第3話 とてもラッキーだった僕は彼女を騙して仕舞った(僕 中学2年生)『希薄な赤い糸・男子編』

 そこだけが、光っていた!

 窓のカーテンが、春の暖(あたた)かな風に捲(ま)くれ上がり、窓際の中程の席だけが、差(さ)し込(こ)んだ春の優(やさ)しい光に照(て)らされた。

 その淡(あわ)い陽溜(ひだま)りの光の中に、彼女がいた。

 その瞬間、捲れ上がったカーテンが風を受けて膨(ふく)らんだまま時間は止まり、淡く優しい光は戦(そよ)ぐ髪の毛の周りに光の粒を塗(まぶ)して彼女を明るく照らし、その穏(おだ)やかな表情を僕の瞼(まぶた)に鮮明に焼き付けてくれた。

 ゆっくりとカーテンが膨らみを失って彼女を影に入れ、そしてまた、スローモーションで風を孕(はら)んで行くカーテンが捲れ上がり、眩(まぶ)しい光の中へ彼女を戻(もど)してくれる。

 フワッと舞(ま)い上がった塵(ちり)の粒(つぶ)が光を反射してキラリキラリと輝(かがや)き、まるで、ステージに立つヒロインがスポットライトを浴(あ)びるように、彼女だけが輝く光の中にいる。

美(うつく)しい神秘的(しんぴてき)な光景に僕は目を見張り、西洋神話に登場する怪物(かいぶつ)メドゥーサを見て、石にされた憐(あわ)れな古代人のように立ち固(かた)まった。

 陽射(ひざ)しを眩しそうに目を細めて仰(あお)ぎ見る女の子は、中学1年生で何度も擦(す)れ違(ちが)い、探(さが)し求(もと)めたデジャビュの女の子だ。そして、良く見れば、小学6年生の時に声を掛けた四角い爪の天空人(てんくうびと)だった。

(懐(なつ)かしくて、安(やす)らぐ優しさは、彼女だったんだ!)

 デジャビュは、繋(つな)がった!

 彼女は成長して、更(さら)に背が伸(の)びて、その落ち着いた感じの容姿(ようし)は大人(おとな)びていた。

 それに端整(たんせい)な顔立ちの綺麗(きれい)で可愛(かわい)い美人になっている。

 彼女の輪郭(りんかく)は、光を帯(お)びたように明るく輝いて神秘的で不思議(ふしぎ)な感じがする。

 僕は、彼女を輝かすその光が、まだ見た事が無い『オーラ』の光だと思う。

『キュル、キュッ、キュン!』、僕の中で何かが大きく鳴(な)って、胸の中が鋭(するど)く痛(いた)んだ。

 僕の胸は、もうどうしようも無いくらい激(はげ)しくときめいて、何かに急(せ)かされているみたいに気持ちが落ち着かない。

 クラスメートの6割が入(い)れ替(か)わった新学年の初日、あの光る春風と桜色の中の彼女に見蕩(みと)れて、立ち竦(すく)んだ2年前の春の日から、ずっと僕は彼女に憧(あこが)れて恋(こい)をしていたのに気が付いた。

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 彼女の容姿は、僕の眼で立体スキャンされて、記憶層(きおくそう)にインプットされる。

 断層(だんそう)や透視(とうし)スキャンは無理(むり)だけど、外観(がいかん)はしっかりと、僕の脳の奥深くに刻(きざ)み込まれた。

 1度、きちんとインプットされると驚(おどろ)くほど良く彼女を見付けてしまう。

 朝の通学路では、意外と近くを毎日、僕と同じ時刻(じこく)に歩いていたのには、本当に驚いた。

 1年生の時、あんなに探していても見付からなかったのは、単に僕の観察力や探索力が不足していただけで、はっきりしたイメージや情報が有れば、案外楽に分かるものだと感心してしまった。

 毎日、学校へ来るのが楽しい。

 彼女の何気(なにげ)ない表情や仕種(しぐさ)、特に彼女が笑(わら)うと、その楽しさが感染したかのように胸がドキドキして、僕も笑顔になるくらい嬉(うれ)しくなる。

 少し鼻に掛かる掠(かす)れ気味(ぎみ)な声に、その喋(しゃべ)り方と言葉(ことば)、それにスタイルやポーズが素っ気(そっけ)無いくらいに普通じゃなくて、周(まわ)りに気付かれないように僕は、彼女を見詰(みつ)め続けてしまう。

 稀(まれ)に、視線が重(かさ)なりそうになる彼女の黒目勝(くろめが)ちな目は、今も透(す)き通った黒い瞳(ひとみ)で、長い睫毛(まつげ)が、より黒目勝ちに見せている。

 目が合いそうになると、とっさに僕は気付かれない速(はや)さの動きで、目も、顔も、スーッと逸(そ)らしてしまう。

 彼女の服装や持ち物なども、全(すべ)てが素敵(すてき)に思えて来て、RPGゲームで発見したレアな宝物のように感じた。

 そんな自分の気持ちに気付いてしまうと、加速的に彼女への想いが益々(ますます)強くなって行った。

 彼女と明るく話せれば、良いと思う。

 いっしょに並(なら)んで、楽しく話しながら通学できると、もっと良いに決まっている。

 勉強や学校や家や友達など、互(たが)いの悩(なや)みを打ち明(あ)けて相談し合う。

 優しい彼女と手を繋いで、いっしょに川縁(かわべり)や坂道や迷路(めいろ)のような裏通りを歩く。

 学校や街角(まちかど)で、僕達二人(ふたり)だけの合図(あいず)を明るく笑顔で交(か)わす。

 そうなれば、もっと、もっと良くて楽しい。

 互いの眼(め)と心で通じ合い、そして、キスをする。

 ギュッと彼女を抱(だ)き締(し)める僕は、彼女を離(はな)しはしない。

 他の誰(だれ)もが、彼女を理解(りかい)しなくても、僕だけには解(わか)る。

 他の誰にも、彼女を渡(わた)したくない……などと、もっと、もっと、もっと、仲良くなりたい。

 更に暴走する想いは、その先を望みたいけれど、純情な僕の知識不足で虚(むな)しい想像は、直ぐに限界が来て仕舞い、この程度しか今は思い付かない。

 想いは全部、僕が妄想(もうそう)する彼女との可能性ばかりで、僕の一方的(いっぽうてき)な願いと想像だ。

 空想(くうそう)も少し入っているけれど、彼女が僕を受け入れてくれないと、何も実現しない。

 それよりも、先(ま)ず彼女に僕の想いを伝えないと、何も始(はじ)まらない。

 彼女が、誰かを好きになったり、誰かに告白されて、誰かと御付き合いする事になる前に、早く、僕の想いを彼女に伝えなければならない。

(でも、どうやって、彼女に伝えようか?)

 僕は緊張(きんちょう)し易(やす)くて、人前で上手(うま)く話せない。

 まして、好きな女の子に直接の告白(こくはく)なんて、それは呂律(ろれつ)が回らなくなって噛(か)み捲(ま)くりになるから、絶対無理だ!

 僕は、自覚(じかく)している。

 僕が普段から、早口(はやくち)で話し、緊張したり、焦(あせ)ったりすると、更に早口になって、しかも、はっきりと口を開(あ)けない為(ため)に、篭(こも)った母音(ぼいん)ばかりが相手に聴(き)こえてしまう。

 言葉の区切りが、上手く出来ない僕のしゃべりは、時々、何を言っているのか、分からないと言われていた。

     *

「あんたねぇ、ちょっと注意して貰いたい事が、二(ふた)つ有るの。一(ひと)つは、口の開け閉(し)め、もう一つは、食べ方よ」

 小学5年生の時、僕との何気ない話しの最中(さいちゅう)に、お袋(ふくろ)が突然言い出して、僕の見た目と食事マナーの直(なお)すべき欠点を指摘(してき)しだした。

「いつも、ポカッと口を開(ひら)いていると、アホっていうか、ちょっと理解の遅(おそ)い子みたいな、この子はポカンとして、しっかりしているのかしら、大丈夫(だいじょうぶ)なのぉって、疑(うたが)ってしまう感じに見えるものなの」

 さらっと、何か酷(ひど)い事を言われた気がする。

(それって、お母さんには、そう見えていたってことぉ?)

「反対に、口を閉(と)じているだけで、利発(りはつ)に見えちゃうのだからね。あんたは、足(た)りない子じゃないんだから、気を付けなさい」

 お袋がイメージする『足りない子』って、どんな子の風体(ふうてい)を指(さ)すのか分からないけれど、確(たし)かに口を閉じているだけで、ビジュアル的に締(しま)りが有る顔に見えると思う。

 スポーツで体内圧力を抜(ぬ)いて、敏捷性(びんしょうせい)を高めるとかいうけれど、瞬発力(しゅんぱつりょく)を高めるには、奥歯を噛(か)み締(し)めていた方が、理(り)に適(かな)っていると、体験で知っている。

「食べる時もいっしょよ。口を閉じて噛みなさい。噛む度(たび)に口を開けると、クチャクチャ、ペチャペチャ、ムシャムシャって、汚(きたな)らしい音がして、いっしょに食べている周りの人達を不快(ふかい)にさせるわ。そして、親の躾(しつけ)を疑われちゃうの。だから、モグモグして食べなさい。わかったぁ!」

 三(みっ)つも挙(あ)げた擬音(ぎおん)に、文学的な食べている表現(ひょうげん)には効果的だろうけれど、実際には、動物的で品(ひん)が無いと納得(なっとく)した。

 お袋の正(ただ)すように要求した指摘は、自分が常に口呼吸をしていて、噛み砕(くだ)く度に、口の中の潰(つぶ)す音を外へ放っていたのに気付かされた。

 だから乾燥(かんそう)する咽喉(のど)で粘膜(ねんまく)を痛めて、空気中に漂(ただよ)う風邪(かぜ)の菌(きん)を吸い込んで附着させて引いたり、諸々(もろもろ)のウイルス性感染(かんせん)の病気に罹(かか)り易くしてしまうのだ。

 お袋が言う、それっぽい顔付きにも、なってしまうらしい。

 動物的な音も、これからは、出さないようにマナーとして習慣(しゅうかん)付(づ)けなければならない。

 お袋の指摘は、二つだけで終わらない。

「それとぉ、前から気になっていたけど、発音(はつおん)が変よ。ベロ出してくんない? そう、いっぱいに出してみてよ」

(なにそれ? 発音と舌(した)?)

 その真意(しんい)が、分からないままにベロを出してみた。

「ふぅーっ、大丈夫(だいじょうぶ)ね。んーと、ちゃんと、下唇を超(こ)えているから、安心ね」

 お袋は、僕の出したベロに触(ふ)れながら、安堵したように溜(た)め息を吐(つ)く。

 触れられて擽(くすぐ)ったい舌に、お袋の息が掛かる。

「舌が短(みじか)い所為(せい)で、上手く発音しきれていないと思ったのよ。ちゃんと長くて良かったわ。短いと、舌を伸ばす整形手術をしなくちゃいけなかったかもね」

 それまで自分が早口で、しかも、聞き取り難(にく)い発音をしているとは思ってもいなかった。だから、僕を産(う)んで育(そだ)ててくれる母親の、『発音が変』の指摘と、『整形手術が必要』の発言は、気付いていなかった、見てくれの悪い癖(くせ)とノーコントロールだった食べ方の改善要求以上にショックで、『あんたって、何度見ても、不細工(ぶさいく)過(す)ぎだよね、いっぺん整形してみる?』って聞こえたくらいに、既(すで)に下降気味の気分を錐揉(きりも)みで急降下させて、悲観(ひかん)と羞恥(しゅうち)の領域スレスレに超低空飛行して行く。

『産みの親も、育ての親も、あんたじゃんか! どうして、物心(ものごころ)が付く前に、僕の人格が、形成される前に、幼(おさな)い頃に、変だと気付いて、直してくれなかったのかなぁ?』と、言い返して遣(や)りたい。

「舌が変じゃないなら、この発音の拙(まず)さは、きっと、精神的なところから来ているんだわ。だぶん、伝えたい思いや気持ちを、上手く纏(まと)められなくて、口の動きや出す声が、不正確(ふせいかく)になってしまうのね」

『だったら、5年生になるまで、放(ほう)って置かなくて、本当に、もっと早く、言って欲(ほ)しかった』())と、内心、腹が立って来た。

 僕が話ていた、その多くの意味を相手に理解されていなかったと思うと、悲(かな)しくなる。

 楽しい事や嬉しい事を、弾(はず)んだ明るい気持ちで話していたのが、恥(は)ずかしくなった。

「それは、しゃべりたい気持ちが、先行してしまう所為だと思うから、話す前に言いたい事を整理して、焦らずに落ち着いて話なさい。そして、もっと、口を開けて、一つ、一つの発音に、口の形を作りなさい。発音の形を作れば、早口にならずに、はっきりと聴(き)こえるはずだから。じゃあ、はい、意識してぇ、もう1度、話してみて」

 自分自身に自覚(じかく)が無くて、腹立たしい指摘だと思えたけれど、これからの未来で、僕の意思を相手に理解されるように伝える為に、僕は指示に従(したが)って、口を声に合わせて形を変えてみる。

「ねぇ、いつから、変だと、気付いて、いたの?」

 お袋へ、ゆっくりと、抗議(こうぎ)の文句(もんく)を言った。

「ほら、何を言っているのか、ちゃんとわかるわ。聞き取り易くなったじゃない! そう、ゆっくりと発音してね」

 聞き取り易く伝えたはずの僕の問いを、お袋は完全無視を決め込んで、上手く話せている矯正(きょうせい)の試(こころ)みを褒(ほ)めた。

 こんなにも簡単(かんたん)に直せるなんて思いもせず、半信(はんしん)半疑(はんぎ)で、お袋の試みに応(おう)じた僕は、これまでの発音を矯正できる事よりも、この異質(いしつ)な感じのしゃべりが正常な事に愕然(がくぜん)とした。

「身体(からだ)じゃなくて、性格の問題だったのかな? ちゃんと、しゃべるのをズボラして、言葉を端折(はしょ)らないでちょうだい」

 端折ってはいないつもりだった。

 寧(むし)ろ、話そうと思った全てを話すようにしていた。

 でも今は、意識してしかできない異質で納得できないしゃべりではなくて、聞いてもらう相手には、その大半が意味不明の音でしかなかった事の方が、大問題なのだ。

 何気に僕の耳に入り、理解できている家族や友達やクラスメートの言葉が、これほどの違和感(いわかん)が有るしゃべりで、それを、みんなは無意識で理解し合って普通に会話が成立している。

「相手に、しっかりと伝わらないと、相互(そうご)理解のコミュニケーションができないでしょう」

 意識しないと、できていない口の形や発音、そして話す速度は早く習慣付けて、無意識に違和感の無いようにできなければならないと、真摯(しんし)に思った。

 その事を僕は、お袋に指摘されて理解した時から、ちゃんと口の形に注意して、ゆっくりと話すように心掛(こころが)けている。

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 お袋に指摘されてから、口呼吸は口を閉じた鼻呼吸に矯正したし、漏(も)れ出る咀嚼音(そしゃくおん)も、意識して口を閉じて噛むようにしている今は、クチャラーじゃなくなって久しい。

 だから彼女に話しかけた6年生の時には、トロそうな顔付きではなかったと思う。

 給食(きゅうしょく)の食べる音やマナーにも、僕は気を付けていたから、もし、彼女が僕を意識し出しているならば、僕の外見上の印象はマイナスではないはずだ。

 だけど外見が与える好印象と、彼女へ声を掛けるのは別の問題だ。

 早口の発声と速度を直していて気付いたのは、自分で『おそいなぁ』と思ったくらいが、相手に聞き取り易い速さという事で、今も意識して直す努力が足りずに苦労していて、完全矯正には至(いた)っていない。

 今は、意識した発音の矯正で、だいぶ聞き取れるようになっているけれど、話す相手が、女子というだけで緊張してしまい、矯正力が薄れて以前の早口に戻(もど)ってしまい勝(が)ちだった。

 それが、好きな彼女への告白となれば、声も出なくなるに決まっている。

(まだ、落ち着いて、彼女と話す……、自信が無い……)

 好きになれば、なるほど、上手く話せなくなると、どこかで聞いたり、何かで読んだりした覚(おぼ)えが有る。

 僕は、まだ彼女に二言(ふたこと)しか話していない。

 それも、心臓が高鳴って、息が詰まるほど胸が苦しくなり、上(うわ)ずった閊(つか)える声で、やっと言えていた。

 初めて彼女に話し掛けた、春の麗らかな日の会話は、良く憶(おぼ)えていて、思い出す度に顔が火照(ほて)って切(せつ)なくなる。

 どうにかして、彼女を想う僕の気持ちを、彼女にリアルタイムで告白したい。

 ……そんな想いで、毎日を悶々(もんもん)と過ごしていた。

     *

 ある朝、彼女が机の影でスマートフォンの画面を見ていた。

(ん、スマートフォンを持っている……)

 銀色に輝く、大画面のスマートフォンだ。

 彼氏とメールをしているのかと、気持ちは曇(くも)ったけれど閃(ひらめ)いた。

(こっ、これだ!)

 中学2年生になってから親しくなった友人の中に、1年生の時に彼女と同じクラスの男子が二人いた。

 彼らを廊下に連(つ)れ出し、二人に彼女のスマートフォンの番号とメールアドレスを知らないかと、ダメ元で尋(たず)ねてみたけれど、案(あん)の定(じょう)、二人とも知らなかった。

 それどころか、彼女は変っていると言う。

「おまえ、あいつを好きになったのか? あっちゃー、いくら惚(ほ)れたからって、それは、止(や)めといた方が良いかもね。あいつ、恋愛(れんあい)には全(まった)く興味無さ気で、去年は、五(ご)、六人(ろくにん)を振ったみたいだぜ。お前も、あっさり振られちまうぜ。ちょっと、可愛い系だから、目立つしなー。でも、変わった女らしい……。確かに、彼氏はいないけれど、同性の友達もいない。だからって、苛(いじ)められてはいない。どっちかというと、女子達は敬遠しているみたいだったなぁー。なんか痛い系? まあ、百合(ゆり)系じゃないみたいだし、あいつに振られても、友達になりゃいいじゃん。あいつを、虚しくて寂(さみ)しい孤独(こどく)から、おまえが救ってやりなよ。まあ、あいつのスマートフォンとメアドは、ちょいと、心当たりが有るから、1週間ほど待ってくれ。何とかしてやるよ」

(彼女はそんなだっけかな? 寂しいのかな……? それは、無いな。憂(うれ)いは有っても、寂しさは無い。彼女に、寂しさは似合(にあ)わないし……、それに、心当たりってなんだぁ?)

「おまえら、あいつって言うな! それに、変人っぽくも言うなぁ……」

 好きになるのを止めとけと言いつつも、彼らは本当に1週間で、彼女の電話番号とメアドを捜(さが)し出して来て、僕のスマートフォンへメールで届けてくれた。

 僕は、大喜びに感謝のつもりで、『御礼をしたい』と言う。

「お礼なんかしなくていい。友達に好きな子ができて、告白しようとしているのを、応援(おうえん)するのは当たり前だ。結果はどうあれ、おまえが、精一杯(せいいっぱい)頑張(がんば)れば、それでいいじゃん」

 そう、あっさり返された。

 僕は、メアドを知り得たダチ達の有言実行が、どんなコネクションと経緯(いきさつ)で為されたのか、訊(き)いてみた。

 僕の問いに答える彼らの話は、単純だった。

 中学1年生になると、大勢の生徒がスマートフォンを持つ。

 みんなは嬉しくて、電話やメールを交換し合った。

 やがて、彼女のクラスの女子達の間で、スマートフォンの友達ネットワークを作ろうって事になり、それに彼女も登録したのだった。

 それを、彼らが知っていて、仲(なか)の良い彼女の元クラスメートの女子に頼(たの)み込み、リストを有償(ゆうしょう)で手に入れてくれたのだ。

「有償って、金を払ったのか?」

 詰問(きつもん)するように僕は、情報源と経緯への質問を続ける。

(代償に金銭や物品を渡しているのなら、それは、依頼した僕が持つべきだろう!)

「別に、大(たい)した事じゃない。食い物とか、文具や雑誌だよ。それは、俺達の手段で、おまえが気にする事じゃない。あいつら、直ぐに、アドレスを寄越(よこ)さなくてよぉ。それで、1週間も掛かっちまった」

 使かった金額と相手の女子名を、彼らは、頑(がん)として言わなかった。

( 『1週間で』じゃなくて、『1週間も』だったんだ)

 涙が出そうになるくらい嬉しくなる。

 僕は、彼らのさり気無さに感動してしまい、感謝の言葉を告(つ)げながら、必(かなら)ず告白して彼女と親しくなることを心に誓(ちか)った。

 彼らが苦労(くろう)して手に入れた、彼女のスマートフォンの電話番号とメールアドレスを登録してから、僕は悩(なや)んだ。

(彼女の気持ちを掴(つか)むには、どう告白すれば良いのだろう? 表題よっては、無視されて開封して貰らえないとか、開封されても文の書き方や内容次第で、幾つかの文字を見た途端(とたん)に消去されるかも知れない。さわりだけ読んで、無碍(むげ)にされるかも知れない。一読(いちどく)されてから、悲しい返事の結末(けつまつ)になるかも知れない)

 悩んで考えた結果、僕の伝えるべき想いと、初めて話した時の彼女の印象(いんしょう)にした。

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【好(す)きです。貴女(あなた)は、桜色(さくらいろ)が、とても似合(にあ)って、春風の中で輝いていました。貴女からは、桜の香(かお)りがするようでした。でも、とても、眠そうに見えました】

 表題無しの送る告白文はできたけれど、それを、送るべきか僕は迷った。

(迷(まよ)うな。……この文を送らなければ、今まで通りの1センチメートルに近付いても、天と地の隔たりが有るままだ。送れば、異次元の超接近に至るか、暗黒宙域へ弾き飛ばされるかの、どちらかだろうな……)

 奈落へ飛ばされないで済むには、こんなデジタルな活字文(かつじぶん)で良いのだろうか?

 礼節を失わずに、僕の真剣(しんけん)な想いは充分(じゅうぶん)に伝わるのだろうか?

 真剣な想いは、生声(なまごえ)で伝えなくて良いのだろうか?

 電話だと、声だけだ。

 電話の言葉なんて『そう、ふーん』くらいの感じで、直ぐに忘(わす)れてしまうに決まっている。それに、生声じゃない。

 だったら直接、彼女の目を見て、僕の生声で伝えるべきだと思うが、シャイでダメな僕には無理で、できない。

 彼女に見られながら、真っ赤(まっか)な顔(かお)で立ち尽(つ)くし、言葉にならない声を出す。きっと、話しの順番もバラバラになってしまう。

 それよりも、気持ちが萎縮(いしゅく)してしまい、僕は、絶対に彼女へ声を掛けられない。

 電話も、同じだ。

 姿が見えないだけで、話す相手が彼女だと意識すると、きっと、声も出せずに、言葉も、思考も失(うしな)って、話す以前の問題になると思う。

(電話のデジタルな声よりも、アナログな手書きの手紙が、良いかも知れない)

 それも、抵抗があった。

 差出人(さしだしにん)不明の手紙だと、彼女は返事を書けない。

 差出人を知られずに文通…… いや、メール交換をしたい。

 スマートフォンのメールは、差出人が誰か分からなくても、表示されるアドレスへ返信できる。そして、リアルタイムだ。

 僕は、姑息(こそく)な奴だ。

 メールで探(さぐ)りを入れながら、少しずつでも、良い印象をイメージさせて行けば、きっと、足長おじさん的に好かれるだろうと考えていた。

 僕は、打ち込んだ告白文に、送付先のアドレスを入力して保存した。

(彼女が、誠実(せいじつ)な人ならば、きっと、僕が誰だか、返信で問い質(ただ)して来るだろう)

 昨夜、電話からメールに変更して、告白する事に決めてからも、告白文の見直(みなお)しや彼女の反応を想像して、一晩(ひとばん)中(じゅう)、悩んで眠れなかった。

 生まれて初めて一睡(いっすい)もせずに朝を迎(むか)えた。

 徐々に白(しら)んでくる空や、澄(す)み切った大気と昇(のぼ)る太陽の鋭(するど)い輝きが、僕に凛(りん)とした勇気(ゆうき)と、遣り遂げる意思を与(あた)え、新しい日の新たな出会いや出来事を予感させた。

(どうか、想いが届き、願いが叶(かな)いますように……)

     *

 朝の通学路。

 徹夜で散々(さんざん)悩みまくった朦朧(もうろう)とする意識の中、当たって砕(くだ)けろ的な気分で、僕は向かい側の歩道の少し先を、一人、学校へと歩く彼女にメールを送信した。

 斜め前方を歩く彼女は、着信を告げるバイブレーションに驚いたのか、大袈裟(おおげさ)なビクッっとする動きをして立ち止まった。

 そのショックがメールの着信だと気付いたのだろう、ゆっくりとスマートフォンをポケットから取り出して、着信したメールを見ていた。

(さあて、彼女は、どう反応するだろうか? 返信してくれるだろうか? それとも……、無視を決められちゃうかもな……)

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 返信は直ぐには来なくて、半(なか)ば諦(あきら)めかけていた放課後、美術部の部室で粘土(ねんど)を捏(こ)ねている最中にスマートフォンがリズミカルに震えて、メールの着信を知らせた。

 小学生の頃から持たされていた僕のスマートフォンは親父(おやじ)のお古(ふる)だった。

 いつも衝撃吸収のカバーを付けて使っていた親父のスマートフォンには、傷一(きずひと)つ付いていない。

 旧世代的な安物のガラパゴススマートフォンじゃないけれど、性能は最新タイプのスマートフォンに劣(おと)っている。

 それでも僕の使用範囲では十分(じゅうぶん)な機能を持っていて今のところ満足しているし、そのフィンランドのメーカー製スマートフォンのフォルムがレトロな感じがして、とても気に入っている。

 僕にスマートフォンを譲(ゆず)った親父は、カナダのメーカー製の折(お)り畳(たた)みスマートフォンに変えた。

 バラ科キイチゴ属のブランド名で、機能的なデザインが良いと言っていたけれど、やっぱり、レトロっぽいのを選んでいた。

 僕はキーを押して、着信したメールを開いた。

 画面の上の隅(すみ)に、送り主(ぬし)のアドレスが表示されている。

『Ying Hua』

 彼女からの返信だ。

 表示されているメールのアドレス名は彼女の名前とは違っていて、僕はアドレス名を彼女の名で登録していない。

 スマートフォンのアドレス帳には、彼女と解らないように、彼女のメールアドレスの初めのアルファベットで登録してある。それに、その発音が、女性の名前っぽい気がした。

【私は、過去形? 私は、眠そうにボーっとしているの? 私が臭(くさ)い? あんた誰? イスパニアの白ワイン】

 彼女から僕の告白メールへのツッコミが来た!

 予想された通りの返しの内容だったけれど、末尾(まつび)に綴(つづ)られた文字には驚いた。

 それは和訳された僕のスペイン語のメールアドレスで、博学で思慮(しりょ)深い彼女を知らされた。

 和訳されたスペイン語は、音痴(おんち)の克服(こくふく)に歌を練習しようと思い、近所にカラオケボックスがないか、インターネットで検索中に、偶然(ぐうぜん)に見掛けた喫茶店(きっさてん)の名前だった。

 金沢(かなざわ)市(し)郊外の砂丘(さきゅう)の町に、僕が、産まれる前から在る喫茶店の名前だ。

 オレンジ色の屋根に白壁(しらかべ)の地中海風な造(つく)りの外観で、いつか、眩しい陽射しの日に行ってみたいと思っている。

『ビーノ・ブランコ』

 呟(つぶや)くと明るい陽射しの響(ひび)きなのに、どこか、秋を感じさせて、僕のイマジネーションを掻(か)き立てた。

 青く高い澄み切った空と白い筋雲(すじぐも)の下、広げた手のサイズくらいの大きな緑の葉が生(お)い茂(しげ)る棚(たな)仕立(じた)てからたわわに実って、ぶら下がる青紫色に熟(じゅく)した葡萄(ぶどう)の房(ふさ)の、秋風に吹かれて揺(ゆ)れる様(さま)と、葡萄畑(ぶどうはたけ)の匂(にお)いを思い描(えが)かせた。

 思い描いたイメージが心地良く、その想像を広げる名前を、僕は、スマートフォンのアドレスに使わせて貰(もら)った。

 驚きといっしょに、彼女の誠実さを感じた。

 突然送られて来た、名前が無くて誰からなのか分からない告白メールを、彼女は、無視をしないで返信してくれた。

(怒(おこ)っている……? 何故(なぜ)?)

 返信されたメールから、彼女が嫌(いや)がっていると思った。

 彼女は、きっと、本人は真面目(まじめ)な顔をしているのだろうけれど、二重瞼(ふたえまぶた)の優しげな眼差(まなざ)しは口を強く結(むす)んでも、どこか薄(うす)く微笑(ほほえ)んでいると思わせるような優しい顔付きの女の子だ。

 でも、学校でのようすを見ている限り、その態度と言葉遣(づか)いは、表情から期待した優しさの欠片(かけら)も感じさせない。

 彼女へ掛ける丁寧(ていねい)な言葉へ、彼女の返す言動は素(そ)っ気(け)無く無情に冷たい。

だからクラスのみんなは、ファーストコンタクトで退(ひ)いて、セカンドコンタクトは大抵(たいてい)、避(さ)けてしまう。

 どうも、関(かか)わり合いたくない『可愛そうな子』や『痛い子』の扱(あつか)いにされているようだ。

 それでいて、授業でのグループ割りでは、外(はず)されるどころか、女子から積極的に受け入れられていた。

 男子からも、気遣(きづか)われているみたいだし……、たぶん、みんなは、先生を恐(おそ)れない彼女とトラブれば、面倒だと思っているのだろう。

 もっとも、授業に関(かん)してのみの限定事だけど……。

 僕はというと、下がり眉(まゆ)を刈揃(かりそろ)えて、小さな上がり眉に見せ掛け、セコく、運気を上げようと足掻(あが)いている。

 どこにでもいるような、卵形の平凡極(きわ)まりない顔だ。

 凹凸差(おうとつさ)の少ない、平面顔のパーツの造りやレイアウトは、美形に程遠い。

 睫毛(まつげ)は長いけれど、瞼は一重(ひとえ)で、ちょっと細目の目付きは良くないし、キラキラしていない瞳は濁(にご)っている気がして、僕の顔立ちは、気難(きむずか)しそうな彼女の好(この)みじゃないと思う。   

 彼女のメールアドレスの『Ying Hua』は、英語の辞書で調べても、意味は分からなかった。

 英語じゃなくて、フランス語でも、ドイツ語でも、イタリア語やスペイン語でもなかった。

 パソコンで検索しても、良く分からない。

(何かのタイトルか? それとも、もっと、別な国の言葉なのか?)

 何か雑学的に意味深い特殊(とくしゅ)な単語だと考え、僕は親父に訊いてみた。

 ノートの隅に走り書きしたのを見るなり、親父が声にした。

「インファ」

 親父は、そう発音した!

「分かるの? 意味は?」

 駄目元(だめもと)で訊いてみただけなのに、まさか、本当に、親父が知っているとは思わなかった。

 僕は反省すべきだ! ……親父を侮(あなど)っていた。

「ああ、中国語だ。後で中国語の電子辞書を貸すから、自分で調べろ」

 さり気無く言う親父が、でかく見えた。

 渡された電子辞書で調べると、意味は、『桜花・桜の花』で、雑学的な意味深な単語ではなかった。

 ただ、彼女は桜が好きで、桜を意識していた。

 僕は、桜の花弁(はなびら)が舞う麗(うら)らかな春の日、手を投げ出し、イスの背に凭(もた)たれる、眠そうな彼女の姿を思い出していた。


 つづく

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