6 邂逅

 随分と長い時間、湯船に使っている。

 身体を洗っているときでも眼を閉じれば真人の姿が浮かんでくる。

 さすがにこの場で独り自分を慰めようとは思わないが、そう考えただけで身体の奥にトロリと甘い液が湧いてくる。

 ジンジンと身体が痺れてくる。

 火照りの気配も遣ってくる。

 その感覚の顕れは、武則との最初の頃ともやはり違うな、と和子は思う。

 和子の破瓜は遅く、大学時代に恋人はいたものの挿入だけは許していない。

 思い返せば、それは処女らしい妙な拘りなのだが、相手の男性にとっては甚だ迷惑だったに違いない、と現在の和子は苦い甘味とともに回想する。

 当然裸体は見せ合ったし、ときには自慰も相手の目前で行っている。

 当時の恋人の結構大きな性器を自分の口に咥えつつ舌を不器用に動かしたことも今となっては懐かしい。

 現在の自分はあのときの自分の延長ではあるが同じ自分ではないので当時の自分の青臭い考えが今思うそれと同じであるとは限らない。

 が、大きく違ってもいないだろう、と和子は溜息を一つ吐く。

 自分は性と愛を分離して捉えたかったのだろう、と和子はつくづくと思い返す。

 自分たち二人の近しい濃密な関係は、愛こそが主体であり、決して快楽を伴う性に溺れたものではないのだ、と信じたかったのだろう。

 それで挿入だけは避けたわけだが、今思えばそれは歪んだ男の論理かもしれない。

 もっとも和子自身気付かず相手の男性に気を遣った結果生じた折衷論理だったのかもしれないが……。

 そんな和子の始めての男は祖父の遠い弟子の画家だ。

 二十歳以上歳が離れていたのは現在の真人との関係と同じだが、和子にはそうは思えない。

 男と女の違いではなく、和子とその男との違いなのだ。

 石田劉と和子が最初に出会ったのは祖父の画廊。

 祖父自身はその頃滅多に店に顔を出さなかったが、祖母の悠里が店番をしていることが多く、和子が近くに出向いたときには必ず顔を出す習慣ができる。

 あの日、装いも軽くふらりと銀座に出かけた理由を和子は思い出せないが、端から理由などなかったのかもしれない。

 会社勤めを始めて――当たり前だが――一般の女子事務員扱いされるのが面白くなく、気晴らしに遊びに出かけた、といったところだろう。

「あら、和子ちゃん、いらっしゃい」

 古いテナントビル一階のギャラリー・オオノに入ると祖母の柔らかな笑顔が和子を迎える。

「おじゃまします。また来ちゃいました」

 和子が応えて店内を見まわす。

 自分の他に客はいないが、店の奥に飾られた五〇号Pサイズ(Paysage:風景型、一一六七×八〇三)の画が和子の気を惹く。

 妙に楽しげな感じの絵だ。

 和子を今にも笑い出したいような気持ちにさせる。

 カンバスに描かれていたのは凍原(ツンドラ)らしく景色そのものは凍てついていたが、実際に画家が描こうとしたのは、その景色を越えた心象風景だろうと和子は捉える。

 画家には種々のタイプがいて、それこそ思想的な一切を排除したレンズ眼の持ち主がいれば、まるで建築物のように丹念に作品を仕上げる者もいる。

 それ以外にも多くのタイプが存在するが、一枚の絵の裏に作者の想いが感じられる作品が多いのは普遍の事実。

 一般の鑑賞者は自身の心のアンテナで捉えた作者の想いに感動し、その画に見入ってしまうわけだ。

「変わった画でしょ」

 いつの間に近くに来たのか、悠里が和子の真後ろから声をかける。

「一見荒涼としているのに、わくわくするような、そんなアンバランスな感じがあって……」

 祖母の言葉は和子が絵から与えられた感覚を余すところなく伝えている。

「これでこの人、大野の遠い弟子なのよ。随分と違うでしょ」

 と言って悠里が和子に微笑む。

 和子の祖父、大野政明は抽象絵画の人だ。

 もちろん若い頃には人物や風景も描いたし、老いてからでも知人から頼まれれば色紙に柔らかな静物画を描いたが、本質のところで抽象画家だったのだ。

 有名なのは生物のような不思議なナニモノかが多種踊っている画だが、子供が落書きしたような大雑把な感じが、発表されたどの作品にも見受けられる。

 もちろんそれは作者が細心の注意を払った大雑把さだが、家族と近しい弟子たち以外、その事実を知る者は少ない。

「でもまあ、賑やかな感じは大野の系列に入るのかもね」

 悠里はそう言い放つとお茶を煎れに画廊の奥に向かう。

 その間、和子が店番となる。

 ギャラリー・オオノに飾られた種々の号数の画には数十万から数百万の値が付いていたが、それらの画を泥棒に盗まれたという話を和子はこれまで聞いたことがない。

 唯一の例外は、どうしても欲しいからその画を売らないでくれ、と祖父がファンに拝まれた話で、仮に売ったらその家に盗みに入ると啖呵を斬られたようだが、祖父の作り話かもしれない。

 それで気楽に受付に立っていると客が来る。

 正確には、それが凍原の画を書いた画家、石田劉だったわけだが、当時和子は顔を知らない。

 が、劉の方は和子の顔に悠里のパーツを見つけたようで、

「お孫さん?」

 と聞いてくる。続けて、

「大野先生の……」

 言葉を紡いだが、描いた画からは感じられない繊細で真っ暗な感じが和子の胸に張り付くように迫り、

「ああ、ええ、そうです」

 としか咄嗟に応えられない。

 後に訊くと、その素人臭さが印象に残ったと劉は言うが、和子は画廊の従業員ではないので、それは当然だろうと和子は思う。

 さらに後で知るところでは素人という言葉の意味も違ったが、そのときにはもう和子はプロの女のように劉に抱かれていたし、抱いてもいる。

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