。今も、これからも、ずっと、君だけを見ています。君が大好きです』
(うう……、これは、……言えない)
とても、言う勇気がない。
そうできたら、凄く格好良(かっこうよ)いかも知れない。
彼女のハートを、ギュッと鷲掴(わしづか)みにできるかも知れない。
でも、できなければ、僕はクラス中の笑い者だ。
小学6年生の音楽授業の時のように、赤っ恥(あかっぱじ)を掻き、それが尾を引いて、クラスのみんなにからかわれてしまう。
それは、彼女も恥ずかしいに決まっている。
座席替えで、彼女から離れるまでの期間、僕は彼女の隣の席で、毎日を気不味(きまず)く過ごす事になる。しかも、授業中だから、二人共、お咎(とが)め無しじゃ済まない。
僕らのスマートフォンは、没収されるに決まっているし、そうなると、彼女に迷惑を掛けてしまって、益々(ますます)嫌(きら)われてしまう。
全く、本末(ほんまつ)転倒(てんとう)の結果になる。
僕は考え付く限りの理由を並べて、立ち上がって名告る事も、彼女へ謝(あやま)る事も実行しなかった。
その日は、その後一切(いっさい)、彼女側へは顔を向けられない。
何度も、眼だけを動かして、彼女を盗み見しようとしたけれど、その度に、スマートフォンの画面に映った僕を見る彼女が浮かんで来てできなかった。
僕は、終業チャイムが鳴り終えると同時に、逃げるように急いで家に帰った。
夕食は、半分も食べられない。
風呂(ふろ)に入っても、お湯が熱いのか、温(ぬる)いのかも、感じなくて分からない。
テレビも見ずに、さっさと自分の部屋へ行くけれど、パソコンに向かう気力もなくて、まして、勉強など遣る気になれない。
思い出すのは、僕を見ていた彼女で、今、見ているのは、昼間の彼女からのメールだ。
恥ずかしさと気不味さで上手く整理できない気持ちに、これから、どうすれば良いのか分からない。
目が冴(さ)えて、全然、眠れない。
(やっぱり、潔く、名告ろう……)
空が白んで、部屋が薄明るくなってきた明け方に、その考えに至った。
僕は逃げられないし、逃げ切れない。
どんなに足掻いても、避けても、いずれ正面から向き合って、謝るしかなくなるだろう。でも、とても面と向かって話せない。
僕には、彼女の顔を見る勇気が無い。
教室で、彼女の横に座わらなければならない事を思うだけで、胸が詰まり、息ができなくなって苦しい。
きっと戸惑(とまど)って仕舞い、迷(まよ)う焦(あせ)りに掠(かす)れてしまう囁(ささや)くような小さな声は直ぐに痞(つか)えて途切れ、言葉にはならない。
言葉にできない僕の声は、異様な音のノイズにしか聞こえないだろう。
彼女に睨(にら)まれて、オドオドするだけの僕を容易に想像できる。
それでも、彼女を避けたくないし、彼女に軽蔑の眼差しで避けられたくもない。
これでは、彼女と仲良くなるなんて絶望的だ。
この、絶望を退(しりぞ)ける勇気を、僕は持てるのだろうか?
(状況を打開する、策は? 方法は? 何か無いのか?)
このまま軽蔑(けいべつ)され、避けられ、無視されてしまう状況に、僕は潰(つぶ)されたくない。
(てっ、手紙しかない……)
つづく
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