第7話オッドアイ少女の正体
ほかの生徒たちは、移動教室の準備にかかりきりになっている。この状況でなら、彼女に話しかけたとしても、特段気に留める人はいないだろう。むしろ、このタイミングぐらいしか、生徒手帳を渡せそうにない。
教室を出ようとする波に逆らって、少しずつ冬子の席に近づく。彼女は、教科書やノートを揃い終わり、今にも席から立とうとしていた。もちろんと言っては悪いが、その席の周囲には誰もいない。やるならいまだ。
「あ、あのさ」
深呼吸した後話しかけると、冬子は中腰のまま首を傾げた。視線がぶつかり合う。彼女の方は例の眼鏡をかけているので、どんな表情をしているかは皆目見当がつかない。けれども、なんだろう。この、頼まれもしていないのに、猫の首に鈴をつけようとしているネズミのような気持ちは。
固まっていると、冬子はため息をつき、教科書を手に取り、完全に立ち上がった。
「用がないなら行くわよ。次の授業に遅れるし」
ここで逃すわけにはいかない。それに、これ以上ためらっていると、余計変な憶測を立てられる恐れがある。俺はすかさず、胸ポケットに入れていた冬子の生徒手帳を差し出した。
その瞬間、冬子の動きがぴたりととまった。明らかに、俺の手の中にあるものに反応している。教科書を机の上に戻すや、俺に迫り寄ってきた。
「それ、どこで見つけたの」
「あ、ええと、昨日拾ったんだ」
「どこで」
やけに5W1Hの「where」を気にかけている。ここで嘘を答えても仕方ないよな。それに、この答えに対する反応次第では、冬子へのある疑惑が晴れるかもしれない。
「えっと、知ってるかどうかわからないが、駅から学校への通学路の途中に細道があるだろ。その先に空地があって、そこで見つけたんだ」
「そう。もしかしてって思ったけど。やはり、そこにあったのね」
あたかも、あの空地に忘れたかもしれないと見当がついているような口ぶりだ。
「まったく妙だよな。あんなとこ、滅多に人が立ち入らないのに、どうして生徒手帳なんかが落ちていたのか」
「その割に、あなたは立ち入ったみたいね」
「そ、そりゃ、昨日爆音騒ぎがあっただろ。あの空地の方から音がしたっぽいから、バカな奴が昼間から花火でもぶっ放したのかなとか思って見に行ったんだよ」
本当は、蹴飛ばしていた石が、たまたま裏路地の方に入っていったからなのだが。
「それよか、なんで夏木さんはあんなところにいたんだ」
「ほぇ!?」
なんだ今の声は。しかも、思い切り手を滑らせたせいか、教科書が床に落ちている。
「な、なんで、私があそこにいたなんて思うのよ」
「だって、生徒手帳が落ちてたんだぜ」
二の句も告げずにいる冬子。いや、至極簡単な推理のはずなのだが。
いつの間にやら、教室にはほとんど人が残っておらず、残りの数人も、慌てて教室を出ていこうとする。そろそろ移動しないと遅刻しそうだ。
とはいえ、ここまで問い詰めてしまったからには、核心的な部分に触れておく必要がある。一か八かかもしれないが、あの疑念を晴らす絶好の機会だ。
しかし、後々思ったことだが、この時の俺は好奇心に駆られすぎていたのかもしれない。この時、深く追求しなければ、あんな目に遭うことはなかったかもしれないのだ。
けれども、俺は衝動を抑えることはできず、ついに、禁断のテーマへと話を進めてしまったのだ。
「あのさ。夢物語かと思うかもしれないけどさ、俺、昨日変なやつに襲われたんだ。マネキンみたいなのっぺらぼうの化け物だったな」
さりげなく俺を無視して教科書を拾おうとしていた冬子の手がぴたりと止まった。無言で教科書を掴むが、すぐに落としてしまう。なんか可愛そうだったので、教科書を拾い終わるまで待って、話を続けた。
「それで、もうダメかと思った時に、謎の少女に助けられたんだよ。そいつもまた変わっててさ。左右で目の色が違って、しかも炎と氷の球を出すんだぜ。まあ、現実にそんなのはいないに決まっているから、夢でも見ていたんだろうな」
すると今度はノートを落とした。ここまでやらかされると、本気で可愛そうに思えてくる。しかも、例によって全くつかめていない。
仕方なしに拾ってやると、ポツリと「ありがとう」と呟いた。ここまであくまでだんまりを決め込んでいる冬子。関係ありそうだったが、思い過ごしか。
そうして俺は、決定的な一言を発してしまうことになる。
「で、つかぬ事を聞くけど、俺を助けてくれたのって、夏木さんじゃないのか」
それを聞いた冬子は、ぐるぐる眼鏡でまじまじと見つめてきた。いや、睨んでるのか。眼が確認できないからよく分からないが、そんな感じはする。そう、あのオッドアイでにらまれた時と、同じような気分だ。
あまりに直接的なことをぶつけただけに、白を切られたら言い返しようがなかった。だが、冬子は肩を落とすと、低い声で切り返してきた。
「あの時言ったはずよ。あの出来事はさっさと忘れなさいって」
この返答は、俺の質問に対し肯定ということだろうか。去り際に似たようなことを言われたから、間違いはなさそうだ。俺は高揚して声を張り上げる。
「いや、そう簡単に忘れるわけないだろ。それに、あんな化け物がウロチョロしていたというなら、なおさら秘密にしておくわけにはいかない。警察とかに話して、きちんと対処してもらわなくちゃ」
「あれは、警察がどうにかできる代物じゃない。それに、そうされると私たちにとっても不都合なの。これ以上首を突っ込むなら、あなたを肉体的に抹殺とまではいかなくても、社会的に抹殺ぐらいはする必要があるから」
冷淡な口調にも関わらず、いかつい不良に絡まれた時ぐらいの凄みがあった。それは、あの化け物と余裕で渡り合える彼女の規格外の強さも起因していた。
ここは素直に、身を引いておくべきか。いや、あれを放っておくなんてことはできない。
「だからって、あいつらを野放しにする気か」
「野放しになんてさせてない。証拠に、今の今まで、あいつらのことは表に出なかったじゃない」
「まさか、お前ひとりで、あんなのを相手に戦っているっていうんじゃないだろうな。いくら常識外れの力を持っていたって、それはさすがに無理……」
俺の言葉が途切れたのは、冬子が机を叩いたからだ。幸い、すでに、俺たちのほかに教室には誰もいない。だが、今は、クラス内での体裁など気にしている場合ではない。
冬子は、教科書やノートをわしづかみにすると、俺を押しのけるようにして教室を出ていこうとした。さすがに怒らせすぎたか。
ふと、冬子の机を見ると、筆箱が置き去りにされていた。
「ちょっと待てよ」
「しつこいわね。これ以上話すことなんてないわ」
俺が筆箱を投げると、冬子は片手で器用にキャッチした。どんくさそうではあるが、あんな立ち回りができる以上、運動能力は低くはないんだな。
冬子は小声で「ありがと」というと、そのまま廊下へと足を踏み出した。すると、その足をぴたりととめ、俺に背を向けたままこう言い残した。
「そこまであの異人のことが気にかかるのなら、今日の放課後に、駅の反対側にある廃ビルに来るといいわ。そこで異人について教えてあげる。来るか来ないかはあなた次第よ。いや、知って死ぬか、知らずに死ぬかはあなた次第って言いなおしておこうかしら」
そのまま冬子は、実験室へと向かっていった。
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