第5話必殺技と落とし物

 化け物は咆哮すると、前かがみになりながら、左足を軸に片足立ちした。そして、振り子の勢いをつけた右足による蹴りを繰り出した。サッカーはろくに経験したことはないが、さっきの締め付け以上の威力がある攻撃だというのは容易に想像がつく。

「無駄よ」

 易々と蹴りをかわし、懐へともぐりこむ。不自然な体勢になっている以上、化け物は彼女の接近を許すしかなかった。


 女子高生は、化け物の胸に両手を置いた。人間相手ならセクハラにしかならないが、彼女の能力を目の当たりにした今、何をしでかそうとしているのか薄々想像がついた。しかも、それは、けっこうむごたらしいことにもだ。

「私の炎と氷は相反する能力。遠距離から同時に打ち出せば、互いで互いを打ち消しあい、結局相殺される。けれども、ゼロ距離で、この二つを発生させた場合、どうなると思う?」

 炎にせよ氷にせよ、出現させるためには何らかのエネルギーを消費しているはず。そのエネルギーを炎や氷に変換させるのではなく、直に相手にぶつけたとしたら。


 案の定、とてつもない爆発音が響き、爆風が吹き荒れた。熱気と冷気が混ざっているせいか、気持ち悪いくらい生ぬるい。

 こんな攻撃をしかけたら、爆発に巻き込まれて自滅するのではないかと思われたが、彼女は攻撃の発動と同時に、後方へと飛び去って退避していたらしい。爆風が途切れるや、涼しい顔で化け物を見下している姿があったからだ。

 これにより、一番悲惨な目に遭ったのは、もちろん、化け物だ。なんというか、この状態は悲惨としか言いようがないのだろう。爆発をまともに受けたせいで、体の中心に風穴が開けられているのだ。


 いくら化け物とはいえ、体を吹き飛ばされて無事なわけがない。声をあげることなく、そのまま前傾に突っ伏した。絶命しているはずなのだが、どうしてもそれを確かめようという気力がわいてこない。それよりも、こんな不可思議生物の死骸をどうするべきか。このまま放っておくと大事になるぞ。


 だが、そんな心配は無用だった。化け物の体が、足首から順に霧散していったのだ。死んだら体が砕片化して、風に乗って消滅するなんて、正直この世の生物の常識を凌駕している。

「こっちの世界で倒されたから、異の世界に強制送還されただけよ。こんなやつの死骸を放置したままにしたら、この世の理を乱すことになるからね」

 すでに、この世の理を無視した出来事が連続で起きているんですけど。マネキンもどきに襲われただけでもお腹いっぱいなのに、炎と氷を自由に出現させられる少女だなんて、非現実もいいところだ。


「えっと、そこの君」

 一瞬、誰のことか分からずにいたが、よく考えずとも、この場には俺と彼女しかいない。

「この場で起きたことはさっさと忘れた方が身のためだわ。特に、口外しようだなんて思わないことね」

「いや、口外するなと言われても」

 これは黙っておくわけにはいかないだろ。彼女はともかく、あんな不可思議生物を野放しにしておいたら、どんな被害が出るか。

 だが、彼女は無言で、俺のつま先すれすれの位置に冷気の球をぶつけてきた。名も知らぬ雑草が氷の彫刻になっていた。

「本当は人殺しなんかしたくないけど、言いふらすというならその口を封じる必要があるわ」

 それが冗談ではないことは重々承知であった。化け物の体を躊躇なく吹き飛ばした相手だ。人間を火だるまにするくらいは平気でやってのけるに違いない。

「どちらにしても、ここから早く離れた方が賢明ね。あの爆発音を聞きつけて、もうすぐ人がやってくると思うから。いらぬ騒動に巻き込まれたくなかったら、さっさと逃げなさい」

 言うが早いか、彼女は飛び跳ねるようにして、この場を去って行った。


 いったい、彼女は何者なんだ。俺と同じ学校の制服ってことは、当然のごとく、清川高校の生徒というのは間違いない。それに、雰囲気からして、年上という感じではなかった。しかし、知り合いに、炎と氷を出すことができるオッドアイの美少女なんて存在しなかった。いや、そんなのと知り合いの高校生なんて、世界のどこを探しても存在しないだろう。

 口外禁止と釘をさされたとしても、あんなことに巻き込まれた以上、真相を知りたいと思うのが人の常だ。とはいえ、彼女の手掛かりが非現実的すぎて、まるでたどり着ける気がしない。

 せめて、もっと現実的な手掛かりがあればいいのに。たとえば、名前とか。そういえば、さっさと逃げ出されたせいで、名前を聞くのを忘れていた。まあ、聞いたところで、知らない名前だったら意味がないが。なにせ、高校に入って間がない状態で、同学年の生徒の名前をすべて把握しろだなんて、土台無理な話だ。そもそも、三年間かかったとしても、成し遂げられる自身がない。実際、同学年の生徒全員の顔と名前を一致させることができる人なんて皆無なんじゃないか。


 彼女の命令通り、夢物語として片づけておくしかないか。落胆しつつ歩みを進めると、手帳みたいなものが落ちていることに気が付いた。こんなところに、誰かの落とし物か。しかも、あれだけの爆風があったにも関わらず、ページが吹き飛んだりしておらず、かなりきれいな状態で保たれている。

 しかも、それはただの手帳ではなかった。透明なケースに入れられたそれの表紙に描かれていたのは、清川高校の校章であったのだ。おまけに、俺が持っているものと同じく、表紙の色が緑であった。

 俺の高校の生徒手帳は、学年によって色分けされている。1年生が緑で、2年生が青。3年生になると赤だ。つまり、この生徒手帳は、俺と同じ高校で、なおかつ同学年の誰かの落とし物ということになる。


 俺と同じく、こんな辺鄙な場所を探索しに来た酔狂者がドジを犯したのだろうか。どれ、そんな間抜け野郎の面を拝んでやるとするか。俺は、自分がその酔狂者の一人であることを棚に上げ、生徒手帳を手に取った。そして、その表紙をめくる。


 すると、そこにはとてつもなく意外な顔写真および名前が掲載されていたのだ。

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