3 未生
ゆるゆると階段を下りて風呂場に向かうと茶の間の電気が消えている。
だから澄江は寝たのだろうが、実の母親であっても澄江の行動には和子に理解し難いことが多い。
それがどんなものなのか、と具体的に説明することは難しいが、例えばリズムが合わないといえば良いのだろうか?
食事にしても、掃除にしても、あるいは外出時にしても、澄江と和子は何故かリズムが合わないのだ。
単純な例を挙げれば、同時に醤油差しに手を伸ばしたし、同じ廊下を知らずに続けて拭いたり、片方が出かける直前に鍵を失くせばば、もう片方はそのときまで見失っていたはずの携帯電話を発見したり……。
すべてが万事そんな具合で、それはすでに鬼籍に入ってしまった父親との関係でも同じだったようだ。
ある日、和子は冗談半分で父親の要蔵に聞いてみたことがある。
よく、あんなお母さんをお嫁さんに貰ったわね、と。
それに答えて父親が言うには、でも、お母さんは綺麗だろう、という別方向からの回答だ。
更に、リズムが合わないだけじゃなくて、料理だって適当だし、掃除も苦手だろ、と父親が続ける。
お婆さんが生きていた頃には、まだ傅いていたから、いろいろと覚えたものだが、それでもお婆さんの作る料理の方が美味しかったし、掃除だって完璧だった、と父親は説明するが、和子には父が言わんとする話の要旨が掴めない。
それで、それはわたしも見ていたから知ってるけどさ、と答え、すぐに、でも構わないわけね、それでも、と重ねて訊く。
すると父親は、アレはすぐに気が変るから、その意味では扱い難いところもあるが、と指摘した上で、でも忘れっぽいから、すぐ元のおおどかな性格に戻るだろう、それがいいんだよ、と続ける。
説明終了の気配を濃厚に漂わせながら……。
澄江の父親は、昔それなりに名の売れた画家で、今では人に譲っていたが、銀座で画廊の経営も行っている。
だから澄江は娘時代にはお嬢様として育てられ、少女向け雑誌のグラビアを父と二歳年上の姉と一緒に飾ったことすらある。
和子の父、要蔵は、澄江のおおどかな性格はその実家で培われたものだと信じていたが、和子の見方は違っている。
母親の性格は、おそらく天然モノだと看做していたのだ。
もちろん、そうはいっても育った環境が母親に与えたものは大きいだろう。
モノや他人との諸事情に関する後天的な知識や知恵は、まず間違いなく実家から学んだはずだ。
が、それ以上に、澄江の性格は父母未生以前(ぶもみしょういぜん)のモノなのでないかと和子は疑っていたのだ。
父母未生以前とは禅の言葉で、自分は当然、両親もまだ生まれていない以前のこと、すなわち本来の自分が持っている自己のことを言うが、和子には大学時代にその言葉をある本で知り、そういうことはあるな、と深く首肯いた経験がある。
科学的にはありえない話だが、直感的、または比喩としては十分だ。
人間の、その部分を取り除いてしまったら、もう本人ではなくなってしまうというコアの部分の話だからだ。
それは本人さえ知らずに生命誕生の遥か以前から与えられた賜物。
両親が出会い、愛し合い、そのまた両親が出会い、愛し合い、過去への連鎖は連綿と続く。
生理学的には精子が卵子に突入して一つの新たな生命が誕生する。
どの状態の精子がどの状態の卵子に至って細胞分裂を始めるのか、その瞬間まで精子も卵子も知らないだろう。
が、起こるべきことはやがて起こり、無限の組み合わせの中から一つの可能性が選ばれる。
けれどもそれ以前に、すべての可否は決められているのだと和子は感じていたのだ。
そしてそれを選び取るのは、自分も、また両親も生まれる遥か以前の自分なのだ、と。
和子は、それこそが自分が生まれるということの意味なのだろうと信じている。
もちろん世界の何処にも、その記憶を脳内に留めている人間はいないと思う。
が、それも一つの恩寵なのだ。
自分が実際にこの世に生まれる際に一切を忘れて無に帰るための……。
本来自分が持っているはずの自分を探しながら誰もが自分になってゆく。
その過程が人生で、その経過に伴い、どこまで自分で自分を理解できるかは人によって様々のはずだ。
和子は、自分も含めて多くの人々が最終的な自分を知らずに死に果てるのだろうと思っている。
が、その段階を難なくクリアし――本人は気付いていないかもしれないが――自分らしい一生を泳ぐ澄江のような人間もいるのだ、と半ば本気で信じている。
が、そのことと、単純に澄江とリズムが合わないことは同じではない。
しかし同じではないながら根は一つで、それが澄江と和子との決定的な違いでもあるのだ。
澄江は若い頃は恋愛映画の主役を張る女優のように容姿端麗で、また屈託ない笑顔で多くの男たちを魅了したらしい。
が、和子の父親が澄江に言う『綺麗』は肢体/振舞いだけに収まらない澄江のコア部分を言い当てたものなのだろうと思える。
そのコアは時に和子にとって迷惑な現象を引き起こしたが、この先澄江が惚けて枯れ、仮にそれがなくなってしまったら、そのときにはもう自分は澄江を自分の母親だと認識できないのではなかろうか、と和子は感じるのだ。
冷たい娘だと自分で自分を自覚しながら……。
和子は学生のときに、子供の頃から仲の好かった従姉妹が交通事故で死に、それ以来――言葉は悪いが――毀れてしまった知り合いを精神病院に見舞った経験がある。
翻れば、そのときの経験が和子にあの本の一節を選び出させたのかもしれないが、そうなる必然の上を和子が気付かずに歩いていただけなのかもしれない。
巡る因果は糸車ともいうが、因果そのものが存在しない瞬間もあるのだろうと、蓮池真人との火遊びとは呼びたくない恋愛を思い返しつつ、和子は強く思うのだ。
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