4 罪科

 風呂場に入って疲れた身体に湯を当てる。

 歳は取ったが、和子はまだ自分は木目細やかな肌を維持していると感じている。

 が、それも蓮池真人との恋愛が終われば消えるのだろうという直感もある。

 夫の武則との夜の営みは、長年連れ添った者たちだけが持つ味わいには満ちていたが、すっかりパターン化されてもいる。

 結婚初期に和子にあった恥じらいも徐々に影を潜め、三十代半ばには随分大胆にもなったが、それもすっかり落ち着いている。

 武則は激しい愛撫を好まない。

 いつも胸から入って静かな舌が段階的に和子の下半身に及んで熱くなる。

 その舌の熱さに和子の内側が反応して、トロリと甘い液を湧き出させる。

 やがて和子の身体全体が怒ったように火照り、骨が消える感覚が襲う。

 くにゃりとした軟体動物に変化したような身体感覚に自身驚く。

 体調の問題もあるので毎回そうなるわけでもないが、武則との正しいセックスは概ね、そんな方向で展開する。

 一方、蓮池真人との営みは若い雄を受け入れる獣の母親のようだ。

 和子はどうしても真人と同じ地平に立つ気になれない。

 世の中に年齢差が大きい夫婦や愛人はいくらでもいるだろうが、彼と彼女たちが互いのパートナーとの関係をどう捉えているのか和子には想像がつかない。

 蓮池真人に出会う前、種々の恋愛小説やテレビ、映画から和子が得た知識では、大抵の女は男と同じ地平に立っている。

 それが母と息子の場合もあったが、そのときには本当に関係が母と息子なのだ。

 それ以外の組み合わせでは女は若い恋人に合わせては若く、年寄りの恋人には年を取り、少なくとも感覚の上では同じ立場に立っている。

 セックスの最中では特にそうだ。

 男と女が一つの生き物に代わる瞬間には、そういった立場さえ解脱しているのかもしれないが、基本的にはそう感じられる。

 もちろん現実の世界に戻れば、それぞれの立場によりそれぞれが、それまで歩んで来た道を辿って還るしかない。

 その際に歳の離れた恋人たちはすでに同じ地平から降りている。

 けれども機会が巡れば、彼と彼女たちは、また同じ地平に立てるのだ。

 が、蓮池真人との行為の最中、和子の意識はずっと冷静さを保っている。

 これが記憶も失うほどに身も心もすっかり蕩けさすような行為であったならどうなっていたのだろう、と逆に和子は考え惑う。

 その場合、しばらくすれば情熱も冷め、相手を静かに見下ろせるような位置にも立てて、年齢が呼ぶ分別に上手く答えを出せたかもしれない。

 が、時に行為に身体は蕩けど、和子の意識は崩れない。

 最初に真人に身体を許したときがそうだったからか、現在に至るも、その状態が続いている。

 わたしは本当では蓮池真人が好きではないのかもしれない、と和子は思うことがある。

 そうはいっても真人から見れば年老いた自分の枯れた肌を若い恋人に曝したくらいだから、まったく嫌いなわけではないだろう。

 が、しかし掛け値なしに好きとも思えない。

 和子にはそんな自分がわかない。

 仮に真人がセックス・テクニシャンであったなら、それはまた別の話になるだろうが、と和子は自ら考えを逸らす。

 その場合、和子は身体を篭絡されただけの、ただの女に過ぎない。

 身体の反応や匂いや妙味を飽きられれば捨てられるだけの女だ。

 まだしも、その方が楽だろうか?

 それとも、その方が罪深いのだろうか?

 そう考えていて思い至る。

 和子には真人が可愛いのだ。

 好きではなくて可愛いのだ、と。

 それこそ食べてしまいたいくらいに……。

 それこそ目の中に入れても痛くないくらいに……。

 そう考え直すと罪の質が変ってくる。

 二人の立場で余計に罪深いのは和子を口説き落として身体を奪った真人ではなく、自分でも気付かず若い男を誘っていた和子ということになってしまうからだ。

 無論、真人がその気にならなければ和子の態度は夢想の域を出はしない。

 が、一旦、真人がその気になれば、たちまち夢想が現実へと取って代わってしまうのだ。

 夢想に裏打ちされた儚い現実。

 けれども儚かろうと現実は現実であり、そこには罪の意識が宿るのだ。

 蓮池真人が最初に和子の目の前に現れたのは美咲の家庭教師としてだ。

 和子には美咲の頭が取り立てて悪いとは思えなかったが、おい、あんまり自由に遊ばせておくんじゃないぞ、と武則の方が気にしたのだ。

 事実、美咲は頭自体悪くなかったものの、そそっかしいところがあり、また両親のいずれかに似たのか、隔世遺伝なのか、飽きっぽい性格でもあったから、受験を失敗する可能性が低くない、と心配したのだ。

 ただし美咲の立場にしてみれば、いずれは東大や慶応を目指す、もしくは早稲田や上智に入りたいといった野心があるわけでもなく、受かれば何処でも良いのだろう。

 が、娘が仮にあまりにもレベルの低い学校に進んだとすれば、そこに集っているのは当然あまりにもレベルの低い連中だから、いずれ娘も同じ仲間になってしまうんだよ、と武則は娘の父親として主張する。 

 ただし、その先の対応は和子任せであったが……。

 だから娘の家庭教師が若い男だとわかって瞬間ぎょっとしたものの、武則は和子の判断を否定しない。

 和子は、美咲は人見知りしない子供だから、男の先生の方が却っていいんですよ、女の先生だと甘えてしまうかもしれませんが、男の先生だったら、その目が気になって、しっかりと勉強するようになるはずですから……、と武則に自分の考えを説明している。

 もっとも始めて蓮池真人を目にしたとき、和子はよもや自分が二十歳以上も年の離れた若い男と深い関係を持ってしまうとは夢にも思っていない。

 けれどももしかしたら夢の中では、とそこまで考え、和子は胸を熱くする。

 自分でも気付かずに真人との関係を望んでいたのではないだろうかと……。

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